美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

中共は、歴史問題についてなぜ堂々とウソをつくのか(その2)南京事件 (美津島明)

2015年10月14日 16時52分56秒 | 政治
中共は、歴史問題についてなぜ堂々とウソをつくのか(その2)南京事件 (美津島明)



当シリーズ「その1」では、中共による歴史問題に関するねつ造ついて、石平氏の『中国「歴史認識」の正体』をタネ本にして、いくつか実例を挙げました。そうして今回は、タイトルにあるとおり、「中共は、歴史問題についてなぜ堂々とウソをつくのか」について述べようと思っていました。

ところがそこへ、中共が申請していた「南京大虐殺」の世界記憶遺産文書が、ユネスコによって登録された、という記事が飛び込んできました。むろんこれは、到底容認しがたい措置です。私のよちよち歩きをよそに、中共は、日本に対して歴史戦を積極的に大胆に挑んできているのです。現実の目まぐるしい変化は、個人的な思惑を待ってはくれません。

そこで予定を変更して、今回はいわゆる「南京大虐殺」問題について、触れてみようと思います。前回、確かに「まだまだ、自分なりの『南京事件』観を確立したとは言い難い段階であり、それは私なりのささやかなライフワークのひとつであったりもする」と小声で申し上げました。だから、当事件について発言することには、少なからずためらいがあるのですが、どうしても指摘しておきたいことが生じてきたので、思い切って、予定を変更することにしました。

まずは、読売新聞の社説をごらんください。

世界記憶遺産 容認できない南京事件の登録
(2015年10月11日 03時05分)

 歴史問題を巡る中国の一方的な主張に、国際機関が「お墨付き」を与えたと誤解されないか。憂慮すべき事態である。

 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺の文書」が登録された。

 ユネスコの国際諮問委員会の選考作業を踏まえ、イリナ・ボコバ事務局長が最終決定した。中国が同時に申請した「慰安婦に関する資料」は登録されなかった。

 世界記憶遺産は本来、歴史的に重要な文書などの保存や活用を目的にしたものだ。

 文化財保護の制度を「反日宣伝」に政治利用し、独善的な歴史認識を国際社会に定着させようとする中国の姿勢は容認できない。

 「南京大虐殺の文書」には、南京軍事法廷が戦後、日本人の戦犯を裁いた判決書などが含まれる。判決書は、南京事件の犠牲者を「30万人以上」としている。

 だが、日本では、当時の人口動態などから、実態とかけ離れているとの見方が支配的だ。日中歴史共同研究でも、日本は「20万人を上限に、4万人、2万人など様々な推計がある」と指摘した。

 登録について、外務省が文書の「完全性や真正性」に疑問を呈し、「中立・公平であるべき国際機関として問題」とユネスコを批判したのは、当然である。

 (中略)

 ユネスコの諮問委員会は14人の専門家で構成されている。図書館学の研究者や公文書館関係者が中心で、選考過程は公開されていない。余りにも不透明だ。

 日本はユネスコ予算の約1割にあたる年間37億円の分担金を支払い、その活動を実質的に支えている。記憶遺産の登録制度の改善を働きかけることが欠かせない。

(後略)


私たち心ある日本人が、この件に処するうえで必要なのは、あくまでも冷静な態度を失わずに、必要なことを着々と進めてゆくクールさである、と私は考えています(実はかなり頭にきているので、半ば以上、自分に言い聞かせているのです)。昨日(10月12日)の日本ラグビーチーム・ワールドカップ最終戦の対米戦を終えてのインタヴューで、五郎丸が堪え切れずに男泣きをした場面がありました。私たち日本人は、ここでもらい泣きをして満足するのですが、イギリスのインタヴュアーは、なおも「いまの感情を言葉にしてください」と催促しました。自分の感情の起伏はとりあえず措いておき、自分に対して感情移入をしてくれない相手でも分かるように理性的なコメントを発信することが肝要なのだと再認識した次第です。

