美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

古松待男  話し合うことの難しさについて  (イザ!ブログ 2013・9・25 掲載)

2013年12月22日 06時08分11秒 | 古松待男
〔ブログ編集者より〕

ここに、新たな執筆者を迎えることができました。二〇代半ばの哲学の俊秀、古松待男(こまつまつお)氏です。執筆依頼をしたところ、いきなり成熟した論考が飛び出してきたので、正直に云って、私はびっくりするとともに、新しい思想家の誕生を祝する気持ちでいっぱいになりました。古松氏の今後のご活躍を期待いたします。

*****


話し合うことの難しさについて



長い人生、生きていれば誰しも他人との意見の対立は避けられない。誰と・どこで・何について話し合うかによって質や量の差はあったとしても、話し合いがうまくいかずに物別れとなることは往々にして起こることである。

言うまでもなく、議論することの目的はそこに参加する人々が協同することによって真理へと接近することだ、そのためには他人の声には真摯に耳を傾けてもしも自分に非があるならばそれを素直に認めなければならない――、と言うのはまことに結構なことだが、言うまでもないことをわざわざ言わなければならないのだとしたら、それは現実に行なわれる議論が真理の追究という理想からいかに外れやすいものであるのかということをすでに示していると言える。ある者は決して他人の話を聞かないし、またある者は決して自分の非を認めない。まっとうな反論だと心の底では分かっていても、言い方が気に入らない、お前には言われたくない、負けを認めたくない、などという理由から聞き入れることができなかったという経験は誰しも一度ぐらいあるのではないだろうか。現実の議論は常に生身の人間によって運営されるものであるから、理論のたんなる整合性や命題のたんなる信憑性によってのみ結論が導き出されるのではない。だから、話し合うことは難しい。

***

プラトンはこのことを強く自覚していた哲学者であった。たしかに、「イデア論」であったり、「哲人政治」であったり、「洞窟の比喩」であったり、「主知主義」であったり、プラトンのものとして紹介される思想はどれも生身の人間を超絶しようとする志向をもっているように見える。さらに、ラファエロの絵画「アテネの学堂」の中央で天を指さす老哲人の姿や、「プラトニックラヴ」といった言葉から醸成されるイメージも加われば、いよいよこうしたプラトン像も固まってくる。こうなると、プラトンは生身の人間の情念や人間同士の感情の対立を捨象して思想を展開した哲学者のように思えてくる。しかしそうではない。プラトンが話し合うことの難しさに強く自覚的であったこと、このことはプラトンが自分の思想を語るために用いた手法、つまり、対話篇という形式において示されている。

プラトンの著作のほとんどは対話篇という形式が採られている。対話篇とは、作中の登場人物が一定のテーマについて議論を行なうことによって真理の探求を行なう文学形式である。そこにおいてあらゆる学説・理論・思想はそこに現れる登場人物が語ることとなる。「イデア論」、「哲人政治」、「洞窟の比喩」、「主知主義」といった生身の人間を超絶する志向をもつ思想も、生身の人間の口を通して語られるのである。

対話篇という形式において、著者プラトン自身の(と思しき)主張とそれに対立する主張との比較・吟味は、生き生きと描かれた人物同士が向き合って議論することを通してなされる。人間同士が向き合っているのだから、議論の方向はまっすぐに進むことばかりではない。ときに冗談を言うこともあれば、ときに悪口を言うこともある。対立にいらだって立ち去ろうとすることもあれば、話題が何らかの学説からそれを奉じる人物のパーソナリティへと向かうこともある。このようにプラトンの対話篇において学説の吟味を行なわれる際には、学説それ自体のみならず、それを(1)「誰が議論しているか」、(2)「どのように議論するべきか」ということにも焦点が当てられるのである。

