かなり前にアップした「究極の文章――特攻隊員の遺書」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/9f86f93ac0892fe252d704e892189b6b)に、最近桃太郎さんという方からコメントをいただきました。そのなかで、「Fragments~特攻隊戦死者の手記による~」という信長高富氏の合唱曲のおすすめがあったので、早速聴いてみました。はじめは、ちょっとピンと来ないところがあり、その旨桃太郎さんにコメント欄でお伝えしたところ、次のような丁寧なコメントをいただきました。
***
美津島様
返信ありがとうございます。そして、私がお奨めした曲を
聴いてくださったことにも、御礼申し上げます。
私自身、音楽の専門的な事に関してはよくわかりません。
ただこの曲を聴いて感じたままを、僭越ながら述べさせて
いただきたく存じます。
正直申しまして、最初にこの曲を聴いたときは、初めの
部分の勇ましい軍歌調の旋律にかなり引いて
しまいました。
しかし聴き続けるうちに、言葉の抑揚に自然に音が
乗っていて、ストレートに心情が伝わってくると
思えるようになっていきました。
例えば中盤のたたみかけるようなリズムは、目前に
突きつけられた理不尽な死に対し、抑えても抑えても
湧き上がって溢れ出す激しい感情をよく表して
いると思いますし、母親への手紙の部分は美しい
バラードになっていて、素直にその気持ちに寄り添える
ように感じます。またこのパートのソロの学生の歌の
朴訥さが絶妙です。
そしてクライマックスのパートですが、人声による
零戦のプロペラ音のうねりで大規模な飛行隊が
飛んでくる情景が目の前にパーッと広がり、
その中で隊員ひとりひとりの叫びが聞こえてくるようで
息が止まりました。
最後のピアノソロはおそらく乱れ舞う零戦を表現
しているのでしょう。消えていく歌声・・・
この曲はいくつかの手記の断片(Fragments)を取り上げて、
その間をその枝幹二大尉の手記が繋ぐ形で
構成されています。私は、これは何故かなあとずっと
疑問に思っていたのですが、美津島様の本記事を
読み、合点がいった気がしたのです。
この作曲者もおそらく美津島様同様、この詩の中の、
さまざまな自分の感情を超えてただただ祖国の
美しさを愛おしむ気持ちに深く心を動かされたのだ
ろう、だから激しい感情の狭間にこの詩を置いた
のだろう、リセット、というと身もふたもありませんが
ニュートラルな、静かな何かをも聴き手に伝えた
かったのではないか、と思いました。
以上はもちろん私の独断と偏見に過ぎません。
しかし実は私が何よりもこの歌に感動した部分は、
学生たちが上手に歌おう、など微塵も思っていない
ように聞こえたことです。そういう作為的な意図なく、
ただただ、特攻隊員たちの胸の内をできるだけ
そのままに伝えようとしたように、私には思われ
ました。
彼らはもちろん戦争を知らず、同世代だった特攻隊員
の本当の気持ちなど知ることはかなわなかったと
思います。それでも、多分一生懸命に考えたことで
しょう。もし自分だったら、と。
そしてそれがきっかけとなり、過去の戦争やこの国の
現状、行く末にまで思いを馳せることになれば、
将来を担う若者たちにとってこの歌に出会った
一番の成果となったのではないでしょうか。
それにしてもすでに薹が立って久しい私が今頃に
なってこうしたことを考えるようになったのは、
まことに恥ずかしい限りです。
長文駄文、大変失礼致しました。
これからも、こちらのブログ愛読させて頂きたく
存じます。
***
これらの言葉を導きの糸にして、あらためて聴いてみたところ、当曲のハートが直に伝わってきたのです。端的にいえば、聴いているうちに、涙がどっと溢れてきたのですね。漠然とですが、そうならないことにはこの曲を分かったことにならないだろうと思っていたので、分かりやすいといえば分かりやすい目印です。
枝幹二大尉の遺書をモチーフにした「あんまり緑が美しい。ゆく春の知覧は、もう夏を思わせる」のリフレインがとても効果的で、終末部の四度目の登場のとき、私は完全にノックアウトを喰らってしまいました。これは、由紀草一氏がご自身のブログで欧米人の文章を引用して言っていたことですが、特攻隊員の不思議な透明性の魅力は否定しようにも否定し難い。その魅力を、このリフレインのニュアンスの変化によって、信長氏は、見事に表現していることが、今回分かりました。が、その直後に、ピアノの鋭い不協和音の一音を置くことで、当曲は終わっています。特攻作戦が、軍首脳の戦術としてはあくまでも外道であることを、特攻隊員の圧倒的な美しさをいかに感じ取ろうとも、絶対に忘れないし、許容しない、という作曲者の意思表明として、私は受け取りました。特攻隊の崇高美は、抗し難いものとしてある。しかし、だからといって、いわゆる右翼的情念に同一化することは、信長氏の鋭敏な倫理的感性が許さないのです。彼は、その両方の思いを、危ういバランスにおいて表現しようとし、それに成功した。その場合信長氏は、特攻隊員たちの内面的な葛藤の襞に、想像力の触手を能う限り伸ばそうとしたはずです。そう考えると、これは、大変な作品です。
自分の感性だけを頼りにしていると、名曲のハートに迫れない場合がある。そのことを再認識した次第です。その場合、心ある知人の真摯なアドバイスを素直に受け入れることが大切であると思います。
