『古事記』に登場する神々について(その1)
今回からしばらくの間、『古事記』に触れてみようかと思っています。そのなかでもとりわけ、同書に登場する神々の意味ありげな名前が気になってしかたないので、それを話の中心に据えてみようかと考えています。むろん私は、『古事記』に関してズブの素人です。お話しすることのほとんどは、専門家の受け売りにほかなりません。だから、いちいちどこからの引用なのか明示していたら、キリがなくなって、書く方も読む方も煩わしくなるだけでしょうから、そういうことは必要最小限にするつもりです。
しかしながら、妄想が膨らんできて、どうにも我慢ができなくなったら、いろいろと言い出すかもしれません。そのときは、笑ってお見逃しください。なお、本文からの引用は、基本的には『現代語訳 古事記』(福永武彦訳 河出書房新社)からで、原文からはなるべく控えたいと思っています。原文を読みこなすのって、なかなか大変ですからね。
いきなり『古事記』の神々に触れる前に、『古事記』の成立をめぐってのエピソードをひとつ取り上げておきましょう。
『古事記』の「序」によれば、同書は、和銅五年(七一二年)一月二八日に太安万侶によって元明天皇に提出されたことになっています。
ところが、現存する同書の最古の写本は、室町時代の応安四、五年(一三七一~二年)筆写の真福寺本古事記であって、原本は今のところ見つかっていません。とすると、「序」に記載された同書の成立の年から約六六〇年の歳月が流れていることになります。
それゆえ、真福寺本古事記の筆写内容や文字遣いが、七一二年のそれに忠実なものかどうかについて疑念が生じることになります。それゆえ、『古事記』(あるいはその「序」のみの)偽書説が、江戸時代から今日まで入れ代わり立ち代わり登場することになります。
その論点に首を突っ込むと、実はかなり面倒なことにもなるし、私に、偽書説の是非を論じる力量があるわけでもありません。だから、これ以上その論点には触れません。ただ、その事実をお伝えしたいと思ってお話しした次第です。
では、同書の本文に入りましょう。
『古事記』の本文は、「天地初発之時」という六文字ではじまります。読みくだせば、「天地初めて発けし時」となります。「あめつち、はじめて、ひらけしとき」と訓読します。
「天地」は、和語にはなかったとても抽象的な観念であって、宇宙のすべてをあらわす言葉です。ここには、というよりむしろ、『古事記』全体を通して、中国の道教の影響が色濃いと言われています。当時の天皇家は、道教と深い関わりを持っていたのですね。
『古事記』の発案者であり企画者であった天武天皇自身、道教に深く傾倒していたようです。天武天皇の死後に与えられた諡(おくりな)が、「天渟中原 瀛真人天皇」(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)であったことが、そのことをよく物語っています。「天渟中原」とは、天上の瓊(たま・美しい赤色の球という意味)を敷きつめた原、「瀛」は瀛州(えいしゅう・中国の東の海に浮かぶ不老長寿の薬のある三神山のひとつ)という意味で、「真人」とは、位の高い仙人をいいます。どの言葉も、道教の神仙思想とのつながりを示しているのです。ほかにも天武天皇と道教とのつながりを示す事実がありますが、煩雑に過ぎるといけないので、これくらいにしておきます。
道教においては古くから、天は万物を覆い地は万物を載せるものと認識されていました。つまり、「天地」=宇宙となります。それに太安万侶は、和語の「あめつち」という読みを当てたものと思われます。それは、安万侶の独創といえば独創と言えましょう(『古事記』の編者はおそらく複数いたのでしょうが、これから、「安万侶」という固有名詞でそれらの存在を代表させることにします)。また、「天地」という言葉には、「宇宙は『陰』と『陽』からなる」という考え方が含まれてもいます。その「陰」と「陽」の論理は、次に登場する「ムスヒ」の神にも、さらには、イザナキ・イザナミ神話にも当てはまります。そのように、『古事記』の神話は仕組まれているのです。太安万侶は、天武天皇の意向や思想的な好みを最大限に同書に織り込んだのでしょうね。
「天地」という、たった二文字の言葉に、これだけの字数を使ってしまいました。この言葉について実はまだまだお伝えしたいことがあるのですが、読んでいらっしゃる方々にうんざりされると困るので、これくらいにして、次に移ります(こんな調子で、ゆっくりと進みますので、のんびりとおつきあい願えれば幸いです)。
