美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

小浜逸郎  朝日新聞「痴呆」社説について  (イザ!ブログ 2013・9・2 掲載)

2013年12月21日 09時31分38秒 | 小浜逸郎
朝日新聞「痴呆」社説について



 このブログの読者の方たちは、朝日新聞というメディアがとんでもないバカ新聞だという判断にはおおむね同意してくださるでしょう。それはもうわかりきったことで、今さらあえて指摘するまでもないことだ、こんな救いようのないアホなメディアをまともに相手にする必要などない、と。

私自身もそういう感じ方を共有します。しかし、この新聞が公称800万の購読者を持ち、そのバカぶりを毎日毎日国民に刷り込み続けているのだという事実を看過しておいてよいのでしょうか。

かつてこの新聞は、戦前、あの大失敗だった対米戦争における国民の好戦気分をもっとも煽り立て、多くの国民を犠牲に追いやったメディアだったという事実を忘れてはなりません。戦後、その事実に対する何の実質的な反省もせず、口を拭ってコロリと時代の風潮に便乗し、今度は、平然と空想的平和主義路線に切り替えました。アメリカや旧ソ連や中国や韓国に対して腫れ物に触るような卑屈な態度をとり続け、友好、友好と抽象的なきれいごとばかり並べ、時の政権や体制をただ無責任に「批判」するというスタンスを続けて今に至っています。こんないい加減なメディアのでかいツラを許しておいていいのでしょうか。

この新聞が犯してきた罪業は計り知れないものがあります。ちょっと思い返しただけでも、北朝鮮支援、文化大革命礼賛、社共・日教組支持、教科書検定書き換え誤報、民主党支持……さすがに国民の大多数から賛同を得られないと気付くと、何の釈明もせずにそおっと論調をずらしていく。しかし何しろ図体がでかいためにいつもその反応は鈍感そのもの、普通の庶民がとっくに感知していることをヨタヨタ後追いしているだけなのです。

私は地域の居酒屋やスナックでいろいろな「普通の庶民」と話す機会がありますが、これらの人たちから、朝日新聞的な主張に賛成する人についぞ出会ったためしがありません。世論をリードすることがメディアの使命? 笑わせてはいけません。

現在もこのメディアのバカぶりがひときわ目立ちます。反安倍政権、護憲、反原発、反公共事業、反靖国、安っぽいヒューマニズム、親中、親韓、財政再建、TPP賛成、消費税増税賛成――ここらあたりがこの新聞のアイデンティティのようですが、なんとなくこのあたりを押さえておけば、いまの国民の平均的な感情に受けるだろうというその高のくくり方にみられる傲慢さがすさまじい。一つ一つの妥当性について何も本気で考えていないし、統合もされていません。

私はここのところ、朝日新聞をどう潰すかということを考えているのですが、いかんせん、一人でそんなことを妄想していても、どうにもなりません。しかしこの課題が「戦後レジームからの脱却」というテーマにとってかなり重要な意味を持つことは確かではないでしょうか。まあ、それぞれができることをやっていくほかはないでしょう。

 私は、朝日新聞デジタル版の無料会員なので(誰が金を払うか!)、毎日、社説にだけはざっと目を通すようにしています。とにかくヒドイ。

 社説なんてほとんど誰も読まないよ、とおっしゃる方がいるかもしれません。たしかにその通りでしょう。しかし、ある新聞が持っている基本的な思想性、イデオロギー性をきちんと検証し、それがどんな性格のものであるかをつかむには、社説が一番手っ取り早いのです。事実報道に関しては、各紙共通の客観性がそれなりに確保されているところがあるので、何を読んでもその違いに気づきにくい(本当はそうでもないのですけれどね。直近では、田村秀男氏が指摘している、消費税増税にかかわる日経の世論調査の歪曲記事があります)

*編集者より:上記のカッコ内の指摘には、田村氏の当該URLのみが記載されているのですが、当イザ!ブログが来年の三月末で完全に削除されるので、それ以降は、当URLをクリックしてもリンク先に接続されないことになってしまうので、文章の流れは悪くなりますが、該当する投稿を完全アップしておきます。

