『古事記』に登場する神々について(その2)
前回の終わりのところで申し上げたように、今回はイザナキ・イザナミ神話について述べようと思います。
イザナキ・イザナミ神話のポイントは、以下の通りです。
① オノゴロ島ができる。
② ヒルコを生む。
③ 大八島を生む。
④ 六つの小島を生む。
⑤ 神々を生み、火の神を生む。
⑥ 死んだイザナミを慕って、イザナキが黄泉国へ行く。
西條勉氏の『「古事記」神話の謎を解く』によれば、これらの話の特色は、伝承的な来歴をまったくもたないことだそうです。民間に伝えられていた古い話は、おそらくひとつもない、とのこと。つまり、おおかたのストーリーは、朝廷の知識人たちが机上で作ったというのです。ただし、イザナキとイザナミという神名だけは存在しました。というのは、この神を祭る神社が、今も淡路島にあるからです。そのあたりの漁民が、ほそぼそと信仰していたのを、太安万侶を筆頭とする知識人たちが、「日本」神話に大抜擢したのです。逆から言えば、民間で山川創成の神話をもつほどに有力だった地方神は、かえって新しい神話に不向きだったということです。平たく言えば、都合が悪い。
イザナギ・イザナミ神話の話からやや脱線しますが、いま述べた「民間で山川創成の神話をもつほどに有力だった地方神」について、ここで触れておきましょう。というのは、その話は、『古事記』の本質にかかわる重要なものであるからです。以下は、先ほど挙げた西條勉氏の『「古事記」神話の謎を解く』で展開されている議論を私なりにリライトしたものです。
当時、国土創成の神といえば、それは、オオナムチ・スクナヒコでした。この二神は、民間神話ではコンビで登場するのですが、記紀神話では分離されています。『古事記』では、オオナムチは、国作りをしたオオクニヌシの別名になっています。
オオナムチ(オオクニヌシ)の相方のスクナヒコは、『古事記』の次の場面で登場します。福永武彦氏の現代語訳から引きましょう。
かのオホクニヌシノ神、別名はオホナムヂノ神が、出雲の国の、のちの美保である御大(みほ)の岬(島根半島先端にある)にいた時のこと、波がしらの白く立ち騒ぐ沖のほうから、ががいもの実(小さな豆殻のようなもの――引用者注)の二つに割れたのを船として、みそさざいの皮を丸剥ぎにしたものを着物に着て(別に「蛾のぬいぐるみをかぶって」という訳もある――引用者注)、しだいに波の上をこちらのほうに近寄ってくる、小人のような神があった。そこで名前を尋ねてみたけれども、答えない。お伴に附き従っている神々に名前を聞いたけれども、誰一人、知っているという者がいない。そこへ蟾蜍(ひきがえる)が現れて、こう言った。「これはきっと、案山子(かがし)のくえびこの奴(やつ)が存じておりましょう。」そこで案山子を召し寄せて、その名前を尋ねたところ、「これはカミムスビノ神の御子(みこ)である、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)でございます。」こう答えた。
ここを読んだとき、私はなんともいえない奇妙な感触がありました。それをあえて言葉にすれば「安万侶さんよ、あんた、何が言いたいのかね。よく分からないよ」という言い方になります。
西條氏によれば、この話は、スクナヒコナをわざと無名の神にするために作られたものだそうです。実際には、この神は、民間でもっとも人気のある神だったとのこと。たとえば、『万葉集』には、このコンビの神をモチーフにした歌が四首あります。それらを引いておきましょう。なお神名は、煩雑さを避けるためにカタカナとします。
オオナムチ スクナヒコナの作らしし 妹背の山は 見らくしよしも
(柿本人麻呂)
「その大昔、オオナムチノミコトとスクナヒコナノミコトがお作りになった妹背の山は、見ているとなんともいえずすばらしい」というほどの意味でしょう。妹背の山とは、和歌山県北部、かつらぎ町を流れる紀ノ川の北岸の背山と南岸の妹山のことです(この歌においては吉野川の妹背山がモチーフである、という説もあるようです)。「妹」(いも)は親しい女性(恋人)を、「背(兄)」(せ)は親しい男性を呼ぶ愛称ですから、「妹背」で夫婦の意味になります。二山が寄り添って立つその姿から仲睦まじい夫婦のイメージが想起され、「妹背の山」と名付けられたのではないでしょうか。
