『古事記』に登場する神々について(その4)イザナキ・イザナミ神話完結編
島根県の東出雲町にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の千引石(ちびきいわ)
前回に提示したふたつの疑問のうち、「我をな視たまいそ」というイザナミの言葉にまつわっての禁室話型に触れずじまいでした。
禁室話型のパターンは次のとおりです。
① 女主人公が、男に対して自分の部屋を覗くことを禁止する。
② 男がその禁を破って部屋を覗く。
③ 正体がばれた女主人公と男とが離別する。
イザナキ・イザナミ神話も、このパターンをほぼそのまま踏襲します。ほかには、昔話の『鶴の恩返し』や木下順二の『夕鶴』がこのパターンの話としては有名でしょう(『鶴の恩返し』は話素が異なります)。また、ギリシャ神話のオルフェウス・エウリュディケの話も、細かい違いを除けば、ほぼそのパターンを踏襲しています。詳しくは知りませんが、中国にも似たような神話があるそうです。
私は、ユングのように、ここで集合的無意識の存在を主張するつもりはありません。が、この事実から最低限、人の心を動かす話のパターンに民族の違いや国境はないとは言えるのではないかと考えます。いいかえれば、話型は通時的に普遍性を有すると同時に共時的にもそれを有する、となりましょう。
では、なにゆえ禁室話型が、地域や民族や時代の違いを超えて、人々の心を深く揺さぶるのでしょうか。
それは、エロスにまつわる失敗や挫折に対する痛切な思いやその記憶が普遍的なものだからではないかと、私は考えます。卑近な例を挙げます。気の置けない友と深酒をして心理的に武装解除をしたとき、私たちは、自分にとってのかけがえのない人をめぐっての思いの丈をお互いに腹を割ってしみじみと伝え合わないでしょうか。そのときに湧き出てくる思いは、たいていの場合、取り戻しようのない過去についての後悔や愚痴や儚い望みだったりしないでしょうか。こういう言い方をされて、そういうことはまったくないとシラを切れる人がいることを、私は想像ができません(あるいはそういう人がいるのかもしれませんが、そういう人は、もっと根本的なところでとても不幸な境遇にあるのではないかと私は考えます)。
そのとき私たちは、心のとても深い処に降りて言葉を繰り出しているはずです。おそらくそこが、禁室話型を受け入れる情緒的な基盤なのでしょう。そこを、鬼の目にも涙の致命的な弱点と言ってもいいでしょう。
生きているうえでの失敗や挫折は、エロス的なものに限らないだろう、という反論がありえますね。しかし、そのほかの失敗にはない特徴が、エロス的な失敗や挫折にはあります。それは、エロス的な失敗や挫折は、かけがえのない人をめぐってのものであるということです。それゆえその記憶は、とりわけ痛切なものとして感じられ、そういうものとして記憶に残りやすい。
では、禁室話型において、なぜ女性が禁止する側で、男性が禁止される側なのでしょうか。直観的にそれを理解するのはそれほどむずかしくないのですが、それをきちんと言葉にするのはけっこうむずかしいような気がします。いまの私に言えるのは、次のようなことです。
当論考の(その2)で、私は男女のエロス関係について次のように申し上げました。
″男女間のエロスにおいて、女はあくまでも誘惑者であることによってその魅力が最大限に発揮されます。男は、その誘惑の力に抗しきれなくなってやむをえずアクションを起こす。つまり、誘惑という前言語的かつ身体的な次元において、女は能動的であり男は受動的である。そうであるがゆえに、言動の次元においては、男が能動的であるのに対して、女は受動的である、という形をとる。″
その場合、アクションを起こす男の方が、おおむねエロス上の失敗を犯しやすい。フラレるのはたいがい男の側ですし、付き合ったりさらには結婚したりしたふたりの仲がうまくいかなくなった場合も、なんとなく男の方が部が悪いですね。エロスの窮状において、女はたいがい「あんたのせいでこうなった」というスタンスをくずしません(場合によっては、女は命懸けでそのスタンスを守ることもあります)。私は、別に個人的な愚痴をこぼしたいわけではありません。そいうことは、男女間のエロスのあり方の本質から不可避的に導き出されるのではないかと言いたいわけです。
とするならば、おのずと女よりも男の方が「オレはなにかイケナイことをしでかしてしまったのだろうか」と自問自答する頻度や深度がはなはだしくなります。それが、「女性が禁止する側で、男性が禁止される側」というエロスの構図を受け入れる心理的な基盤になるのではないかと思うのです。いまの私に言えるのはここまでです。
ちょっと個人的な経験をしゃべりたくなったので許してください。私は、中学三年生のときに、重度の恋愛病を患ってしまいました。相手は、O・Rという子でした。性格はあくまでも明朗ではあるのですが、どこかとてもしっとりとした柔らかい雰囲気があり、色白で色艶のいい黒髪の、相手を温かく包みこむような響きの声がとても素敵な女性だった、という記憶が残っています。また、穏やかに笑ったときの唇の形がとても綺麗でした。どうしてあんなに歯が白いのかとても不思議でもありました。五〇の大台を越えた男がいうようなことなのかどうかはなはだこころもとないのですが、これまでの人生のなかでいちばん好きだった女性なのではないかと思っています。どうもそういう感じなのです。受験を控えた大事な時期なのに、勉強にまったく身が入らない状態が続いて、私は困り果てたものでした。
