美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

産婆術としての哲学 (古松待男)

2014年04月02日 21時19分41秒 | 古松待男
産婆術としての哲学

古松待男(こまつまつお)



西洋哲学に関心を持ち始め多少専門的に学ぶようになって十年ぐらいになるが、そんな私にとって日常生活の中で出くわす「哲学」という語の用法の中には、なんだか違和感を覚えるようなものが少なくない。「きみ、哲学的なことを言うね。」「それが私の哲学です。」「わが社がこの難局を乗り越えるためには新たな哲学が必要である。」「彼は氷上の哲学者だ。」・・・どれも言わんとすることは分かるのだが、どうも引っ掛かる。この引っ掛かりの原因は、私が「哲学」という言葉を聞いて真っ先に思い浮かべるのがデカルトだのカントだのショーペンハウアーだのと云った哲学者の思索やそれについての研究であるのに対して、先の例ではそれよりももっと広い意味で用いられているというズレが生じていることにある。

もちろん、日常の中で素朴に使われる「哲学」という言葉を「本来の意味」から外れた誤用として非難することは、意味がないばかりでなく正しくもない。こうした用法は既に広く認められたものだからである。辞書で「哲学」の項目を見てみれば、大学で学ばれるような学問としての哲学の意味だけでなく「人生観」や「世界観」や「考え方」を意味する言葉としても説明されている。また、英和辞典でphilosophyという単語を引けば、こうした意味に加えて「達観」であったり「諦め」であったり「冷静さ」であったり「覚悟」といった訳語を当てている例文すら見つかる。例えば、“one’s philosophy about women”は「女性に対する“達観”」と訳され、“I am no philosopher”は「私は“諦め”の悪い人間だ」と訳され、“~ with philosophy”は「“冷静”に~する」とか「“覚悟”して~する」と訳されている。このように、普通の会話の中で「哲学」は様々な意味合いをもって現れてくる。

ところで、普通の会話に現れるもの以上に多様で捉え難いのはむしろ「本来の意味」での哲学の方であろう。哲学と称される営みがいったい何であり、哲学者と呼ばれる人々が何をやっているのかと改めて問われると忽ち答えに窮してしまう。或る哲学者は法律について語っているし、別の哲学者は言語について語っている。社会の倫理について書いている人もいれば、人間の心理について書いている人もいる。その語り方や書き方についても一様ではなく、自身の思想を論文の形で示す人もいれば物語の形で示す人もいるし、詩の形で示す人もいる。哲学は扱うテーマも用いる形式も様々であるから、それがどのような営みであるのかを一言で答えることが極めて困難である。

哲学とは何か、というこの極めて困難な問いに答えるためには、その創始者、つまり、ソクラテスの活動を確認することから始めてみるのが一番であろう。


***

ソクラテスは自身の活動を産婆になぞらえた。母たちが出産する際に子供を取り上げる産婆のように、知恵(sophia)という子供を産み出すための手助けをすることが哲学者である自身の使命である、とソクラテスは自覚していた。産婆という比喩は哲学の活動内容とその意義を細かいところまで説明している点で卓抜であると言える。このことを確認するためには、産婆とはどのような存在であり、どのようなことを仕事としているとソクラテスが考えていたのかを見る必要がある。以下では産婆術について詳しく論じられている対話篇『テアイテトス』を手掛かりにこのことを見ていこう。

(1)産婆術の三つの特徴
『テアイテトス』において挙げられている産婆の特徴は大きく分けて三つある。一つ目が、産婆自身は出産をしない身であること(149B)であり、二つ目は、母親が妊娠してから出産するまでの面倒をみる役目をもっていること(149D)であり、三つ目は、産まれてきた子供が本物(alēthinos)なのか偽物(eidōlon)なのかを判断する役目ももつべきであること(150B)である。(ちなみに、ここで「偽物」と訳されているギリシア語「エイドーロン」はフランシス・ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』において正しい知識を得る際の妨げになる偏見として説明しているイドラ(idolum, idola)の語源である。)