オオナムチ スクナヒコナの神こそば 名付けそめけめ 名のみを名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに
(大友坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ)
「オオナムチノミコトとスクナヒコノミコトが神代の昔にはじめて名付けたのでしょう、名前だけは『名児山』とあたかも和むかのようではありますが、そんなことはなくて、私の恋の苦しみの幾重もの重なりのごく一部分だけでさえも慰められることは決してありません」というほどの意味でしょうか。この歌は、天平二(七三〇)年十一月に、大伴旅人の帰京より一足早く出発した大伴坂上郎女が名児山越えの峠道で詠んだものだそうです。名児山越えは、いまの福岡県福津市奴山から宗像市田島へぬける峠越えの道ですが、郎女は、宗像大社に参拝するためにその道を通ったものと思われます。郎女は、大友旅人の異母妹であり、家持の叔母でもあります。
オオムナチ スクナヒコナの いましけむ 志都の岩屋は 幾世経ぬらむ (生石村主真人・おおしのすぐりまひと)
「オオムナチノミコトとスクナヒコナノミコトがいらっしゃったという志都の岩屋はいまでもあるが、そこにふた柱の神がいらっしゃらなくなってから、ずいぶんと長い月日が経ったことだろう」という意味でしょうか。「村主」や「真人」という言葉から、渡来人であることがうかがわれます。「オオムナチノミコトとスクナヒコナノミコト」の昔を懐かしむ姿勢の裏になんとなく深刻な思いが秘められているような風情の歌ですね。「志都の岩屋」の場所はいまだに特定されていないようですが、島根県か兵庫県ではないかとは言われているようです。
オオムナチ スクナヒコナの 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子(めこ)見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の児と 朝夕(よい)に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りそ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(け)溢(はふ)りて 射水川(いみづがは) 浮ぶ水沫(みなわ)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その児に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並び居 奈呉の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ (大伴家持)
「オオムナチノミコトとスクナヒコナノミコトが活躍していらっしゃった神代からの言い伝えに『父母を 見れば貴く 妻子を見れば せつなくいとしい。これが世間の道理だ」とある。このように言ってきたのに、これが世の人の守る約束であるのに、ちさの花が咲いている盛りに、いとしいその妻と子どもが、朝夕に、機嫌が良かったり悪かったりして、嘆いて語ったであろうことは『いつまでもこういう状態なのだろうか。天地の神のご加護で、これからは春花のような栄えの時期もあるだろう』。そう言って待った、その真っ盛りなのだぞ今は。お前さんと離れ住み、嘆いて日々を過ごすお前さんの細君が、いつになったらお前さんからの使いが来るかと心待ちしていることだろう、寂しさを我慢しながら。南風が吹き、雪解け水が溢れ、射水川に浮かぶ水泡のように、寄るべないままに左夫流という名の遊女と、まるで紐の緒のようにくっつき合って、にほ鳥のように二人並んで、奈呉の海の奥底のようにどこまでも血迷った君の心の、なんともしようのないなさけなさであることよ。」これは、天平感宝元年(七四九年)当時、越中(富山県)の国守だった大伴家持が、部下である史生(ししょう・役職名)の尾張少昨(をはりのをくひ)が佐夫流兒(さぶるこ)という遊女に夢中になって妻を顧みなくなったので、彼を教え諭すために作った歌だそうです。