それは救いようのないほどの片想いでした。やむにやまれず公衆電話から彼女の自宅に電話をかけたこともあります。あまり覚えていないのですが、おそらくそのときはじめて告白したのでしょう。手応えはまったくありませんでした。それから何日か経って、諦めきれずに学校の階段のところであらためて思いを伝えたような気がします。そのときたしかその子はうつむきながら「ごめんなさい」と言ったような気がします。万事休すです。私は思いを残しながらも、その場を離れるよりしかたがありませんでした。その日のことだったと思いますが、その子が教室でほかの数人の女の子に囲まれて泣いているのを目にしました。
どういうやりとりがなされているのかまるで分からなかったのですが、私の言動が原因で泣いているのは明らかでした。しかし、私を責めるような攻撃的な雰囲気は伝わってきません。私は不思議でなりませんでした。告白した相手(つまり私)を振ったのですから、相手を好きではないことは確かです。しかし、好きではないにしろ、相手から熱心に好意を示されたことそれ自体は、自分に女性としての魅力がある証拠なのですから、うれしくないはずがない。「なのに、どうして泣いたりするんだ。オレはなにかとんでもないことを彼女に対してしでかしてしまったにちがいない。何をやってしまったんだろう。」そういう思いで頭がいっぱいになってしまいました。
いまなら、おおむねそのときの事情が分かります。彼女は、電話でやんわりと断ったつもりだったのです。しかし、それをそれとして受けとめられるほどに私の心は成熟していなかったし、なにやら急いてもいた。それでもっとはっきりした言葉がほしくて、直接行動に出た。彼女は、やむをえずはっきりとした言葉を私に伝えるほかなかった。そのとき、伏し目がちになりながらも、私の悲しそうな表情を盗み見したにちがいありません。
そうした一切が、一五歳の彼女のデリケートな心にとって耐え難かったのでしょう。仲間に囲まれて張り詰めていたものがほどけるにつれて、おのずと涙が湧いてきた。そういうことだったのでしょう。やはり私は「これ以上は踏み込まないで」という彼女の禁室のメッセージを無視し、禁を破ってしてしまったのです。
閑話休題。黄泉国神話を進めましょう。
イザナミがなかなか戻ってこないので、イザナキはしびれを切らしてしまいました。それで、左のみずら(髪を左右に分け、耳のあたりでくくって垂らす貴族男子の髪形)に刺した湯津々間櫛(ゆつつまくし・「ゆつ」は神聖なの意。「つま櫛」は爪の形をした櫛の意)の男柱(ほとりは・櫛の両端にある太い歯)を一本折り取りそれに火をともして建物の中に入っていきました。すると、生前のイザナキとは似ても似つかぬ姿が目に飛び込んできたのです。その体中に、蛆(うじ)がたかってごそごそとうごめいています。また、体のあちらこちらに次のような八柱の雷神が宿っているのでした。
・大雷(おほいかづち):頭に宿る
・火雷(ほのいかづち):胸に宿る
・黒雷(くろいかづち):腹に宿る
・析雷(さくいかづち):性器に宿る。物を裂く威力のある雷。
・若雷(わかいかずち):左手に宿る。
・土雷(つちいかづち):右手に宿る。
・鳴雷(なるいかづち):左足に宿る。
・伏雷(ふすいかづち):右足に宿る。
それを見て、イザナキは恐れおののき逃げ帰ろうとします。そのとき、イザナミが(おそらくすごい形相で)「私に恥をかかせたのね」と恨みごとを言って、ヨモツシコメ(ヨモは「ヨミ」の交替形。黄泉の国のみにくい女。死の穢の恐ろしさ・醜さを擬人化したもの)を遣わして逃げるイザナキを追いかけさせます。
ここは、本当におそろしい光景ですね。これまで貞淑な妻だったイザナミが、禁を破ったイザナキが自分の醜い姿を見た瞬間に、鬼女の形相に変わるのです。太安万侶は、女のおそろしさとはどういうものであるのかよく分かっていたのでしょう。
それはそれとして、実はさきほどから、私は頭を抱え込んでしまっています。というのは、雷神がなぜ地下世界にいるのか、どうしても分からないからです(「黄泉の国」は、地下深いところにある死後の世界ということでしたね)。だって、雷は肉眼で観察するかぎり、空で派手に暴れまわってときおり地上にズドンと落ちるものですよね。その神が地下にいるというのは、相当にアクロバティックな小理屈をコネ回さないかぎり、うまくつながらないのではないかと思ったわけです。
苦し紛れに、「雷:いかづち」の語源をインターネットの「語源由来辞典」で調べてみたところ次のように出ていました。
「語源由来辞典」http://gogen-allguide.com/ (これ、便利ですよ)
「いかづち」の「いか」は、「たけだけしい」「荒々しい」「立派」などを意味する形容詞「厳し(いかめし)」の語幹。「づ」は助詞の「つ」。「ち」は「みずち(水霊)」「おろち(大蛇)」の「ち」と同じで、霊的な力を持つものを表す言葉。だから、「厳(いか)つ霊(ち)」が語源である。本来「いかづち」は、鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であったが、自然現象のなかでも特に恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていた「雷」を意味するようになった。
語源的な観点からすれば、「いかづち」は、雷の意味に限定されるものではないことが分かります。だから、地下に「いかづちの神」がいたとしてもそれほど悩む必要がない、となってくれれば、一件落着と相成るのでしょうが、残念ながら、太安万侶は、「いかづち」にちゃんと中国語の「雷」(らい)の字を当てているのです。明らかにここでの「雷神」は、「かみなりのかみさま」なのです。これでふりだしに戻ってしまいます。
こういうときは、背理法の考え方が役に立つのではないかと思います。つまり、矛盾のある結論が導き出された場合、基本的前提が誤っている、とする考え方です。この場合の基本的前提とは、「黄泉国は、『地下深くにある』死後の世界である」です。これが誤っていると考えてみる必要があります。つまり、黄泉の国は地下になどない、としてみるのです。
