渡せなかった、綿矢りささんへのラヴ・レター (美津島明)
六年ほど前のことである。私は、作家の綿矢りささんに、ラヴ・レターを送ろうとしたことがある。熱狂的な変質者としてのそれではない。一緒にお仕事をしたい、という内容のラヴ・レターである。
ひとこと断っておくと、それらの一連の行動は、私の病的な妄想の産物ではない。ある大手出版社の編集者H氏とひとつひとつ手続きを踏んで具体化していったものである。結論として、無名の物書きである私が、当時の超有名人の綿矢さんを動かすには、その仕事――インタヴュアとして、綿矢さんの太宰治観に光を当て、意外性のある鮮烈な太宰像を世に出すという仕事――に賭ける自分の熱意をお伝えするしかない、ということになった。
で、書いたのが、次に掲げる文章である。
残念なことに、H氏に送ったその文章は、彼の手元から綿矢氏ご本人に渡ることはついになかった。おそらく、彼のプロとしての勘が、綿矢氏にその手紙を送るという行動を踏み切らせなかったのではないかと思う。「この企画は、どうもダメである」と。
その仕事への未練はもはやない。編集者へのうらみ・つらみもない。しかし、まがりなりにも心を込めて書いたラヴ・レターが、惚れた相手に届かなかった、といういささかの無念さのようなものは残っている。こうして世間の目に触れるようにすることで、もしかしたら、ご本人の目に触れることもあろうかと淡い期待を抱く次第である。
***
はじめて、おたよりを差し上げます。
私は、美津島明と申します。今年の二月に『にゃおんのきょうふ』という評論集を純響社から上梓した者です。それが私のはじめての著作です。今年で五十歳になります。
おたよりを差し上げた経緯と趣旨についてなるべく簡潔に申し上げます。
ことしの六月に、〇×新書出版部の編集者H氏との間で、女流の作家か評論家に太宰治を語ってもらう、という企画が持ち上がりました。私には、インタビゥアの役が割り振られました。彼とは、数年来の知人ではあったのですが、具体的な仕事で交流するのは今回がはじめてです。
インタヴュイーの候補者として、『絶対音感』の最相葉月さん、斉藤美奈子さん、川上弘美さん、そして綿矢りささんの四人の名が挙がりました。ほかにも何人か名前が挙がった方もあったのですが、話し合いの結果そこまで絞りました。
では、とりあえず四人の主著を読んでみようということになりました。
正直に申しあげるならば、そのときまでに私が読んでいたのは川上弘美さんの『センセイの鞄』くらいのものでしたので、四人の表現者のイメージが確かな手触りを伴ったものとして浮かび上がってくるまでにはけっこう多くの時間を費やしました。
その結果、太宰を語らせて最も魅力があるのは、綿矢りささんではないかと私は思うに至りました。
綿谷さんの『インストール』『蹴りたい背中』『夢を与える』の三冊を上梓された年代順に読んでみて、太宰治的なものとの内的な対話の度合いということで言えば、四人の著作のなかで綿矢さんのものが、断トツに高いことにまずは着目しました。
また、綿谷さんが、自分の精神における太宰治の影響の自覚を、作品を上梓されるたびに深めていらっしゃることにも着目しました。
これは、綿谷さんが折に触れて太宰治に思いをめぐらせていることを物語っているものと思われます。
ここで、綿谷さんの内なる太宰の核心とは、作品でいえばおそらく『人間失格』の太宰ではないでしょうか。太宰が最晩年に到達した人間観の影響をおそらくは全身に浴びることで、早熟な作家として出発した綿矢さんにとても興味があります。作家太宰治が終わった地点が、綿矢さんの作家としての出発点であることに、です。それは、精神的には決して楽なことではありません。綿矢さんは、そのことをいま心底感じ始めているような気がするのですが、いかがでしょうか。
そういったことを一月ほど前にHさんにお伝えしたところ、では、今回の企画、綿矢さんにしぼりこんで話を進めましょう、ということになりました。とするならば、私としては、もう一度綿矢さんの全作品を新たな目できっちりと読み返し、合わせて、太宰治の主な作品を読み返したうえで、綿矢さんに仕事の依頼のお手紙を書きたいとHさんに申し出ました。それから約一ヶ月が経ち、いま綿矢さんにこうしてお便りをしたためている次第です。
いまあらためて感じているのは、ご自身のはじめての三人称小説の『夢を与える』で、綿矢さんが相当大胆に作家としての告白をなさっているな、ということです。高度なフィクションにおいてこそ作家の内的なリアリティが際立つというのは、良い小説の法則のようなものです。その力学を綿矢さんは本作でよく活用なさっていると思います。
いささか長くなりますが、そのことを、順を追って申し上げるのをお許しください。
綿矢さんは、高度情報化社会の暴力を肌で感じていらっしゃるのではないかと推察いたします。
ざっくりと言ってしまえば、それは、「夢を与える」存在の、マスにとっての都合の良いイメージを骨までしゃぶりつくすことによって、高度情報化社会の共同幻想が自己保持、自己更新されるオートマティックなシステムのことです。