これらの歌の存在は、オオムナチ・スクナヒコのコンビが民間に根付いていたことを物語っています。「オオムナチ・スクナヒコナ」が、まるで「大昔」の枕詞のような働きをしています。特に、大伴家持の歌がそうですね。しかも場所が、和歌山・福岡・島根あるいは兵庫と広範囲です。風土記などでも、オオナムチ・スクナヒコナのコンビは、山川を作ったり、稲種をもたらしたり、温泉を引いたりして活躍しているそうです。スクナヒコは、全国的な知名度をもつ神だったのですね。西條勉氏の言葉を引きましょう。
このように民間神話では、国土と文化の起源が、オオナムチ・スクナヒコナで語られていたのである。一方、イザナキ・イザナミの創成活動を詠み込んだ歌は万葉集になく、風土記にもイザナキ・イザナミ二神は登場しない。当然である。無名なのは、イザナキとイザナミのほうだった。古事記のなかで、スクナヒコが無名の神になっているのにはわけがある。人気のある神をだれも知らない存在にすることによって、民間の神話を否定し、排除したのである。こうして、創成神話の主人公は、オオナムチ・スクナヒコナからイザナキ・イザナミに書きかえられた。新しい「日本」にふさわしいのは、多くの人々によって長く語られてきた民族の神話ではなかった。民間にないオオクニヌシという神を作り、その別名をオオナムチにすることで、オオナムチ・スクナヒコのコンビを解消したのだ。
いかがでしょうか。私はここを読んで、少なからず衝撃を受けました。こういう視点をちゃんとふまえないと、『古事記』読みの『古事記』知らずみたいなことになってしまうぞ、と思ったのですね。オオクニヌシ神話については、ふたたび触れることがあるでしょう。
これでやっと、イザナキ・イザナミ神話の入口にたどりつきました。では、冒頭の①オノゴロ島について語りましょう。
アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの三柱の天つ神から「是のただよへる国を修理(おさ)め固め成せ」と命じられ、「天の沼矛(ぬほこ)」をいただいたイザナキ・イザナミは、天の浮橋に立って、沼矛を海に指し入れ、海水をコロコロとかき鳴らして、それを引き上げるときに、その矛の先から滴り落ちた塩がおのずと重なって島になりました。それがオノコロ島です。二人はその島に天降って、「天の御柱を立て八尋殿」を作りました。「八尋」は「とても広い」という意味です。
この神話からは、磯の香りがぶんぶんと漂ってきます。つまり、海洋民族の神話が取り入れられていることをうかがわせるのです。また、「沼矛を海に指し入れ、海水をコロコロとかき鳴らして、それを引き上げるときに、その矛の先から滴り落ちた塩がおのずと重なって」というくだりから、性的なイメージが喚起されるのは、私だけではないでしょう。その性的なイメージは、次の二神の結婚の場面で、もっと鮮烈に打ち出されます。
では次に、②のヒルコを生む場面に移りましょう。ここは、二人の掛け合いが生き生きと描かれています。試しに、対話形式で現代語訳をしてみましょう。ただし、原文のままがいいと判断したところはそのままにしてあります。
イザナキ:お前の身体は、いったいどうなっているのだい。
イザナミ:私の身体は、じゅうぶんに成長していますが、ただひとところだけ「成り合わぬ処」があります。
イザナキ:そうかい。私の身体もじゅうぶんに成長したのだが、ただひとところだけ「成り余れる処」があるのだよ。だったら、私の身体の「成り余れる処」を、お前の身体の「成り合わぬ処」に差し入れてそれを塞いで、国生みをしようと思うのだが、どうだね。
イザナミ:それは善いことです。
イザナキ:だったら、私とお前とで、この天の御柱を両方から回って、出会ったところで、寝床で「まぐわい」をしようではないか。お前は右から回りなさい。私は左から回ることにしよう。
(そう約束して回るときに)
イザナミ:ああ、なんといい男でしょう。
イザナキ:ああ、なんていい女なんだろう。
(ふたりがそう言い終わった後に)
イザナキ:女のほうからまず言い出すのは良くない。