***

政府は「予定通りの消費増税」の是非を問う有識者からの意見聞き取りを行ったが、8割方の有識者が「予定通りの増税」を主張したとか。それが世論と大きくかけ離れている現実を、政府要人は認識しているだろうか。有識者なる方々の大半は、消費増税と引き換えに自身の利益を追求することに関心を寄せる言わば利害関係者である。御用学者にいたっては、財務官僚に追従する自説の開陳だ。多くは日本の国力を衰退させ、若者から将来を奪ってきたデフレからどうすれば脱出できるか、という国家のビジョンが欠如しているのだ。このような体制を翼賛会と言うのだ。

【お金は知っている】消費増税へ強引な世論誘導極まる日経 「8割が否定的」を「容認7割超」に

安倍晋三政権は消費増税を予定通り実施すべきかどうか慎重だが、それに焦っているのが財務官僚とその意に従う日本経済新聞、朝日新聞などメディア多数派である。これらメディア増税翼賛会が引き受けているのが、「世論調査」という名の「世論操作」である。

8月26日付、日経朝刊1面を見ればよい。「本社世論調査」とのカットの脇に、「消費増税7割超が容認」とある。それは朝日新聞を除く他のメディアの世論調査と全く逆の結果で、「何かヘンだな」と思って、本文を読んでみたところ、増税に世論を導くための典型的なイメージ操作そのものである。

同本文によると、野田佳彦民主党政権当時に成立させた消費増税法案通り、消費税率を来年4月に8%、2015年10月に10%へ引き上げることについて3つの選択肢で設問。回答比率は、(1)「予定通り引き上げるべきだ」17%(2)「引き上げるべきだが、時期や引き上げ幅は柔軟に考えるべきだ」55%(3)「引き上げるべきでない」24%だった、とある。

予定通りの増税に慎重な回答が過半数を占める。その線で調査結果を要約すれば、「引き上げるべきではない」を加えて「8割近くが予定通りの増税に否定的」とするのが自然である。ところが、日経の編集デスクは「税率引き上げを容認する声が7割を超えた」と逆に読み替えた。

対照的に、共同通信社が24、25両日に実施した全国電話世論調査結果では、消費税率引き上げを予定通り実施すべきだとの回答は22・5%、現行税率5%の維持が29・1%、次いで「引き上げ時期の先送り」22・7%、「引き上げ幅の縮小」22・0%となった。共同通信の見出しは、“消費増税「予定通り」22%”で、意図的な解釈を避けている。客観的なデータを尊重して、読者の判断を仰ぐ社会の公器として当然の報じ方である。

読売新聞社は、8~10日に実施した全国世論調査について、以下のように報じた。消費税率の引き上げは「必要だが、時期や引き上げ幅は柔軟に考えるべきだ」と答えた人が56%に上り、慎重な意見が多かった。「予定通り引き上げるべきだ」は17%にとどまり、「今の5%から引き上げるべきでない」は25%だった。そして見出しは“消費増税「時期柔軟に」56%”である。日経以外の他紙の多数派も消費増税を支持してきたが、世論調査自体は冷厳な事実として受け入れている。

対照的に、消費増税をめぐる日経の世論調査報道は各メディアに比べて明らかに客観性に欠け、黒を白と言いくるめる強引さが目立つ。日経が消費増税を強く支持すること自体は、それなりに社内の真剣な議論を通じて得た判断によるだろうし、自由な言論として認める。

だが、日経新聞に長く籍を置いた筆者として、データをねじ曲げてまで世論誘導を図る報道姿勢を看過するわけにはいかない。(産経新聞特別記者・田村秀男)


***

でも社説には、その新聞社のいまの基本方針、つまり上層部を占めている論説委員たちがどんな見識を持って世論をどういう方向に誘導しようとしているかという構図がもろに見えます。

