国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その3) (美津島明)
正面右が、小林啓氏
前回は、振付師MIKIKOやテクノポップ・アイドル・ダンスユニットPerfumeにご登場願って、BABYMETALの表現の世界性・普遍性の謎に迫ろうとしました。それがどこまでうまくいっているのかは、みなさまのご判断にお任せするよりほかはないのは当然のことでしょう。私としては、さらにその謎と自分との距離を縮めたいと思うばかりです。そのためには、彼らのほかにどうしてももう一人、BABYMETALという総合ユニットを生み出し、またいまもなお育て続けているKOBA-METALこと小林啓氏にご登場願うよりほかはありません。というのは、極言すれば、BABYMETALは、小林啓氏の脳内妄想を現実化したものにほかならないからです。小林氏の後は、マーティン・フリードマンにもご登場願おうと思っています。
以下、小林啓氏に触れますが、その脳内妄想のリアリティを追体験するために、私は、小林啓氏に関して入手できたさまざまな情報の隙間をつなぐ想像・妄想の翼をときには思い切り広げることを辞さないつもりです。それが的を射たものなのかどうかは、それこそ「Only The Fox God knows」です(Fox God 、すなわち「キツネさま」は、メタル・レジスタンスのためにこの世にBABYMETALの3人を送り出したメタルの神さまである、という基本設定が、BABYMETALユニットにはあります。それを踏まえたうえで、SU-METAL(中元すず香)が、自分たちはもういちどぜひこのライヴ会場に来たいのだが、「Only The Fox God knows」である、という殺し文句としてこのセリフをロンドンのファンたちに残して会場を立ち去るのです(二〇一四年十一月)。彼女たちは、どうやら本気でこの神の存在を信じているようです。この数年の劇的な変化を体験してきた彼女たちとしては、そうなるのが当然でしょうね。というか、小林氏自身も信じているふしがあります)。
小林啓氏の脳内妄想
小林啓氏が、骨の髄からのメタル好きであることは、BABYMETALファンにとっては周知のとおりです。たとえば、Colin McQuistanなる人物の2014年12月5日付のインタヴュー記事のなかの、次のような発言からも、そのことはうかがえます。
http://niyaniyakaigai.seesaa.net/article/410135542.html
Q:当時はヘヴィメタルの状態に不満を感じてたから、バンドを結成して、始めたの?
A:20年から30年くらいメタルを聴いてきたんだ。どう言ったらいいのか…、これは全てのジャンルでそうなんだけど、新しいスタイルが出てくるのは難しいなって感じたんだ。
僕はメタリカやアイアンメイデンや他のビッグアーティストを好きだし尊敬してる。でも、僕は彼らが出来ないメタルってのを考えるようになったんだ。だから、日本で僕に出来ることはBABYMETALであり、そんな感じで始めたのさ。
心から愛するヘヴィメタルが、いまや停滞している。その現状を打破し、新たな息吹をメタルに吹きこみたい。それが、自分の場合BABYMETALだった。そんなふうなことを言っているのですね。メタルを深く愛していなければ吐けないセリフです。
私は、小林氏のそういう言葉をウソだとまでは申しませんが、BABYMETALの原型を思いついたときの小林氏は、もう少し切実なものがあったのではないかと推察します。
2008年の何月ごろか定かではありません。アミューズに在籍していた(いまもそうですが)小林氏は、それまでメタル系バンドSIAM SHADEのマネージャーだったのですが、キッズ担当に異動しました。むろん、個人的な都合ではなくて、会社の判断です。アミューズでキッズとは、五歳から一四歳までを指すようです。本格的なメタルの世界に心を寄せ続けてきた小林氏の落胆の表情が浮かぶようです。彼は思ったはずです、「ションベン臭いガキのプロデュースなんて、メタラーのオレ様にできるはずないだろうが」と。情けなくなり、会社を辞めようかとさえ思ったのではないでしょうか。
そんな失意の日々のなかで、小林氏はPerfumeのライヴを観て感動し、キッズへの観方を変えます。そうして、自分なりのPerfumeを作ろうとしてできたのが、アニメ番組『絶対可憐チルドレン』の主題歌を歌う 可憐Girl'sでした。同グループは小学生三人組のユニットでありながら歌と踊りが上手いアイドルとして衝撃をもって迎えられたそうです。そのメンバーのなかのひとりが、当時小学校五年生の中元すず香(すなわち、後のSU-METAL)です。ほかは、武藤 彩未(小六)島ゆいか(小六)で、いずれもアミューズ所属です(ちなみに武藤彩未が、なにゆえいまだにブレイクしていないのか、私は不思議でなりません。歌と踊りの才能にめぐまれた、利発で愛くるしい一八歳のアイドル歌手です)。
忘れてならないのは、MIKIKO氏が、可憐Girl'sの振付を担当していることです。つまり、ここで、小林氏とMIKIKO氏と中元すず香というBABYMETALの核となるトライアングルの三つの頂点が出会っている のです。