イザナキの不吉な予感は当たってしまいました。やがて生まれてきたのは、「水蛭子」(ひるこ)でした。ヒルコは、手足のなえた子、国土に相応しない子の意。二人は、それを葦船に入れて流し去ってしまいました。葦船は、葦を編んで作った船のこと。葦は邪気祓いの効果があるとされていたので、ヒルコの邪気から悪影響を受けないように処置したのでしょう。また、葦には霊妙な生命力があるともされていたので、その生命力を宿して五体満足な子どもとして生まれて欲しかったという願いを込めているのかもしれません。その次には、淡島(あはしま)を生んだのですが、これも生んだ子どもとはしなかった。「あは」は、心に不満がある状態の意。
二人は困ってしまって、高天の原の天つ神のところに行き、太占(ふとまに)で占ってもらいました。その結果を見て、天つ神は、「女のほうが先に言葉を発したのが、間違いの元なのだ。もう一度戻って、今度は間違いがないように言い直しなさい」と申し渡しました。
ここで、疑問が湧きます。二人が男唱女和の逆の振る舞いをしたことと国生みがうまくいかなかったこととの因果関係をどう理解すればいいのか、と。
男女関係を権力関係としてしか捉えようとしないフェミニストならば、ここに、『古事記』における男尊女卑あるいは女性差別の思想の現れを読み取ろうとするのではないかと思われます。当時の日本には中国の仏教・道教・儒教などの諸思想がかなりの程度伝わってきていて、そのなかに男尊女卑の考え方もおのずと含まれていたでしょう。だから、特に知識人の間にそういう考え方が一定程度定着していたことと思われるので、そのような四角ばった解釈もあながち誤りではないのかもしれません。
しかしそれだけでは、この神話のおおらかで明るい雰囲気がこぼれ落ちてしまいますし、また、それ自体あまり魅力的な解釈であるとも思えません。
私はむしろ、そこに、男女間のエロスの摂理とでもいうべきものに対する、古代人の無類に率直な直観を読み取りたい思いが強くあります。
男女間のエロスにおいて、女はあくまでも誘惑者であることによってその魅力が最大限に発揮されます。男は、その誘惑の力に抗しきれなくなってやむをえずアクションを起こす。つまり、誘惑という前言語的かつ身体的な次元において、女は能動的であり男は受動的である。そうであるがゆえに、言動の次元においては、男が能動的であるのに対して、女は受動的である、という形をとる。
経験から、女はそういう構図に乗るほうが得をするし、男はエロス的な意味で発奮するということをお互いよく分かっています。私は、上記の神話に、エロスのそういう相互了解的な在り方に対する古代人の健全で率直な直観の所在を感じるのです。そういう理解の仕方のほうが、なんだか元気が出てきませんか。
そういうことを踏まえたうえで、上記の国生みの失敗を私なりに解釈しなおしてみます。女の方から先に声をかけられたことで、イザナキはどこか男として気が萎えたのだと思うのです。そうして、その心理的な綾に霊妙なエロスの摂理が働いている。こちらになんとなく骨なしのぐにゃぐにゃなナマコのようなイメージを抱かせてしまうヒルコは、率直に言ってしまえば、「フニャチン」を想起させるところがあるのではありませんか。また、淡島の「あは」は、先ほど申し上げたように、心に不満がある状態を意味します。それは、イザナキからすれば、男としてのエロス的な意味での不全感という意味合いになるでしょう。とすれば、淡島もまた、フニャチン状態の心理的な表現であるという解釈が成り立つのではないでしょうか。少なくとも、そういうイメージが含まれているような気がするのです。
いろいろと回り道をして、さらには言いたいことを言ってしまったような気がするので、今回は、ここいらで終わりにします。イザナキ・イザナミ神話の続きは、次回に回しましょう。
参考文献
『古事記』(倉野憲治校注・岩波文庫)
『古事記 現代語訳』(福永武彦訳 河出文庫)
『新版 古事記』(中村啓信 角川ソフィア文庫)
『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』(西條勉 中公新書)
『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』(工藤隆 中公新書)
『古事記の宇宙(コスモス)――神と自然』(千田稔 中公新書)