このシステムは、「夢を与える」存在が、共同幻想の求めるものを拒否して素の個人であろうとする場合、その存在に悲劇的な末路をもたらします。その鮮烈な例として、私の脳裏にはマイケル・ジャクソンが思い浮かびます。
綿矢さんは、ご自身がそういう「夢を与える」存在です。感性の鋭いあなたが、自分を取り巻く、そういう意味での暴力に対して鈍感であるはずがありません。
ところが、やっかいなことに、素の個人であることは、芸術的な創造の欠かせぬ源泉なのです。
その難しい方程式を、綿矢さんは、次のように解こうとなさったのではないでしょうか。
作中の「夕子」というイノセントな存在は、綿矢さんのいわばフィクティシャスな分身でしょう。綿矢さんは、その彼女を芸能界という名の高度情報化社会の暴力にさらし、素の個人であろうとすることの末路をきっちりと見届けるという、小説上の思考実験をなさったのではないかと推察いたします。
それを敢行し切った綿矢さんを私は小説家として見事であると思っています。
そして、「夕子」が作中においてたどり着いた場所から、「無垢の信頼心は罪なりや。神に問う。無抵抗は罪なりや?」という『人間失格 』における葉蔵の悲痛なうめき声が聴こえてくるように感じるのは、はたして私だけでしょうか。
それは、太宰が最期にたどり着いた人間観を綿矢さんが現在の状況のとても深いところで受けとめなおしていることを意味するでしょう。
綿矢さんが、ご自身の創造の源泉をいわば捨て身で守りきることによって、そういう深い受けとめをなさったことに敬意を表します。それは、綿矢さんが、世間の強要する「綿矢幻想」と訣別なさったことをも意味するでしょう。それはとても勇気の要ることです。
近代文学は終わった、などとポストモダン系のバカ評論家たちが軽薄に口走っているようですが、彼らの近視眼には、綿矢さんの、近代文学の継承者としての深い場所など目に入るはずがありません。片腹痛いかぎりです。
いま綿矢さんは、次の作品の創作のまっただなかにいらっしゃるのでしょうか。そのなかで、太宰との意識無意識織り交ぜた対話をさらに深められていらっしゃるのではないかと推察いたします。
その部分に鮮烈な光を当てて、近代日本文芸の最良の部分をいま引き継ぐとはほんとうはどういうことなのかを心ある人々に知らしめる橋渡し役を私どもに務めさせていただければ幸いに存知ます。
よろしくご検討くださいませ。
失礼いたします。
平成二十一年八月十五日 美津島明 拝
六年ほど前のことである。私は、作家の綿矢りささんに、ラヴ・レターを送ろうとしたことがある。熱狂的な変質者としてのそれではない。一緒にお仕事をしたい、という内容のラヴ・レターである。
ひとこと断っておくと、それらの一連の行動は、私の病的な妄想の産物ではない。ある大手出版社の編集者H氏とひとつひとつ手続きを踏んで具体化していったものである。結論として、無名の物書きである私が、当時の超有名人の綿矢さんを動かすには、その仕事――インタヴュアとして、綿矢さんの太宰治観に光を当て、意外性のある鮮烈な太宰像を世に出すという仕事――に賭ける自分の熱意をお伝えするしかない、ということになった。
で、書いたのが、次に掲げる文章である。
残念なことに、H氏に送ったその文章は、彼の手元から綿矢氏ご本人に渡ることはついになかった。おそらく、彼のプロとしての勘が、綿矢氏にその手紙を送るという行動を踏み切らせなかったのではないかと思う。「この企画は、どうもダメである」と。
その仕事への未練はもはやない。編集者へのうらみ・つらみもない。しかし、まがりなりにも心を込めて書いたラヴ・レターが、惚れた相手に届かなかった、といういささかの無念さのようなものは残っている。こうして世間の目に触れるようにすることで、もしかしたら、ご本人の目に触れることもあろうかと淡い期待を抱く次第である。
***
はじめて、おたよりを差し上げます。
私は、美津島明と申します。今年の二月に『にゃおんのきょうふ』という評論集を純響社から上梓した者です。それが私のはじめての著作です。今年で五十歳になります。
おたよりを差し上げた経緯と趣旨についてなるべく簡潔に申し上げます。
ことしの六月に、〇×新書出版部の編集者H氏との間で、女流の作家か評論家に太宰治を語ってもらう、という企画が持ち上がりました。私には、インタビゥアの役が割り振られました。彼とは、数年来の知人ではあったのですが、具体的な仕事で交流するのは今回がはじめてです。
インタヴュイーの候補者として、『絶対音感』の最相葉月さん、斉藤美奈子さん、川上弘美さん、そして綿矢りささんの四人の名が挙がりました。ほかにも何人か名前が挙がった方もあったのですが、話し合いの結果そこまで絞りました。
では、とりあえず四人の主著を読んでみようということになりました。
正直に申しあげるならば、そのときまでに私が読んでいたのは川上弘美さんの『センセイの鞄』くらいのものでしたので、四人の表現者のイメージが確かな手触りを伴ったものとして浮かび上がってくるまでにはけっこう多くの時間を費やしました。