「発(ひら)ける」は、「動かなかったものが動きはじめる」という意味合いの言葉です。だからここは、「止まっていた宇宙のすべてが動きはじめたとき」というほどの意味になります。神話に「天地開闢(かいびゃく)」という言い方がありますね。「天」と「地」が、広大な扉のように開くイメージです。とてもドラマテックではありますが、『古事記』の場合そういう感じではなくて、宇宙はあるにはあったのだが動いてはいなかった、それがなんの前触れもなく動きはじめた、と言っているわけです。そのニュアンスを最大限に大事にするとすれば、「序」の「大抵(おおかた)記す所は、天地開闢(あめつちひらけしとき)より始めて小治田(おはりだ)の御世に訖(おわ)る」のなかの「天地開闢」という言い方は(安万侶には大変恐縮な言い方になりますが)、やや不適切なものを含んでいると言わざるをえなくなります。ちなみに、「小治田の御世」とは、推古天皇の時代を指しています。小治田は、今の奈良県高市郡明日香村のことだそうです。
「天地初発之時」の次に、「於高天原」という言葉が登場します。むろん「高天の原に」と読み下します。「高天の原」の訓読は、「たかまのはら」です。
「たかまのはら」の構成に触れておきましょう。「たか」は美称で、「たか・あま」がひとびとによって発音を繰り返されるうちに「あ」音が除かれて「たかま」となったようです。「の」はもちろん助詞。「はら」は、『岩波古語辞典」には「手入れせずに、広くつづいた平地」とありますが、「墾(は)る」と語源を同じくすると考えれば、「ひとびとの手によって切り開かれた平地」と解することもできるでしょう。その方が、神の誕生する聖地としてはふさわしいイメージですね。
『古事記伝』の本居宣長は、「たかまのはら」を次のように解釈しています。『古事記の宇宙(コスモス)』(千田稔・中公新書)から、現代語訳を引きましょう。
高天の原は、天(あめ)である。そこでただ天(あめ)というのと、高天の原というのとのちがいは、天は天つ神の坐(ま)します御国であるので、山川木草の類、宮殿などその他よろずの物も、事も、天皇によって治められているこの国土のようであって、(中略)高天の原というのは、それが天にあることを語るときの言い方である。その理由は、「高」とは、天についての言い方で、ただ、高いという意味をいうのとは、ちがう。「日」の枕詞に「高光る」というのも「天照らす」と同じ意味で、「高御座(たかみくら)」も「天」(あめ)の御座ということで、これらの「高」も同じ意味である。
つまり宣長は、端的に言えば、「高天の原とは天つ神のいる天である」と言っているのです。
『古事記』からあたうかぎり「漢意(からごころ)」を排除しようとした宣長なら目を剥くものと思われるのですが、「高天」に神が住むという信仰は、実は、中国道教の神学教理書に数多く見えるそうです。ここではそれらの文献を具体的に取り上げることはしませんが、高天の原は、中国のそういう教理書を参考にして作られた言葉であるとのことです。
動きはじめた世界はまだすべてが、いま述べた「高天(たかま)の原」とよばれる天上世界でした。そこに最初にあらわれたのは「天の御中主の神」でした。すなわち、「アメノミナカヌシノカミ」です。この神様は、読んで字のごとく、動きはじめたばかりの宇宙の中心それ自体を指し示すだけであって、とても抽象的でありまた幾何学的でもあります。
ここにも、どうやら道教の影響が見られるようです。隋唐時代の道教において、天の中心に居る元始天尊は、その最高神でした。それは、もともとは元始大王であり、仏教思想の影響で元始天尊になったとのことです。それらはともに北極星の化身です。太安万侶は、そのことを文献で学び、『古事記』に取り入れたのでしょう。
つまり太安万侶は、同書の冒頭で、最高神を規定したと言っていいでしょう。とするならば、後に現れるもう一柱の最高神・天照大神とのつじつまが合わなくなります。これをどう解釈すればいいのか。それについては、次回にでも触れましょう。
ところで、最高神「アメノミナカノヌシ」には神裔がいます。『伊勢国風土記』を紐解くと、「夫(そ)れ伊勢の国は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の十二世の孫、天日別命(あめのひのわけのみこと)の平治(ことむ)けし所なり」とあります。すなわち、アメノミナカヌシの末裔として位置づけられるアメノヒワケノミコトという神によって伊勢の国は治められているというのです。先ほど、アメノミナカヌシノミコトが道教の最高神で、北極星がそのシンボルであることを述べました。そうして、その末裔が伊勢の国を治めているという。とするならば、伊勢神宮の祭祀には道教的な意味合いがあることが推測されます。
