八月十五日の雑感――「天籟」のこと
美津島明さんの「玉音放送」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/076fa861ea18bf298421c59cf319209b
を拝見して、私も八月十五日に関わる小文を綴りたくなりました。
八月十五日の「終戦記念日」は、昔の私にとっても特別の重い日でした。しかし、今ではこの日が、年中行事の一種のように感じられています。それはひとつに、「先の大戦」後、日本は戦争を経験していないとはいえ、五十年も六十年も前の、いや七十年近く経た後の今では、この日に終わった「戦争」を、リアルなものとして受けとめることが、なかなかできにくくなっていると感じるからです。
もちろん自分にとっても子供のころ――ちょうど戦後三十年から四十年にかけてのころ――は、大人たちが実際に戦争を体験した世代であり、その人たちの語る戦争の話を身近で、あるいはテレビ、ラジオから聴くと、それを知らない子供ながら、戦争に想いを潜めることができました。特に私の生まれ育った沖縄では、地上戦で住民も戦火の中を彷徨い、その実体験者たちの語る話は、子供ながら戦慄と恐怖を覚えました(ちなみに、誤解の無いように付け加えますが、昨今、しきりに左派が主張する、住民の集団自決に軍の命令があった、という議論とはこれは関係ありません。なぜなら、私がここで言う「戦争の話」は、「政治」とは関係がないからです)。
しかし、その世代がだんだん少なくなり、高齢化するに従い、「戦後も遠くなりにけり」という実感の方が自分のなかでは日増しに強くなってきました。つまり、八月十五日は、戦争を追体験する日というよりも、歴史のなかで祖国に殉じた先人に想いをはせる日というふうに変わっていったのです。そしてこれとは別に、この日が来るたび、近年、ひとつの不快な出来事で、途方に暮れます。それは、この八月十五日に、我が国の首相をはじめとした閣僚が靖国神社を参拝するかどうかが、まるで日本の踏み絵のようになっているからです。
日本国の公人が戦没者を慰霊追悼するのは義務だと思います。その意味で、靖国神社にこれらの人びとが参拝するのは当然です。そのことに「軍国主義の復活」やら「戦争の反省が足りない」などと、中国や韓国から批判されたり、米国から懸念を表されたりする謂れはありません。観念(イデオロギー)や大義を越えて、国に殉じた人びとに敬礼することができなければ国家は存立できないからです。とはいえ、このこととは別に、個人的には、わざわざ戦争に敗れた日に靖国神社に参拝することもないのでは、との感じも持っています。
靖国神社には公式な式典として春と秋に例大祭があります。日本国の公人なら、この日に参拝するのが自然と思えます。八月十五日に靖国神社を訪れたことのある知人から聞いたことですが、この日は神社の内外が騒然としていて、とても落ち着いてお参りできる雰囲気ではないとの由です。そのことはテレビなどからも知っておりましたが、何がなんでも無理に八月十五日に参拝するというのは、「敗戦」、あるいは「戦後」に重要な意味を見いだしているからでしょう。
昭和の時代には、八月十五日が近づくと、昭和天皇の玉音放送がテレビやラジオで流されておりました。子供ながら、その独特の抑揚を伴ったお声に触れると、その意味する内容は知らねど、かつて日本は大戦争を闘い敗れたのだ、という思いがおのずから湧いてきました。先に書いた、子供のころ聞いた大人たちの戦争の話とあいまって、すでに敗戦後三十年が経って、十分豊かになっていた日本に生きていても、その前時代には「戦争」があったことを教えてくれました。今回、美津島さんのブログから久しぶりに「玉音放送」を拝聴し、そのことも思い出しました。
〈八月十五日正午、昭和天皇の終戦の詔勅を聴いて、多くの日本人がおそはれた〝茫然自失〟といはれる瞬間、極東日本の自然民族が、非情な自然の壁に直面したかのやうな、言葉にならぬ、ある絶対的な瞬間について考へた。そのとき、人びとは何を聴いたのか。あのしいんとした静けさの中で何がきこえたのであらうか。〉
これは桶谷秀昭氏の『昭和精神史 戦後篇』の冒頭にある言葉です(7頁)。続けて、桶谷氏は「天籟」(てんらい)を聴いたと書いています。
〈天籟とは、荘子の「斉物論」に出てくる言葉で、ある隠者が突然、それを聴いたといふ。そのとき、彼は天を仰いで静かに息を吐いた。そのときの彼の様子は、「形は槁木の如く、心は死灰の如く、」「吾、我を喪ふ」てゐるやうであつたといふ。〉(7頁)
