美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

美津島明  はなわちえ和楽器ユニット結の年越しライヴ (イザ!ブログ 2013・1・3 掲載)

2013年12月06日 11時19分47秒 | 音楽
昨年末の12月31日に私は、はなわちえ和楽器ユニット結(ゆい)の年越しライヴに参加してきました。場所は、伊勢佐木町「CROSS STREET」。昨年の11月3日(土)に結が演奏した場に舞い戻ってきたことになります。 http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/ff41a079b853209626b0168a45a256fd

結は三年連続で「CROSS STREET年越しライヴ」の大トリを務めています。それは、とてもスゴイことだと思います。というのは、この場所で年間にざっと1000組弱のミュージシャンが演奏していて、その中からただひと組だけこの日のこのイベントの主役が選ばれるのですから。「CROSS STREET」の運営主体は「協同組合伊勢佐木町商店街」です。だから、選考基準はおそらくごく公平なものなのではないかと思われます。変な選び方をすれば、組合員から文句がでますからね。年越しの時間帯に演奏するミュージシャンを「大トリ」と称するのが、それほど大げさな物言いではないことがお分かりいただけるのではないでしょうか。

「トリ」に当たるもう一人のミュージシャンをご紹介しておきます。キーボードを演奏しながら歌を歌うシンガーソングライターの「きしのりこ」さんです。彼女は、午後10時15分から11時までの45分間を受け持ちました。

私は今回一番乗りだったので、いわゆる「かぶりつき」の座席に着くことができました。だから、数メートルの至近距離からミュージシャンを観ることができました(五〇人収容が限度のごく小さなライブハウスなのです)。

そういういわば「特権的」な場にいた者として断言できるのは、きしのりこさんがいわば妖精のようにキュートだったということです。下に当日の彼女の様子を収録したものを掲げておきます。間近で見た彼女のキラキラ感がうまく捉えきれていない、という不満はあります。でも、まあこんな感じだったと受けとめてください。曲名は、「わたしのわたし7(セヴン)」です。


CROSS STREET年越ライブ きしのりこ


彼女の上質な美しさを間近で愛でていて、あらためて思いました。日本女性の美しさはもはや世界標準なのではないか、と。フィギアスケートの荒川静香さんが、2006年トリノオリンピックで女子シングル金メダルを獲得した演技を観ていたときのことでした。名曲『トゥーランドット』が印象的だったあの演技です。私は、荒川選手の、他の欧米の選手たちを圧倒する優美さに心の底から感動しました。図らずも涙さえ流しました。あの出来事がきっかけで、日本女性の美しさが世界標準になったのではないか、というのが私なりの見立てです。それに、キムヨナなどの韓国女性を加えてもいいかもしれません。それと浅田真央さん。彼女たちが今の女性美のグルーバル最前線なのではないでしょうか。骨太デカ尻(下品な物言いですみません)の欧米女性たちが遠く及ばぬ繊細な美を、彼女たちが体現しているように私は感じるのです。日本女性の肌のきめの細やかさはつとに周知されてもいました。そのことと「カワイイ」という美的感覚が世界的に認知されつつあることとは、あるいは関係があるのかもしれません。

きしのりこさんは、他に「毎日を」「十文字のラヴレター」「ねこ」「幕張の歌」「鼓動」「いま好きな人がいます」「願い」を歌いました。日常のちょっとした出来事への女性らしい繊細なまなざしが、自然体のコケティのそなわったささやくような歌声によってごく自然に表現されていました。それが耳に素直に心地よく入ってくるのです。月並みですが、美人って得ですね。「十文字のラヴレター」の歌詞によれば、こんな天使のような女性を泣かせたり困らせたりしている男がどうやらいるようです。なんて罪作りな奴なのでしょう。天罰が当たります。

しかし、人間、恋愛の不安定な心理状態のある局面で悪魔にだってなることがあります。天使のようなきしのりこさんだって例外ではないはず。そういう側面をどうやって歌の世界に織り込んでいくのかが、表現者としての彼女の今後の課題になるのでしょう。