信長貴富 Fragments ー特攻隊戦死者の手記によるー
参考までに、別の合唱団による同曲を掲げておきます。
Fragments~特攻隊戦死者の手記による~ (信長貴富) 【男声合唱団FREIE KUNST】
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美津島様
返信ありがとうございます。そして、私がお奨めした曲を
聴いてくださったことにも、御礼申し上げます。
私自身、音楽の専門的な事に関してはよくわかりません。
ただこの曲を聴いて感じたままを、僭越ながら述べさせて
いただきたく存じます。
正直申しまして、最初にこの曲を聴いたときは、初めの
部分の勇ましい軍歌調の旋律にかなり引いて
しまいました。
しかし聴き続けるうちに、言葉の抑揚に自然に音が
乗っていて、ストレートに心情が伝わってくると
思えるようになっていきました。
例えば中盤のたたみかけるようなリズムは、目前に
突きつけられた理不尽な死に対し、抑えても抑えても
湧き上がって溢れ出す激しい感情をよく表して
いると思いますし、母親への手紙の部分は美しい
バラードになっていて、素直にその気持ちに寄り添える
ように感じます。またこのパートのソロの学生の歌の
朴訥さが絶妙です。
そしてクライマックスのパートですが、人声による
零戦のプロペラ音のうねりで大規模な飛行隊が
飛んでくる情景が目の前にパーッと広がり、
その中で隊員ひとりひとりの叫びが聞こえてくるようで
息が止まりました。
最後のピアノソロはおそらく乱れ舞う零戦を表現
しているのでしょう。消えていく歌声・・・
この曲はいくつかの手記の断片(Fragments)を取り上げて、
その間をその枝幹二大尉の手記が繋ぐ形で
構成されています。私は、これは何故かなあとずっと
疑問に思っていたのですが、美津島様の本記事を
読み、合点がいった気がしたのです。
この作曲者もおそらく美津島様同様、この詩の中の、
さまざまな自分の感情を超えてただただ祖国の
美しさを愛おしむ気持ちに深く心を動かされたのだ
ろう、だから激しい感情の狭間にこの詩を置いた
のだろう、リセット、というと身もふたもありませんが
ニュートラルな、静かな何かをも聴き手に伝えた
かったのではないか、と思いました。
以上はもちろん私の独断と偏見に過ぎません。
しかし実は私が何よりもこの歌に感動した部分は、
学生たちが上手に歌おう、など微塵も思っていない
ように聞こえたことです。そういう作為的な意図なく、
ただただ、特攻隊員たちの胸の内をできるだけ
そのままに伝えようとしたように、私には思われ
ました。
彼らはもちろん戦争を知らず、同世代だった特攻隊員
の本当の気持ちなど知ることはかなわなかったと
思います。それでも、多分一生懸命に考えたことで
しょう。もし自分だったら、と。
そしてそれがきっかけとなり、過去の戦争やこの国の
現状、行く末にまで思いを馳せることになれば、
将来を担う若者たちにとってこの歌に出会った
一番の成果となったのではないでしょうか。
それにしてもすでに薹が立って久しい私が今頃に
なってこうしたことを考えるようになったのは、
まことに恥ずかしい限りです。
長文駄文、大変失礼致しました。
これからも、こちらのブログ愛読させて頂きたく
存じます。
***
これらの言葉を導きの糸にして、あらためて聴いてみたところ、当曲のハートが直に伝わってきたのです。端的にいえば、聴いているうちに、涙がどっと溢れてきたのですね。漠然とですが、そうならないことにはこの曲を分かったことにならないだろうと思っていたので、分かりやすいといえば分かりやすい目印です。
枝幹二大尉の遺書をモチーフにした「あんまり緑が美しい。ゆく春の知覧は、もう夏を思わせる」のリフレインがとても効果的で、終末部の四度目の登場のとき、私は完全にノックアウトを喰らってしまいました。これは、由紀草一氏がご自身のブログで欧米人の文章を引用して言っていたことですが、特攻隊員の不思議な透明性の魅力は否定しようにも否定し難い。その魅力を、このリフレインのニュアンスの変化によって、信長氏は、見事に表現していることが、今回分かりました。が、その直後に、ピアノの鋭い不協和音の一音を置くことで、当曲は終わっています。特攻作戦が、軍首脳の戦術としてはあくまでも外道であることを、特攻隊員の圧倒的な美しさをいかに感じ取ろうとも、絶対に忘れないし、許容しない、という作曲者の意思表明として、私は受け取りました。特攻隊の崇高美は、抗し難いものとしてある。しかし、だからといって、いわゆる右翼的情念に同一化することは、信長氏の鋭敏な倫理的感性が許さないのです。彼は、その両方の思いを、危ういバランスにおいて表現しようとし、それに成功した。その場合信長氏は、特攻隊員たちの内面的な葛藤の襞に、想像力の触手を能う限り伸ばそうとしたはずです。そう考えると、これは、大変な作品です。
自分の感性だけを頼りにしていると、名曲のハートに迫れない場合がある。そのことを再認識した次第です。その場合、心ある知人の真摯なアドバイスを素直に受け入れることが大切であると思います。
信長貴富 Fragments ー特攻隊戦死者の手記によるー
参考までに、別の合唱団による同曲を掲げておきます。
Fragments~特攻隊戦死者の手記による~ (信長貴富) 【男声合唱団FREIE KUNST】