美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

はなわちえは、やはり優れもの (イザ!ブログ 2012・9・16 掲載)

2013年11月29日 05時03分48秒 | 音楽
7月28日に「はなわちえという優れもの、発見」を投稿しました。今回は、その第二弾ということで。

実ははじめてのはなわちえミニ・ライブ以降、私は二度、はなわちえさんのコンサートを観に行きました。

一度目は、9月4日(火)、原宿のミュージック・レストラン「ラドンナ」で開催された「Girls Instrumental Festa」です。会場は、明治通りと平行に走っている路地沿いにあるとてもお洒落なお店でした。ライヴ演奏を楽しむために、美的なセンスが細部にまで行き届いた空間作りがなされています。ディープ原宿の真っ只中、といった趣です(ぜひ一度お運びを)。音響設備にお金を惜しんでいないようにも感じました。



ラドンナの店内の様子。(ラドンナHPより転載)

三組の女性アーチストの二組目に、はなわちえさんはhanamasの津軽三味線奏者として登場しました。hanamasは、ヴァイオリンの沖増菜摘さんとのユニットです。当夜は、若い男性のピアニストが助っ人として参加しました。私は、はなわちえさんのファンになってからまだ日が浅いので断言はできないのですが、彼女と菜摘さんとはどうやら一期一会の関係のような気がします。細部にわたって、二人の息がぴったりと合っていて、しかもとても楽しそうなのです。もちろん、楽しさを演出する意識は、プロですから当然あるのでしょうが、それが基本的には彼女らの音楽的自然体から出てきたもののように感じられるのです。そういうことについてまでは普通演出できないでしょう。そこまで、彼女たちは狡くないでしょう。なにせ、彼女たちは見た目は可愛いのですか、その本質は生真面目で本格的な音楽家なのですから。そうして、特に菜摘さんは、津軽三味線奏者としてのはなわちえさんをこよなく尊敬しているようなのです。どこがどうとは具体的には言えないのですが、そういう感じが、演奏している二人のやりとりから、こちらに自然と伝わってくるのです。二人のお互いに対する信頼感はとても深いと思われます。かの演歌界の首領(ドン)北島三郎だったら、「ふたりは義兄弟の契りを交わした」と絶賛するのではないでしょうか(軽いジョークです)。

演奏された曲目を列挙しておきます。

1.ジョン・ライアンズ・ポルカ
2.トコトコ行進曲
3.花音
4.火群
5.Life
6.磯節
7. パガニーニ24番

一曲目のアイルランド民謡「ジョン・ライアンズ・ポルカ」の快活なリズムに合わせて、hamanasの二人が、クリムゾン・レッドのワンピースのコスチュームで軽やかにキュートな振りをつけながら演奏しているのを目にした瞬間に、私の心はどこか遠くの世界にふっと運ばれていきました。これは、「たとえ」ではありません。


hanamasの当夜のコスチューム。ちなみに、向かって左がバイオリンの沖増菜摘さん、右が津軽三味線のはなわちえさん。(沖増菜摘さんのブログより転載)

二曲目の「トコトコ行進曲」は、モーツァルトの「トルコ行進曲」をアレンジしたもので、「トコトコ」は、津軽三味線の音をユーモラスに擬音化したものでしょう。一曲目に続いて、とても楽しい楽曲が続きます。高度なアンサンブル・掛け合いを二人はニコニコしながら楽々と展開します。どんなに難しいフレーズでも、スラッとした表情で弾いてみせるところが、はなわちえさんの魅力の一つでもあります。私は、その姿を見ているとなにやらシビレてくるのです。

三曲目の「花音」は、日本人が大好きな(もちろん私も大好きな)パッヘルベルのCannonをhanamas風に愛くるしいpopsにアレンジしたものです。津軽三味線奏者のはなわちえさんが、糸を豪快に叩くようにして弾く「叩き三味線」の名手であるのは当然なのですが、唄を歌うように繊細に奏でる「弾き三味線」の名手でもあることがよく分かる一曲です。彼女は、タダモノではないのです。

