池永康晟(いけながやすなり)*本文とは直接のつながりはありません。
編集担当より:新企画です。後藤隆浩氏と上田仁志氏による文学談義を無期限連載いたします。おふたりの、文学をめぐるやりとりを身近に見ながら、よくぞ話題が尽きないものだと感心したのは一度や二度ではありません。物静かな雰囲気なのではありますが、そこには文学への尽きることのない情熱と、これまで幾度も議論を重ねてきたことによる言葉の層の厚みのようなものとが感じられるのです。そのライヴ感がうまく出れば、魅力的な読み物になること請け合いです。
「偏愛的文学談義」(その1)後藤→上田
上田仁志様
この度、往復書簡形式による「偏愛的文学談義」を始めることになりました。文学を中心に様々な話題を取り上げて、論じ合っていこうという企画です。どうぞよろしくお願いいたします。この企画の原案が固まったのが八月上旬のことでした。その後、具体的な内容についていろいろと案を考えていたところへ、木田元氏の訃報が伝えられました。木田氏の文筆活動は、我々も含めて広範囲の多くの読者に、様々なレベルで影響を与え続けてきたものと思われます。木田氏追悼の意を込めて、最初のテーマは木田元論ということで始めたいと思います。
木田氏は1990年代に入ると、広く一般的な読者を対象とした文筆活動を展開し始めました。初エッセイ集『哲学以外』が出版されたのは、1997年。翌1998年には、1994年からの連載をまとめた『わたしの哲学入門』が出版されています。以後、エッセイ集、対談、新書、自伝の出版が続きます。このような一般読者向けの著作は、多くの読者の関心を、木田氏の哲学的著作へと導いたものと思われます。ここ20年程の間、日本の読書界は、静かなそして確かな読者の意識に支えられた「木田元ブーム」とでも言うべき活況を呈していたような気がいたします。
自伝的作品『闇屋になりそこねた哲学者』は、いわゆる木田哲学入門とでも言うべき一冊ではないでしょうか。この作品においては、回想的語りにより、木田氏がどのような経験、思考を積み重ねて哲学の道を歩むようになったのか、その精神過程が読者に提示されています。もちろんそこで語られている内容は、木田氏個人の経験、生活、思考でありますが、現代の読者にとっては、その内容が単なる一個人の回想というレベルを越えて、昭和精神史というレベルの普遍性に到達しているように思われます。この作品には、木田氏の視点から語られた木田氏の経験と思考を素材としたところの昭和精神史といった趣があるのではないでしょうか。キーワードをいくつか拾ってみましょう。満州、海軍兵学校、原子爆弾、敗戦、引き揚げ、闇米。戦前、戦中、戦後と大きな変化を伴う昭和期を理解するための数々の言葉。これらを木田氏は実際に経験してきました。そして哲学者としての思考訓練を積み重ねてきた現在、木田氏は哲学者の眼でこれらの経験を語り直しているのです。この作品を読み込んでいきますと、昭和の精神史が読者の心の中で生き生きと動き始める思いがいたします。生松敬三、小野二郎といった木田氏の友人達も生き生きと語り始める気がいたします。
このような木田氏の自伝的語りのスタイルの原点は、盟友生松敬三氏との対談に見いだされます。1979年9月臨時増刊『現代思想 総特集ハイデガー』誌上において、二人は「ハイデガーと現代思想」という対談を行っております。この対談において木田氏は、親友の生松氏にも初めて話すこととして、戦後の再出発、ハイデガー『存在と時間』との出会いといった内容から語り始めています。そして『存在と時間』に関する木田氏の見解も、生松氏に詳しく説明しております。残念ながら生松氏は、この対談から五年程後に他界してしまいます。現時点から見てみますと、木田氏はこの対談において、親友の生松氏にその後の文筆活動のプランの原型とでも言うべきものを語っていたように思われます。今後の課題として私達は、木田元氏、生松敬三氏両者の対話的思考線を念頭に置きながら、両氏の著作を追思考していく必要があると考えております。
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