『「古事記」と壬申の乱』(関裕二・PHP新書)
前回の終わりのところで申し上げたように、今回はイザナキ・イザナミ神話について述べようと思います。
イザナキ・イザナミ神話のポイントは、以下の通りです。
① オノゴロ島ができる。
② ヒルコを生む。
③ 大八島を生む。
④ 六つの小島を生む。
⑤ 神々を生み、火の神を生む。
⑥ 死んだイザナミを慕って、イザナキが黄泉国へ行く。
西條勉氏の『「古事記」神話の謎を解く』によれば、これらの話の特色は、伝承的な来歴をまったくもたないことだそうです。民間に伝えられていた古い話は、おそらくひとつもない、とのこと。つまり、おおかたのストーリーは、朝廷の知識人たちが机上で作ったというのです。ただし、イザナキとイザナミという神名だけは存在しました。というのは、この神を祭る神社が、今も淡路島にあるからです。そのあたりの漁民が、ほそぼそと信仰していたのを、太安万侶を筆頭とする知識人たちが、「日本」神話に大抜擢したのです。逆から言えば、民間で山川創成の神話をもつほどに有力だった地方神は、かえって新しい神話に不向きだったということです。平たく言えば、都合が悪い。
イザナギ・イザナミ神話の話からやや脱線しますが、いま述べた「民間で山川創成の神話をもつほどに有力だった地方神」について、ここで触れておきましょう。というのは、その話は、『古事記』の本質にかかわる重要なものであるからです。以下は、先ほど挙げた西條勉氏の『「古事記」神話の謎を解く』で展開されている議論を私なりにリライトしたものです。
当時、国土創成の神といえば、それは、オオナムチ・スクナヒコでした。この二神は、民間神話ではコンビで登場するのですが、記紀神話では分離されています。『古事記』では、オオナムチは、国作りをしたオオクニヌシの別名になっています。
オオナムチ(オオクニヌシ)の相方のスクナヒコは、『古事記』の次の場面で登場します。福永武彦氏の現代語訳から引きましょう。
かのオホクニヌシノ神、別名はオホナムヂノ神が、出雲の国の、のちの美保である御大(みほ)の岬(島根半島先端にある)にいた時のこと、波がしらの白く立ち騒ぐ沖のほうから、ががいもの実(小さな豆殻のようなもの――引用者注)の二つに割れたのを船として、みそさざいの皮を丸剥ぎにしたものを着物に着て(別に「蛾のぬいぐるみをかぶって」という訳もある――引用者注)、しだいに波の上をこちらのほうに近寄ってくる、小人のような神があった。そこで名前を尋ねてみたけれども、答えない。お伴に附き従っている神々に名前を聞いたけれども、誰一人、知っているという者がいない。そこへ蟾蜍(ひきがえる)が現れて、こう言った。「これはきっと、案山子(かがし)のくえびこの奴(やつ)が存じておりましょう。」そこで案山子を召し寄せて、その名前を尋ねたところ、「これはカミムスビノ神の御子(みこ)である、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)でございます。」こう答えた。
ここを読んだとき、私はなんともいえない奇妙な感触がありました。それをあえて言葉にすれば「安万侶さんよ、あんた、何が言いたいのかね。よく分からないよ」という言い方になります。
西條氏によれば、この話は、スクナヒコナをわざと無名の神にするために作られたものだそうです。実際には、この神は、民間でもっとも人気のある神だったとのこと。たとえば、『万葉集』には、このコンビの神をモチーフにした歌が四首あります。それらを引いておきましょう。なお神名は、煩雑さを避けるためにカタカナとします。
オオナムチ スクナヒコナの作らしし 妹背の山は 見らくしよしも
(柿本人麻呂)
「その大昔、オオナムチノミコトとスクナヒコナノミコトがお作りになった妹背の山は、見ているとなんともいえずすばらしい」というほどの意味でしょう。妹背の山とは、和歌山県北部、かつらぎ町を流れる紀ノ川の北岸の背山と南岸の妹山のことです(この歌においては吉野川の妹背山がモチーフである、という説もあるようです)。「妹」(いも)は親しい女性(恋人)を、「背(兄)」(せ)は親しい男性を呼ぶ愛称ですから、「妹背」で夫婦の意味になります。二山が寄り添って立つその姿から仲睦まじい夫婦のイメージが想起され、「妹背の山」と名付けられたのではないでしょうか。