ここで、寄り道のようなお話をふたつしておきましょう。
ひとつめ。「MIKIKO氏は、アクターズスクール広島(ASH)時代の中元すず香と接点があった」という説がありますが、どうでしょうか。Wikipediaによれば、中元すず香が、第4回アルパーク・スカラシップ・オーディションでグランプリを獲得し、アクターズスクール広島(ASH)に入学したのは2006年3月のことです。続いて2007年、アミューズ第2回スターキッズ・オーディションで準グランプリを受賞し、アミューズのキッズ部門に所属しています。MIKIKO氏は、2006年9月前後からずっとアメリカのニューヨークに滞在していて、そこから帰国し東京に生活拠点を置き始めたのは2008年2月です。渡米の前の半年間は、アミューズに所属して東京で過ごしています。つまり、2006年の3月には、生活の拠点を広島ではなくて東京に置いているのですね。とすると、MIKIKO氏が、アクターズスクール広島(ASH)時代の中元すず香と接点があったという説は成り立ちにくいのではないでしょうか(と書いた直後に、MIKIKO氏のインタヴュー記事が載っているアイドル雑誌『OVERTURE No.003』(徳間書店)を買ってきて早速読んでみたところ、MIKIKO氏ご本人が「すぅちゃんと会ったのは東京でなんです」と言っているのを目にしました。これで、この件は決着がつきましたね)。
ふたつめ。中元すず香の目標とするアーティストは事務所の先輩のPerfumeであることは、彼女のファンならばだれでも知っていることです。広島出身であること、ASH出身であること、アミューズ事務所に所属していること、振付の指導をMIKIKO氏に仰いでいること、アイドルに異なる音楽ジャンルを大胆に取り入れていること。これだけ重なれば、その存在を意識しないほうがどうかしていると言っていいくらいですね。ただし、彼女とPerfumeのメンバーがASHに在籍した時期は、重なっていません。2003年春 、 Perfumeのメンバーは、中学三年生になると同時に上京し、ASHと業務提携しているアミューズに所属したのに対して、中元すず香がASHに入学したのは2006年だからです。おそらく、当時の彼女にとって、Perfumeは、ASHから巣立って東京でアイドルになった伝説のトリオとして仰ぎ見る存在だったのではないでしょうか。その憧れの距離感がのちのちにまで残ったということなのではないかと思われます。
可憐Girl'sに、後のBABYMETALの核になる三人が集結した、というお話に戻りましょう。アニメ『絶対可憐チルドレン』の放送終了とともに、同グループは、2009年3月31 日をもって任務完了として解散します。中元すず香の歌声に触発された小林氏は、このころすでに、メタルとアイドルの融合のアイデアを脳内で温めていたようです。
小林氏が、メタルとアイドルの融合を夢見た中元すず香の歌声とはどういうものだったのか、気になるところです。そこにBABYMETAL誕生の秘密が隠されているような気がするからです。それをうかがわせるふたつの歌声を以下にアップします。ひとつめは、可憐Girl'sのデビュー曲『Over The Future』です(ある意味で、ロリータ趣味のアイドルオタクの領域に首を突っ込んでいるような気もしますが、この際、そういう外見にかまっていられません)。
可憐Girl's - Over The Future
いかがでしょうか。「一連の生歌音源では可憐Girl’sの歌の特長であった耳に突き刺さる高音が中元すず香の声であるのが分かる」というブログ「idol Shin Shin 中元すず香の軌跡」のご指摘は、極めて重要です。http://suzuka-nakamoto.idol-shinshin.com/%e4%b8%ad%e5%85%83%e3%81%99%e3%81%9a%e9%a6%99_%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%812008-1/
小林氏は、中元すず香の「耳に突き刺さる高音」に反応し、われ知らずメタルとアイドルの融合のアイデアが脳内に浮かんだ。どうもそういうことなのかな、という気がします。念のために言っておくと、右ほほにほくろのある、いちばん背が低い子が中元すず香です。彼女は、さくら学院に入るとき、ほくろを取ったといわれています。気になったのでしょうね。
もうひとつ。こちらは、同じ時期の中元すず香の独唱です。
中元すず香「明日への扉」