この言葉は、マッカーサーがその回想記の中で、敗戦によって、「日本的生き方に対する日本人の信念が、完全敗北の苦しみのうちに根こそぎくずれ去った」、「徹底的に屈伏した」うえに戦後が始まり、ここを出発点として、自分たちの占領改革が行われ成功したという自賛の文章への反措定として置かれています。
八月十五日の靖国神社参拝問題とは、「戦後」が占領改革から始まったのか、あるいは「天籟」を聴いたことに始まったのかを考え、そこから「戦後」イメージが亀裂を生じる問題と密接に絡まっているように思えます。
ただ、今の私にこの「戦後」の亀裂について、答える能力はありません。今回、「雑感」として小文を記した所以です。
〈コメント〉
☆Commented by kohamaitsuo さん
宮里立志さんへ。
難しい問題をとてもよく受け止めていると思いました。
8月15日の玉音放送が日本人に与えた衝撃が、日本史上かつてないものであったことは確かなことですが、このことが同時に、周辺諸国や国内の左派たちをして、「日本軍国主義の敗北記念日」という図式によって、この日を「政治的に利用できる日」として扱わせている事実も無視できません。
ですから、そういう政治的利用を避けるために、以後6年間続いた占領統治期間を、戦争の継続(敗戦過程)とする見方も成り立つ余地があるわけですね。
私自身は、いまとなっては、この日をあまり大げさに考えずに、靖国参拝を、英霊を思う日本人の普通の営みとして、平常心の中で維持していけばよいのではないかと思っています。その意味で、貴兄の趣旨に賛成です。
☆Commented by miyazatotatsush さん
kohamaitsuoさま
コメントありがとうございます。
8月15日の敗戦の日に靖国神社に参拝する、しないが、どうも政治の具になっているのではないかと、気にかかり、拙文を草しました。
「平和の誓いを新たにし」、この日に参拝したと、国会議員のどなたかが仰っていた記憶があります。拙文にも書いたとおり、その「平和」とは、戦後の占領改革の上に築かれた「平和」なのか、それともそれへの是認を含まぬ「平和」なのか。
敗戦という日本史上、未曾有の出来事に「天籟」を聴いたという感覚を、英霊と確かめたいという想いの8月15日の参拝というのは、解るのですが……。
美津島明さんの「玉音放送」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/076fa861ea18bf298421c59cf319209b
を拝見して、私も八月十五日に関わる小文を綴りたくなりました。
八月十五日の「終戦記念日」は、昔の私にとっても特別の重い日でした。しかし、今ではこの日が、年中行事の一種のように感じられています。それはひとつに、「先の大戦」後、日本は戦争を経験していないとはいえ、五十年も六十年も前の、いや七十年近く経た後の今では、この日に終わった「戦争」を、リアルなものとして受けとめることが、なかなかできにくくなっていると感じるからです。
もちろん自分にとっても子供のころ――ちょうど戦後三十年から四十年にかけてのころ――は、大人たちが実際に戦争を体験した世代であり、その人たちの語る戦争の話を身近で、あるいはテレビ、ラジオから聴くと、それを知らない子供ながら、戦争に想いを潜めることができました。特に私の生まれ育った沖縄では、地上戦で住民も戦火の中を彷徨い、その実体験者たちの語る話は、子供ながら戦慄と恐怖を覚えました(ちなみに、誤解の無いように付け加えますが、昨今、しきりに左派が主張する、住民の集団自決に軍の命令があった、という議論とはこれは関係ありません。なぜなら、私がここで言う「戦争の話」は、「政治」とは関係がないからです)。
しかし、その世代がだんだん少なくなり、高齢化するに従い、「戦後も遠くなりにけり」という実感の方が自分のなかでは日増しに強くなってきました。つまり、八月十五日は、戦争を追体験する日というよりも、歴史のなかで祖国に殉じた先人に想いをはせる日というふうに変わっていったのです。そしてこれとは別に、この日が来るたび、近年、ひとつの不快な出来事で、途方に暮れます。それは、この八月十五日に、我が国の首相をはじめとした閣僚が靖国神社を参拝するかどうかが、まるで日本の踏み絵のようになっているからです。
日本国の公人が戦没者を慰霊追悼するのは義務だと思います。その意味で、靖国神社にこれらの人びとが参拝するのは当然です。そのことに「軍国主義の復活」やら「戦争の反省が足りない」などと、中国や韓国から批判されたり、米国から懸念を表されたりする謂れはありません。観念(イデオロギー)や大義を越えて、国に殉じた人びとに敬礼することができなければ国家は存立できないからです。とはいえ、このこととは別に、個人的には、わざわざ戦争に敗れた日に靖国神社に参拝することもないのでは、との感じも持っています。