一例を挙げれば、遷宮に携わる建築技術者たちのハッピの背に「大一」の文字が染め抜かれています。「大一」は、漢代の道教において、その最高神が「太一」と呼ばれていたことに由来するものと思われます。紀元前後に道教思想が渡来した土地柄であったからこそ、伊勢の地が、後代に伊勢神宮の鎮座地となった可能性が想定されます。
さて、『古事記』の本文に戻りましょう。「アメノミナカノヌシ」の次にあらわれたのは、「高御産巣日神」と「神産巣日神」、すなわち「タカミムスヒノカミ」と「カミムスヒノカミ」です。その名のなかの「ムスヒ」には、無視できない大きな意味があります。「ムス」は、育つ・生えるなど、生命活動が行われていることをいいます。また「ヒ」には「霊」の字が宛てられて、神秘的で超自然的な力を意味します。つまり「ムス・ヒ」は、生命活動そのものの神秘的な力をあらわす言葉なのです。
すなわち、動かなかった宇宙が動きはじめたそのど真ん中に、生命活動そのものの神秘的な力が生まれた、と『古事記』は言っているのです。端的に言えば、「宇宙は生命で満ち溢れている。生命こそが宇宙の根源である」。それが『古事記』の宇宙観なのです。とてもおおらかでのびやかな気分になりませんか。
この二柱の神を陰陽との関連で見てみましょう。まず、「カミムスヒノカミ」は「陰」の神であると考えられます。この神が登場するおもな舞台は、出雲神話です。それは、出雲地方が後に山「陰」地方と呼ばれたことと関連づけることができると考えられています。「陰」の「カミムスヒノカミ」が登場する場面を二つ取り上げてみましょう。
まず最初は五穀の起源神話について。アマテラス大御神が天の岩屋戸から出てきた後に語られる、出雲神話に属するオオゲツヒメ(大気都比売)の物語は次のようです。天上界を追われたスサノオの命は、食物をオオゲツヒメに乞います。するとオオゲツヒメは、鼻・口・尻から種々のおいしいものを取り出して、それらを調理して献上すると、スサノオの命は、けがれたものが進上されたと思ってオオゲツヒメを殺してしまいます。するとその頭に蚕が、二つの目には稲の種が、二つの耳には粟(あわ)が、鼻には小豆が、陰(ほと)には麦が、尻には大豆(まめ)が、それぞれ生成しました。そこでカミムスヒの神はこれらの穀物類を取らせて、それぞれの種子としました。種子が「地」すなわち「陰」のムスヒ=生命力が凝縮したものであることは言うまでもないでしょう。
次の神話においても、陰の土地・出雲にカミムスヒの神が登場します。稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)を助けたオオナムジ(オオクニヌシの神の別名)は、ほかの神々(八十神)の計略にひっかかって、イノシシに似た大きな焼き石を取ったために、死んでしまいます。それを見ていた母神は哭きうれえて、高天の原に上り、カミムスヒの神に懇願したところ、神は、サキガイヒメ(赤貝のヒメ)とウムガイヒメ(ハマグリのヒメ)とを遣わしてオオナムジを生き返らせました。ここに、ムスヒという偉大な生成の霊力を読み取るのはむずかしいことではありません。
次は、「陽」のタカミムスヒノ神にご登場願いましょう。日本古来の最高神とも言われるタカミムスヒノ神の名が最初に出るのは、アマテラスの大御神が天の岩屋戸に隠れたという場面です。世の中がまっくらになり、八百万の神が天の安の河原に集まり、そこでタカミムスヒの神の子であるオモイカネ(思金)の神にアマテラスの大御神を外に誘い出す思案をさせています。この場面の背後にタカミムスヒの神が隠れていると考えていいでしょう。
次にタカミムスヒの神があらわれるのは、アマテラス大御神とともに天の安の河原に八百万の神を集める場面です。ここから、話は天孫降臨の物語へと展開していきます。その過程で、タカミムスヒの神は、タカギ(高木)の神へと変貌を遂げ、単なる神の依代という一般的な神名に変わっています。それは、アマテラス大御神を皇祖神化し、天皇家の権威を高めるためにどうしても必要な操作であったものと思われます。その詳細については、次回にでも触れることにしましょう。いずれにしても、アマテラス大御神と関連した場面で登場するところに、「陽」の神としてのタカミムスヒの特徴がよく表れている、といえるのではないかと思われます。
ムスヒの神二柱の次に、「宇麻志阿斯訶備比古遅神」(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と「天之常立神」(アメノトコタチノカミ)があらわれます。そのあたりの描写が、とても鮮烈なイメージなので、私はとても好きです。福永武彦氏の現代語訳を引いておきましょう。