ただし、対話篇でありさえすれば上述の条件が満たされる訳ではない。たとえば、バークリ(George Berkeley, 1685 - 1753)の対話篇『ハイラスとフィロナスの三つの対話』のように、作中に人格を持った人物が登場してくるとしても、一人が一方的に自説を述べ、もう一人が一方的に聴き手にまわることもある。これでは一人で語っているのとあまり変わらない。語り手が何らかの教えをもたらす先生の役割であるのに対して、聴き手は、そうした先生の教えを分かりやすく読者に伝えるために、ひたすら生徒の役割に徹する。(この種の生徒は理解力に、妙に長けていることもあれば、妙に欠けていることもある。ただ、どちらの場合も共通しているのは、概して素直なところである。)このような先生と生徒の対話には意見の対立がない。だから、話し合いは難しくない。

また、決定的に異なる意見を持つ人物同士の対話であっても、人間同士が話し合うことの難しさに焦点が与えられていない場合もある。たとえば、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564 - 1642)著の『天文対話』がそれに該当する。作中では、天動説と地動説という真っ向から対立する学説同士が、ガリレオの弟子とアリストテレス学者の口を借りて相対する。彼らの対話は大いに長引き、岩波文庫二巻分延々と続くわけであるが、両陣営ともに大変行儀正しく冷静である。ぜひとも議論のお手本としたいところだ。

プラトンの対話篇に出てくる登場人物は、主人公のソクラテスも含め、あまり行儀が良いとは言えない。最も有名な作品の一つである『国家』でもそうした点は見受けられる。序盤に登場するトラシュマコスとソクラテスとの議論は、「〈正義=正しいこと〉とは何か」というテーマをめぐって行われる訳ではあるが、そのやり取りはほとんど喧嘩に近い。トラシュマコスの登場シーンを見てみよう。

こうしてぼく(ソクラテス・・・引用者註)たちが話し合っているあいだに、トラシュマコスが、すでに一度ならず身を乗り出しては、話題に割って入ろうとした。〔…〕話がしばしとぎれると、彼はもはや、じっとしていられなくなって、獣のように身をちぢめて狙いをつけ、八つ裂きにせんばかりの勢いでわれわれ目がけてとびかかってきた。

ぼくとポレマルコスとは恐れをなして慌てふためいた。トラシュマコスは、満座にとどろく大声でどなった、

「何というたわけたお喋りに、さっきからあなた方はうつつをぬかしているのだ、ソクラテス? ごもっともごもっともと譲り合いながら、お互いに人の好いところをみせ合っているそのざまは、何ごとですかね? もし〈正義〉とは何かをほんとうに知りたいのなら、質問するほうばかりまわって、人が答えたことをひっくり返しては得意になるというようなことは、やめるがいい。答えるよりも問うほうがやさしいことは百も承知のくせに! いやさ、自分のほうからも答えを提出しなさい
。〔…〕」(『国家』336B-C)

トラシュマコスがまさにケンカ腰でソクラテスに噛み付いていることがこの箇所からわかるだろう。

この場面において「〈正義=正しいこと〉とは何か」という議論自体は行われない。ここでは第一に、これからソクラテスとの対話を始めることとなるトラシュマコスの性格が描かれている。つまり、トラシュマコスという人物は、他の人が語り合っているそのさなかに割って入ろうとするような人物であり、「獣のように身をちぢめて狙いをつけ、八つ裂きにせんばかりの勢いで」とびかかってくるような行儀の悪い人物である、と。第二に、そのようなトラシュマコスの第一声が何に向けられているかも示されている。つまり、トラシュマコスにとってソクラテスとポレマルコスの対話は「お互いに人の好いところをみせ合っている」だけの「たわけたお喋り」であり、「〈正義=正しいこと〉とは何か」を探求するためには不完全な方法である、それゆえソクラテスは人に聞いているばかりではなく「自分のほうからも答えを提出」するべきである、と。このように、トラシュマコスの登場シーンには、「〈正義=正しいこと〉とは何か」というテーマを議論する以前に、それを(1)「誰が議論しているか」(2)「どのように議論するべきか」といった問題に焦点が当てられているのである。

