美津島明編集「直言の宴」

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『古事記』に登場する神々について(その5) スサノオ・アマテラス神話①

2014年03月23日 06時49分23秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その5) スサノオ・アマテラス神話①

今回から、スサノオ・アマテラス神話について述べようと思います。

同神話は、『古事記』のなかでいちばん人口に膾炙しているのではないかと思われます。もっとも、「天照大御神」を「てんてるだいじん」と読んだ若者がいる、などということが、現代の若者の無知ぶりを物語る逸話として話題になったこともある(けっこう古いネタです)くらいですから、現在どこまでそうなのかこころもとない気もしないわけではありません。

『古事記』の本文に入りましょう。

追いすがるイザナミを振り切り、やっとのことで黄泉国から戻ってきたイザナキは、「私はいやというほど醜悪な、醜いきたない国に行ってきてしまった」と言って、身を清めるために禊祓(みそぎはらえ)を執り行います。

イザナキは、黄泉国のことを「いなしこめしこめ穢き国」と吐き捨てるように言っています。露骨な嫌悪感の表出です。離別したとはいえ、かつては心から愛したイザナミが黄泉津大神として君臨する国を、そこまで罵倒することはないではないかと、思わないわけではありませんが、そこが神様と人間の違うところ。神話に対して下手に感情移入をすることはことの本質を見誤る愚挙である、とはよく言われることです。イザナキは、生死の別を立てることでこの世は成り立っている、という世界観を決然として打ち立てたのですから、黄泉国をケレン味なく嫌悪し忌み嫌ってもまったく問題はないのです。

禊祓については、こういう記載があります。

古代の重要な宗教的儀礼であった禊は、海に向かって水の流れる河口で行われたり、また川原でも行われたが、要するに水の浄化力によって、罪・穢・禍など、いっさいの災禍を洗い清めるための呪儀である。
             (次田真幸『古事記(上)全訳注』・講談社学術文庫)

『古事記』が書かれるずっと前から、禊の儀式はあったようですね。どうやら、もともとは海人集団の宗教的儀礼のようです。『古事記』と海、というのはひとつの大きなテーマになりそうです。

イザナキは、「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)」(宮崎県宮崎市に阿波岐原が実在しますが、未詳もしくは架空の地名とされているようです)で禊を執り行ったときに、またもやたくさんの神々を生みます。列挙することをお許しください。神々の名の意味や由来が気になってしかたがないのです。

まずは、身につけていた着物を脱ぐことによって十二柱の神が生まれます。

・衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)
イザナキが投げ捨てた杖から生まれた神。「ふなと」は入口を越えて来るなの意の「くなと」が転じたもの。分かれ道に立つ道祖神です。イザナ キはイザナミに「そこからこちらへは来るな」と申し渡したのでした。
・道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)
 投げ捨てた帯から生まれた神。「道之長乳歯」長い道行きの末の意。「ながち」は「ながて」の音転。福永武彦氏は、道中の安全を守る神としています。
・時量師神(ときはかしのかみ)
 投げ捨てた御囊(みふくろ)から生まれた神。時間を掌る神などとされていますが、ここで突然抽象的になるのはちょっと変な感じがします。福永武彦氏は、神の名そのものを「時置師神」(ときおかしのかみ)と大胆に読み替え、「解き置く」の意味に解しています。そのために、御囊を裳(も・腰から下に着る女性の衣服)としています。かなり強引なことをしていますが、これで、突然抽象的になるという難を避けています。なかなかむずかしいですね。
・和豆良比能宇斯神(わづらひのうしのかみ)
 投げ捨てた御衣(みけし・着るの尊敬語「けす」の名詞形)から生まれた神。
 「うし」は主(ぬし)で、支配する者の意。厄介なもの、煩いの神。福永武彦は、「煩いからまぬがれた」の意に解しています。こちらが素直な解釈ですね。
・道俣神(ちまたのかみ)
 投げ捨てた袴(はかま)から生まれた神。道の分岐点にいる神。これも道祖神系ですね。
・飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)
 投げ捨てた冠から生まれた神。諸説あるようです。蛇のイメージというのが妥当なところでしょうか。
・奥疎神(おきざかるのかみ)
 投げ捨てた左の手の手纏(たまき・手にまく飾り、あるいは武具)から生まれた神。奥=沖、疎=遠ざかるの意。
・奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)
 同上。「那芸佐」=渚で禊の儀式を行う場所。
・奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)
 同上。沖と渚の間を掌る神という解釈があります。「かひべら」は語義未詳、というのが本当のところのようです。
・辺疎神(へざかるのかみ)
 投げ捨てた右の手の手纏から生まれた神。辺は海辺で、沖に対する言葉。
・辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)
 同上。辺=海辺、那芸佐=渚。
・辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)
 同上。辺=海辺。

