マスコミは、あえて大きく取り上げようとしませんが、あの小保方晴子氏の全面的名誉回復をすべき時期が到来しています。以下に、その契機となるふたつの出来事に触れた、自分自身のFB投稿を掲げます。
ひとつめ。
「STAP現象の確認に成功、独有力大学が…責任逃れした理研と早稲田大学の責任、問われる」http://biz-journal.jp/2016/05/post_15081.html
あの日、「STAP細胞は、あります!」と、小保方氏は、孤立無援の状況のなかで言い切った。それが、正しかったことを証明する強力な援軍の登場である。ドイツの名門大学、ハイデルベルク大学の研究グループが、スタップ細胞の確認に成功したというのだ。小保方氏の、一日も早い、科学者としての名誉回復が望まれる。具体的には、理研と早稲田大学理工学部は、氏に対して深く陳謝し、氏に対する不当な処置のすべてを撤回しなければならない。大宅健一郎氏の不屈のジャーナリスト魂に、私は感動している。それにしても、若山氏は、ずいぶんと罪深い所業をなしたものだ。
文中の若山氏の「罪深い所業」とはなにか。要するに、小保方氏にとっての当時の直属の上司・リーダーであった若山氏が、STAP細胞をめぐる、ありもしない罪を小保方氏になすりつけようとした(と強く疑われる)ことです。詳細については、次のふたつめの記事と私のコメントをごらんください。
「STAP問題、小保方氏犯人説を否定する検察判断…嘘広めたNHKと告発者の責任問われる」http://biz-journal.jp/2016/05/post_15165.html
神戸地検は、1年あまりの捜査の結果、小保方氏が若山研究所のES細胞を盗んだとする刑事告発を不起訴とし、「窃盗事件の発生自体が疑わしく、犯罪の嫌疑が不十分だ」という異例の強い調子の声明を出した。検察の立場から、小保方犯人説を強い調子で否定した のである。と同時に、告発者である若山教授サイドを厳しく難詰している とも受け取れる。先日私は、ドイツの研究機関が、小保方氏が公表したプロトコルを参考にしてSTAP細胞の存在を確認する実験に成功したことにも当FBで触れた。STAP細胞が存在することと、小保方氏がES細胞を盗んだ事実はないことを、いずれも権威ある機関が明言したのである。理研、早稲田大学、NHKを筆頭とするバカマスコミは、小保方氏の名誉回復のために、なしうることをすべてすべきである。見苦しい言い訳をすべき段階ではもはやない。さっさとやんなさいな。それと、当時の満身創痍状態の小保方氏の渾身の「STAP細胞はあります!」発言をネタにして、面白半分にからかうような軽口をたたいた一般人も、心のどこかで恥じ入る気持ちくらいは持ってもいいのじゃないだろうか。別に自慢するわけではないが、私は一貫して「隠れ小保方派」であり続けてきた。あの記者会見を長時間ずっと見ていて、氏がウソをつくような人だとは、どうしても思えない、という素朴な印象を捨てきれなかったからだ。
上記URLの記事を書いたのは、大宅健一郎氏です。氏は、小保方氏が世間から冷たい目で見られ孤立無援の状態であったとき(実は、いまもそうなのでしょうが)から、一貫して、事実を積み重ねることによって同氏を擁護し続けてきました。不屈のジャーナリスト魂の持ち主である、としか言いようがありません。敬服します。
最後に、私のふたつめのFB投稿にコメントをくださった渡辺純央氏とのやり取りを掲げておきます。氏は、ヴィジュアル業界人ならではのユニークで鋭い指摘をなさっています。
〔渡辺 純央〕 勝負ありましたね。NHKは自己検証番組が必要なレベルです。それと、発表直後から狂ったように叩きまくったネットやメディアの背後には何があったか?
こっちを捜査して欲しいぐらいです。
〔美津島明〕 おっしゃるとおりですね。これは、いろいろな意味で大問題だと思います。なあなあですましたがる日本人にとっては、なるべく小さく扱いたい問題なのでしょうが。
〔渡辺 純央〕 私はこれ、ザハデザインたたきとよく似ている、と感じてます。
生物学方面のことはよくわかりませんが、デザインの事なら多少は分かるので、違和感バリバリでした。日本型ムラ社会。そこに一番大きな問題がある、と。ザハさんはもう亡くなってしまいましたが、小保方さんは生きてるのでまず、本人の救済が先決でしょう。まあ、国内で受け入れるガッツのある研究機関など、無いでしょうが…マックス・プランク研究所とか、いかがでしょ?