さて、この強烈なキャラクターからは、「〈正義〉とは強者の利益である」という強烈な正義論が飛び出すわけであるが、程なくソクラテスによって命題内部の意味の矛盾を指摘され論駁されることとなる。その対話のさなか、トラシュマコスは自説の論証を行なうこともあれば、ソクラテスに悪態をつくこともあれば、議論をそのままにその場から立ち去ろうとすることもある。最終的にトラシュマコスはソクラテスの反駁を受け入れて引き下がるわけではあるが、それは彼の正義論そのものが論駁されたというよりもむしろ、ソクラテスの執拗な追窮に辟易した面が大きかったのだと思われる。そのことは、トラシュマコスがソクラテスとのやりとりのさなかに発する「まあ、あんたの気に入るようにしてあげるよ」(350E)だとか、「まあ心安らかに議論を楽しむがよい〔…〕わたしはけっして反論しはしないから。ここにいる人たちに嫌われないためにね。」(352B)だとかいった言葉からもうかがい知れるし、また、この作品自体の語り手でもあるソクラテスのト書き(たとえば、「さて、トラシュマコスは以上すべてのことに同意してくれはしたものの、とてもぼくがいま話しているような具合に、なめらかにことが運んだわけではなかった。彼はさんざん引き延ばしたり、嫌な顔をしたりし、びっくりするほど汗を流していた。」(350D)のような文章)からも読み取れる。結果的にトラシュマコスは、ソクラテスに対する「自分のほうからも答えを提出しなさい。」(336C)という要求を叶えられぬままに引き下がることとなってしまうのだった。

トラシュマコスが引き下がったのは「〈正義〉とは強者の利益である」という自説が論破されたからというよりもトラシュマコス自身のキャラクターによる要因があるのではないか。このような疑念はその場に居合わせた者にも抱かれていたようで、トラシュマコスが引き下がったあとすぐにグラウコンという人物からこのような問いが発される。

ソクラテス、いったいあなたは、私たちを説得したと思われさえすれば、それで気がすむのですか? それとも、ほんとうに私たちを説得して、正しくあることは不正であることよりもすべてにおいてまさるのだと、心から信じさせたいのですか?(357A-B)

このあとグラウコンは「私自身は、けっしてこのような見方に与するものではありません」と断りを入れたうえで、トラシュマコスの説を復活させる。「〈正義〉とは強者の利益である」との正義論は再びソクラテスに立ち向かうこととなる。トラシュマコスと比べると格段に冷静で行儀のよい人物が対話の舞台に上がったことで、徹底的に〈正義〉について語り合う場が構築され、ソクラテス自身の正義論が語られるきっかけとなるのであった。

この『国家』の序盤でのやりとりからも分かる通り、プラトンの対話篇は非常に生々しい現場で議論が行われているものが多い。同じテーゼであっても、それを唱えるのが情熱的なトラシュマコスなのか、幾分冷静なグラウコンなのかによって議論の筋道は変わってくるのである。

プラトン研究者のヴラストス(Gregory Vlastos, 1907 - 1991)は、プラトン初期対話篇の中でみられるソクラテスの独特の論駁法=エレンコス(Elenchus)には二つの目的があると指摘した。一つ目が「善い生き方についての真理を探求するもの」であり、二つ目が「答え手自身の生き方を吟味して彼を真理へと導こうとするもの」である。ソクラテスの目的は、人間一般にとっての真理を共同して探求することだけでは十分ではなく、同時にその探求に参加する人間個人を真理へと導くことも目標とされる。したがって、ソクラテスの対話相手への追窮は学説からそれを奉じている人物のパーソナリティへと向かうこととなる。この点についてはプラトンの作品内でも指摘されていることであり、『ラケス』の中に登場するニキアスは次のように語っている。

誰でもあまりソクラテスに近づいて話をしていますと、はじめは何かほかのことから話し出したとしましても、彼の言葉にずっとひっぱりまわされて、しまいにはかならず話がその人自身のことになり、現在どのような生きかたをしているか、またいままでどのように生きてきたか、を言わされるはめになるのです
。(『ラケス』187E-188A)

このようにソクラテスの論駁法は、命題や学説そのものの検討と対話相手の生き方への吟味が一体となって行われるのである。

ソクラテスの問答を受ける者は自分自身の発言に無責任では居られない。答え方次第で、自己自身の非倫理性を暴露してしまうことになる。心の底では思っていることでも、それを口にしてしまうことで自分の評判を落とすことになるのなら、なかなか正直な発言はできないものである。