靖国神社には公式な式典として春と秋に例大祭があります。日本国の公人なら、この日に参拝するのが自然と思えます。八月十五日に靖国神社を訪れたことのある知人から聞いたことですが、この日は神社の内外が騒然としていて、とても落ち着いてお参りできる雰囲気ではないとの由です。そのことはテレビなどからも知っておりましたが、何がなんでも無理に八月十五日に参拝するというのは、「敗戦」、あるいは「戦後」に重要な意味を見いだしているからでしょう。
昭和の時代には、八月十五日が近づくと、昭和天皇の玉音放送がテレビやラジオで流されておりました。子供ながら、その独特の抑揚を伴ったお声に触れると、その意味する内容は知らねど、かつて日本は大戦争を闘い敗れたのだ、という思いがおのずから湧いてきました。先に書いた、子供のころ聞いた大人たちの戦争の話とあいまって、すでに敗戦後三十年が経って、十分豊かになっていた日本に生きていても、その前時代には「戦争」があったことを教えてくれました。今回、美津島さんのブログから久しぶりに「玉音放送」を拝聴し、そのことも思い出しました。
〈八月十五日正午、昭和天皇の終戦の詔勅を聴いて、多くの日本人がおそはれた〝茫然自失〟といはれる瞬間、極東日本の自然民族が、非情な自然の壁に直面したかのやうな、言葉にならぬ、ある絶対的な瞬間について考へた。そのとき、人びとは何を聴いたのか。あのしいんとした静けさの中で何がきこえたのであらうか。〉
これは桶谷秀昭氏の『昭和精神史 戦後篇』の冒頭にある言葉です(7頁)。続けて、桶谷氏は「天籟」(てんらい)を聴いたと書いています。
〈天籟とは、荘子の「斉物論」に出てくる言葉で、ある隠者が突然、それを聴いたといふ。そのとき、彼は天を仰いで静かに息を吐いた。そのときの彼の様子は、「形は槁木の如く、心は死灰の如く、」「吾、我を喪ふ」てゐるやうであつたといふ。〉(7頁)
この言葉は、マッカーサーがその回想記の中で、敗戦によって、「日本的生き方に対する日本人の信念が、完全敗北の苦しみのうちに根こそぎくずれ去った」、「徹底的に屈伏した」うえに戦後が始まり、ここを出発点として、自分たちの占領改革が行われ成功したという自賛の文章への反措定として置かれています。
八月十五日の靖国神社参拝問題とは、「戦後」が占領改革から始まったのか、あるいは「天籟」を聴いたことに始まったのかを考え、そこから「戦後」イメージが亀裂を生じる問題と密接に絡まっているように思えます。
ただ、今の私にこの「戦後」の亀裂について、答える能力はありません。今回、「雑感」として小文を記した所以です。
〈コメント〉
☆Commented by kohamaitsuo さん
宮里立志さんへ。
難しい問題をとてもよく受け止めていると思いました。
8月15日の玉音放送が日本人に与えた衝撃が、日本史上かつてないものであったことは確かなことですが、このことが同時に、周辺諸国や国内の左派たちをして、「日本軍国主義の敗北記念日」という図式によって、この日を「政治的に利用できる日」として扱わせている事実も無視できません。
ですから、そういう政治的利用を避けるために、以後6年間続いた占領統治期間を、戦争の継続(敗戦過程)とする見方も成り立つ余地があるわけですね。
私自身は、いまとなっては、この日をあまり大げさに考えずに、靖国参拝を、英霊を思う日本人の普通の営みとして、平常心の中で維持していけばよいのではないかと思っています。その意味で、貴兄の趣旨に賛成です。
☆Commented by miyazatotatsush さん
kohamaitsuoさま
コメントありがとうございます。
8月15日の敗戦の日に靖国神社に参拝する、しないが、どうも政治の具になっているのではないかと、気にかかり、拙文を草しました。
「平和の誓いを新たにし」、この日に参拝したと、国会議員のどなたかが仰っていた記憶があります。拙文にも書いたとおり、その「平和」とは、戦後の占領改革の上に築かれた「平和」なのか、それともそれへの是認を含まぬ「平和」なのか。
敗戦という日本史上、未曾有の出来事に「天籟」を聴いたという感覚を、英霊と確かめたいという想いの8月15日の参拝というのは、解るのですが……。
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