〔美津島明〕 なるほど。ザハ・ハディッド氏のことは生前よく知らなかったのですが、BBC放送で追悼番組をやっているのを観て、毀誉褒貶の多い建築デザイン家であることを知りました。私の素人目に、氏のデザインは、規格外の天才の産物と映りました。国立競技場だって、いくらかかろうが関係ないじゃん、といいたくなるくらいに、確実に世界をもっと面白くしてくれる類の天才を感じました。そのときは、ザハの名を特に意識しませんでしたが。思いっきり差別用語を使ってしまいますが、「鈍感な百姓どもが、けちなソロバン勘定をして、しのこの言うんじゃない」という感想が、正直なところでした。「日本型ムラ社会」。そういうことなのでしょう。小保方氏もまた、科学畑における規格外の天才科学者の一員なのでしょう。チンケな百姓どもに囲まれてかわいそうに、と思います。
国立競技場ザハ・デザイン
〔渡辺 純央〕 わが国には色んな所に風通しの悪い、ムラ(既得権益集合体)が存在していて、異物を排除しています。建築の世界にもそれはあり、毎度毎度、醜い争いをしてることは、私のような周辺分野にいると漏れ、聞こえてくるわけです。ザハさんの場合、まず国内ゼネコンとのつながりがない(当たり前)。女性で、非欧米人。審査委員長が建築界の異物にして天才、安藤忠雄、という条件が重なってました。こうなってみると小保方さんの条件も、似たようなところがあったのかな?と。
〔美津島明〕 理研も、ずいぶん風通しの悪いムラ社会のようですからね。笹井氏は、ムラ社会・理研と異形の天才肌の小保方氏とのはざまで、圧力に耐えきれなくなって自殺したのでしょうか。そうしておそらく、若山氏が、生命科学のムラ社会の権化のような存在の少なくともひとりであることは間違いないようで、小保方氏の存在に対して、脅威を感じたのでしょう。で、潰しにかかった、と。バカマスコミもまた絵に描いたようなムラ社会なので、ムラ社会を脅かす小保方氏のような存在を、とにかく叩いておこうという百姓の本能に従った、という面があるのでしょうかね。
テレビ業界は電通ムラ、言論界は知識人ムラ、経済学会は主流派経済学者ムラ、憲法学会は護憲ムラ。知っているだけで、すぐにこれだけ列挙できます。やはり日本はムラ社会のようですね。で、この件に関して、ムラ社会特有の「なあなあ」は許されません。
この捏造ジャーナリストの反省の弁が未だに表面されていないことは大問題ではないのか?
と云う意見がありましたが、
まさに私もそう思っております。
『著者は物理学専攻でジャーナリストである。しかし、この本は物理学者やジャーナリストとはかけ離れた基本姿勢で書かれている。読む価値があるか疑問であると言わざるを得ない。当事者である小保方氏から直接聞きだした意見や言い分が全くないからである。それにこの本ではSTAP細胞とは何か、それはどのような証拠によりそう言えるのか、そんな疑問が全く解決しない。
この事件の真相を解くカギは、小保方氏が200回以上STAP現象を確認している、という言葉の意味にある。何をもって彼女がそう言ったのか、その検証からスタートすべきである。「あの日」を読んでそのカギがどこにあるか見えてきた。カギを明らかにするためには、細胞学の知識が少し必要である。私は細胞に関する知識は殆どない。しかし、「あの日」で分かったことは、STAP細胞の意味を2つに分けてとらえる必要があるということである。細胞の初期化(未分化状態の細胞)と初期化された細胞が様々な組織を形成する(或いは生命体にまでなること)段階の2つである。彼女が担当したのは前者である。後者は若山教授がそのすべてを握っていた。