私自身が、中元すず香の歌声に魅せられている者のひとりなので、この歌声を冷静に評するのが難しいところがあるのは認めるほかないのでしょうが、小林氏自身もまた、この歌声に魅せられた者のひとりであることは間違いないでしょう。この歌声の特異な性格を端的に言えば、そこに宿る過剰で真摯な歌心が既成のアイドルソングに収まりきらなくて不安定にゆらぎはみだしてはいるが、それがあまりにも純粋で本当のものであるがゆえにどこか痛々しくもあり、悲劇の予感さえも聴くものに抱かせるほどの魅力を感じさせるものである、となります。小林氏は、いま私が述べたことをすべて感じ取り、その歌声に自らのメタル魂を激しく共振させたのではないでしょうか。彼は、そういう自分の反応をいぶかしく感じたにちがいありません。メタルともっとも遠いと思われたアイドルという領域の真っただ中で、10歳の女の子のひたむきな歌声を聴いて、自分がもっとも大切にしているメタル魂がどうしようもなく震えているのですから。この論考のタイトルに引きつけるならば、そのときの小林氏こそが、中元すず香の歌声にだれよりも最も深く激しく「萌え」たし、いまでも「萌え」続けている男なのです。そういう自己確認ができたところで、小林氏は、自分の音楽的感性のありったけを、この10歳の少女の歌声に賭けてみようと腹をくくったのではないかと思われます。
そのあたりの事情を、小林氏は次のようにふりかえっています。
例えば、「Perfume」というテクノとアイドルを組み合わせた成功例がある。これを自分が新しく作るならば、アイドルに組み合わせるのはメタル以外にないと思っていたところ、メインボーカルのSU-METAL(さくら学院の中元すず香)に出会った。そして、彼女の良い意味でクセがなくストレートな歌声を聴き、「メタルアプローチの曲を少年少女合唱団が歌う」ようなイメージを表現できるのではないかと感じたのが初めだ。(異色メタルアイドル「ヘビーメタル」はなぜ人気?“仕掛け人”を直撃!日経トレンディ・ネット 2012年10月31日)
“「メタルアプローチの曲を少年少女合唱団が歌う」ようなイメージ”と言われてもピンとくる人はほとんどいないでしょう。先に私が述べたような補助線を引いてはじめて、その意とするところがかろうじて伝わってくるのではないでしょうか。脳内妄想を端的に言葉にすると、通常そういう分かったような分からないようなものになってしまいがちです。
そのような、他と引きかえのきかない深い思いが根底にある場合、既存のビジネス・モデルに則って戦略的に展開することは極めて難しくなります。音楽ビジネスの真っただ中で、音楽ビジネスの定石を無視したようなことばかりをするほかなくなるのです。実際、小林氏は一貫してそういうふうにやってきたようです。
では、その具体例を挙げましょう。
ひとつめ、楽曲作り。小林氏の楽曲作りは、凝りに凝っています。Aメロはaさんの作曲から、Bメロはbさんの作曲から、サビはcさんの作曲から持ってきてつなげる、なんてのはごくふつうにやっている、と確かどこかで読んだことがあります。次は、メタルに造詣の深い「COALTER OF THE DEEPERS」のNARASAKI氏が作曲を手掛けた「ヘドバンギャー!!」の楽曲作りについて、小林氏が述べたものです。少々長くなります。
どの曲も、楽曲のコンセプトを先に立ててから作曲家に発注する。発注の段階では、コンセプトや歌詞の雰囲気、曲調、振り付け、ライブパーフォーマンスと観客の反応までをすべて想定している。「ヘドバンギャー!!」では「ヘドバン(ヘッドバンギング)」をテーマに発注した。個人的なイメージとしては、ヴィジュアル系シーンへの愛情と「なんだこれは?」という“ストレンジ感”を同時に感じられるものにしたいと考えていた。そのため、歌詞にあえて「咲く」「ドセン」「逆ダイ」など、“バンギャ”と呼ばれるバンドファンの女性が使う用語を入れたり、「the GazettE」のファンのライブパフォーマンスである「土下座ヘドバン」をオマージュしたりしている。「ヘドバンギャー!!」に限らず、作詞・作曲・ミックス・振り付けの方々とは、かなり綿密に話し合って作業を行っている。NARASAKI氏とも相当な回数のやりとりを繰り返し、「シンバルの位置をここにしたい」など、かなりの細かい部分まで相談させていただいた。Bメロでは、アイドルファンの方でもノリやすいよう、いわゆるヲタ芸の「PPPF(パン・パパン・ヒュー)」をなぞったリズムを敷いている。ここでも、アレンジの段階でNARASAKI氏と話し合い、ドラムをツーバスにしてメタルらしく仕上げてもらっている。 (同上)
(分かりにくい用語が散見されます。いくつか説明しておきましょう。
〔ヘドバン〕ヘッド・バンギングの略。ライヴコンサートで見られる共鳴的動作の一つ。リズムに合わせて、頭を激しく上下に振る動作。
〔咲く〕両手を広げ好きなメンバーの名前を呼ぶこと。"抱いて"という意味。
〔ドセン〕ド・センター。ボーカルの真ん前。
〔逆ダイ〕逆にダイブという言葉の略語。ビジュアル系バンドのライブでなされることが多い。
〔土下座ヘドバン〕正座(もしくは座り込んで)をして土下座のようにヘッドバンギングをする行為。
〔Bメロ〕Aメロが、歌いだしの部分で、比較的おとなしい部分であるのに対して、Bメロは、やや曲調が変わり徐々に盛り上がっていく部分のこと。
〔PPPF〕ハロプロ系をはじめとするアイドルのライブ、声優のライブで用いられる定番のヲタ芸。)
せっかくですから、「ヘドバンギャー!!」のPVをアップしておきましょう。
BABYMETAL - ヘドバンギャー!![ Headbangeeeeerrrrr!!!!! ] (Full ver.)