ところで、朝日新聞(の論説委員)がどんな見識を持っているかについてですが、私見によれば、これは、そもそも「見識」などという代物ではありません。サヨクならサヨクに徹するで、それは一つの見識ですから、大いに結構、反日だろうと共産主義だろうと「相手にとって不足なし」です。ところが朝日の社説は、小学生の作文レベルで、こちらが添削して差し上げたいくらいです。いや、添削するにも手がつけられないか。

最近目にしたものでは、原発問題(これはいくつもありました)、実教出版の教科書問題などでそれを感じましたが、読んでいてイライラしながらも、いちいち取り上げるだけの暇がありません。ここでは、近いところで8月31日付、「予算編成 しまりのなさに驚く」というヤツを全文転載して、そのめちゃくちゃさぶりをわかっていただくことにしましょう。間に私が口を挟みます。

予算編成 しまりのなさに驚く

来年度の予算編成で、各省庁が財務省に概算要求を出した。
一般会計の総額は過去最大の99・2兆円で、今年度予算を7兆円近く上回る。省庁ごと、分野ごとでも軒並み増額だ。
査定はこれからだが、財政再建などどこ吹く風と言わんばかりのしまりのなさに、あきれるほかない。


「日本の国家財政は危機状態」という財務省が流し続けたデマを何の疑いもなく信じ込んでいますね。これがいかにデマであるかは、以前から多くの経済論客が指摘していますが、私も自分のブログに書いておきましたので、ここでは繰り返しません。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/53ad286cccfdf5c42140b2da39762e32

日本がデフレから脱却しなければならない時に、政府が積極的な財政出動によって景気を刺激すべきなのは、マクロ経済のイロハです。「しまりのなさにあきれるほかない」とは、その基礎知識のなさにあきれるほかありません。

景気の回復基調を受けて税収は増加が見込まれ、来春には消費増税も想定される。

景気が回復基調を示しつつあるのは、だれのおかげですか? 安倍政権のおかげであることは火を見るより明らかでしょう。つい先ほどまで、反アベノミクスキャンペーンに忙しかった朝日さんは、その事実をもうお忘れですか。この論説委員は、相当認知症が進んでいるらしい。

それにしても、この一文、文意が通りません。こんなわずかな景気の回復基調だけで税収の増加が見込まれるとは、なんと子どもじみた単純な観測でしょう。税収は毎年変わる税制のあり方や、各種企業の業績や、雇用・所得の状態や、消費の伸び方などの複合的な要因によって複雑に変化するということが何もわかっていないようです。それとも「来春には消費増税も想定される」から、税収が増加するというのですか。だったらこの「も」は余計ですね。初めから「来春には消費増税が想定されるので、税収は増加が見込まれる」と書けばよい。

ところでこの認識は、ぜんぜん間違いです。消費増税によって日本経済は明らかに冷え込み、場合によっては経団連などの圧力によって法人税減税も成立してしまうので、さらに税収は減るでしょう。だから、安倍政権が消費増税を決断してしまうことは、自ら墓穴を掘る道につながるのです。

もっともそうなれば反安倍を掲げている朝日新聞としては、政治的には「勝利」ということになるのかもしれませんが、日本がデフレ不況に舞い戻ってしまった時、消費増税を煽った朝日さんは、デフレでさらに苦しみ続けなくてはならない国民に対して責任を取りますか。後始末をどうするのですか。政治家は国民の審判によって裁かれますが、マスコミはいつも言いたい放題ですね。

一方、安倍政権はデフレ脱却へ「機動的な財政運営」を掲げる。先の参院選で業界団体の支援を受けた与党からは「予算を増やせ」の声がかまびすしい。

古い自民党そのままだ。


安倍政権が「機動的な財政出動」(いわゆる第二の矢)を掲げるのは、第一の矢(大胆な金融緩和)が功を奏するための必然的な政策であって、単なる金融緩和だけでは、マネタリーベースが増えるだけ。この金融資本主義主導の時代には、実体経済にお金が回るとはかぎりません。高金利の他商品にお金が逃げる可能性があります。