生命は受精卵が細胞分裂し、増殖した細胞がどんどん分化していろいろな組織を作り出し、最後に生命体となる。受精卵が細胞分裂を始めた初期の段階では、細胞はいろいろな機能を有する細胞に変化する能力(多能性)を持っている。しかし、細胞が皮膚とか心臓とか特定の組織に分化すると、その細胞はもはや他の組織を作る機能を失う。STAP現象とは分化した細胞が未分化の状態になることと、未分化になった細胞が他のいろいろな組織をつくる細胞に分化することの2つの段階がある。問題はそれら2つの段階の検証は何をもって証拠とするかである。それにはいくつか方法があるようだ。未分化(初期化)の証拠の一つがOct4陽性、多能性の強力な証拠がキメラマウスの作成である(キメラマウスとは受精卵が細胞分裂を始めた初期段階の細胞に、初期化した細胞を埋め込み、最終的にできたマウスが、受精卵が持つ遺伝子と初期化された細胞が持つ遺伝子の両方を持っているマウスのこと)。小保方氏の作業は前者であり、キメラマウス作成の全権(ノウハウを含めた作業のすべて)は若山教授が握っていた。彼女が200回以上再現しているといっているのはつまり前者の段階であると推測できる。細胞の初期化、分化した普通の細胞にストレスを与えると初期化する、それを小保方氏はSTAP現象と言っているようだ。理研はSTAP細胞はなかったと結論付けているが、初期化の検証は再現しているのである。つまり、小保方氏のやったことは理研の検証でも再現しているのである。理研の結論は後者、つまりキメラマウスが作成できなかったというものである。とすれば、カギは若山教授が握っている。不思議なことに論文の共著者でもある教授は、キメラマウス作成の検証に参加していないのである。
小保方氏の執筆した論文には多くの問題があるようだ。言われていることから判断すると、研究者としてあまりにも未熟であると言わざるを得ない。「あの日」を読むと論文の稚拙さはどうも若山教授の影響を強く受けていることに起因しているようだが。しかし、論文の稚拙さとSTAP現象の存在との間には何の関係もない。捏造などどこにもないのである。それを捏造というなら、執筆者こそ捏造の執筆者である。』
特に大学における博士号論文、ただ卒業のみを目的とした卒論とはわけが違うのです。
少なくとも、研究者を志す第一歩となる大切な論文は、己の言葉で発するのが常識です。
未熟ではありません。研究者である前に、小学生でもわかるごく常識的な人としての良識です。
だから、世間は一人間として小保方さんを信用できないんです。
宜しくお願いします。
マスコミの劣化現象はひどいですね。
ところで、mikki-さんのブログタイトルを教えていただけないでしょうか。当ブログに対して読者申請していただいたリストがたまっていたので、一気に申請ボタンを押してしまったので、お名前とブログタイトルが一致しないのです。お手数をおかけします。
恥ずかしながら最近知ったのですが、小保方晴子氏は2011年4月、無給の研究員として理研に入ったそうです。それから2年間、まったくの権限なしの状態で、若山氏のもとで、STAP細胞の研究をし、若山氏と連名で、論文を提出したのですが、不採用の連続だったそうです。で、理研は、小保方氏の研究成果に対して有用性の観点から価値ありと認め、笹井氏をアウト・ソーシングし、STAP細胞論文を彼の監督のもとで書き上げ公表させ、理研の名でSTAP細胞の特許申請をするに至ったそうです(後に取り下げましたが)。つまり、STAP細胞問題の全責任者は理研であり、次いで笹井氏であり、若山氏であり、小保方氏は若山氏の部下に過ぎなかったのです。小保方氏は、無給状態において無心に没頭し続けた研究の成果という「油げ」を理研という「トンビ」にさらわれ、横取りされた哀れで有能な権限なき一研究員にすぎなかったのですね。だから、NHK,毎日新聞を筆頭とするマスコミが、STAP細胞問題で小保方氏を血祭りにあげたのは、まったくの見当違いだったし、それに私たち一般人が乗せられて「小保方バッシング」に心情的に組するのは愚かな振る舞いにほからない、ということになるのではないでしょうか。まあ、個人的に小保方氏に対して不信感を持ったり、彼女を嫌ったりするのは自由でしょうが、そこにSTAP細胞問題の本質はまったくない、ということだけはどうやら言えそうです。
彼女は、コピペや切り貼りに対して、不思議そうな顔をして、何の倫理観、罪悪感も持っていないように思えます。
私個人としては、根本的な人としての人間性に疑問を持たざるを得ません。
繰り返しますが、「未熟で十分な指導をされなかった若い研究者」、これは指導されたされないの問題ではなく、小学生でも分かる人間の本質だと思います。