小林氏が、凝り性で完全主義者体質のプロデューサーであることがこの発言からお分かりいただけるのではないでしょうか。映画監督では、小津安二郎がこれに似ているような気がします。持ち歌約15曲全部が、このように凝りに凝った作りになっているのですから、驚きです。「メギツネ」に至っては、アレンジの選定のためにたしか36回ほどダビングを繰り返してコンピュータが壊れてしまったというような逸話をどこかで読んだことがあります。逆に言うなら、これほど楽曲作りに凝ってしまったら、楽曲を量産するのは不可能です。これが、いかにアイドルの通常の販促ノウハウからはずれたものであるか、私がくどくどと申し上げるまでもないでしょう。器用なお金の儲け方をしているとはとてもいえませんね。インタビューで、持ち歌の少なさについて尋ねられた小林氏は、次のように答えています。
やっぱり捨て唄を作りたくないので。僕はライブのことしか考えていないんですよ。ライブでどうパフォーマンスしてお客さんがどうリアクションするかがゴール地点で、そこをイメージして逆算して曲を作っているんです。で、常に新しい曲がポンポン出ていくっていうよりは、どっちかっていうとミュージカルの演目みたいな感じで。曲は一緒なんだけど、セットとか演出がちょっと変わっててみたいなイメージなんですよね。ミュージカルを観に行く方って、演目はわかっているじゃないですか。
――(質問者)なのに、毎回感動するという。
あの感じに近いんじゃないかなと思って。だから、ある意味様式美ですよね。
(「音楽主義No.68 2015.JAN-FEB」)
BABYMETALの場合、ライブが命というのは確かにそうです。だれよりもファンがそう思っているので間違いありません。彼は、持ち歌の少なさを言い訳しているわけではありません。「ライブが命」というセリフは、自分が提供するものに対して相当な自信と覚悟がなければ言えるものではありません。同じインタビューで、小林氏は、「行き当たりばったりなんですけど。でも、やっぱり全部がひとつひとつの積み重ねというか、今日がんばってクリアしたことが次につながっていくみたいな。すごい当たり前の話なんですけど、それしかないんだろうなって」という一見平凡なことを発言しています。しかし、よく考えてみれば、この言葉は、一回一回のライブに注がれるチームのエネルギーのすさまじさを物語っているように、私には感じられます。
ライブとの関連で、小林氏が、音楽ビジネス・アイドルビジネスの定石を無視したようなことばかりしているというお話のふたつめをしましょう。通常、バックの演奏は、メインのアイドルのあくまでも引き立て役であることを求められます。それは常識的な要求ですね。
しかし小林氏は、神バンドのメンバーに対して、それとまったく逆の要求をし続けています。あくまでもフル・ボリュームで手加減は一切しないで、ゴリゴリのメタルを全力で演奏することを彼らに求めるのです。彼らが、あまりにも大きくて分厚い音を出すとSU-METAL(中元すず香)のボーカルが聞こえにくくなってしまうので、ほどほどの音を出すよう微調整をするなどというさかしらをきっぱりと拒否している、ということです。
これは、ボーカルのSU-METALの舞台度胸や実力に対する深い信頼がなければ、出てこない姿勢です。もっと言えば、そのような妥協を許さぬ姿勢は、先ほど述べたような〈小林氏こそが、中元すず香の歌声にだれよりも最も深く激しく「萌え」続けている男である〉というBABYMETALというユニットを根底で支えている情念的な意味での真実に根差しているのです。小林氏のメタル魂が、そのような妥協を拒否するのだ、と言っても同じことです。
長々と述べてきましたが、まだ終わりません。フリードマンは次回にご登場願いましょう。
正面右が、小林啓氏
前回は、振付師MIKIKOやテクノポップ・アイドル・ダンスユニットPerfumeにご登場願って、BABYMETALの表現の世界性・普遍性の謎に迫ろうとしました。それがどこまでうまくいっているのかは、みなさまのご判断にお任せするよりほかはないのは当然のことでしょう。私としては、さらにその謎と自分との距離を縮めたいと思うばかりです。そのためには、彼らのほかにどうしてももう一人、BABYMETALという総合ユニットを生み出し、またいまもなお育て続けているKOBA-METALこと小林啓氏にご登場願うよりほかはありません。というのは、極言すれば、BABYMETALは、小林啓氏の脳内妄想を現実化したものにほかならないからです。小林氏の後は、マーティン・フリードマンにもご登場願おうと思っています。