では、どこにあるのか。前回の(その3)で、無文字社会以来の日本人の伝統的死生観においては山に死者の霊魂が宿るという考え方がむしろ一般的だったという意味のことを申し上げました。それをここで敷衍すれば、「黄泉国は、地下などにはなくて、実は、山にある」となります。これは、太安万侶の目論見とは矛盾する仮説です。そのことについては、のちほど触れることにします。ここでは、その仮説を前提とした場合、『古事記』の読みにおいて不都合が生じないかどうか確かめてみましょう。
黄泉の国が山にあるのだとすれば、雷神もまた山にいることになる。これは実に納得のいくイメージです。雷は空で活躍するから、ふだんは山で待機しているというのはとても素直な連想ですね。さらに、イザナキの遺体が比婆山に葬られたこととも見事に符合します。また、黄泉の国が地下にあるのだとすれば、イザナキはのろのろとしか走れませんが、山にあるのだとすれば、一目散に駆け下りることができます。その方が、逃げろや逃げろのシーンにふさわしいのではないでしょうか。また、後に出てくる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、読んで字のごとく「坂」です。黄泉国が地下にあるのならば、ここは、「坂」ではなくて大きな「洞穴」のようなものが登場するのが自然でしょう。「坂」である以上、イザナキは、山から駆け下りてきたとするほうが妥当なのではないでしょうか。また、大きな千引の石(ちびきのいわ)を「坂」に「引き塞(さ)へ」(引きずって据えた)とは言っていますが、穴を塞いだようなニュアンスはあまり感じられません。さらには、「黄泉比良坂の坂本」という言い方があり、「坂本」とは、ふもとの意です。
ここまでのところ、黄泉国は山にある、という仮説とつじつまあわないところはありません。
では、黄泉国は地下ではなくて山にある、という仮説を別の角度から検証しましょう。
ここで登場する雷神は、いったいどんな姿をしているのでしょうか。一般的に雷神といえば、次のようなイメージが定着しているものと思われます(おそらく俵屋宗達の屏風絵『風神雷神図』の影響でしょうね)。
しかし、こんな神様が八つも体にまとわりついていたら、イザナミの姿がかすんでしまって、怖いもなにもあったものではありませんね。大の男のイザナキが総毛立つほどの恐怖を味わって、百年の恋もいっぺんで吹っ飛んでしまったのですから、イザナミの姿はよほど怖くて薄気味の悪いものだったにちがいありません。図のような神様は力強くはありますが、どこかユーモアが漂っていて、そういうイメージにはふさわしくありません。
とするならば(これは、先ほど引いた「いかづち」の語源から思いついたことですが)、八匹のヘビが、蛆虫だらけのイザナミの死体のそこらじゅうに巻きついているというのがどうやらいちばん怖くて薄気味が悪い、ということになるでしょう。つまり、『古事記』の雷神は蛇である。
これは、黄泉国が山にあることと見事に符合します。だって、蛇というのは、人里離れた山の中にいるというイメージがありますからね。
古代人にとって、蛇は特異な霊力を有する動物として、恐れられながらも、神聖視されていました。というより、古代人にとって、恐れ忌み嫌うことと、神聖視することとは、まったく矛盾しなかったのです。神とは、そういう存在だったのです。
ちなみに、私の生まれ故郷の対馬(大八島のひつとの、あの「津島」)では、少なくとも私が生まれ育った五〇年ほど前まで、蛇は神聖視されていました。噛まれると命を失う危険のある毒性の強いマムシを殺すことはやむを得ないこととされていましたが、大蛇のアオダイショウ(青大将)を殺すことはタブー視されていたのです。というのは、アオダイショウは、家の守り神であると信じられていたからです。
それで、この仮説に一定の妥当性があるとして、太安万侶の目論見との矛盾をどう考えるのかという課題が残ります。
太安万侶の目論見は、『古事記』の世界を、高天の原-葦原の中国(なかつくに)-黄泉国という垂直構造として構築することでした。そのために「ヨミノクニ」という和語に、中国の「黄泉」(こうせん)という外来語を当てたのです。
しかし、その目論見がいつも成功するとは限らないのです。新たな世界観を構築するには、伝統的な死生観に裏付けられた伝承的な神話を統合し再編し別のものに仕立て上げることが必要です。しかし、その作業を完遂するには、論理的に考えれば、自らが依って立つ土着的な価値観や死生観から自分を根こそぎにしてしまうことが必要となります。
しかしそれは、たかだかひとりの人間に出来うるワザではありません(自分がそれを完遂しようとすることを想像してみてください。無理でしょう?)。如何に強固な意志で自分を固めたとしても、そういう意志によって固めた世界は、必ず、一万年以上をかけ、無名の数知れぬひとびとによって培われてきた感覚・価値観・死生観の浸潤を受けることになります。意識は、歴史的無意識の自律性の作用を受ける。そういう当たり前の事態を、私は、黄泉国をめぐる安万侶の目論見と実際に構築された表現世界とのギャップに見る思いがします。そこをきちんと見ることが、『古事記』を読むうえでのはずせないポイントの少なくともひとつになるのではないでしょうか。そこのところで私は、いわゆる左翼的な『古事記』解釈とは袂を分かつことになるのではないかと思われます。
『古事記』の本文に戻りましょう。