その後に、天と地とのけじめのつかぬ、形らしい形もないこの地上は、水に脂を浮かべたように漂うばかりで、あたかも海月(くらげ)が水中を流れ流れてゆくように頼りのないものであったが、そこに水辺の葦(あし)が春さきにいっせいに芽ぶいてくるように、萌え上がってゆくものがあった。この葦の芽のように天に萌え上がったものから二柱の神が生まれた。
「ウマシアシカビヒコヂノカミ」と「アメノトコタチノカミ」が、その「二柱の神」なのです。前者の神の名のなかの「アシカビ」の「アシ」とは「葦」のことです。葦はイネ科の植物ですから、稲と生態が似ています。すぐ田んぼになる湿地の葦原は、古くから人びとの集まる目印でした。古来、葦は邪気祓いの植物でもありました。また、「カビ」は芽のことで、生命活動の象徴です。だから「アシカビ」は、生命の息吹を表していると考えていいでしょう。次に後者の神の名のなかの「トコタチ」の「トコ」は「床」で、空間的にも時間的にも変わらずがっちりしていることです。「タチ」は、この場合「あらわれる」という意味です。「噂がたつ」の「たつ」に近いですね。つまり「トコタチ」とは、永遠不動のものがあらわれるという意味です。
以上の、天にあらわれた五神を「別天(ことあま)つ神」といいます。「別」は、次にあらわれる神々とは別だよ、ということです。それに対して、地においても次々と神々があらわれます。ここから合計十二神があらわれることになりますが、それらをまとめて「神代七代」(かみよななよ)と呼びます。なぜ十二神なのに「七」なのかといえば、それは、十二神のうちの十神はペアなのでペアでひとつと数えるからです。つまり、五組+二神=七代というわけです。
五神の「別天つ神」が宇宙誕生のストーリーのキャラだったとすれば、「神代七代」の神々は、わたしたちが住む地球を作り上げる世界誕生のキャラといえるでしょう。また、「別天つ神」にはすべて「独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき」という文言が付け加えられました。五神すべて、要するに宇宙を成り立たせるエネルギーそのものなので、目に見えない神とするよりほかはなかったのでしょう。そのことは、「神代七代」に入っても、「国之常立神」(クニノトコタチノカミ)と「豊雲野神」(トヨクモノカミ)までつづきます(前者は大地を、後者は雲や野原のエレメントを表しているようです)。ところが、その次に「宇比地邇神」(ウヒジニノカミ)と「妹・須比智邇神」(イモ・スヒジニノカミ)の男女ペアの神があらわれると、「独神~」の文言は消えます(「ヒジ」は「泥」を表しているようです)。以下、五対の男女ペア神となり、その最後に「伊邪那岐命」(イザナキノミコト)と「伊邪那美命」(イザナミノミコト)が登場します。この男女ペアの神が「イザナ」い合って(誘い合って)、ふたりで国生みに勤しむことはみなさまよくご存知のことでしょう。ちなみに、ふたりに「地上の有様を見るに、まだ脂のように漂っているばかりであるから、お前たちはかの国を、人の住めるように作り上げなさい」と促したのは、冒頭の三柱の神々だったことは、ちょっと覚えておいていただければ幸いです。生命の根源的なエネルギーが、男女ペアの神を性行為の形で国生みという営みをするように促すのは、イメージとしてとても腑に落ちますね。
ここで、神代七代の神々と、それらを象徴するものをあらためて掲げておきましょう。西條勉氏の『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』からの引用です。
① クニノトコタチ 大地
② トヨクモノ 雲・野原
③ ウヒジ二・妹スヒジニ 泥(ひじ)
④ ツノグイ・妹イクグイ 杭
⑤ オオトノジ・妹オオトノべ 場所→性器
⑥ オモダル・妹アヤカシコネ 出会い
⑦ イザナキ・妹イザナミ 誘い合い
『古事記』に登場する神々の名には、深い意味が込められています。同書がとてもよくできた仕組みの神話であることと、そのことの間には、浅からぬつながりがあることが、今回の拙文でいささかなりともお分かりいただけたら、それはとてもうれしいことです。
次回は、イザナキ・イザナミ神話を扱いたいと思っています。
参考文献
『古事記』(倉野憲治校注・岩波文庫)
『古事記 現代語訳』(福永武彦訳 河出文庫)
『新版 古事記』(中村啓信 角川ソフィア文庫)
『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』(西條勉 中公新書)
『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』(工藤隆 中公新書)
『古事記の宇宙(コスモス)――神と自然』(千田稔 中公新書)