以下、小林啓氏に触れますが、その脳内妄想のリアリティを追体験するために、私は、小林啓氏に関して入手できたさまざまな情報の隙間をつなぐ想像・妄想の翼をときには思い切り広げることを辞さないつもりです。それが的を射たものなのかどうかは、それこそ「Only The Fox God knows」です(Fox God 、すなわち「キツネさま」は、メタル・レジスタンスのためにこの世にBABYMETALの3人を送り出したメタルの神さまである、という基本設定が、BABYMETALユニットにはあります。それを踏まえたうえで、SU-METAL(中元すず香)が、自分たちはもういちどぜひこのライヴ会場に来たいのだが、「Only The Fox God knows」である、という殺し文句としてこのセリフをロンドンのファンたちに残して会場を立ち去るのです(二〇一四年十一月)。彼女たちは、どうやら本気でこの神の存在を信じているようです。この数年の劇的な変化を体験してきた彼女たちとしては、そうなるのが当然でしょうね。というか、小林氏自身も信じているふしがあります)。
小林啓氏の脳内妄想
小林啓氏が、骨の髄からのメタル好きであることは、BABYMETALファンにとっては周知のとおりです。たとえば、Colin McQuistanなる人物の2014年12月5日付のインタヴュー記事のなかの、次のような発言からも、そのことはうかがえます。
http://niyaniyakaigai.seesaa.net/article/410135542.html
Q:当時はヘヴィメタルの状態に不満を感じてたから、バンドを結成して、始めたの?
A:20年から30年くらいメタルを聴いてきたんだ。どう言ったらいいのか…、これは全てのジャンルでそうなんだけど、新しいスタイルが出てくるのは難しいなって感じたんだ。
僕はメタリカやアイアンメイデンや他のビッグアーティストを好きだし尊敬してる。でも、僕は彼らが出来ないメタルってのを考えるようになったんだ。だから、日本で僕に出来ることはBABYMETALであり、そんな感じで始めたのさ。
心から愛するヘヴィメタルが、いまや停滞している。その現状を打破し、新たな息吹をメタルに吹きこみたい。それが、自分の場合BABYMETALだった。そんなふうなことを言っているのですね。メタルを深く愛していなければ吐けないセリフです。
私は、小林氏のそういう言葉をウソだとまでは申しませんが、BABYMETALの原型を思いついたときの小林氏は、もう少し切実なものがあったのではないかと推察します。
2008年の何月ごろか定かではありません。アミューズに在籍していた(いまもそうですが)小林氏は、それまでメタル系バンドSIAM SHADEのマネージャーだったのですが、キッズ担当に異動しました。むろん、個人的な都合ではなくて、会社の判断です。アミューズでキッズとは、五歳から一四歳までを指すようです。本格的なメタルの世界に心を寄せ続けてきた小林氏の落胆の表情が浮かぶようです。彼は思ったはずです、「ションベン臭いガキのプロデュースなんて、メタラーのオレ様にできるはずないだろうが」と。情けなくなり、会社を辞めようかとさえ思ったのではないでしょうか。
そんな失意の日々のなかで、小林氏はPerfumeのライヴを観て感動し、キッズへの観方を変えます。そうして、自分なりのPerfumeを作ろうとしてできたのが、アニメ番組『絶対可憐チルドレン』の主題歌を歌う 可憐Girl'sでした。同グループは小学生三人組のユニットでありながら歌と踊りが上手いアイドルとして衝撃をもって迎えられたそうです。そのメンバーのなかのひとりが、当時小学校五年生の中元すず香(すなわち、後のSU-METAL)です。ほかは、武藤 彩未(小六)島ゆいか(小六)で、いずれもアミューズ所属です(ちなみに武藤彩未が、なにゆえいまだにブレイクしていないのか、私は不思議でなりません。歌と踊りの才能にめぐまれた、利発で愛くるしい一八歳のアイドル歌手です)。
忘れてならないのは、MIKIKO氏が、可憐Girl'sの振付を担当していることです。つまり、ここで、小林氏とMIKIKO氏と中元すず香というBABYMETALの核となるトライアングルの三つの頂点が出会っている のです。
ここで、寄り道のようなお話をふたつしておきましょう。