「古い自民党そのままだ」とは、よくぞ言いました。歳出を増やすべきなのは、景気刺激のための当然の措置です。ただでさえ、震災復興対策やインフラ劣化対策、高齢化対策のために、十分な歳出が必要です。ましてデフレ期であるいまこそ公共投資を惜しんではならないのです。こんな単純なことがわからないのは、公共投資アレルギーにかかりっぱなしの「古い朝日新聞そのままだ」からです。

「入り」が増え、「出」には追い風が吹く。要求しなければ予算はつかないから、とにかく目いっぱい要求する。
そんなゆるみきった構図の象徴が「特別枠」だろう。
省庁の縦割りを超えて予算を重点配分するのが建前だが、防災や経済成長、地域活性化など実態は何でもありだ。



あのねえ、防災や経済成長、地域活性化が必要ないとでもいうのですか。あなた方は日ごろ、こういうことの大切さを訴えているのではなかったっけ。政策に実効性を持たせるために「特別枠」を作ってそれを実行に移そうとすると、今度はその足を引っ張ろうとする。いかにふだんから浮ついたことしか言っていないかといういい証拠ですね。無責任も極まれりです。

国土交通省や農林水産省が特別枠をフルに使い、公共事業費の要求額を今年度予算より2割近く増やすなど、すっかり「別ポケット」になっている。
財政難への危機感がないのだろうか。
「入り」と「出」の現状を、今年度の一般会計で改めて確認したい。
全体で92・6兆円に及ぶ歳出の半分近くは、借金(国債)でまかなっている。消費税収は社会保障にあてることになっているが、社会保障費が29兆円を超えるのに対し、国の消費税収は11兆円に満たない。
税率を今の5%から10%に上げても足りず、しかも社会保障費は高齢化で毎年1兆円程度増えていく。
消費税を除く所得税、法人税などの税収と、公共事業費など社会保障以外の政策経費を比べても、9兆円近い赤字だ。
財政再建への出発点である「基礎的財政収支の黒字化」とは、こうした政策にかかわる不足分をゼロにすることだ。これ以外にも、過去に発行した国債の元利払い費(国債費、今年度は22兆円余)があることも忘れてはなるまい。


要するに言いたいのは、これだけですね。財政難だから、それをひたすら増税で賄え、と。こういうのを、財務省御用達新聞と言います。朝日新聞というのは度し難い「サヨク」新聞だと思っていましたが、いっぽうでは権力に喜んで尻尾を振る悪代官でもあるのですね。

繰り返しますが、日本国家はいま財政危機の状態になどありません。財務省が借金、借金と騒ぎ立てているのは、借りている部分だけを情報として流しているので、政府が持っている資産については意識的に隠しています。また国債はすべて円建てであり、その貸し手はほとんど日本国民です。政府の借金は裏を返せば国民の資産なのです。この資産を生んでいるのは、日本国民の日々の勤勉と技術力と日本国家に対する信認なのです。また借金を減らしたければ、日銀に国債を買い取ってもらえば済む話です。

これらの事実を隠蔽して増税をけしかける財務省(主計局)は国民からの借金と信認とを踏み倒そうとしているのです。論説委員さん、「お上」である財務省情報を鵜呑みにしないで、少しはマクロ経済の実態について勉強してください。有力メディアの重要ポストにいるのに何にも勉強してないな。

財政の立て直しは、一朝一夕には達成できない。
国の成長率を底上げして税収を増やす▼必要な増税策を実行する▼できるだけ少ない予算で効果をあげて歳出を抑えていく――この三つについて、不断の努力が欠かせない。
このままの甘い姿勢では、いまに厳しいしっぺ返しが来る。


「不断の努力」ね。あなたはどんな「不断の努力」をやっているのですか。増税のけしかけぐらいですかね。デフレ期の成長率の底上げには、財政出動が不可欠なのはいま申した通り。おっと、先ほどは経済成長を批判していたんじゃなかったっけ?