30分間の休憩時間を挟んで、午後11時30分にいよいよ結の登場です。曲目は以下のとおりです。

1. 姫薇~kira~
2.龍(りゅう)
3. We are the world.
4.紅(くれない)
5.月白の空
6.ひまわりの夢
7.春の海
8.おろち
9.跳ね兎
10.アンコール曲 姫薇~kira~

「かぶりつき」のポジションに居て、あらためて感じました。彼女たちはじつにエネルギッシュで相当に激しい動きをしている、と。まるで彼女たちの息使いが間近に迫ってくるようでした。

演奏は実にシャープで力強いものでした。緻密な掛け合いは相変わらずなのですが、今回はシャープさと力強さとが前面に押し出されていました。アンコール曲として演奏されたその日二度目の「姫薇」でとくにそう感じました。これまでもそうだったのに私が気づかなかったのか、それとも、今回特にそうだったのか、微妙なところがあるような気もしますが、ここは勘で申し上げましょう。このことは、結の進化の現れである、と。このグループはどうやらもっと大きな存在に変身しつつあるようなのです。それが、具体的にはどういう形になるのか、今のところよくは分かりませんが、いずれある形を成すことになるのでしょう。

「ひまわりの夢」のところでちょうど年の変わり目を迎えることになりました。心地よいリズミカルなメロディが繰り返されるなかで、ちえさんと会場の皆さんの「10、9、8、7・・・」のカウント・ダウンの掛け声が「0」に達したとき、会場の皆さんのクラッカーの紐が一斉に引かれ、たくさんの銀のテープが虚空にきらめきました(ちえさんのブログによれば、自分たちにたくさんのクラッカーが向けられていたので「撃たれた」感じがあったとのこと)。こういう形で年越しをしたのは、私にとってはじめてのことでした。ちえさんや彼女のファンのみなさんと新しい年を迎えることができたことが正直なところ、とても嬉しかったのでした。心満たされるものを私は感じることができたのです。生来ヘソが曲がり気味の自分のそういう心の動きを私は意外なものとして感じ取りました。これは、癖になりそうです。

運良くそのときの模様が、CROSS STREET運営部によってyou tubeにアップされていますので、それを掲げておきますね。個人的には、これを観るとあらためてそのときの幸福感がよみがえってきます。


CROSS STREET年越ライブ 結


実は今回、年配の友人Iさんに当ライヴに付き合っていただきました。彼は年に似合わぬ実にみずみずしい感受性の持ち主です。彼と池袋の新文芸座で成瀬巳喜男監督の『山の音』を観たときのこと。Iさんは、義理の父親役の山村聰と原節子が冬の公園を歩くラスト・シーンに入り込み過ぎてしまって身体に変調をきたし具合が悪くなってしまったのです。その限度を超えた美しさに感応して、彼の身体が持ちこたえ切れなくなったのでしょう。それは私の解釈ですが、Iさんもそれを否定はしません。Iさんは美への感度が人並み外れて高いようなのです。本人はあまり自覚していないみたいですが。

そんなIさんが、ライヴを観終えた後こう言ったのです。「あのライヴを最前席で観ているとき、一瞬、私は本当にここにいるのか、本当に結のライヴを観ているのか、よく分からない気分になったんです」と。秘密をそっと告げるようにためらいながら、彼はそう言ったのです。結の美しい勇姿と高度な演奏に彼の美的センサーの針が振り切れて、いわゆる入眠幻覚状態に入りかけたのではないでしょうか。実に興味深い人物です。

ライヴが終わったのは、夜中の12時半過ぎ。二人ともに帰りの電車はすでにありませんでした。まあいいや、というわけで、元町中華街まで徒歩で小一時間かけて行き、戸外の爆竹音を聞くともなく聞きながら、美味しい中華料理に舌鼓を打ったのでした。

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