ひとつめ。「MIKIKO氏は、アクターズスクール広島(ASH)時代の中元すず香と接点があった」という説がありますが、どうでしょうか。Wikipediaによれば、中元すず香が、第4回アルパーク・スカラシップ・オーディションでグランプリを獲得し、アクターズスクール広島(ASH)に入学したのは2006年3月のことです。続いて2007年、アミューズ第2回スターキッズ・オーディションで準グランプリを受賞し、アミューズのキッズ部門に所属しています。MIKIKO氏は、2006年9月前後からずっとアメリカのニューヨークに滞在していて、そこから帰国し東京に生活拠点を置き始めたのは2008年2月です。渡米の前の半年間は、アミューズに所属して東京で過ごしています。つまり、2006年の3月には、生活の拠点を広島ではなくて東京に置いているのですね。とすると、MIKIKO氏が、アクターズスクール広島(ASH)時代の中元すず香と接点があったという説は成り立ちにくいのではないでしょうか(と書いた直後に、MIKIKO氏のインタヴュー記事が載っているアイドル雑誌『OVERTURE No.003』(徳間書店)を買ってきて早速読んでみたところ、MIKIKO氏ご本人が「すぅちゃんと会ったのは東京でなんです」と言っているのを目にしました。これで、この件は決着がつきましたね)。
ふたつめ。中元すず香の目標とするアーティストは事務所の先輩のPerfumeであることは、彼女のファンならばだれでも知っていることです。広島出身であること、ASH出身であること、アミューズ事務所に所属していること、振付の指導をMIKIKO氏に仰いでいること、アイドルに異なる音楽ジャンルを大胆に取り入れていること。これだけ重なれば、その存在を意識しないほうがどうかしていると言っていいくらいですね。ただし、彼女とPerfumeのメンバーがASHに在籍した時期は、重なっていません。2003年春 、 Perfumeのメンバーは、中学三年生になると同時に上京し、ASHと業務提携しているアミューズに所属したのに対して、中元すず香がASHに入学したのは2006年だからです。おそらく、当時の彼女にとって、Perfumeは、ASHから巣立って東京でアイドルになった伝説のトリオとして仰ぎ見る存在だったのではないでしょうか。その憧れの距離感がのちのちにまで残ったということなのではないかと思われます。
可憐Girl'sに、後のBABYMETALの核になる三人が集結した、というお話に戻りましょう。アニメ『絶対可憐チルドレン』の放送終了とともに、同グループは、2009年3月31 日をもって任務完了として解散します。中元すず香の歌声に触発された小林氏は、このころすでに、メタルとアイドルの融合のアイデアを脳内で温めていたようです。
小林氏が、メタルとアイドルの融合を夢見た中元すず香の歌声とはどういうものだったのか、気になるところです。そこにBABYMETAL誕生の秘密が隠されているような気がするからです。それをうかがわせるふたつの歌声を以下にアップします。ひとつめは、可憐Girl'sのデビュー曲『Over The Future』です(ある意味で、ロリータ趣味のアイドルオタクの領域に首を突っ込んでいるような気もしますが、この際、そういう外見にかまっていられません)。
可憐Girl's - Over The Future
いかがでしょうか。「一連の生歌音源では可憐Girl’sの歌の特長であった耳に突き刺さる高音が中元すず香の声であるのが分かる」というブログ「idol Shin Shin 中元すず香の軌跡」のご指摘は、極めて重要です。http://suzuka-nakamoto.idol-shinshin.com/%e4%b8%ad%e5%85%83%e3%81%99%e3%81%9a%e9%a6%99_%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%812008-1/
小林氏は、中元すず香の「耳に突き刺さる高音」に反応し、われ知らずメタルとアイドルの融合のアイデアが脳内に浮かんだ。どうもそういうことなのかな、という気がします。念のために言っておくと、右ほほにほくろのある、いちばん背が低い子が中元すず香です。彼女は、さくら学院に入るとき、ほくろを取ったといわれています。気になったのでしょうね。
もうひとつ。こちらは、同じ時期の中元すず香の独唱です。
中元すず香「明日への扉」
私自身が、中元すず香の歌声に魅せられている者のひとりなので、この歌声を冷静に評するのが難しいところがあるのは認めるほかないのでしょうが、小林氏自身もまた、この歌声に魅せられた者のひとりであることは間違いないでしょう。この歌声の特異な性格を端的に言えば、そこに宿る過剰で真摯な歌心が既成のアイドルソングに収まりきらなくて不安定にゆらぎはみだしてはいるが、それがあまりにも純粋で本当のものであるがゆえにどこか痛々しくもあり、悲劇の予感さえも聴くものに抱かせるほどの魅力を感じさせるものである、となります。小林氏は、いま私が述べたことをすべて感じ取り、その歌声に自らのメタル魂を激しく共振させたのではないでしょうか。彼は、そういう自分の反応をいぶかしく感じたにちがいありません。メタルともっとも遠いと思われたアイドルという領域の真っただ中で、10歳の女の子のひたむきな歌声を聴いて、自分がもっとも大切にしているメタル魂がどうしようもなく震えているのですから。この論考のタイトルに引きつけるならば、そのときの小林氏こそが、中元すず香の歌声にだれよりも最も深く激しく「萌え」たし、いまでも「萌え」続けている男なのです。そういう自己確認ができたところで、小林氏は、自分の音楽的感性のありったけを、この10歳の少女の歌声に賭けてみようと腹をくくったのではないかと思われます。