で、私が問題にしたいのは、社説が、もっぱら虐殺された人数を問題にしている点です。外務省や菅官房長官のコメントも同じようなスタンスですね。彼らが言っているのは要するに「当時の日本軍が、南京で虐殺事件を起こしたのは確かだ。しかしその人数に関して、中国共産党政府の発表には誇張がある。いくらなんでも30万人は言い過ぎだ。実際は、それよりもかなり少ない。だから断固抗議する」ということです。

どうでしょうか。これを聞いて耳を傾けてくれる部外者がどれほどいるでしょうか。ざっくりと言ってしまえば、ほとんどいないと思います。あまりインパクトのある魅力的な抗議の仕方であるとは思えないからです。残念なことに、いじめられっ子が、泣きべそをかきながら被害を訴えているような印象を受けます。さらに分が悪いことには、この言い方に対して、

「人数が少なければ、許されるとでも思っているのか。お前たち日本人は、つねづね『人の命は地球よりも重い』と言ってきたではないか。とすれば、30万人であろうが300人であろうが虐殺したことに変わりはない、と言うのが筋ではないか」

という倫理的問い詰めがなされた場合、答えに窮してしまうという致命的な弱点を有しています。だから、部外者がほとんど耳を傾けてくれない、とも言えましょう。抗議としてどうも筋が悪いのです。

では、どうしたらいいのか。

ここで、次の動画を観ていただきたいと思います。

【魔都見聞録】南京大虐殺検証の絶好のチャンス![桜H27/10/21]


コメンテーター・大高未貴さんの、「南京大虐殺は、国民党の情報戦宣伝部による情報工作だった」という発言に注目したいと思います。彼女は、「南京事件は、虐殺した人数が何人なのかが問題なのではなくて、中国お得意の歴史のねつ造であることが最大の問題なのだ」と言っているのですね。

この発言の元ネタをインターネットで探していたら、北村稔氏の『「南京事件」の探求』(文藝春秋2001)に行きつきました。残念ながら、現在のところ未読なので、Wikipediaから、そのあらましについての記述を引きましょう。

『「南京事件」の探究』

本書では、南京裁判および東京裁判において南京事件を確定した「戦犯裁判」の判決書を歴史学の手法で検証するという立場で分析、従前から知られていた2万弱の中国軍捕虜の殺害を新たに発掘してきた資料で確認する一方で、判決書にみえる、南京攻略戦から占領初期にかけて一般市民に対する数十万単位の「大虐殺」が行われたという「認識」については、中国や連合国による各種の戦時宣伝の分析を通じ、1937年以降、徐々に形成されていったものとした。

南京および中国各地において日本軍が暴虐を行っていると告発した在中国ジャーナリストハロルド・J・ティンパーリは、日中戦争開始直後から中国国民党中央宣伝部の対外宣伝に従事、資金提供を受けて編著『戦争とは何か』(What War Means)を出版したと主張している。また、「南京で大虐殺があった」という認識がどのような経緯で出現したかという、歴史研究の基本に立ち戻った立場から、研究をはじめている。

北村は、中国社会科学院近代史研究所翻訳室編『近代来華外国人名辞典』(1981年)に、ティンパーリが「1937年盧溝橋事件後、中国国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と記述されていることや、王凌霄による研究『中国国民党新聞政策之研究』(1996 年)および国際宣伝処処長曽虚白の回想記に「ティンパーリーとスマイスに宣伝刊行物の二冊の本を書いてもらった」と記されていることから、国際宣伝処が関与していた可能性を示唆している。

『「南京事件」の探究』 をはじめとする研究を経た、2007年4月2日の外国特派員協会での講演では「一般市民を対象とした虐殺はなかったとの結論に達する」と発表している。


