美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

 宇多田ヒカル、母を語る  (イザ!ブログ 2013・8・26 掲載)

2013年12月19日 09時24分06秒 | 音楽
宇多田ヒカル、母を語る

今日、藤圭子の一人娘で歌手の宇多田ヒカルが、自身の公式サイトに、母の死についてのコメントを発表した。藤圭子の死についての私の、かつてのファンとしての思いは、前回の投稿http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/84a8254f09bcf2b1e525b4a521744e30ですべて述べたつもりである。そこに、新たに何かを付け加えようとは思わない。

私が宇多田ヒカルのコメントに心動かされたのは、そこに、投身自殺というすさまじい死に方をした母の名誉を守りきろうとする娘の真情が感じられたからである。

その死をめぐって、どうやらさまざまな揣摩憶測がまことしやかに飛び交っているようである。いつもながらのメディアの陋劣さ、醜悪さが展開されているのだろう。そういう情報の汚泥から、娘ヒカルが、母のイメージとしての亡骸を両の手でぐいと掴んで救いあげようとしている強い意思が、下記のコメントを虚心に読む者にはおのずと分かる。その偽りのない心根が、こちらのハートを掴むのだ。ここには、人気歌手としての計算など微塵もない。また、娘の目に映った裸の人間・阿部純子(藤圭子の本名)の魅力的な姿が面目躍如としている。そうして、その姿は、実の母を失った娘の深い哀しみに染め上げられている。私は、久々に秀逸な文章に巡り会ったような気さえもするのである。

以下、コメント全文である。

8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。

様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。

その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。

症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。 悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。

25年8月26日 宇多田ヒカル [2013年8月26日12時0分]


http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130826-1179073.html

今の宇多田ヒカルは、母の死をめぐってとても苦しんでいるようである。どうやら、自分を強く責めているようなのだ。私は、私人としての彼女の周辺をまったく知らない。しかし、今の彼女には、崩れてしまいそうなその心をしっかりと支えてくれる存在が必要であることだけははっきりと分かる。自殺報道をめぐる国際的な倫理上のルールを破りまくるバカ・テレビ・メディアによる暴力のいちばんの被害者は、どうやら一人娘・宇多田ヒカルのようである。痛ましいことこの上ない。

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