そのあたりの事情を、小林氏は次のようにふりかえっています。
例えば、「Perfume」というテクノとアイドルを組み合わせた成功例がある。これを自分が新しく作るならば、アイドルに組み合わせるのはメタル以外にないと思っていたところ、メインボーカルのSU-METAL(さくら学院の中元すず香)に出会った。そして、彼女の良い意味でクセがなくストレートな歌声を聴き、「メタルアプローチの曲を少年少女合唱団が歌う」ようなイメージを表現できるのではないかと感じたのが初めだ。(異色メタルアイドル「ヘビーメタル」はなぜ人気?“仕掛け人”を直撃!日経トレンディ・ネット 2012年10月31日)
“「メタルアプローチの曲を少年少女合唱団が歌う」ようなイメージ”と言われてもピンとくる人はほとんどいないでしょう。先に私が述べたような補助線を引いてはじめて、その意とするところがかろうじて伝わってくるのではないでしょうか。脳内妄想を端的に言葉にすると、通常そういう分かったような分からないようなものになってしまいがちです。
そのような、他と引きかえのきかない深い思いが根底にある場合、既存のビジネス・モデルに則って戦略的に展開することは極めて難しくなります。音楽ビジネスの真っただ中で、音楽ビジネスの定石を無視したようなことばかりをするほかなくなるのです。実際、小林氏は一貫してそういうふうにやってきたようです。
では、その具体例を挙げましょう。
ひとつめ、楽曲作り。小林氏の楽曲作りは、凝りに凝っています。Aメロはaさんの作曲から、Bメロはbさんの作曲から、サビはcさんの作曲から持ってきてつなげる、なんてのはごくふつうにやっている、と確かどこかで読んだことがあります。次は、メタルに造詣の深い「COALTER OF THE DEEPERS」のNARASAKI氏が作曲を手掛けた「ヘドバンギャー!!」の楽曲作りについて、小林氏が述べたものです。少々長くなります。
どの曲も、楽曲のコンセプトを先に立ててから作曲家に発注する。発注の段階では、コンセプトや歌詞の雰囲気、曲調、振り付け、ライブパーフォーマンスと観客の反応までをすべて想定している。「ヘドバンギャー!!」では「ヘドバン(ヘッドバンギング)」をテーマに発注した。個人的なイメージとしては、ヴィジュアル系シーンへの愛情と「なんだこれは?」という“ストレンジ感”を同時に感じられるものにしたいと考えていた。そのため、歌詞にあえて「咲く」「ドセン」「逆ダイ」など、“バンギャ”と呼ばれるバンドファンの女性が使う用語を入れたり、「the GazettE」のファンのライブパフォーマンスである「土下座ヘドバン」をオマージュしたりしている。「ヘドバンギャー!!」に限らず、作詞・作曲・ミックス・振り付けの方々とは、かなり綿密に話し合って作業を行っている。NARASAKI氏とも相当な回数のやりとりを繰り返し、「シンバルの位置をここにしたい」など、かなりの細かい部分まで相談させていただいた。Bメロでは、アイドルファンの方でもノリやすいよう、いわゆるヲタ芸の「PPPF(パン・パパン・ヒュー)」をなぞったリズムを敷いている。ここでも、アレンジの段階でNARASAKI氏と話し合い、ドラムをツーバスにしてメタルらしく仕上げてもらっている。 (同上)
(分かりにくい用語が散見されます。いくつか説明しておきましょう。
〔ヘドバン〕ヘッド・バンギングの略。ライヴコンサートで見られる共鳴的動作の一つ。リズムに合わせて、頭を激しく上下に振る動作。
〔咲く〕両手を広げ好きなメンバーの名前を呼ぶこと。"抱いて"という意味。
〔ドセン〕ド・センター。ボーカルの真ん前。
〔逆ダイ〕逆にダイブという言葉の略語。ビジュアル系バンドのライブでなされることが多い。
〔土下座ヘドバン〕正座(もしくは座り込んで)をして土下座のようにヘッドバンギングをする行為。
〔Bメロ〕Aメロが、歌いだしの部分で、比較的おとなしい部分であるのに対して、Bメロは、やや曲調が変わり徐々に盛り上がっていく部分のこと。
〔PPPF〕ハロプロ系をはじめとするアイドルのライブ、声優のライブで用いられる定番のヲタ芸。)
せっかくですから、「ヘドバンギャー!!」のPVをアップしておきましょう。
BABYMETAL - ヘドバンギャー!![ Headbangeeeeerrrrr!!!!! ] (Full ver.)