この三つの特徴はそのままソクラテスの活動に当てはまる。

①産婆は出産しない。
プラトンの作品を読んでいてよく目にするのは対話相手がソクラテスに対して、「ひとに聞いてばかりで自分の意見を表明しない」との旨の非難をする場面である。たしかに、自分では何も主張しないくせに考えを言わされるだけ言わせられ、それに同意してくれるどころか捻じ曲げて解釈されたり、矛盾点を指摘されてばかりいられれば非難したくなるのも無理はない。年若くまだ知識のない者に尋ねられるならまだマシだろうが、ソクラテスはだいぶ年もいっていてその分いろいろと知っているくせにとぼけたふりをしてあれこれ質問攻めにするものだから、相手の苛立ちはなお募るだろう。しかし、ソクラテスはそうした非難を意に介することもなく「僕は他人には問いかけるが、自分は、何の知恵もないものだから、何についても何も自分の判断を示さないというのは、いかにも彼らの非難のとおりである」(150C)と平然としている。自分で何らかの判断を下すことは最初から彼の目指すところではない。そうではなく、誰かが何らかの判断を下すことについて判断を下すこと、このことがソクラテスの対話の目的なのである。

②産婆は出産を助ける。
出産の手助けとは具体的にはどのようなことを指すのだろうか。このこともこの対話篇の中で示されている。登場人物のテアイテトスは「知識(epistēmē)とは何か」という問いに対してはっきりとした答えを持てないでいた。何らかの漠たる答えは持っているようにも思えるが、それでも自信をもって断言できる状態にはなかった。それをみたソクラテスはこのように言う。

ほら、それがすなわち君の陣痛というわけなのだ、愛するテアイテトス、君が空(から)でなくって、何か産むものをお腹に持っているから起こることなのだ。(148E)

つまり、何か言いたいことはあるがうまく言葉(logos)にできない状態を妊娠になぞらえ、そのような状態から言うべきことをうまく言葉にすることを出産になぞらえているわけである。

③産婆は産まれた子供の善し悪しをみる。
問答法によって産み出された知恵という子供が偽物であった場合には棄てられることがあるとソクラテスは言う(151C)。この子棄てという比喩は健康状態や体力に問題が見られた子供がタイゲトス山に棄てられたという当時のスパルタの制度を念頭に置いたものであると思われるが、これもまた見事なアナロジーとなっている。自分がお腹を痛めて産んだ子供ならばどんなに出来の悪い子供であっても大事にしたいと思うのが人情というものだろうが、これと同じように、自分が苦労して産み出した理論や学説ならば多少の不備があったとしても護り通したいと思うのが人性だろう。実際、「偽物の子供」を棄てようとすることには相当な反感があったらしく、ソクラテスはこのことについて次のように語っている。

それ(偽物の子供)を僕が取り出して投げ棄てようとするようなことがあるかもしれないが、そんな場合、まるで初産のものがその子供についてするような狂態は演じないでくれたまえ。というのは、もうすでにたくさんの人間が、[…]僕に向かってそんなふうな気持をもち、その結果、一度僕が彼らからその何か愚劣な考えを取り除こうとしようものなら、何のことはない噛みつかんばかりの剣幕を示したものだ。そしてそれを僕が好意でしているのだとは考えてくれないのだ。(151C)

出産を手助けすることとは異なり、生まれた子供を吟味する作業は既に成立している知へ疑いの眼差しを向けることにつながる。そのため、既存の知識や価値観を受け入れている人や積極的に主張している人の反感を買うことになるわけである。

このように、ソクラテスの産婆術とは、自らは知を産み出すことなく、誰かに働きかけることによって知を成立させることであり、また、すでに成立している知を吟味・批判することである。

(2)産婆術の意義
ソクラテスはそもそもどうしてこのような活動をするようになったのだろうか。このことについては『ソクラテスの弁明』に記されている。ソクラテスが精神の産婆として活動するようになったきっかけは「ソクラテスより知恵のある者は誰もいない」とのアポロンの神託を受けた彼が、そのことを確認するために知恵のありそうな人たちを訪ねてまわったことであった。つまり、当時の知識人の在り様を目の当たりにしたこと、このことでソクラテスは産婆として活動する決意を固めたのである。

ソクラテスが訪ねたのは、政治家や作家や職人といった特定の領域に優れた知恵や技術を有している人びとである。彼らは世間では知恵のある者として通っているし、自分自身でもまた知恵のある者だと思い込んでいた。しかし、ソクラテスは問答をしているうちに彼らの知恵のあり方には大きな問題があることを理解していったのである。ソクラテスは訪問した作家についてこのように語っている。