オオナムチ スクナヒコナの神こそば 名付けそめけめ 名のみを名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに
(大友坂上郎女・おおとものさかのうえのいらつめ)
「オオナムチノミコトとスクナヒコノミコトが神代の昔にはじめて名付けたのでしょう、名前だけは『名児山』とあたかも和むかのようではありますが、そんなことはなくて、私の恋の苦しみの幾重もの重なりのごく一部分だけでさえも慰められることは決してありません」というほどの意味でしょうか。この歌は、天平二(七三〇)年十一月に、大伴旅人の帰京より一足早く出発した大伴坂上郎女が名児山越えの峠道で詠んだものだそうです。名児山越えは、いまの福岡県福津市奴山から宗像市田島へぬける峠越えの道ですが、郎女は、宗像大社に参拝するためにその道を通ったものと思われます。郎女は、大友旅人の異母妹であり、家持の叔母でもあります。
オオムナチ スクナヒコナの いましけむ 志都の岩屋は 幾世経ぬらむ (生石村主真人・おおしのすぐりまひと)
「オオムナチノミコトとスクナヒコナノミコトがいらっしゃったという志都の岩屋はいまでもあるが、そこにふた柱の神がいらっしゃらなくなってから、ずいぶんと長い月日が経ったことだろう」という意味でしょうか。「村主」や「真人」という言葉から、渡来人であることがうかがわれます。「オオムナチノミコトとスクナヒコナノミコト」の昔を懐かしむ姿勢の裏になんとなく深刻な思いが秘められているような風情の歌ですね。「志都の岩屋」の場所はいまだに特定されていないようですが、島根県か兵庫県ではないかとは言われているようです。
オオムナチ スクナヒコナの 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子(めこ)見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の児と 朝夕(よい)に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りそ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(け)溢(はふ)りて 射水川(いみづがは) 浮ぶ水沫(みなわ)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その児に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並び居 奈呉の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ (大伴家持)
「オオムナチノミコトとスクナヒコナノミコトが活躍していらっしゃった神代からの言い伝えに『父母を 見れば貴く 妻子を見れば せつなくいとしい。これが世間の道理だ」とある。このように言ってきたのに、これが世の人の守る約束であるのに、ちさの花が咲いている盛りに、いとしいその妻と子どもが、朝夕に、機嫌が良かったり悪かったりして、嘆いて語ったであろうことは『いつまでもこういう状態なのだろうか。天地の神のご加護で、これからは春花のような栄えの時期もあるだろう』。そう言って待った、その真っ盛りなのだぞ今は。お前さんと離れ住み、嘆いて日々を過ごすお前さんの細君が、いつになったらお前さんからの使いが来るかと心待ちしていることだろう、寂しさを我慢しながら。南風が吹き、雪解け水が溢れ、射水川に浮かぶ水泡のように、寄るべないままに左夫流という名の遊女と、まるで紐の緒のようにくっつき合って、にほ鳥のように二人並んで、奈呉の海の奥底のようにどこまでも血迷った君の心の、なんともしようのないなさけなさであることよ。」これは、天平感宝元年(七四九年)当時、越中(富山県)の国守だった大伴家持が、部下である史生(ししょう・役職名)の尾張少昨(をはりのをくひ)が佐夫流兒(さぶるこ)という遊女に夢中になって妻を顧みなくなったので、彼を教え諭すために作った歌だそうです。