意味のよく分からない神々がたくさん登場しましたが、水や海と深くつながっていることがわかればとりあえずよしとしましょう。

次にイザナキは、「上流は流れが速いし、下流は流れがおそい」と言って、中流に身を沈めて、身体を清めます。そのときに、またもやたくさんの神が生まれます。

・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
 「八十」は「たくさんの」の意。「禍津日」は「災禍を起こす神霊」の意。
・大禍津日神(おほまがつひのかみ)
 「禍」(まが)は「曲」(まが)と同様に「直」(なほ)の反対語。

本文に、「この二柱の神は、イザナキノミコトが穢れに満ちた黄泉国に行ったときの汚垢(けがれ)によって生まれた」とちゃんと説明がなされています。おそらくここが欧米社会の神概念といちじるしく隔たったところではないかと思われます。欧米社会からすれば、穢を神格化するなどとんでもないことであって、それは、悪魔か、土着的なタチの悪い妖精にほかならない、ということになるでしょう。日本人の神概念は、神に対する冒涜であるとさえ考えるかもしれません。欧米社会のGODを「神」と訳すのは、多くの誤解を招くモトなのかもしれませんね。今後日本人は、自分たちの神概念もしくは神感覚を、欧米社会に向けて、彼らが誤解をしない形で説明することができるようにならなければならなくなるような気がします。それができなければ、彼らから心からの尊敬を勝ち得ることはないでしょう。クール・ジャパンなどと浮かれていないで、そういうことをもっと真面目に考えるべきではないでしょうか。そういうことの実現こそが、ソフト・パワーなるものの基礎になるはずです。かなり脱線してしまいました。

いま登場した二神の「禍」を元の状態にするために次の三柱の神が登場します。

・神直毘神(かむなほびのかみ)
・大直毘神(おほなほびのかみ)

毘(び)は神霊の意です。なお、その次に、伊豆能売(いづのめ)が登場しますが、これは、わざわいの神とわざわいを直す神との間に立つ巫女のようです。だから、「神」の字がないのでしょう。しかし、『古事記』ではちゃんと神としてカウントしていますから、それに従いましょう。

次にイザナキが水底で身体を清めたとき、二柱の神が生まれます。「綿」は仮訓字で海の意。「箇」は「筒」に通じ、最初の「つ」は助詞の「の」、次の「つ」は津=港の意だそうです。

・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
・底箇之男命(そこつつのをのみこと)

次に水の中ほどで洗い清めたとき、二柱の神が生まれます。

・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
・中箇之男命(なかつつのをのみこと)

次に水の上のあたりで洗い清めたとき、二柱の神が生まれます。

・上津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
・上箇之男命(うはつつのをのみこと)

ここで、上記の「綿津見神」は安曇系の神で、「箇之男命」は住吉系の神であると、『古事記』の編者兼執筆者(太安万侶)は断り書きを入れています。太安万侶がなにゆえ海の神に関して安曇系と住吉系とを併記したのか、インターネットで調べてみたら、いろいろと議論があるようですが、いまの私には歯が立ちません。勘で言ってしまえば、そこには複雑な政治的配慮があったような気がします。こういうことに深く首を突っ込むと、いわゆる「古代史オタク」になってしまうのでしょうが、とりあえずは、古代史の謎のひとつとしておきましょう。

さて、いよいよ「三貴子」を生む有名なシーンが登場します。原文の訓読み文を引きましょう。

是に左の御目(みめ)を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読命(つくよみのみこと)。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。

イザナキは、黄泉の国で被ってしまった穢れをすっかりと洗い清め、大海原の清々しい潮風が吹き寄せてくる胸のすくような状態で、「三貴子」を生んだのですね。

このシーンに関して注をいくつか引いておきましょう。

天照大御神 天高く照り給う大御神の意で、太陽神としての面と、皇祖神としての面とがある。女神とされているのは、この神が巫女神の性格をも有するからであろう。

月読命 「月読」は月齢を数えるの意。月の神。


建速須佐之男命 「建速」は勇猛迅速の意で、この神の荒々しい性格を表わす称辞。「須佐」は、元来出雲国(島根県)飯石郡の地名で、この神は本来、出雲地方で祖神として信仰されていた神である。
        (以上、次田真幸『古事記(上)全訳注』講談社学術文庫)

スサノオが、「本来、出雲地方で祖神として信仰されていた神である」という指摘との関わりで、次田氏は、次のような重要な指摘をしています。

スサノオノ命が天照大御神と姉弟の関係で結ばれているのは、注目すべき点である。日神と月神が、天父神の左右の目から生まれたとする神話は、日本神話以外にも例があるが、鼻からスサオノ命が生まれたとするのは異例である。スサオノ命は、元来出雲神話の祖神であって、皇室神話の祖神である天照大御神との間には、血縁的関係はなかったはずである。それが共にイザナキノ命の子として結合されたのは、皇室神話と出雲系神話とを統合するために採られた方法であったと思われる。

皇室を筆頭とする当時の国家意思を体現した太安万侶(ら)が、異なる神話をつなぎ目がわからないようにつなごうとした手元に強い光が当てられています。こういうところで、編者・太安万侶の姿が躍如として鮮やかにあぶりだされますね。

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