彼らの作品から、私が見て、一番入念な仕事がしてあると思えたのを取り 上げて、これは何を言おうとしたのかと、つっこんで質問をしてみたのです。[…](その結果分かったことは)ほとんどその場にいた全部の人といってもよいくらいの人たちが、作者たるかれら自身よりも、その作品について、もっとよくその意味を語ることができただろうということです。[…]この人たちもまた、結構なことを、いろいろたくさん口では言うけれども、その言っていることの意味を、何も知ってはいないからです。(22C)

作家は常人には真似できないような優れた作品を作ることはできるものの、自分の作った作品の意味をよく分かっていない。つまり、彼らには専門的な知識や技術が備わっているものの、自分の知識や技術、またそれをもとに産み出されたものを広い文脈から眺める視座が欠けているのである。

また、職人についてはこのような評価をしている。

かれらはわたしの、知らないことを知っていて、その点では、わたしよりもすぐれた知恵を持っていました。しかしながら、[…](彼らは)技術上の仕上げが上手にやれるからというので、めいめいそれ以外のたいせつなことがらについても、とうぜん、自分が最高の知者だと考えているのでして、かれらのその見当違い(plēmmeleia)が、せっかくのかれらの知恵を蔽いかくすようになっていたのです。(22D)

職人は、確かに優れた技術を持っており、ソクラテスをはじめ、普通の人の知らないようなことを知っていた。しかしながらその反面、「技術上の仕上げが上手にやれる」という限定された領域での技術や知識に長けていることで視野が狭くなってしまっていることが明らかとなったのであった。

このように、ソクラテスの訪ねた知識人たちは高い専門性を有しつつも、その専門的知識を全体の中に位置づけることをしていなかった。ある領域内での高い知識を持ってしまっているがゆえにその特定領域外についても自分が何某かのことを語ることが出来るものであると見当違いをしている。専門知が専門知の内に閉じ籠ることによって台無しになっていることをソクラテスは目の当たりにしたのである。

ソクラテスの活動の眼目は、明知に自足する専門家を非知の場へと誘い、彼らの有する専門知の限界を指し示すことである。ここで重要なのは、ソクラテスが固有の領域における専門知を全否定しているわけではないということである。確かに、「神だけが本当の知者であり人間の知恵が無価値であるかもしれない」(23A)と述べている通り、ソクラテスは人間が絶対的真理へと到達することは困難であり、専門知の空しいことを強調しているように思える。しかし、見逃してはいけないことは、彼が精神の産婆として人々に働きかけ、出産を助け、産まれた子を吟味し続けたことである。もしも本当に人間の産み出す知恵が空しいものでしかないのだとしたら、その手伝いをしようとはしないはずであろう。

このようにソクラテスの産婆術とは、産婆術であるかぎり専門家・専門知批判である。人々の思い込みに対して警鐘を鳴らし、実はそうではないかもしれない可能性に開かせることが産婆術である。

(3)「ダイモニオンのしるし」
産婆術をこのように理解した時、ソクラテスが若い頃より頻繁に体験していたという「ダイモニオン(daimonion)のしるし」の正体も明らかとなる。ソクラテスは、何かをしようとしているとき、ダイモニオンの合図を聞き、ある種の神がかり的な恍惚状態になることがあると周囲の人々に常々語っていた。このことは、ソクラテスが裁判において「不敬神」としてやり玉に挙げられる要因ともなってしまったのである。(ちなみに、「不敬神」と聞けば宗教上の罪のようにも思われるが、聞くところによればそうとばかりも言えないようだ。「不敬神」という罪はその時々の政治状況によって適用されることがよくあり、そういう意味ではむしろ政治犯を裁く罪名と考えた方が妥当だという。たとえば、ペリクレスの失脚やペロポネソス戦争下の社会的緊張やアレクサンドロス大王死後の反マケドニア感情に対応して「不敬神」で訴えられる哲学者が数多く出たとのことだ。このあたりの事情は、『ソクラテスはなぜ死んだのか』(加来彰俊著、岩波書店、2004年)に詳しい。)

プラトン作品においてソクラテスがダイモニオンについて語っている箇所はいくつもあるが、ここでは『ソクラテスの弁明』での証言を見てみよう。
 
これはわたしには、子供の時から始まったもので、一種の声となってあらわれるのでして、それが現われる時は、いつでも、わたしが何かをしようとしている時に、それを私にさし止めるのでして、何かをなせとすすめることは、どんな場合にもないのです。(31D)