これらの歌の存在は、オオムナチ・スクナヒコのコンビが民間に根付いていたことを物語っています。「オオムナチ・スクナヒコナ」が、まるで「大昔」の枕詞のような働きをしています。特に、大伴家持の歌がそうですね。しかも場所が、和歌山・福岡・島根あるいは兵庫と広範囲です。風土記などでも、オオナムチ・スクナヒコナのコンビは、山川を作ったり、稲種をもたらしたり、温泉を引いたりして活躍しているそうです。スクナヒコは、全国的な知名度をもつ神だったのですね。西條勉氏の言葉を引きましょう。
このように民間神話では、国土と文化の起源が、オオナムチ・スクナヒコナで語られていたのである。一方、イザナキ・イザナミの創成活動を詠み込んだ歌は万葉集になく、風土記にもイザナキ・イザナミ二神は登場しない。当然である。無名なのは、イザナキとイザナミのほうだった。古事記のなかで、スクナヒコが無名の神になっているのにはわけがある。人気のある神をだれも知らない存在にすることによって、民間の神話を否定し、排除したのである。こうして、創成神話の主人公は、オオナムチ・スクナヒコナからイザナキ・イザナミに書きかえられた。新しい「日本」にふさわしいのは、多くの人々によって長く語られてきた民族の神話ではなかった。民間にないオオクニヌシという神を作り、その別名をオオナムチにすることで、オオナムチ・スクナヒコのコンビを解消したのだ。
いかがでしょうか。私はここを読んで、少なからず衝撃を受けました。こういう視点をちゃんとふまえないと、『古事記』読みの『古事記』知らずみたいなことになってしまうぞ、と思ったのですね。オオクニヌシ神話については、ふたたび触れることがあるでしょう。
これでやっと、イザナキ・イザナミ神話の入口にたどりつきました。では、冒頭の①オノゴロ島について語りましょう。
アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの三柱の天つ神から「是のただよへる国を修理(おさ)め固め成せ」と命じられ、「天の沼矛(ぬほこ)」をいただいたイザナキ・イザナミは、天の浮橋に立って、沼矛を海に指し入れ、海水をコロコロとかき鳴らして、それを引き上げるときに、その矛の先から滴り落ちた塩がおのずと重なって島になりました。それがオノコロ島です。二人はその島に天降って、「天の御柱を立て八尋殿」を作りました。「八尋」は「とても広い」という意味です。
この神話からは、磯の香りがぶんぶんと漂ってきます。つまり、海洋民族の神話が取り入れられていることをうかがわせるのです。また、「沼矛を海に指し入れ、海水をコロコロとかき鳴らして、それを引き上げるときに、その矛の先から滴り落ちた塩がおのずと重なって」というくだりから、性的なイメージが喚起されるのは、私だけではないでしょう。その性的なイメージは、次の二神の結婚の場面で、もっと鮮烈に打ち出されます。
では次に、②のヒルコを生む場面に移りましょう。ここは、二人の掛け合いが生き生きと描かれています。試しに、対話形式で現代語訳をしてみましょう。ただし、原文のままがいいと判断したところはそのままにしてあります。
イザナキ:お前の身体は、いったいどうなっているのだい。
イザナミ:私の身体は、じゅうぶんに成長していますが、ただひとところだけ「成り合わぬ処」があります。
イザナキ:そうかい。私の身体もじゅうぶんに成長したのだが、ただひとところだけ「成り余れる処」があるのだよ。だったら、私の身体の「成り余れる処」を、お前の身体の「成り合わぬ処」に差し入れてそれを塞いで、国生みをしようと思うのだが、どうだね。
イザナミ:それは善いことです。
イザナキ:だったら、私とお前とで、この天の御柱を両方から回って、出会ったところで、寝床で「まぐわい」をしようではないか。お前は右から回りなさい。私は左から回ることにしよう。
(そう約束して回るときに)
イザナミ:ああ、なんといい男でしょう。
イザナキ:ああ、なんていい女なんだろう。
(ふたりがそう言い終わった後に)
イザナキ:女のほうからまず言い出すのは良くない。