その結果、太宰を語らせて最も魅力があるのは、綿矢りささんではないかと私は思うに至りました。
綿谷さんの『インストール』『蹴りたい背中』『夢を与える』の三冊を上梓された年代順に読んでみて、太宰治的なものとの内的な対話の度合いということで言えば、四人の著作のなかで綿矢さんのものが、断トツに高いことにまずは着目しました。
また、綿谷さんが、自分の精神における太宰治の影響の自覚を、作品を上梓されるたびに深めていらっしゃることにも着目しました。
これは、綿谷さんが折に触れて太宰治に思いをめぐらせていることを物語っているものと思われます。
ここで、綿谷さんの内なる太宰の核心とは、作品でいえばおそらく『人間失格』の太宰ではないでしょうか。太宰が最晩年に到達した人間観の影響をおそらくは全身に浴びることで、早熟な作家として出発した綿矢さんにとても興味があります。作家太宰治が終わった地点が、綿矢さんの作家としての出発点であることに、です。それは、精神的には決して楽なことではありません。綿矢さんは、そのことをいま心底感じ始めているような気がするのですが、いかがでしょうか。
そういったことを一月ほど前にHさんにお伝えしたところ、では、今回の企画、綿矢さんにしぼりこんで話を進めましょう、ということになりました。とするならば、私としては、もう一度綿矢さんの全作品を新たな目できっちりと読み返し、合わせて、太宰治の主な作品を読み返したうえで、綿矢さんに仕事の依頼のお手紙を書きたいとHさんに申し出ました。それから約一ヶ月が経ち、いま綿矢さんにこうしてお便りをしたためている次第です。
いまあらためて感じているのは、ご自身のはじめての三人称小説の『夢を与える』で、綿矢さんが相当大胆に作家としての告白をなさっているな、ということです。高度なフィクションにおいてこそ作家の内的なリアリティが際立つというのは、良い小説の法則のようなものです。その力学を綿矢さんは本作でよく活用なさっていると思います。
いささか長くなりますが、そのことを、順を追って申し上げるのをお許しください。
綿矢さんは、高度情報化社会の暴力を肌で感じていらっしゃるのではないかと推察いたします。
ざっくりと言ってしまえば、それは、「夢を与える」存在の、マスにとっての都合の良いイメージを骨までしゃぶりつくすことによって、高度情報化社会の共同幻想が自己保持、自己更新されるオートマティックなシステムのことです。
このシステムは、「夢を与える」存在が、共同幻想の求めるものを拒否して素の個人であろうとする場合、その存在に悲劇的な末路をもたらします。その鮮烈な例として、私の脳裏にはマイケル・ジャクソンが思い浮かびます。
綿矢さんは、ご自身がそういう「夢を与える」存在です。感性の鋭いあなたが、自分を取り巻く、そういう意味での暴力に対して鈍感であるはずがありません。
ところが、やっかいなことに、素の個人であることは、芸術的な創造の欠かせぬ源泉なのです。
その難しい方程式を、綿矢さんは、次のように解こうとなさったのではないでしょうか。
作中の「夕子」というイノセントな存在は、綿矢さんのいわばフィクティシャスな分身でしょう。綿矢さんは、その彼女を芸能界という名の高度情報化社会の暴力にさらし、素の個人であろうとすることの末路をきっちりと見届けるという、小説上の思考実験をなさったのではないかと推察いたします。
それを敢行し切った綿矢さんを私は小説家として見事であると思っています。
そして、「夕子」が作中においてたどり着いた場所から、「無垢の信頼心は罪なりや。神に問う。無抵抗は罪なりや?」という『人間失格 』における葉蔵の悲痛なうめき声が聴こえてくるように感じるのは、はたして私だけでしょうか。
それは、太宰が最期にたどり着いた人間観を綿矢さんが現在の状況のとても深いところで受けとめなおしていることを意味するでしょう。
綿矢さんが、ご自身の創造の源泉をいわば捨て身で守りきることによって、そういう深い受けとめをなさったことに敬意を表します。それは、綿矢さんが、世間の強要する「綿矢幻想」と訣別なさったことをも意味するでしょう。それはとても勇気の要ることです。
近代文学は終わった、などとポストモダン系のバカ評論家たちが軽薄に口走っているようですが、彼らの近視眼には、綿矢さんの、近代文学の継承者としての深い場所など目に入るはずがありません。片腹痛いかぎりです。
いま綿矢さんは、次の作品の創作のまっただなかにいらっしゃるのでしょうか。そのなかで、太宰との意識無意識織り交ぜた対話をさらに深められていらっしゃるのではないかと推察いたします。
その部分に鮮烈な光を当てて、近代日本文芸の最良の部分をいま引き継ぐとはほんとうはどういうことなのかを心ある人々に知らしめる橋渡し役を私どもに務めさせていただければ幸いに存知ます。
よろしくご検討くださいませ。
失礼いたします。
平成二十一年八月十五日 美津島明 拝
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