ここから分かることはダイモニオンのしるしとは、第一に、通常の思考様式や行動様態からは離れたところから下される命令のようなものである。そして第二の特徴は、それが禁止(~するな)の形で示されることである。

余談だが、ヘーゲルはこの二つ目の特徴をどういうわけだか見過ごしている。彼は『歴史哲学講義』において、ソクラテスがその内面に有していたというダイモニオンを「何をなすべきか(was er tun solle)を助言するものであり、友人にとって何が有益であるのかをあきらかにするもの」(Hegel, Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte, Frankfurt a. M. 1986, S. 329. 長谷川宏訳『歴史哲学講義(下)』、岩波文庫、1994年、81頁。)と記述しており、先に引用した「何かをなせとすすめることは、どんな場合にもない」というソクラテス自身の証言とは明らかに異なっている。その理由は、恐らくだが、ヘーゲルの関心が、ペロポネソス戦争を背景に共同体・人倫の紐帯が揺らいでいた当時のポリス社会にあって、行動を律する原理となるものが伝統や慣習から、ダイモニオンのしるしのように個人の内面に湧き起る主観的判断へと変化しつつあったという事実をこのダイモニオンのエピソードからくみ取ることだけに向けられていたからだと思われる。そのため、それが「~せよ」という形であろうが「~するな」という形であろうが、ヘーゲルにとってはどちらでもよかったのだろう。

しかし、ソクラテスの産婆術に焦点を当てるとき、両者の違いは看過できないものとなる。ソクラテスは、(ヘーゲルの言うように)ダイモニオンから「何をなすべきなのか」を知らされたわけではなかった。そうではなく、ダイモニオンの声は、ソクラテスの選んだ道が実現されつつあるときに、その判断が本当に正しいのか、誤っているのではないかと立ち止まらせるに留まり、別の正しい道を教えてくれるわけではなかった。このことは、産婆が子供を産まないということと符合している。

ソクラテスは「僕は(知恵を産む方ではなく)取上げの役の方をしなければならんように神が定め給うている」(『テアイテトス』150C)と言っているが、産婆術をするよう「神が定め給うている」とは、ダイモニオンのしるしが聞こえてきてしまうという彼の生まれながらの性質を指しているのであろう。

ところで、ソクラテスが産婆になった要因は生まれながらの性質だけでなく、それと同時に、自分自身が出産をしたか、あるいはしようと試みた過去があったこともあるのではないかと思われる。


(4)産婆の出産経験
ソクラテスはテアイテトスに向けて次のようなことを言っている。

君も知っていることだろうが、かれら産婆のうちには、誰一人として、まだ自分が妊娠をしたり産をしたりする身でありながら、それで他人の産婆をつとめるというようなものはいない。そういうことはもう産のできない者(ēdē adynatoi tictein/who have become too old to bear)がしているのだ。(149B)

産婆が出産をしないということについては既に確認していたが、それでは過去に出産の経験はあるのかということについてははっきりしていない。ただ、「もう産のできない者」が産婆をつとめるというここでの言い回しから推察するに、産婆にはそのむかし出産をした経験があるようにも思えてくる。ソクラテスについては少なくとも、出産を試みて挫折した過去があったのではないかと私は推測している。というのもソクラテスは『パイドン』の中で自然学に熱中した若き日の自分を回顧しているからだ。

わたしは、およそ存在するものの原因を、私の意にかなった仕方で教えてくれるひとを、ついに見つけ出した、それはアナクサゴラスにほかならない、とおもいよろこんだのであった。(97D)

こうした期待からソクラテスはアナクサゴラスの書物をずいぶん熱心に読んだようである。ところが、「これほどの期待からも、友よ、わたしはつき放されて、むなしく遠ざからざるを得なかったのだ」(98B)と述べられている通り、読み進んでいくにつれてアナクサゴラスの学説も自分を満足させるものではないことに、ソクラテスは気づいていった。つまり、ソクラテスには或る特定の学説を信奉し、正しい知恵を産もうと試みたものの挫折した経験があるのだ。このことはソクラテスの産婆術を始めるひとつの要因であるに違いない。

ただ、ひとたび産婆術が確立されると、そうした経験をもっていない者でも産婆の活動をすることができるようになる。産みの苦しみも知らないような者が、出産は空しいのだと最初から決めてかかるのである。ソクラテスにつき従った若者たちの多くはそのような者であったことだろう。『ソクラテスの弁明』の中で、次のようなソクラテスの言葉がある。