だから、早稲田大学は大学の尊厳のためにも、極常識的な判断をされたと思います。
ただ、STAPの一連の報道に関しては、小保方さんにあまりに酷いと思いますが、世間だってそんなにバカじゃありません。
彼女にも問題一端があったことは事実だと思います。
まずは、当論点についての、次のURLのごく短い論考を読んでいただけますか。できたら、それを踏まえたうえで、お話ししたいのです。
「小保方氏博士号剥奪で責任逃れの早稲田大に、『論文読んでない』と批判噴出」
http://biz-journal.jp/2015/11/post_12420.html
早稲田大学は、コピペや切り貼りが度を越えていると判断したからではないでしょうか。
もちろん、それを見過ごした早稲田大学にも多いに責任はありますが、他の人や大学がどうのではありません。
一つ確実に言えることは、企業などの場合、プレゼンや提案書において、もしそのようなことが起きた場合、致命的打撃を受けるでしょう。
何度も申しますが、博士論文は、その人が人生をかけて魂をこめて書くべきものです。
生きていく職業です。卒論とは違います。
小保方さんはそのことについては早々に心から謝罪して、でもSTAPは本当にあるんです信じてくださいと言えば、まだ世間から人として信用されたのではないでしょうか。
私が、これはちょっとちがうんじゃないか、と思ったのは、
「早稲田大学は大学の尊厳のためにも、極常識的な判断をされた」
の一文なのです。
お読みいただいた論考の主張ではなくて、次のふたつの事実に着目しましょう。
① 小保方氏の周辺の(同氏とは無関係の)5研究室でも、多くのコピペが見つかっている
② 早稲田大学の記者会見によれば、小保方氏のほか、06年以降に博士号を授与した博士論文で、引用不備など訂正が必要なものが89本あり、うち48本はすでに訂正済。小保方氏の博士論文は訂正を認められず、博士号剥奪となった。
もしも、早稲田大学が、「大学の尊厳」を守ることをあくまでも大切にしようとうとするのならば、コピペと訂正箇所のある博士論文を書いた者すべての博士号を剥奪しなければなりません。でないと筋が通りませんね。
それに関して、ロンさんは、小保方論文の「コピペやが度を越えていると判断したからではない」かとおっしゃっていますが、それは憶測の域を出ませんね。そうならそうと早稲田大学は明言しなければならない。していない以上、コピペや切り貼りの程度について、私たちは、黙するよりほかはないでしょう。
それよりも、私は、当論考中の武田邦彦氏が「小保方氏の論文を読み『学問的価値があり、立派な論文だ』と評価し」た、という事実に注目したい。
武田氏も、プロの科学者であり、若い科学者を育ててきた教育者でもあります。そういう存在が、小保方論文を高く評価しているという事実は重い。ロンさんも私も小保方論文を読んでいないのだから、科学のプロとしての氏の評価を受け入れるよりほかはありません。
とするならば、ほかの瑕疵ある論文を書いた者たちの博士号を剥奪したのではないのだから、科学のプロから高評価を受けるような質の高い論文(そういうレベルのものであることを当然のことながら、同じく科学のプロである早大の教授連も知っていたことでしょう)は、コピペと訂正箇所を直させて再提出させるのが妥当である、というところに落ち着くでしょう。博士号剥奪という厳しい処置が、事実上、科学者としての命を絶つほどの厳しい処置であることを考えるとなおさらそうでしょう。
では、早稲田大学は、なぜそうしなかったのでしょうか。「大学の尊厳」を守ることという理由は、これまでの話からすればちょっと考えにくい。
NHKや毎日新聞などのマスコミが主導する「小保方バッシング」という名の「現代魔女狩り」の空気に配慮して、大学が小保方氏を妙な具合に守っているかのような外観を呈してそのとばっちりを喰らわないよう組織防衛に走った、と考えるのが妥当というとことになるでしょう。
私は別に、ロンさんを説得しようとか、ロンさんを言い負かそうとか思っているわけではありません。一連の小保方問題の重大さを、これを読んでいただいている方々にご理解いただき、できうることならばともに考えていただきたいと思っているだけなのです。