イザナキの不吉な予感は当たってしまいました。やがて生まれてきたのは、「水蛭子」(ひるこ)でした。ヒルコは、手足のなえた子、国土に相応しない子の意。二人は、それを葦船に入れて流し去ってしまいました。葦船は、葦を編んで作った船のこと。葦は邪気祓いの効果があるとされていたので、ヒルコの邪気から悪影響を受けないように処置したのでしょう。また、葦には霊妙な生命力があるともされていたので、その生命力を宿して五体満足な子どもとして生まれて欲しかったという願いを込めているのかもしれません。その次には、淡島(あはしま)を生んだのですが、これも生んだ子どもとはしなかった。「あは」は、心に不満がある状態の意。
二人は困ってしまって、高天の原の天つ神のところに行き、太占(ふとまに)で占ってもらいました。その結果を見て、天つ神は、「女のほうが先に言葉を発したのが、間違いの元なのだ。もう一度戻って、今度は間違いがないように言い直しなさい」と申し渡しました。
ここで、疑問が湧きます。二人が男唱女和の逆の振る舞いをしたことと国生みがうまくいかなかったこととの因果関係をどう理解すればいいのか、と。
男女関係を権力関係としてしか捉えようとしないフェミニストならば、ここに、『古事記』における男尊女卑あるいは女性差別の思想の現れを読み取ろうとするのではないかと思われます。当時の日本には中国の仏教・道教・儒教などの諸思想がかなりの程度伝わってきていて、そのなかに男尊女卑の考え方もおのずと含まれていたでしょう。だから、特に知識人の間にそういう考え方が一定程度定着していたことと思われるので、そのような四角ばった解釈もあながち誤りではないのかもしれません。
しかしそれだけでは、この神話のおおらかで明るい雰囲気がこぼれ落ちてしまいますし、また、それ自体あまり魅力的な解釈であるとも思えません。
私はむしろ、そこに、男女間のエロスの摂理とでもいうべきものに対する、古代人の無類に率直な直観を読み取りたい思いが強くあります。
男女間のエロスにおいて、女はあくまでも誘惑者であることによってその魅力が最大限に発揮されます。男は、その誘惑の力に抗しきれなくなってやむをえずアクションを起こす。つまり、誘惑という前言語的かつ身体的な次元において、女は能動的であり男は受動的である。そうであるがゆえに、言動の次元においては、男が能動的であるのに対して、女は受動的である、という形をとる。
経験から、女はそういう構図に乗るほうが得をするし、男はエロス的な意味で発奮するということをお互いよく分かっています。私は、上記の神話に、エロスのそういう相互了解的な在り方に対する古代人の健全で率直な直観の所在を感じるのです。そういう理解の仕方のほうが、なんだか元気が出てきませんか。
そういうことを踏まえたうえで、上記の国生みの失敗を私なりに解釈しなおしてみます。女の方から先に声をかけられたことで、イザナキはどこか男として気が萎えたのだと思うのです。そうして、その心理的な綾に霊妙なエロスの摂理が働いている。こちらになんとなく骨なしのぐにゃぐにゃなナマコのようなイメージを抱かせてしまうヒルコは、率直に言ってしまえば、「フニャチン」を想起させるところがあるのではありませんか。また、淡島の「あは」は、先ほど申し上げたように、心に不満がある状態を意味します。それは、イザナキからすれば、男としてのエロス的な意味での不全感という意味合いになるでしょう。とすれば、淡島もまた、フニャチン状態の心理的な表現であるという解釈が成り立つのではないでしょうか。少なくとも、そういうイメージが含まれているような気がするのです。
いろいろと回り道をして、さらには言いたいことを言ってしまったような気がするので、今回は、ここいらで終わりにします。イザナキ・イザナミ神話の続きは、次回に回しましょう。
参考文献
『古事記』(倉野憲治校注・岩波文庫)
『古事記 現代語訳』(福永武彦訳 河出文庫)
『新版 古事記』(中村啓信 角川ソフィア文庫)
『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』(西條勉 中公新書)
『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』(工藤隆 中公新書)
『古事記の宇宙(コスモス)――神と自然』(千田稔 中公新書)
『「古事記」と壬申の乱』(関裕二・PHP新書)