「少ない予算で効果を上げ」る方法をどうか一つでいいから教えてください。「厳しいしっぺ返し」などと脅しをかけていますが、具体的に何ですか。日本政府の財政破綻? だからそんなことはあり得ないんだって。だれに向けたのかあいまいなこの脅し文句は、心理効果としては、増税を納得させるために国民を脅していることになりますね。じつにタチが悪い。

何の建設的なアイデアもないくせに、いつまでもこんな寝言をほざいているような「甘い姿勢では、いまに厳しいしっぺ返しが来」ますよ。

まあ、ざっとこんな具合です。今さら言うのも何ですが、腐りきっていますね。絶望だけはしないことにしましょう。

ところで、これほど頭の悪い怠惰な人が、有力メディアの重要ポストについて、毎日そのバカさ加減を垂れ流している。これを放置しておいてよいでしょうか。ふと思うのは、朝日新聞という会社は、「歳出を抑え」ることには無頓着で、社員には高額の給料を払っていることで有名です。これは憶測なので間違っていたら謝りますが、論説委員ともなれば年収三千万は下らないでしょう。

私は嫉妬ややっかみからこんなことを言うのではありません。何億円もらおうと一向に構わないのですが、でもそれだったら、それに値するだけの仕事をしろよ、ということです。松井秀喜さんやイチロー、ダルビッシュらは、ちゃんとそれに値する仕事をしていますね。

みなさん、何とか朝日新聞を潰していきましょう。あるいはメディアもいずれ利権がらみなのだから、うまく金で釣るしかない、かな?



〈コメント〉

☆Commented by miyazatotatsush さん
小浜逸郎様

 朝日新聞のひどさ、まったくおしゃっる通りだと思います。

 しかし、どんなに批判しても、それこそ朝日の「社説」を書いている委員には伝わらないかも知れません。

 なぜなら、こういう人たちは単に自分の「役割」を演じているだけだからです。ひょとっして自分でも気がついているかもしれませんが、こういう人たちに「自己」はありません。ただ「朝日新聞」の文脈のみで生きているだけです。それこそこれで給料をもらっているだけの人たちです。

 普通に考えれば、戦前に大東亜戦争(侵略戦争?)を礼賛し、戦後に軍国反対に転じ、文革を支持したり、ベトナム反戦を唱えたりすることは、ひとりの人間としては、堪えられない恥ずべき行為でしょう。しかし、ひとつの企業体ならば「会社の論理」として行えるのでしょう。

 そういう意味で自分などには、「朝日新聞」は興味深い存在で、そのなかで生きている人たちの良心(倫理)が知りたいものです。 

☆Commented by ogawayutaka さん
9月6日の朝日の夕刊(p.9)に、NIE(教育に新聞を)と言って、小学校から中等教育において教室で新聞を取り上げる試みについての、記事といいますか、なかば広報のような紙面がありました。

小浜さんは、朝日新聞の「社説ノート」なるものを使った授業についてどう思われますか。

以前から、NIE(産経なども進めているようですが)には、疑問を感じていました。いちおう、論者は、「批判的思考を養う」とか、「時事問題に関心を持たせる」、「文章力を育てる」のような誰も反論できないようなことを言いますが、ほんとうにそれらのことを考えているかどうか疑っています。

背景には、新聞の販売数を上げたい(それ自体は問題ありませんが)、とか、「よい」大学に合格させ子供に安定した地位を授けたい親、とくに働いている女親(朝日の週刊誌『アエラ』をそういう層をねらっているようですが)に媚びる姿勢があって、それらによって歪められた動機が背景にあるのではないか、という気がします。こうした自己欺瞞は、もしあるとしたら、それこそ批判精神の欠如ではないでしょうか。

具体的なことはおいておいて、小浜さんが挙げられた朝日の社説の文体は、私には気持ちの悪いものに感じられます。青少年には毒と言ったら言いすぎでしょうか。鋭敏な少数の少年たちは、記事から偽善を感じ取るでしょうが、それを言葉にできなくて悩むということがあるかもしれません。