今回からしばらくの間、『古事記』に触れてみようかと思っています。そのなかでもとりわけ、同書に登場する神々の意味ありげな名前が気になってしかたないので、それを話の中心に据えてみようかと考えています。むろん私は、『古事記』に関してズブの素人です。お話しすることのほとんどは、専門家の受け売りにほかなりません。だから、いちいちどこからの引用なのか明示していたら、キリがなくなって、書く方も読む方も煩わしくなるだけでしょうから、そういうことは必要最小限にするつもりです。
しかしながら、妄想が膨らんできて、どうにも我慢ができなくなったら、いろいろと言い出すかもしれません。そのときは、笑ってお見逃しください。なお、本文からの引用は、基本的には『現代語訳 古事記』(福永武彦訳 河出書房新社)からで、原文からはなるべく控えたいと思っています。原文を読みこなすのって、なかなか大変ですからね。
いきなり『古事記』の神々に触れる前に、『古事記』の成立をめぐってのエピソードをひとつ取り上げておきましょう。
『古事記』の「序」によれば、同書は、和銅五年(七一二年)一月二八日に太安万侶によって元明天皇に提出されたことになっています。
ところが、現存する同書の最古の写本は、室町時代の応安四、五年(一三七一~二年)筆写の真福寺本古事記であって、原本は今のところ見つかっていません。とすると、「序」に記載された同書の成立の年から約六六〇年の歳月が流れていることになります。
それゆえ、真福寺本古事記の筆写内容や文字遣いが、七一二年のそれに忠実なものかどうかについて疑念が生じることになります。それゆえ、『古事記』(あるいはその「序」のみの)偽書説が、江戸時代から今日まで入れ代わり立ち代わり登場することになります。
その論点に首を突っ込むと、実はかなり面倒なことにもなるし、私に、偽書説の是非を論じる力量があるわけでもありません。だから、これ以上その論点には触れません。ただ、その事実をお伝えしたいと思ってお話しした次第です。
では、同書の本文に入りましょう。
『古事記』の本文は、「天地初発之時」という六文字ではじまります。読みくだせば、「天地初めて発けし時」となります。「あめつち、はじめて、ひらけしとき」と訓読します。
「天地」は、和語にはなかったとても抽象的な観念であって、宇宙のすべてをあらわす言葉です。ここには、というよりむしろ、『古事記』全体を通して、中国の道教の影響が色濃いと言われています。当時の天皇家は、道教と深い関わりを持っていたのですね。
『古事記』の発案者であり企画者であった天武天皇自身、道教に深く傾倒していたようです。天武天皇の死後に与えられた諡(おくりな)が、「天渟中原 瀛真人天皇」(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)であったことが、そのことをよく物語っています。「天渟中原」とは、天上の瓊(たま・美しい赤色の球という意味)を敷きつめた原、「瀛」は瀛州(えいしゅう・中国の東の海に浮かぶ不老長寿の薬のある三神山のひとつ)という意味で、「真人」とは、位の高い仙人をいいます。どの言葉も、道教の神仙思想とのつながりを示しているのです。ほかにも天武天皇と道教とのつながりを示す事実がありますが、煩雑に過ぎるといけないので、これくらいにしておきます。
道教においては古くから、天は万物を覆い地は万物を載せるものと認識されていました。つまり、「天地」=宇宙となります。それに太安万侶は、和語の「あめつち」という読みを当てたものと思われます。それは、安万侶の独創といえば独創と言えましょう(『古事記』の編者はおそらく複数いたのでしょうが、これから、「安万侶」という固有名詞でそれらの存在を代表させることにします)。また、「天地」という言葉には、「宇宙は『陰』と『陽』からなる」という考え方が含まれてもいます。その「陰」と「陽」の論理は、次に登場する「ムスヒ」の神にも、さらには、イザナキ・イザナミ神話にも当てはまります。そのように、『古事記』の神話は仕組まれているのです。太安万侶は、天武天皇の意向や思想的な好みを最大限に同書に織り込んだのでしょうね。
「天地」という、たった二文字の言葉に、これだけの字数を使ってしまいました。この言葉について実はまだまだお伝えしたいことがあるのですが、読んでいらっしゃる方々にうんざりされると困るので、これくらいにして、次に移ります(こんな調子で、ゆっくりと進みますので、のんびりとおつきあい願えれば幸いです)。