四曲目の「火群」と五曲目の「Life」は、hanamasのオリジナルです。いずれも、彼女たちの音楽的エネルギーのほとばしりを感じさせる迫力の佳作です。二人ともに華奢なのに、「どこにこんなエネルギーが秘められているのか」と不思議になるくらいです。「火群」で、はなわちえさんが、こちらの音楽的な琴線を鷲掴みにするような天才的なフレーズを奏でたのを覚えています。私は三味線の専門用語を知らないので、それ以上なんといって表現したらいいのか分かりませんが、とにかくそれは凄まじい一瞬でした。津軽三味線の土俗的なエネルギーと高度にpopなセンスとが頂点で溶け合った瞬間の音といいましょうか。「Life」は、はなわちえさんがまだ行ったことのない日本海の荒波をイメージして作られたもの、とのこと。菜摘さんが、鳥取砂丘から見た海は怖かった、と語っていたのがなぜか印象に残っています。

実は、私はこのライヴに、長年のおつきあいをいただいている耳の肥えた年長の男性A氏をお誘いして、同伴していただきました。「男の私でいいんですか」と言いながらも彼は付き合ってくれたのです。彼は、ジャズにとても詳しい方で、その音楽に対するコメントの的確さに常々舌を巻くことしきりです。

彼は今回のhanamasライヴについて、次のように語っていました。箇条書きにします。

(1)ピアノの助っ人は必要がなかったのではないか。なぜなら、件(くだん)のピアノ奏者は基本的にジャズピアノのように低音部を奏でていたと思うのだが、あれくらいのことなら、ちえちゃん(と彼は呼んでいました)が十分に演奏できたのではないか。Hanamas二人だけのアンサンブルで、観客は十分にその魅力を堪能できるのではないか。余計な音楽的装飾・配慮は必要ないと思う。二人のつながりそのものに、音楽面に関しても、彼女たちはもっと強い自信を持ったほうがいい。より良い音楽を目指す上での試行錯誤は必要だが、決してブレてはいけない。

(2)曲と曲の間の語りはもっとカットしてしまっていいのではないか。特に、ちえちゃんは、語りにあまり熱心ではなくって、要するに「まあ、私たちの音楽を聴いてよ」という姿勢である。その自然体でいいのだ。菜摘ちゃん(と彼は呼んでいました)が、寡黙気味のちえちゃんをカバーしようとして、かえって空振り気味になっている。菜摘ちゃんは本当は恥ずかしがり屋なのだと思う。音楽そのもので彼女たちはちゃんとわれわれ聴衆に語りかけるだけの高度な表現力があるのだから、それで十分だ。

(3)今夜、ちえちゃんが前面に出てギラリと光るフレーズを奏でたのは一回だけだった。他の出演者の演奏とのバランスを考えて、あまりでしゃばらないように、との配慮なのかもしれない。が、他の出演者を「食って」しまってケロリとしているくらいでちょうどいいのではないか。かつて、『真景累ヶ淵』『牡丹灯籠』の天才落語家・円朝は、前座で師匠の円生を平気で「食って」しまったという。それに負けまいとして円生は、弟子の円朝が用意した噺を横取りしたという。芸事はそれくらいのしのぎの削り合いがあって当然だと思う。それでこそ、観客は喜ぶ。観客に心底喜ばれることを措いて、芸能者の存在理由は他にないのではないか。

一見、辛辣なことを言っているようですが、hanamasの才能を十分に認めた上での発言なので、私は傾聴に値するコメントであると考えます。はなわちえさんに「ぞっこん」の私には到底望めない冷静な意見ですね。