よもつしこめが追いかけてくるのを防ごうとして、イザナキは、黒御縵(くろみかづら・黒い蔓性植物の髪飾り)を髪から抜いて投げ捨てると、それがたちまちエビカズラ(山葡萄)になりました。よもつしこめが、それを拾って食べている間に、イザナキは逃げて行きました。食べ終わった後に、なおも追っ手が追いかけてきます。それで、右の御かづらに刺していた湯津々間櫛(ゆつつまくし)を引き抜いて投げ捨てるとタカナミ(筍・たけのこ)になりました。追っ手がそれを引き抜いて食べている間に、イザナキは逃げて行きます。追っ手の援軍として、八柱の雷神と、千五百の黄泉軍(よもついくさ)が加わりました(おそらく、八匹の大蛇と多数の小蛇のことでしょう)。イザナキは、身に着けていた十拳(とつか)の劔(つるぎ)を抜いて、後ろ手に振りながら逃げて来ます(これは、相手を忌み嫌う所作と解されていますが、坂を下ってくる蛇の軍勢を追い払うには、合理的な行動なのではないでしょうか)。
エビカズラ (山葡萄)
古代人が、山葡萄や筍などの植物の有する邪気祓いの力を信じていたことがうかがわれて興味深いですね。現代人でも、心が安らぐからとかなんとか言って、室内や店内に植物を置くところを見ると、古代人の感性と無縁だとは言い切れません。
本文に戻りましょう。
イザナキが、黄泉比良坂(よもつひらさか・「ひら」は崖の意。黄泉国とこの世の境界を示す斜面状の坂)の坂本(「ふもと」の意)に到着して、そこにある桃を三個もぎ取って追っ手に投げつけたところ、軍勢はことごとく退散しました。
そこでイザナキは、桃の果実に言いました。「お前よ、私を助けたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に住んでいるあらゆる世間の人びとが、苦しい目にあって呆然としているときに、彼らを助けてやってくれ」。そうして桃に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を賜りました。
イザナキが桃に賜わたった名のなかの「おほかむづ」を、次田真幸氏の『古事記(上)全訳注』(講談社学芸文庫)は、「大神(おおかむ)つ霊(み)」の意であろうと言っています。植物に神の名を賜ることは、『古事記』のなかではじめてのことです。このことは、古代人が桃には鬼神をも恐れさせる強い呪力・霊力が宿っていると信じていたことを雄弁に物語っています。桃についてのこういう考え方や感じ方は日本独自ものではなく、桃の原産国支那大陸から桃といっしょに伝来したものです。それに加えて、桃の見た目のふくよかさと上品な香りと色の美しさが、そういう考え方を定着させるうえで大きかったような気もします。
イザナキ・イザナミ神話は、いよいよクライマックスを迎えます。
最後にイザナミ自らが追いかけて来ます。イザナキは、千引の岩(ちびきのいわ。千人力でなければ引き動かせないほどの大きな岩の意)を黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据えました。それを間にはさんで、イザナキとイザナミは、向かい合います。そうして、事戸(「ことど」。離婚の言葉の意。「ど」は呪言)を交わします。
イザナミ:愛(うつく)しき我(あ)がなせの命(みこと)、かく為(し)たまわば、汝(いまし)の国の人草、一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(くび)り殺さむ。
イザナキ:愛しき我がなに妹(も)の命、汝(なれ)然(しか)為(せ)ば、吾(あれ)一日に千五百(ちいひ)の産屋(うぶや。出産のために新しく立てる小屋)を立てむ。
夫婦の離別の言葉として、凄まじくも美しいこと、限りがありません。と同時に、これは単なる離別のことばではなくて、神として人間世界の生死の別を立てた言葉でもあります。あるいは、愛別離苦の宿命を引き受ける言葉でもあります。
批評家・故小林秀雄は、スワンソング『本居宣長』の終末部に近いところで、上記のやり取りを引いたあとに次のように言っています。
もう宣長とともにいえるだろう、――「千引岩(チビキイハ)を其(ソ)の黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に引き塞(サ)へて、其の石を中に置きて、各(ア)ひ立(タタ)」す、――生死について語ろうとして、これ以上直な表現を思い附く事は、物語の作者等には出来ない相談であった、と。万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すゑ 禱祈(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、全く同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生まれて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。(中略)死という物の正体を言うなら、これに出会う場所は、その悲しみの中にしかないのだし、悲しみに忠実でありさえすれば、この出会いを妨げるような物は、何もない。
ここがおそらく、最晩年の小林が到達した思想的な場所なのでしょう。私からすれば、これだけのまともなことが言えたのならば、小林の長かった批評家人生もまんざら無駄ではなかったという感想が湧いてきます。これは、最大の褒め言葉なのですが、その意味がお分かりいただけるでしょうか。思想にとってもっとも重要なことは、ごく普通の人々が、自分たちにごく普通(であるかのよう)におとずれる悲しみや苦しみをどうやってしのいで生きているのかということに、やわらかい眼差しをまっとうに振り向けうる言葉を持つことであるからです。最晩年の小林は、そういうことがわりとすんなりとできたのでしょう。
私はまだまだですが、小林のような、さかしらやこざかしいはからいをのびやかに超えたところで、物を考えたり、言葉を紡いだりできる思想の自然体を身につけえた者だけに、『古事記』はその素顔を見せるような気がします。
『古事記』の主人公は、この後、イザナキ・イザナミからアマテラス・スサノオコンビにバトンタッチされることになります。