「発(ひら)ける」は、「動かなかったものが動きはじめる」という意味合いの言葉です。だからここは、「止まっていた宇宙のすべてが動きはじめたとき」というほどの意味になります。神話に「天地開闢(かいびゃく)」という言い方がありますね。「天」と「地」が、広大な扉のように開くイメージです。とてもドラマテックではありますが、『古事記』の場合そういう感じではなくて、宇宙はあるにはあったのだが動いてはいなかった、それがなんの前触れもなく動きはじめた、と言っているわけです。そのニュアンスを最大限に大事にするとすれば、「序」の「大抵(おおかた)記す所は、天地開闢(あめつちひらけしとき)より始めて小治田(おはりだ)の御世に訖(おわ)る」のなかの「天地開闢」という言い方は(安万侶には大変恐縮な言い方になりますが)、やや不適切なものを含んでいると言わざるをえなくなります。ちなみに、「小治田の御世」とは、推古天皇の時代を指しています。小治田は、今の奈良県高市郡明日香村のことだそうです。
「天地初発之時」の次に、「於高天原」という言葉が登場します。むろん「高天の原に」と読み下します。「高天の原」の訓読は、「たかまのはら」です。
「たかまのはら」の構成に触れておきましょう。「たか」は美称で、「たか・あま」がひとびとによって発音を繰り返されるうちに「あ」音が除かれて「たかま」となったようです。「の」はもちろん助詞。「はら」は、『岩波古語辞典」には「手入れせずに、広くつづいた平地」とありますが、「墾(は)る」と語源を同じくすると考えれば、「ひとびとの手によって切り開かれた平地」と解することもできるでしょう。その方が、神の誕生する聖地としてはふさわしいイメージですね。
『古事記伝』の本居宣長は、「たかまのはら」を次のように解釈しています。『古事記の宇宙(コスモス)』(千田稔・中公新書)から、現代語訳を引きましょう。
高天の原は、天(あめ)である。そこでただ天(あめ)というのと、高天の原というのとのちがいは、天は天つ神の坐(ま)します御国であるので、山川木草の類、宮殿などその他よろずの物も、事も、天皇によって治められているこの国土のようであって、(中略)高天の原というのは、それが天にあることを語るときの言い方である。その理由は、「高」とは、天についての言い方で、ただ、高いという意味をいうのとは、ちがう。「日」の枕詞に「高光る」というのも「天照らす」と同じ意味で、「高御座(たかみくら)」も「天」(あめ)の御座ということで、これらの「高」も同じ意味である。
つまり宣長は、端的に言えば、「高天の原とは天つ神のいる天である」と言っているのです。
『古事記』からあたうかぎり「漢意(からごころ)」を排除しようとした宣長なら目を剥くものと思われるのですが、「高天」に神が住むという信仰は、実は、中国道教の神学教理書に数多く見えるそうです。ここではそれらの文献を具体的に取り上げることはしませんが、高天の原は、中国のそういう教理書を参考にして作られた言葉であるとのことです。
動きはじめた世界はまだすべてが、いま述べた「高天(たかま)の原」とよばれる天上世界でした。そこに最初にあらわれたのは「天の御中主の神」でした。すなわち、「アメノミナカヌシノカミ」です。この神様は、読んで字のごとく、動きはじめたばかりの宇宙の中心それ自体を指し示すだけであって、とても抽象的でありまた幾何学的でもあります。
ここにも、どうやら道教の影響が見られるようです。隋唐時代の道教において、天の中心に居る元始天尊は、その最高神でした。それは、もともとは元始大王であり、仏教思想の影響で元始天尊になったとのことです。それらはともに北極星の化身です。太安万侶は、そのことを文献で学び、『古事記』に取り入れたのでしょう。
つまり太安万侶は、同書の冒頭で、最高神を規定したと言っていいでしょう。とするならば、後に現れるもう一柱の最高神・天照大神とのつじつまが合わなくなります。これをどう解釈すればいいのか。それについては、次回にでも触れましょう。
ところで、最高神「アメノミナカノヌシ」には神裔がいます。『伊勢国風土記』を紐解くと、「夫(そ)れ伊勢の国は、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の十二世の孫、天日別命(あめのひのわけのみこと)の平治(ことむ)けし所なり」とあります。すなわち、アメノミナカヌシの末裔として位置づけられるアメノヒワケノミコトという神によって伊勢の国は治められているというのです。先ほど、アメノミナカヌシノミコトが道教の最高神で、北極星がそのシンボルであることを述べました。そうして、その末裔が伊勢の国を治めているという。とするならば、伊勢神宮の祭祀には道教的な意味合いがあることが推測されます。