それはそれとして、三組のミュージシャンの演奏がすべて終わった後、全員参加で、チック・コリアの「スペイン」を演奏しました(年長のA氏によれば、それは「スペイン」ではなく「アランフェス協奏曲」が正確なのだそうですが)。とても「イケてる」演奏でした。ビブラフォンと津軽三味線とバイオリンと二胡で織り成された力強いアランフェス協奏曲。日本の音楽界の底力、層の厚みを思い知った一コマでありました。日本の音楽界のスポンサー体制は、この底力を掬い上げ切れていない、という思いを強くしました。スポンサーの、文化についての感度が凄まじく鈍いということなのでしょう。スポンサーのフロントの意識レベルは未だにおおむねヤーさんまがいの低いレベルなのでしょう。芸能プロダクションはいまだにヤクザの巣窟だということですし。芸能界のそんな腐った現状を尻目にするように、彼女たちの演奏は真摯そのものであり、音楽家としてのパワーに溢れていました。hamanasを含めた彼女たち全員を心から応援したいと思っています。ミュージシャンとしての彼女たちに順当に金の回る社会的なシステムが構築できればいいのですけれど。


当夜の出演者一同。向かって左の二人が「MIKI et MAKI」(ピアノ古垣未来 ビブラフォン峯尾未紀)、真ん中が「野沢香苗」(二胡。当夜のトリ)。右の二人が「hanamas」。(はなわちえさんのブログより転載)

演奏がすべて終わった後、早速店内のCD販売コーナーに向かいました。はなわちえさんは、ライヴ会場でしか、自分のCDを販売しないからです。前回飯田橋ラムラで彼女の街角ライヴを聴いたとき、hanamasとしてのセカンド・アルバム『hanamas garland』を買ったのですが、『hanamas in my life』を買っていなかったのです。ぜひ、彼女らのこのファースト・アルバムを今度は買いたいものだと煩悩を疼かせていたので、一目散に販売コーナーに駆けつけた、というわけです。そこに、お目当てのお二人がちゃんといました。「これ、ください」とファースト・アルバムを指し示したところ、菜摘さんが、早速CDのビニールをビリビリと破り始めました。で、彼女は「あ、いけなかったんだっけ」と言いました。つまり、CDへの二人のサインを、私が必要としていないのかもしれない、という不安が兆したのでしょう。私は即座に「いいえ、それで大丈夫です」と言って、CDに二人のサインをしてもらいました(サインのデザインについては二人ともにまだまだ修行が必要なようです)。私は不躾(ぶしつけ)にも、目の前のはなわちえさんに「今日は、ちょっと遠慮したんじゃないですか」と尋ねました。はなわちえさんはあいまいにほほえんだままなんとも答えませんでしたが、菜摘さんが「まあ、そうですね」と答えました。菜摘さんは、当夜、ちえさんの抑え気味の演奏をカバーするかのような熱演だったので(激しい演奏のせいで、バイオリンの弦を何度も切っていたくらいです)、ちえさんの代わりに答えたのでしょう。私はそう受けとめて「たまには、ソロで演奏しないのですか」と、もう一度ちえさんに尋ねました。すると、ちえさんが「今度、日本橋・箱根でやります。ぜひ、来てください」と言ったのです。

話が、思ったよりも長くなってしまいました。この続きは、近いうちに。

〔追記〕
私は、この文章を『hamanas garland』を繰り返し聞きながら書きました。このCDの曲はどれもひんやりとして澄んでいる井戸水のような純度を保っていてそのうえ親しみやすいのですが、この音はやはり今の日本のpopミュージックの最先端を、音自体として走っています。どうしようもなく高度なのです。新しいのです。それを分かる人がひとりでも増えることを心から願います。

今回のコンサートでいちばん残念だったのは、ちえさんの『津軽じょんがら節』を聴けなかったことです。とりわけ、『津軽じょんがら節』から『Life』へのリレーは、たとえようもないほどに美しくて魅力的でスリリングです。それを録画した渋谷でのストリート・ライヴがあるので、そのURLを下に載せておきます。ぜひ、クリックしてお聴きください。こんな凄いミュージシャンが、大都会の街角でタダで演奏しているのです。いまの日本の音楽文化厚みは、もはや爛熟期と称しても過言ではないでしょう。繰り返しになりますが、ビジネス界がそれに追いついていないのです。

hanamas「津軽じょんがら節&LIFE」@カフェクレール2014 1 26







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