島根県の東出雲町にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の千引石(ちびきいわ)
前回に提示したふたつの疑問のうち、「我をな視たまいそ」というイザナミの言葉にまつわっての禁室話型に触れずじまいでした。
禁室話型のパターンは次のとおりです。
① 女主人公が、男に対して自分の部屋を覗くことを禁止する。
② 男がその禁を破って部屋を覗く。
③ 正体がばれた女主人公と男とが離別する。
イザナキ・イザナミ神話も、このパターンをほぼそのまま踏襲します。ほかには、昔話の『鶴の恩返し』や木下順二の『夕鶴』がこのパターンの話としては有名でしょう(『鶴の恩返し』は話素が異なります)。また、ギリシャ神話のオルフェウス・エウリュディケの話も、細かい違いを除けば、ほぼそのパターンを踏襲しています。詳しくは知りませんが、中国にも似たような神話があるそうです。
私は、ユングのように、ここで集合的無意識の存在を主張するつもりはありません。が、この事実から最低限、人の心を動かす話のパターンに民族の違いや国境はないとは言えるのではないかと考えます。いいかえれば、話型は通時的に普遍性を有すると同時に共時的にもそれを有する、となりましょう。
では、なにゆえ禁室話型が、地域や民族や時代の違いを超えて、人々の心を深く揺さぶるのでしょうか。
それは、エロスにまつわる失敗や挫折に対する痛切な思いやその記憶が普遍的なものだからではないかと、私は考えます。卑近な例を挙げます。気の置けない友と深酒をして心理的に武装解除をしたとき、私たちは、自分にとってのかけがえのない人をめぐっての思いの丈をお互いに腹を割ってしみじみと伝え合わないでしょうか。そのときに湧き出てくる思いは、たいていの場合、取り戻しようのない過去についての後悔や愚痴や儚い望みだったりしないでしょうか。こういう言い方をされて、そういうことはまったくないとシラを切れる人がいることを、私は想像ができません(あるいはそういう人がいるのかもしれませんが、そういう人は、もっと根本的なところでとても不幸な境遇にあるのではないかと私は考えます)。
そのとき私たちは、心のとても深い処に降りて言葉を繰り出しているはずです。おそらくそこが、禁室話型を受け入れる情緒的な基盤なのでしょう。そこを、鬼の目にも涙の致命的な弱点と言ってもいいでしょう。
生きているうえでの失敗や挫折は、エロス的なものに限らないだろう、という反論がありえますね。しかし、そのほかの失敗にはない特徴が、エロス的な失敗や挫折にはあります。それは、エロス的な失敗や挫折は、かけがえのない人をめぐってのものであるということです。それゆえその記憶は、とりわけ痛切なものとして感じられ、そういうものとして記憶に残りやすい。
では、禁室話型において、なぜ女性が禁止する側で、男性が禁止される側なのでしょうか。直観的にそれを理解するのはそれほどむずかしくないのですが、それをきちんと言葉にするのはけっこうむずかしいような気がします。いまの私に言えるのは、次のようなことです。
当論考の(その2)で、私は男女のエロス関係について次のように申し上げました。
″男女間のエロスにおいて、女はあくまでも誘惑者であることによってその魅力が最大限に発揮されます。男は、その誘惑の力に抗しきれなくなってやむをえずアクションを起こす。つまり、誘惑という前言語的かつ身体的な次元において、女は能動的であり男は受動的である。そうであるがゆえに、言動の次元においては、男が能動的であるのに対して、女は受動的である、という形をとる。″
その場合、アクションを起こす男の方が、おおむねエロス上の失敗を犯しやすい。フラレるのはたいがい男の側ですし、付き合ったりさらには結婚したりしたふたりの仲がうまくいかなくなった場合も、なんとなく男の方が部が悪いですね。エロスの窮状において、女はたいがい「あんたのせいでこうなった」というスタンスをくずしません(場合によっては、女は命懸けでそのスタンスを守ることもあります)。私は、別に個人的な愚痴をこぼしたいわけではありません。そいうことは、男女間のエロスのあり方の本質から不可避的に導き出されるのではないかと言いたいわけです。
とするならば、おのずと女よりも男の方が「オレはなにかイケナイことをしでかしてしまったのだろうか」と自問自答する頻度や深度がはなはだしくなります。それが、「女性が禁止する側で、男性が禁止される側」というエロスの構図を受け入れる心理的な基盤になるのではないかと思うのです。いまの私に言えるのはここまでです。
ちょっと個人的な経験をしゃべりたくなったので許してください。私は、中学三年生のときに、重度の恋愛病を患ってしまいました。相手は、O・Rという子でした。性格はあくまでも明朗ではあるのですが、どこかとてもしっとりとした柔らかい雰囲気があり、色白で色艶のいい黒髪の、相手を温かく包みこむような響きの声がとても素敵な女性だった、という記憶が残っています。また、穏やかに笑ったときの唇の形がとても綺麗でした。どうしてあんなに歯が白いのかとても不思議でもありました。五〇の大台を越えた男がいうようなことなのかどうかはなはだこころもとないのですが、これまでの人生のなかでいちばん好きだった女性なのではないかと思っています。どうもそういう感じなのです。受験を控えた大事な時期なのに、勉強にまったく身が入らない状態が続いて、私は困り果てたものでした。
それは救いようのないほどの片想いでした。やむにやまれず公衆電話から彼女の自宅に電話をかけたこともあります。あまり覚えていないのですが、おそらくそのときはじめて告白したのでしょう。手応えはまったくありませんでした。それから何日か経って、諦めきれずに学校の階段のところであらためて思いを伝えたような気がします。そのときたしかその子はうつむきながら「ごめんなさい」と言ったような気がします。万事休すです。私は思いを残しながらも、その場を離れるよりしかたがありませんでした。その日のことだったと思いますが、その子が教室でほかの数人の女の子に囲まれて泣いているのを目にしました。