☆Commented by kohamaitsuo さん
To ogawayutakaさん

うっかりしていてご投稿に気づかず、お返事がすっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。

NIEについてご教示いただきありがとうございます。

私もこの方針には大反対です。

これを進めようとしている新聞社側に、ご指摘のような動機があるのはおそらくその通りと思います。若い人たちの新聞離れに歯止めが利かなくなっているので、焦った末の策なのでしょうね。しかしさらにここには、輪をかけて次のような欺瞞的な力が働いているように思われます。
①一部の大新聞は、自分たちが中立公正な「社会の公器」であるという建前に開き直っています。しかし実態がそんなものとはお世辞にも言えない状態であることは、今回の拙稿だけを見ても明らかです。したがって、これを教育現場に強制的に持ち込むことは、事実上、柔らかな頭に陰険なやり方で偏向イデオロギーを注ぎ込むことを意味します。

②一部の大新聞は、自分たちが国語教育の模範になる文章を書いているという傲慢な自己認識におぼれています。しかし「一流紙」を気取る新聞の論説委員が、いかに基礎的な文章能力を欠落させているかについても、今回の拙稿だけで明らかと思います。「こんな文章を書いてはだめですよ」ときちんと指示できる先生がいれば、少しは効果的かもしれませんが(苦笑)。

③私などの若いころは、受験勉強に役立つから「天声人語」をよく読んでおけ、などと言われたものです。英訳版も売れていたようです。しかしいまどき、「天声人語」のような腑抜けエッセイが、受験問題に出ますかね。仮にこんな素材を問題に利用するような大学があったとしたら、「古い朝日新聞そのまま」をそのまま引き受けた「古い大学そのまま」と言えるでしょう。もっとも朝日のような大新聞なら、大学の裏門から手を回すくらいのことは平気でやるでしょうが。

☆Commented by ogawayutaka さん
小浜様

ブログのコメント、読みました。
再コメント、ちょっと長くなってしまって、失礼します。

小浜さんの言われる3点について、全面的に賛成です。正論とは、こういうものを言うのだと思います。

9月の朝日の広報記事には、どこかの大学教授が、「批判精神を養う」などと書いていましたが、本気なのでしょうか。
問題は、高校や大学の先生が、「批判精神」なく、「批判精神」と言っていることです。

これは、きわめて危険だと思います。批判の内容が誤っているのは正せますが、批判する軸が腐っていると、正すことができないからです。まして、そのような傾向を助長するとは。

新聞の記事にはよいものもあるし、優れた記者もいるのですが、産経など、記者とNIEを推進する部署とで、分裂状態にあるのではないかと察します。

ところで、新聞の広告というのも曲者です。記事だか、広告だかわざと区別がつきにくくしている紙面を平気で載せるというのもどうかと思います。もっとはっきりと、上の部分に広告だ(つまりお金をもらったから載せているのだ)、ということを明記すべきです。小さな字ではなくて。

近頃の新興宗教の記事の蔓延も、お金をくれるからということで、何も内容に制限を加えないというのでいいのでしょうか。よく知りませんが、彼らが多額の広告を打てるのは、税金を控除され入るからではないですか。
それに、今は某宗教が幅を利かせているだけですが、他の宗教や、他の国の息がかかった宗教が、某宗教を載せるのにわれわれを載せないのは「信教の自由への侵害だ」などと言い出したら、どいうことになってしまうのでしょう。

私は、教育課程で、「広告のうそはどこまで許されるか」という授業を行った方がいいように思います。
新聞は、「吉田松陰の予言だ」などという広告を載せていいのでしょうかね。「紅茶きのこを食べたらガンがみるみる消えた」などと言う広告も。

もし、載せるのを許可するのであれば、一方で、その真偽を疑う、問う、そして、何が品格があることなのか(一時はやった言葉)の判断が少しできるように、「消費者」の判断力を高めなければならなければ片手落ちということではないでしょうか。これは「自由主義社会」のマクロ的要請ではないかと思います。


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