小林氏が、凝り性で完全主義者体質のプロデューサーであることがこの発言からお分かりいただけるのではないでしょうか。映画監督では、小津安二郎がこれに似ているような気がします。持ち歌約15曲全部が、このように凝りに凝った作りになっているのですから、驚きです。「メギツネ」に至っては、アレンジの選定のためにたしか36回ほどダビングを繰り返してコンピュータが壊れてしまったというような逸話をどこかで読んだことがあります。逆に言うなら、これほど楽曲作りに凝ってしまったら、楽曲を量産するのは不可能です。これが、いかにアイドルの通常の販促ノウハウからはずれたものであるか、私がくどくどと申し上げるまでもないでしょう。器用なお金の儲け方をしているとはとてもいえませんね。インタビューで、持ち歌の少なさについて尋ねられた小林氏は、次のように答えています。
やっぱり捨て唄を作りたくないので。僕はライブのことしか考えていないんですよ。ライブでどうパフォーマンスしてお客さんがどうリアクションするかがゴール地点で、そこをイメージして逆算して曲を作っているんです。で、常に新しい曲がポンポン出ていくっていうよりは、どっちかっていうとミュージカルの演目みたいな感じで。曲は一緒なんだけど、セットとか演出がちょっと変わっててみたいなイメージなんですよね。ミュージカルを観に行く方って、演目はわかっているじゃないですか。
――(質問者)なのに、毎回感動するという。
あの感じに近いんじゃないかなと思って。だから、ある意味様式美ですよね。
(「音楽主義No.68 2015.JAN-FEB」)
BABYMETALの場合、ライブが命というのは確かにそうです。だれよりもファンがそう思っているので間違いありません。彼は、持ち歌の少なさを言い訳しているわけではありません。「ライブが命」というセリフは、自分が提供するものに対して相当な自信と覚悟がなければ言えるものではありません。同じインタビューで、小林氏は、「行き当たりばったりなんですけど。でも、やっぱり全部がひとつひとつの積み重ねというか、今日がんばってクリアしたことが次につながっていくみたいな。すごい当たり前の話なんですけど、それしかないんだろうなって」という一見平凡なことを発言しています。しかし、よく考えてみれば、この言葉は、一回一回のライブに注がれるチームのエネルギーのすさまじさを物語っているように、私には感じられます。
ライブとの関連で、小林氏が、音楽ビジネス・アイドルビジネスの定石を無視したようなことばかりしているというお話のふたつめをしましょう。通常、バックの演奏は、メインのアイドルのあくまでも引き立て役であることを求められます。それは常識的な要求ですね。
しかし小林氏は、神バンドのメンバーに対して、それとまったく逆の要求をし続けています。あくまでもフル・ボリュームで手加減は一切しないで、ゴリゴリのメタルを全力で演奏することを彼らに求めるのです。彼らが、あまりにも大きくて分厚い音を出すとSU-METAL(中元すず香)のボーカルが聞こえにくくなってしまうので、ほどほどの音を出すよう微調整をするなどというさかしらをきっぱりと拒否している、ということです。
これは、ボーカルのSU-METALの舞台度胸や実力に対する深い信頼がなければ、出てこない姿勢です。もっと言えば、そのような妥協を許さぬ姿勢は、先ほど述べたような〈小林氏こそが、中元すず香の歌声にだれよりも最も深く激しく「萌え」続けている男である〉というBABYMETALというユニットを根底で支えている情念的な意味での真実に根差しているのです。小林氏のメタル魂が、そのような妥協を拒否するのだ、と言っても同じことです。
長々と述べてきましたが、まだ終わりません。フリードマンは次回にご登場願いましょう。