どういうやりとりがなされているのかまるで分からなかったのですが、私の言動が原因で泣いているのは明らかでした。しかし、私を責めるような攻撃的な雰囲気は伝わってきません。私は不思議でなりませんでした。告白した相手(つまり私)を振ったのですから、相手を好きではないことは確かです。しかし、好きではないにしろ、相手から熱心に好意を示されたことそれ自体は、自分に女性としての魅力がある証拠なのですから、うれしくないはずがない。「なのに、どうして泣いたりするんだ。オレはなにかとんでもないことを彼女に対してしでかしてしまったにちがいない。何をやってしまったんだろう。」そういう思いで頭がいっぱいになってしまいました。
いまなら、おおむねそのときの事情が分かります。彼女は、電話でやんわりと断ったつもりだったのです。しかし、それをそれとして受けとめられるほどに私の心は成熟していなかったし、なにやら急いてもいた。それでもっとはっきりした言葉がほしくて、直接行動に出た。彼女は、やむをえずはっきりとした言葉を私に伝えるほかなかった。そのとき、伏し目がちになりながらも、私の悲しそうな表情を盗み見したにちがいありません。
そうした一切が、一五歳の彼女のデリケートな心にとって耐え難かったのでしょう。仲間に囲まれて張り詰めていたものがほどけるにつれて、おのずと涙が湧いてきた。そういうことだったのでしょう。やはり私は「これ以上は踏み込まないで」という彼女の禁室のメッセージを無視し、禁を破ってしてしまったのです。
閑話休題。黄泉国神話を進めましょう。
イザナミがなかなか戻ってこないので、イザナキはしびれを切らしてしまいました。それで、左のみずら(髪を左右に分け、耳のあたりでくくって垂らす貴族男子の髪形)に刺した湯津々間櫛(ゆつつまくし・「ゆつ」は神聖なの意。「つま櫛」は爪の形をした櫛の意)の男柱(ほとりは・櫛の両端にある太い歯)を一本折り取りそれに火をともして建物の中に入っていきました。すると、生前のイザナキとは似ても似つかぬ姿が目に飛び込んできたのです。その体中に、蛆(うじ)がたかってごそごそとうごめいています。また、体のあちらこちらに次のような八柱の雷神が宿っているのでした。
・大雷(おほいかづち):頭に宿る
・火雷(ほのいかづち):胸に宿る
・黒雷(くろいかづち):腹に宿る
・析雷(さくいかづち):性器に宿る。物を裂く威力のある雷。
・若雷(わかいかずち):左手に宿る。
・土雷(つちいかづち):右手に宿る。
・鳴雷(なるいかづち):左足に宿る。
・伏雷(ふすいかづち):右足に宿る。
それを見て、イザナキは恐れおののき逃げ帰ろうとします。そのとき、イザナミが(おそらくすごい形相で)「私に恥をかかせたのね」と恨みごとを言って、ヨモツシコメ(ヨモは「ヨミ」の交替形。黄泉の国のみにくい女。死の穢の恐ろしさ・醜さを擬人化したもの)を遣わして逃げるイザナキを追いかけさせます。
ここは、本当におそろしい光景ですね。これまで貞淑な妻だったイザナミが、禁を破ったイザナキが自分の醜い姿を見た瞬間に、鬼女の形相に変わるのです。太安万侶は、女のおそろしさとはどういうものであるのかよく分かっていたのでしょう。
それはそれとして、実はさきほどから、私は頭を抱え込んでしまっています。というのは、雷神がなぜ地下世界にいるのか、どうしても分からないからです(「黄泉の国」は、地下深いところにある死後の世界ということでしたね)。だって、雷は肉眼で観察するかぎり、空で派手に暴れまわってときおり地上にズドンと落ちるものですよね。その神が地下にいるというのは、相当にアクロバティックな小理屈をコネ回さないかぎり、うまくつながらないのではないかと思ったわけです。
苦し紛れに、「雷:いかづち」の語源をインターネットの「語源由来辞典」で調べてみたところ次のように出ていました。
「語源由来辞典」http://gogen-allguide.com/ (これ、便利ですよ)
「いかづち」の「いか」は、「たけだけしい」「荒々しい」「立派」などを意味する形容詞「厳し(いかめし)」の語幹。「づ」は助詞の「つ」。「ち」は「みずち(水霊)」「おろち(大蛇)」の「ち」と同じで、霊的な力を持つものを表す言葉。だから、「厳(いか)つ霊(ち)」が語源である。本来「いかづち」は、鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であったが、自然現象のなかでも特に恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていた「雷」を意味するようになった。
語源的な観点からすれば、「いかづち」は、雷の意味に限定されるものではないことが分かります。だから、地下に「いかづちの神」がいたとしてもそれほど悩む必要がない、となってくれれば、一件落着と相成るのでしょうが、残念ながら、太安万侶は、「いかづち」にちゃんと中国語の「雷」(らい)の字を当てているのです。明らかにここでの「雷神」は、「かみなりのかみさま」なのです。これでふりだしに戻ってしまいます。
こういうときは、背理法の考え方が役に立つのではないかと思います。つまり、矛盾のある結論が導き出された場合、基本的前提が誤っている、とする考え方です。この場合の基本的前提とは、「黄泉国は、『地下深くにある』死後の世界である」です。これが誤っていると考えてみる必要があります。つまり、黄泉の国は地下になどない、としてみるのです。