若い者で、暇がたいへん多く、金も非常にたくさんある家の者が、何ということなしに、自分たちのほうから、わたしについて来て、世間の人がしらべあげられるのを、興味をもって傍聴し、しばしば自分たちで、わたしのまねをして、そのあげく、他のひとをしらべあげるようなことを、やってみることにもなったのです。(23C)

今も昔も、哲学が若者たちに魅力的に映るのは哲学の持つ破壊的な働きによる。つまり、社会的権威を否定し、世の慣習を相対化し、我々の間に浸透している常識を破壊する危険な香りに青年たちは魅せられるのである。しかし、知恵を単に否定したいだけの人間と、自ら知恵を産み出そうと試みた結果、壁に突き当たり限界を痛感した上で、知恵を吟味・批判しようとする人間のあいだには雲泥の差があるのではないだろうか。

ソクラテスの産婆術は生来ダイモニオンに憑かれていたことに加えて、自ら専門知を開拓しようと試み、その限界を思い知ったという経験にも裏づけられているのである。

 
***
 
本論の目的は「哲学とは何か」という問いに対して、何らかの示唆を得るためにソクラテスの活動を振り返ることであった。

ソクラテスの活動とは産婆術のことであり、産婆術とは自らは知を生み出すことなく、誰かに働きかけることによって知を成立させることであり、また、すでに成立している知を吟味・批判することである。吟味・批判される対象は専門知および専門家であり、このような営みは当時のアテナイの知の分業体制を背景に行なわれた。

この産婆術で以て、世に登場した全ての哲学を規定することはできないだろう。そもそも2500年もの歴史を持つ言葉を一言で片づけることなど最初から不可能だ。哲学者を産婆に見立てることに対してはいろいろと問題も出てくるだろうが、たとえば、次のような疑問は湧いてしかるべきだろう。

果たして哲学者が知恵を産むことは本当に全くないのだろうか? というのも、哲学者と呼ばれる人たちが、学説を吟味し学問の方法を外から問うばかりでなく、自分自身も何らかの主張を行なうことはよくあるように思えるからである。第一、ソクラテス自身、「自分は知恵が無いから何も産めない」と言っておきながら、ある場面では国家のあり方を論じたりしているし、またある場面では天体の運動についても論じたりしている。何も産んでいないどころか、むしろ多産の部類に入るのではないだろうか。この矛盾を解消するために、ちょうどイエス・キリスト研究において、信仰の対象であるキリストとナザレからやってきたひとりの青年であるイエスとを分けて考えることがあるように、プラトン作品の登場人物としてのソクラテスと歴史上のソクラテスとを分離してみてもよいかもしれない。つまり、実在した史的ソクラテスは学者や青年相手の対話に明け暮れ自らは積極的に学説を打ち出さなかったが、作品上のソクラテスはプラトンが自身の思想を表明するための腹話術の人形に成り下がってしまった、というような具合に。ただ私は、ソクラテスが信仰の対象でない以上このような矛盾があろうが大した問題ではないと考えている。多少の言行不一致が見られても、ソクラテスが自身を産婆になぞらえ、その活動の意義を説いたことは確かだからである。

哲学を産婆術と捉えることの意義は、哲学を哲学内部に留まらせることなく他の専門的諸学問との関わり方を指し示し、広く社会の中での役割を確認することができることである。私は哲学を勉強し始めて十年ぐらいになるが、妊婦を診る気もなく子供と接する気もないくせに、陣痛を起こす技術や子供の善し悪しの判断力を磨くことだけに必死になっている産婆が多いような気がし始めている。


引用文献
『ソクラテスの弁明』(『プラトン全集1』、田中美知太郎訳、岩波書店、1975年。)
『パイドン』(『プラトン全集1』、松永雄二訳、岩波書店、1975年。)
『テアイテトス』(『プラトン全集2』、田中美知太郎訳、岩波書店、1974年。)

引用中のカッコ内の原語に関しては「ペルセウスデジタルライブラリー」(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/)というなんともたいへん便利なサイト内のテキストを参照した上でローマ字表記に転写した。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『古事記』に登場する神々に... | トップ | 小保方問題と佐村河内問題 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古松待男」カテゴリの最新記事