(本書については、「毎日のできごとの反省」というタイトルのブログ主人が、秀逸な書評を書いていらっしゃいます。http://blog.goo.ne.jp/goozmakoto/e/c1ee404bfa548421da76c5e36d032825 

*上記のURLをクリックしても、なぜか当該ブログにたどりつけません。その論考のなかで、特に重要と思われる指摘を以下に引いておきます。

中国政府は、南京大虐殺を政治的に利用するために活動しているのであって、自国民が大量虐殺の犠牲にされたという、人道的観点から様々な研究資料を作成しているのではない。彼らの主張する南京大虐殺より、はるかに大量の殺人と身の毛もよだつ残虐行為を自国民にしているのは、彼ら指導者自身である。それを隠蔽して日本の戦争を批判しているのである。その嘘に引っかかった欧米人、自国によるホロコーストから眼を日本にそらしたい米国人やドイツ人が利用していて、いかに理性的に論じても欧米人にも通じがたい状況にある。

最悪なのは、その洗脳に引っかかった日本人が大量発生し、嘘までついて日本の戦争犯罪を告発することが正義だと確信していることである。日本は四面楚歌にある。このような状況で、一面では著者のような冷徹な議論が必要である。しかし、そればかりではなく、何としても日本の名誉を守るという信念から、国際法などは有利に解釈できるものは、利用する、などの手法も絶対に必要である。

著者は便衣兵の処刑に際して、後日非難されようが形式的にでも簡易な裁判をしておくべきだったと書いた。しかし、日本人の裏切り者は、そのようなものは裁判ではない、と否定するに違いない。本質的には彼らの狂った頭を正常にするしかないのである。日本は大陸での戦争を望んだのではなかった。それにも拘わらず、多くの兵士が非道なやり方で支那人に殺された。その無念を思うことも必要だと思うのである。頑健だった小生の叔父も満洲に派兵されて1カ月も経たずにコレラで戦病死した。だから大陸では七三一部隊のような防疫部隊が必要だったのに、今では人体実験をするための部隊だと宣伝されている。

そして空襲で計画的に何十万の民間人の大量殺戮をした米国が何も非難されず、南京大虐殺などという法螺話が世界に通用するのは、日本が軍事的に徹底的に負けたからに過ぎないことを脳裏に刻んでおく必要があると思うのである。また、筆者の冷徹な観察は、一方で大切であるが、維新以来戦前の日本人が、いかに支那人に悩まされていたかという事実をも没却したものである。支那大陸という場所は、平均的国民に平等な幸せをもたらす日本と異なり、常に一握りの支配者に恐ろしいまでの富裕をもたらす場所であることも忘れてはならない。


北村稔氏自身の、南京事件についての発言からも引きましょう。
http://www.history.gr.jp/nanking/books_sapio02227.html (「『南京大虐殺』という名の虚構は国民党による『対外情報戦』の産物だ」・「SAPIO」平成14(2002)年2月27日号より)

私には、「虐殺派」の人々は始めから「南京事件」の存在を疑うべきでないものとして捉え、虐殺を否定する「まぼろし派」の人々は逆に否定すべきものとして捉えているように思われる。

これは既に「神学論争」に近く、歴史事実を探求する歴史学の論争から外れているのではないだろうか。

そこで私は歴史研究の基本に立ち返り、「南京事件」を確定するに至った各種資料を検証することにした。


北村氏の、南京事件に関する問題意識がどういうものであるのかが、よく分かる一節です。氏は、「歴史事実を探求する歴史学」の基本に立ち返って、「南京事件」という歴史的テーマの基礎固めをしようとしたのです。

「南京事件」を確定したのは南京と東京の戦犯裁判の判決書である。それゆえ、判決書が証拠として採用した欧米人や中国人の書証や証言を検証し、判決書が「南京事件」として断罪した論理に整合性があるかを検討することで「大虐殺があった」とする認識がどのような経緯から出現したかを確認することにした。