では、どこにあるのか。前回の(その3)で、無文字社会以来の日本人の伝統的死生観においては山に死者の霊魂が宿るという考え方がむしろ一般的だったという意味のことを申し上げました。それをここで敷衍すれば、「黄泉国は、地下などにはなくて、実は、山にある」となります。これは、太安万侶の目論見とは矛盾する仮説です。そのことについては、のちほど触れることにします。ここでは、その仮説を前提とした場合、『古事記』の読みにおいて不都合が生じないかどうか確かめてみましょう。
黄泉の国が山にあるのだとすれば、雷神もまた山にいることになる。これは実に納得のいくイメージです。雷は空で活躍するから、ふだんは山で待機しているというのはとても素直な連想ですね。さらに、イザナキの遺体が比婆山に葬られたこととも見事に符合します。また、黄泉の国が地下にあるのだとすれば、イザナキはのろのろとしか走れませんが、山にあるのだとすれば、一目散に駆け下りることができます。その方が、逃げろや逃げろのシーンにふさわしいのではないでしょうか。また、後に出てくる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、読んで字のごとく「坂」です。黄泉国が地下にあるのならば、ここは、「坂」ではなくて大きな「洞穴」のようなものが登場するのが自然でしょう。「坂」である以上、イザナキは、山から駆け下りてきたとするほうが妥当なのではないでしょうか。また、大きな千引の石(ちびきのいわ)を「坂」に「引き塞(さ)へ」(引きずって据えた)とは言っていますが、穴を塞いだようなニュアンスはあまり感じられません。さらには、「黄泉比良坂の坂本」という言い方があり、「坂本」とは、ふもとの意です。
ここまでのところ、黄泉国は山にある、という仮説とつじつまあわないところはありません。
では、黄泉国は地下ではなくて山にある、という仮説を別の角度から検証しましょう。
ここで登場する雷神は、いったいどんな姿をしているのでしょうか。一般的に雷神といえば、次のようなイメージが定着しているものと思われます(おそらく俵屋宗達の屏風絵『風神雷神図』の影響でしょうね)。
しかし、こんな神様が八つも体にまとわりついていたら、イザナミの姿がかすんでしまって、怖いもなにもあったものではありませんね。大の男のイザナキが総毛立つほどの恐怖を味わって、百年の恋もいっぺんで吹っ飛んでしまったのですから、イザナミの姿はよほど怖くて薄気味の悪いものだったにちがいありません。図のような神様は力強くはありますが、どこかユーモアが漂っていて、そういうイメージにはふさわしくありません。
とするならば(これは、先ほど引いた「いかづち」の語源から思いついたことですが)、八匹のヘビが、蛆虫だらけのイザナミの死体のそこらじゅうに巻きついているというのがどうやらいちばん怖くて薄気味が悪い、ということになるでしょう。つまり、『古事記』の雷神は蛇である。
これは、黄泉国が山にあることと見事に符合します。だって、蛇というのは、人里離れた山の中にいるというイメージがありますからね。
古代人にとって、蛇は特異な霊力を有する動物として、恐れられながらも、神聖視されていました。というより、古代人にとって、恐れ忌み嫌うことと、神聖視することとは、まったく矛盾しなかったのです。神とは、そういう存在だったのです。
ちなみに、私の生まれ故郷の対馬(大八島のひつとの、あの「津島」)では、少なくとも私が生まれ育った五〇年ほど前まで、蛇は神聖視されていました。噛まれると命を失う危険のある毒性の強いマムシを殺すことはやむを得ないこととされていましたが、大蛇のアオダイショウ(青大将)を殺すことはタブー視されていたのです。というのは、アオダイショウは、家の守り神であると信じられていたからです。
それで、この仮説に一定の妥当性があるとして、太安万侶の目論見との矛盾をどう考えるのかという課題が残ります。
太安万侶の目論見は、『古事記』の世界を、高天の原-葦原の中国(なかつくに)-黄泉国という垂直構造として構築することでした。そのために「ヨミノクニ」という和語に、中国の「黄泉」(こうせん)という外来語を当てたのです。
しかし、その目論見がいつも成功するとは限らないのです。新たな世界観を構築するには、伝統的な死生観に裏付けられた伝承的な神話を統合し再編し別のものに仕立て上げることが必要です。しかし、その作業を完遂するには、論理的に考えれば、自らが依って立つ土着的な価値観や死生観から自分を根こそぎにしてしまうことが必要となります。
しかしそれは、たかだかひとりの人間に出来うるワザではありません(自分がそれを完遂しようとすることを想像してみてください。無理でしょう?)。如何に強固な意志で自分を固めたとしても、そういう意志によって固めた世界は、必ず、一万年以上をかけ、無名の数知れぬひとびとによって培われてきた感覚・価値観・死生観の浸潤を受けることになります。意識は、歴史的無意識の自律性の作用を受ける。そういう当たり前の事態を、私は、黄泉国をめぐる安万侶の目論見と実際に構築された表現世界とのギャップに見る思いがします。そこをきちんと見ることが、『古事記』を読むうえでのはずせないポイントの少なくともひとつになるのではないでしょうか。そこのところで私は、いわゆる左翼的な『古事記』解釈とは袂を分かつことになるのではないかと思われます。
『古事記』の本文に戻りましょう。
よもつしこめが追いかけてくるのを防ごうとして、イザナキは、黒御縵(くろみかづら・黒い蔓性植物の髪飾り)を髪から抜いて投げ捨てると、それがたちまちエビカズラ(山葡萄)になりました。よもつしこめが、それを拾って食べている間に、イザナキは逃げて行きました。食べ終わった後に、なおも追っ手が追いかけてきます。それで、右の御かづらに刺していた湯津々間櫛(ゆつつまくし)を引き抜いて投げ捨てるとタカナミ(筍・たけのこ)になりました。追っ手がそれを引き抜いて食べている間に、イザナキは逃げて行きます。追っ手の援軍として、八柱の雷神と、千五百の黄泉軍(よもついくさ)が加わりました(おそらく、八匹の大蛇と多数の小蛇のことでしょう)。イザナキは、身に着けていた十拳(とつか)の劔(つるぎ)を抜いて、後ろ手に振りながら逃げて来ます(これは、相手を忌み嫌う所作と解されていますが、坂を下ってくる蛇の軍勢を追い払うには、合理的な行動なのではないでしょうか)。