一例を挙げれば、遷宮に携わる建築技術者たちのハッピの背に「大一」の文字が染め抜かれています。「大一」は、漢代の道教において、その最高神が「太一」と呼ばれていたことに由来するものと思われます。紀元前後に道教思想が渡来した土地柄であったからこそ、伊勢の地が、後代に伊勢神宮の鎮座地となった可能性が想定されます。
さて、『古事記』の本文に戻りましょう。「アメノミナカノヌシ」の次にあらわれたのは、「高御産巣日神」と「神産巣日神」、すなわち「タカミムスヒノカミ」と「カミムスヒノカミ」です。その名のなかの「ムスヒ」には、無視できない大きな意味があります。「ムス」は、育つ・生えるなど、生命活動が行われていることをいいます。また「ヒ」には「霊」の字が宛てられて、神秘的で超自然的な力を意味します。つまり「ムス・ヒ」は、生命活動そのものの神秘的な力をあらわす言葉なのです。
すなわち、動かなかった宇宙が動きはじめたそのど真ん中に、生命活動そのものの神秘的な力が生まれた、と『古事記』は言っているのです。端的に言えば、「宇宙は生命で満ち溢れている。生命こそが宇宙の根源である」。それが『古事記』の宇宙観なのです。とてもおおらかでのびやかな気分になりませんか。
この二柱の神を陰陽との関連で見てみましょう。まず、「カミムスヒノカミ」は「陰」の神であると考えられます。この神が登場するおもな舞台は、出雲神話です。それは、出雲地方が後に山「陰」地方と呼ばれたことと関連づけることができると考えられています。「陰」の「カミムスヒノカミ」が登場する場面を二つ取り上げてみましょう。
まず最初は五穀の起源神話について。アマテラス大御神が天の岩屋戸から出てきた後に語られる、出雲神話に属するオオゲツヒメ(大気都比売)の物語は次のようです。天上界を追われたスサノオの命は、食物をオオゲツヒメに乞います。するとオオゲツヒメは、鼻・口・尻から種々のおいしいものを取り出して、それらを調理して献上すると、スサノオの命は、けがれたものが進上されたと思ってオオゲツヒメを殺してしまいます。するとその頭に蚕が、二つの目には稲の種が、二つの耳には粟(あわ)が、鼻には小豆が、陰(ほと)には麦が、尻には大豆(まめ)が、それぞれ生成しました。そこでカミムスヒの神はこれらの穀物類を取らせて、それぞれの種子としました。種子が「地」すなわち「陰」のムスヒ=生命力が凝縮したものであることは言うまでもないでしょう。
次の神話においても、陰の土地・出雲にカミムスヒの神が登場します。稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)を助けたオオナムジ(オオクニヌシの神の別名)は、ほかの神々(八十神)の計略にひっかかって、イノシシに似た大きな焼き石を取ったために、死んでしまいます。それを見ていた母神は哭きうれえて、高天の原に上り、カミムスヒの神に懇願したところ、神は、サキガイヒメ(赤貝のヒメ)とウムガイヒメ(ハマグリのヒメ)とを遣わしてオオナムジを生き返らせました。ここに、ムスヒという偉大な生成の霊力を読み取るのはむずかしいことではありません。
次は、「陽」のタカミムスヒノ神にご登場願いましょう。日本古来の最高神とも言われるタカミムスヒノ神の名が最初に出るのは、アマテラスの大御神が天の岩屋戸に隠れたという場面です。世の中がまっくらになり、八百万の神が天の安の河原に集まり、そこでタカミムスヒの神の子であるオモイカネ(思金)の神にアマテラスの大御神を外に誘い出す思案をさせています。この場面の背後にタカミムスヒの神が隠れていると考えていいでしょう。
次にタカミムスヒの神があらわれるのは、アマテラス大御神とともに天の安の河原に八百万の神を集める場面です。ここから、話は天孫降臨の物語へと展開していきます。その過程で、タカミムスヒの神は、タカギ(高木)の神へと変貌を遂げ、単なる神の依代という一般的な神名に変わっています。それは、アマテラス大御神を皇祖神化し、天皇家の権威を高めるためにどうしても必要な操作であったものと思われます。その詳細については、次回にでも触れることにしましょう。いずれにしても、アマテラス大御神と関連した場面で登場するところに、「陽」の神としてのタカミムスヒの特徴がよく表れている、といえるのではないかと思われます。
ムスヒの神二柱の次に、「宇麻志阿斯訶備比古遅神」(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と「天之常立神」(アメノトコタチノカミ)があらわれます。そのあたりの描写が、とても鮮烈なイメージなので、私はとても好きです。福永武彦氏の現代語訳を引いておきましょう。