歴史的主題を扱ううえでの、まっとうな方法論であると評するよりほかはありません。

氏によれば、そういう基礎的手続きを踏む過程で浮かび上がってきたのが、以下の事実です。

ひとつめ。南京と東京の軍事法廷において「南京事件」を「大虐殺」として断罪するうえで大きな役割を果たしたのが、日本軍の残虐行為を記録した「WHAT WAR MEANS」(1938)という書物である。

ふたつめ。「WHAT WAR MEANS」を書いたのは、日本軍の南京占領当時に中国に駐在していた「マンチェスター・ガーディアン」紙の特派員、H・J・ティンパーリーである。彼は、ティンパーリーは国民党の宣伝活動に従事する「広報活動員」だった。

みっつめ。結論。東京裁判において虐殺が行われた証拠とされた「WHAT WAR MEANS」は(そうして大量の死体が存在した証拠とされた「スマイス報告」も)、国民党の外交戦略に基づいて故意に歪められた情報であり、裁判において「大虐殺」行為を立証するに足るものではない。

これらを踏まえたうえで、端的に言うならば、大高美貴さんの「南京大虐殺は、国民党の情報戦宣伝部による情報工作だった」という発言になります。

むろん、学問上の見解は、どれほど説得力のあるものであっても、仮説という性格を脱することはかないません。しかし、だからといって、政府として何も言えない、さらには、言わないというのは、妥当ではありません。なぜなら相手は、歴史戦・情報戦を仕掛けてきているからです。虚言を吐くことでも歴史のねつ造でも、相手に打撃を与えることができそうなことはなんでもしてきているのです。南京「大虐殺」の登録申請はその一環なのです。つまり、ケンカなのです。むろん、売られたケンカは買わねばなりません。そうして、買ったかぎりは勝たねばなりません。勝つには、一定の良心的な手続きを踏んだうえでの有効な見解を使わない手はないのです。

日本政府は、人数のことばかりぐちゃぐちゃ言ってないで、 「南京事件」を「南京大虐殺」と呼ぶことには根拠がない、とはっきり主張すべき です。そうして、同事件には、国家が計画的に関与する、ナチスのホロコーストのような「大虐殺」などなくて、戦闘員のやむをえざる処刑と、心得違いの日本兵による個別的偶発的な略奪・強姦・殺人だけがあった、と主張しなければなりません。それくらいに端的なことを言わなければ、部外者の耳には入りません。つまり、国際世論を動かす力を持つことにはなりません。そう私は考えます。政府には、腹を据えて臨んでいただきたい。 (この稿、つづく)

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2 コメント

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Unknown (芹澤 富雄)
2015-10-15 20:26:24
引用される価値があるか確信はありませんが、引用していただいてけっこうです。南京攻略(あえて南京事件とはいいません)はについての国際的非難は、いくらおもてなしだの日本人の長所を言おうと、帳消しにされる危険性大です。ご活躍お祈りします。
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ありがとうございます (美津島明)
2015-10-15 23:29:50
引用の快諾、感謝いたします。

それぞれの、個性に合ったスタンスでの闘いを、継続したいものです。戦争に負けることが、どれほどの後遺症を残すものなのか、「戦争を知らない」世代として、いま痛感しています。よそ者から「カラスは白い」と言われて、「いや黒いのではないか」と言いかけると、身内から「何をバカなことをいうのだ。カラスは白いに決まっているではないか」と真顔で言われてしまうのが、戦後の日本の言論情況なのでしょう。

私はそれに絶対屈しない所存です。おそらく、芹澤さんもそうなのではないかと推察いたします。

最後に、ひとつ短歌を掲げます。

いざ児等よ 戦ふ勿れ 戦はば 勝つべきものぞ ゆめな忘れそ

東京裁判で終身刑に処され、獄中死した、開戦時と敗戦時の外務大臣・東郷茂徳が、獄中で読んだ歌です。
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