『ゴルギアス』において三人目の対話者であるカリクレスとの対話が長引くのは、カリクレスが世間の評判を気にしないで自説を徹底的に展開したからである。自分に先行する対話者二人の敗北原因を周囲の目に遠慮したことであると見て取った(482C-D)カリクレスは「強者の正義」を掲げ、臆面もなく「正しく生きようとする者は、自分自身の欲望を抑えるようなことはしないで、欲望はできるだけ大きくなるままに放置しておくべきだ。」(『ゴルギアス』491E)と主張する。これに対してはソクラテスも「ほかの人たちなら、心には思っていても、口に出しては言おうとしないようなことを、君はいま、はっきりと述べてくれている。」(492D)と徹底的に論じ尽くす姿勢を讃えている。

もちろん上に挙げた例は極端なものである。プラトン作品の中には二人の人物が議論を淡々と繰り広げることもあれば、一人の人物が自説を滔々と展開することもある。ただ、少なくともここで見てきた対話篇では人間と思想が一体となっている。異なる主張のぶつかり合いは人間同士のぶつかり合いとなる。つまり、そこでの議論は難しい話し合いとなる。

現存する最古の哲学書である一連のプラトンの作品群は対話篇形式で書かれたが、その弟子のアリストテレスはこれを採用しなかった。初期作品の中には対話篇形式で書かれたものもあると言われているが、現在残っているものはすべて整然たる論文形式である。『形而上学』の冒頭ではタレス以来のギリシア哲学史が、物事の原理(アルケー)を巡る思想の変遷として実に見事にまとめられている。プラトンにあっては鮮やかに描写される対象であったパルメニデスやプロタゴラスも、アリストテレスにあっては学説のみが切り離され、著者の図式の中に配置されるだけの対象となる。この変化は論証法の精錬とも言えるし、人間の忘却とも言える。少なくとも、アリストテレスの中に難しい話し合いは存在しない。


引用文献

『プラトン全集 7』、生島幹三訳、岩波書店、1975年。
『プラトン全集11』、藤沢令夫訳、岩波書店、1976年。
『ゴルギアス』、加来彰俊訳、岩波書店(岩波文庫)、1967年。

参考文献・その他

①G・ヴラストス「ソクラテスの論駁法」(井上忠・山本巍 編訳『ギリシア哲学の最前線Ⅰ』、東京大学出版会、1986年、pp. 37-72)
②トーマス・A.スレザーク『プラトンを読むために』、内山勝利・丸橋裕・角谷博 訳、岩波書店、2002年。
→ プラトンの思想だけでなく、その対話篇という形式のもたらすプラトン解釈の深さ・面白さが分かりやすく描かれている。
③ハンス・ヨアヒム・クレーマー『プラトンの形而上学(上)(下)』、岩野秀明訳、世界書院、2000年。
→ プラトンは人類史に燦然と輝く偉大な作品群を残した一方で、本当に大事なことは書き残さないとも述べている。(『第七書簡』)これを真に受けて「語られぬ学説」の探求を試みるテュービンゲン学派の一人であるクレーマーの書物。彼らの研究によると学説が語られなかったのは、プラトンの教育的な配慮があり、知の有効な伝達は対話を通じた長期間の教育課程の上に初めて可能であると教師プラトンが考えていたから、ということらしい。
④デイヴィッド・ヒューム『自然宗教に関する対話』、福鎌忠恕・斉藤繁雄訳、法政大学出版局、1975年
→ 宗教をテーマにした対話篇。冒頭で、なぜ哲学書が対話篇で書かれなくなったのかについて説明している。それによると哲学に求められる厳密な論証法やその体系が、会話の形には適さないからだそうだ。
⑤A. P. ダントレーヴ『国家とは何か』、石上良平訳、みすず書房、1972年。
→ リアリスト的な政治理論・法理論・国家論が論じられる本書にあって、プラトン『国家』のトラシュマコスを「実力 force」に関する議論の最も古いものとして検討している。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小浜逸郎  拝啓。安倍総理... | トップ | 中国事情、つれづれなるがま... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古松待男」カテゴリの最新記事