エビカズラ (山葡萄)
古代人が、山葡萄や筍などの植物の有する邪気祓いの力を信じていたことがうかがわれて興味深いですね。現代人でも、心が安らぐからとかなんとか言って、室内や店内に植物を置くところを見ると、古代人の感性と無縁だとは言い切れません。
本文に戻りましょう。
イザナキが、黄泉比良坂(よもつひらさか・「ひら」は崖の意。黄泉国とこの世の境界を示す斜面状の坂)の坂本(「ふもと」の意)に到着して、そこにある桃を三個もぎ取って追っ手に投げつけたところ、軍勢はことごとく退散しました。
そこでイザナキは、桃の果実に言いました。「お前よ、私を助けたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に住んでいるあらゆる世間の人びとが、苦しい目にあって呆然としているときに、彼らを助けてやってくれ」。そうして桃に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を賜りました。
イザナキが桃に賜わたった名のなかの「おほかむづ」を、次田真幸氏の『古事記(上)全訳注』(講談社学芸文庫)は、「大神(おおかむ)つ霊(み)」の意であろうと言っています。植物に神の名を賜ることは、『古事記』のなかではじめてのことです。このことは、古代人が桃には鬼神をも恐れさせる強い呪力・霊力が宿っていると信じていたことを雄弁に物語っています。桃についてのこういう考え方や感じ方は日本独自ものではなく、桃の原産国支那大陸から桃といっしょに伝来したものです。それに加えて、桃の見た目のふくよかさと上品な香りと色の美しさが、そういう考え方を定着させるうえで大きかったような気もします。
イザナキ・イザナミ神話は、いよいよクライマックスを迎えます。
最後にイザナミ自らが追いかけて来ます。イザナキは、千引の岩(ちびきのいわ。千人力でなければ引き動かせないほどの大きな岩の意)を黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据えました。それを間にはさんで、イザナキとイザナミは、向かい合います。そうして、事戸(「ことど」。離婚の言葉の意。「ど」は呪言)を交わします。
イザナミ:愛(うつく)しき我(あ)がなせの命(みこと)、かく為(し)たまわば、汝(いまし)の国の人草、一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(くび)り殺さむ。
イザナキ:愛しき我がなに妹(も)の命、汝(なれ)然(しか)為(せ)ば、吾(あれ)一日に千五百(ちいひ)の産屋(うぶや。出産のために新しく立てる小屋)を立てむ。
夫婦の離別の言葉として、凄まじくも美しいこと、限りがありません。と同時に、これは単なる離別のことばではなくて、神として人間世界の生死の別を立てた言葉でもあります。あるいは、愛別離苦の宿命を引き受ける言葉でもあります。
批評家・故小林秀雄は、スワンソング『本居宣長』の終末部に近いところで、上記のやり取りを引いたあとに次のように言っています。
もう宣長とともにいえるだろう、――「千引岩(チビキイハ)を其(ソ)の黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に引き塞(サ)へて、其の石を中に置きて、各(ア)ひ立(タタ)」す、――生死について語ろうとして、これ以上直な表現を思い附く事は、物語の作者等には出来ない相談であった、と。万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すゑ 禱祈(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、全く同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生まれて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。(中略)死という物の正体を言うなら、これに出会う場所は、その悲しみの中にしかないのだし、悲しみに忠実でありさえすれば、この出会いを妨げるような物は、何もない。
ここがおそらく、最晩年の小林が到達した思想的な場所なのでしょう。私からすれば、これだけのまともなことが言えたのならば、小林の長かった批評家人生もまんざら無駄ではなかったという感想が湧いてきます。これは、最大の褒め言葉なのですが、その意味がお分かりいただけるでしょうか。思想にとってもっとも重要なことは、ごく普通の人々が、自分たちにごく普通(であるかのよう)におとずれる悲しみや苦しみをどうやってしのいで生きているのかということに、やわらかい眼差しをまっとうに振り向けうる言葉を持つことであるからです。最晩年の小林は、そういうことがわりとすんなりとできたのでしょう。
私はまだまだですが、小林のような、さかしらやこざかしいはからいをのびやかに超えたところで、物を考えたり、言葉を紡いだりできる思想の自然体を身につけえた者だけに、『古事記』はその素顔を見せるような気がします。
『古事記』の主人公は、この後、イザナキ・イザナミからアマテラス・スサノオコンビにバトンタッチされることになります。
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