その後に、天と地とのけじめのつかぬ、形らしい形もないこの地上は、水に脂を浮かべたように漂うばかりで、あたかも海月(くらげ)が水中を流れ流れてゆくように頼りのないものであったが、そこに水辺の葦(あし)が春さきにいっせいに芽ぶいてくるように、萌え上がってゆくものがあった。この葦の芽のように天に萌え上がったものから二柱の神が生まれた。
「ウマシアシカビヒコヂノカミ」と「アメノトコタチノカミ」が、その「二柱の神」なのです。前者の神の名のなかの「アシカビ」の「アシ」とは「葦」のことです。葦はイネ科の植物ですから、稲と生態が似ています。すぐ田んぼになる湿地の葦原は、古くから人びとの集まる目印でした。古来、葦は邪気祓いの植物でもありました。また、「カビ」は芽のことで、生命活動の象徴です。だから「アシカビ」は、生命の息吹を表していると考えていいでしょう。次に後者の神の名のなかの「トコタチ」の「トコ」は「床」で、空間的にも時間的にも変わらずがっちりしていることです。「タチ」は、この場合「あらわれる」という意味です。「噂がたつ」の「たつ」に近いですね。つまり「トコタチ」とは、永遠不動のものがあらわれるという意味です。
以上の、天にあらわれた五神を「別天(ことあま)つ神」といいます。「別」は、次にあらわれる神々とは別だよ、ということです。それに対して、地においても次々と神々があらわれます。ここから合計十二神があらわれることになりますが、それらをまとめて「神代七代」(かみよななよ)と呼びます。なぜ十二神なのに「七」なのかといえば、それは、十二神のうちの十神はペアなのでペアでひとつと数えるからです。つまり、五組+二神=七代というわけです。
五神の「別天つ神」が宇宙誕生のストーリーのキャラだったとすれば、「神代七代」の神々は、わたしたちが住む地球を作り上げる世界誕生のキャラといえるでしょう。また、「別天つ神」にはすべて「独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき」という文言が付け加えられました。五神すべて、要するに宇宙を成り立たせるエネルギーそのものなので、目に見えない神とするよりほかはなかったのでしょう。そのことは、「神代七代」に入っても、「国之常立神」(クニノトコタチノカミ)と「豊雲野神」(トヨクモノカミ)までつづきます(前者は大地を、後者は雲や野原のエレメントを表しているようです)。ところが、その次に「宇比地邇神」(ウヒジニノカミ)と「妹・須比智邇神」(イモ・スヒジニノカミ)の男女ペアの神があらわれると、「独神~」の文言は消えます(「ヒジ」は「泥」を表しているようです)。以下、五対の男女ペア神となり、その最後に「伊邪那岐命」(イザナキノミコト)と「伊邪那美命」(イザナミノミコト)が登場します。この男女ペアの神が「イザナ」い合って(誘い合って)、ふたりで国生みに勤しむことはみなさまよくご存知のことでしょう。ちなみに、ふたりに「地上の有様を見るに、まだ脂のように漂っているばかりであるから、お前たちはかの国を、人の住めるように作り上げなさい」と促したのは、冒頭の三柱の神々だったことは、ちょっと覚えておいていただければ幸いです。生命の根源的なエネルギーが、男女ペアの神を性行為の形で国生みという営みをするように促すのは、イメージとしてとても腑に落ちますね。
ここで、神代七代の神々と、それらを象徴するものをあらためて掲げておきましょう。西條勉氏の『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』からの引用です。
① クニノトコタチ 大地
② トヨクモノ 雲・野原
③ ウヒジ二・妹スヒジニ 泥(ひじ)
④ ツノグイ・妹イクグイ 杭
⑤ オオトノジ・妹オオトノべ 場所→性器
⑥ オモダル・妹アヤカシコネ 出会い
⑦ イザナキ・妹イザナミ 誘い合い
『古事記』に登場する神々の名には、深い意味が込められています。同書がとてもよくできた仕組みの神話であることと、そのことの間には、浅からぬつながりがあることが、今回の拙文でいささかなりともお分かりいただけたら、それはとてもうれしいことです。
次回は、イザナキ・イザナミ神話を扱いたいと思っています。
参考文献
『古事記』(倉野憲治校注・岩波文庫)
『古事記 現代語訳』(福永武彦訳 河出文庫)
『新版 古事記』(中村啓信 角川ソフィア文庫)
『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』(西條勉 中公新書)
『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』(工藤隆 中公新書)
『古事記の宇宙(コスモス)――神と自然』(千田稔 中公新書)