美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

これ、ヒドくないですか?

2014年02月07日 15時12分14秒 | 教育
これ、ヒドくないですか?

私の塾は、個別指導のみです。いわゆる集団指導はありません。だから当然のことながら、親御さんは、こまやかな指導を期待して、お子さんを私の塾に預けます。その延長で私は、親御さんとのコミュニケーションも密に図ろうとしています。その方が安心していただけるのではないかと思ってのことです。なにせ商売。顧客の満足があってはじめてお店が成り立ちます。しかし、どこぞの大手塾のごとく毎回のように電話するのは相手も迷惑に感じると思うので、毎回授業報告書を作成し、その中の所見欄に、教えていて気がついたことやお伝えしたいことを書き記して、生徒さんを通じて親御さんに読んでいただくことにしています。所見欄の下には、親御さんの感想を書いていただく欄があります。特別なにもなければ、「よろしくお願いいたします」とだけ書いてくるのですが、長文にわたる場合も散見されます。

そんななかの一例。ある生徒さんが私に「学校の授業で、みんなが見ているところで発表するのが苦手。塾では気軽に話せるんだけど、学校だとなんか違ってしまう」と授業が終わった後に言いました。私は、「人前でアガるのは、当たり前のこと。君だけじゃない。そう思うと、少しはリラックスできるんじゃないかな」と、あまり頼りにならないアドバイスをしました。

生徒さんとのそういうやり取りを所見欄に書き記したところ、彼女のお母さんからおおむね次のような返事が返ってきました。「娘は、小学校低学年のときのクラス担任から、しばしば『あなたには吃りがある』とみんなの前で指摘されました。それ以来、人前で発表したり、挙手して意見を言ったりすることに臆病になってしまったようです。」

「それはとても残念なできごとですね」と抑えた筆遣いの返事を書き添えましたが、実は煮えたぎる感情がせり上がってきたのでした。むろん、そういう物言いをした教師に対してです。

お母さんのおっしゃることが事実だとしたら、みなさんは、どう思われますか。

私は、その担任の言葉は無神経に過ぎると思います。人は自分が他人より劣っている点、あるいは、人並みにできないことについて、だれに言われなくても、過剰なくらいに意識しているものです。そのことについて、年齢はあまり関係がないと思います。むしろ子どもの方が、まだ客観的に世界をつかむすべを手中にしていないぶん、気に病む程度がはなはだしい面があるのかもしれません。

私の場合、小学校時代逆上がりができないことをひどく思い悩み、誰もいなくなった校庭で何日間も暗くなるまで練習し続けた記憶があります。しかし、ついにダメで、誰に言われたわけでもないのですが、「オレはダメな奴だ」と自分を苛みました。もしも担任の先生から「美津島くん。クラスで逆上がりができないのはあなただけよ。大きい成りをしているのにおかしいわね」などとみんなの前で言われたら、谷底に突き落とされたような気持ちになったことでしょう。そうして、心に理不尽なコンプレクスの烙印をおされてしまったにちがいありません。ついに逆上がりができなかった自分としては、そういう想像がおのずと湧いてくるのです。

その生徒さんは多くを語りませんが、おそらくとても悲しい思いをしたのでしょう。しょぼんとして母親にその事実を伝えた小さな姿が浮かんできます。学校の教師の悪口をあまり言いたがらない生徒さんなので、その情景を想像すると、こちらまで悲しい気分になってきます。

お母さんの言から察するに、その記憶は、いわゆるトラウマとして残ったことになります。中学生になっても、人前で発表したり意見を言ったりするときに、そのときの記憶が無意識のうちにうごめいて、彼女の心をとらえて離さない、ということになっているような気がします。

とはいうものの彼女は、ひたすらなる哀れな被害者であることにとどまったわけではなさそうです。というのは、彼女の言動には、その記憶と闘った痕跡が見受けられるからです。

こちらの質問に答えようとするとき、彼女は、しばらく黙っていて、その後おもむろに話し始めるのです。つまり彼女は、吃音の波のようなものが過ぎ去るまで待つことを覚えたのではないかと思われます。人前で吃音を晒さないように工夫することによって、彼女は、無防備に受けてしまった言葉の暴力の記憶を乗り越えようとしたし、いまも、乗り越えようとしているのでしょう。その孤独な闘いと無言の試行錯誤の過程は、無神経な発言を繰り返した元担任のあずかり知らぬことでしょうが。

しかしながら、その何秒間か続く工夫をそれとして理解してくれる教師やクラスメートがいま何人いるのか、私には分かりません。

最後に、ちょっとだけエラそうなことを言います。教える立場にある者は、学校教師であろうと、塾の教え屋さんであろうと、生徒の善導を心がけるべきであると思われます。生徒が心得違いを起こして間違った心の構えを身に付けようとしているときは、心を鬼にして、叱責することはかまわないでしょうし、事実私は、そうしています。そういうときは、商売は関係ありません(そこが塾商売を営む者としてダメなところなのでしょうが)。

が、いろいろな意味で人並みのことをするのに苦慮してあがいている生徒に対しては、心から励まし、少しでも自信をつけさせるのが、教える立場にある者の、ルール・マナー・エチケットではないかと思われます。

その意味で、無神経な言動を繰り返し、彼女の心に傷を負わせたその担任は、教える立場にある者として、ルール違反者、良きマナーの心得のない野蛮人、エチケットを体得していない無作法者ということになりましょう。

私がそういうことをしてしまえば、市場からサンクションを受けます。つまり、生徒が辞め、近所に悪評が広がり、新しい生徒が誰も来なくなって、オマンマを食い上げる、という当然の暗い未来が待ち受けています。それは嫌なので、ごく普通の振る舞いをしようとします。おそらく、そういう形で常識なるものが担保されているのでしょう(別に市場経済を礼賛しているわけではありませんよ)。

その教師の場合はどうでしょうか。何のサンクションも受けずにのうのうと毎月決まった給料を受け取り、相変わらず無防備な生徒を無自覚に傷つけ続け、年金を手にする日を指折り数えて待っているのでしょうか。とすれば、少々羨ましい気もしますし、呪わしくもあります。

別に、こんなつぶやきのような文章で、学校教師バッシングをしようなんて大それた意図はありませんよ、あしからず。
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素朴な質問にちゃんと答えるのは、けっこうムズカシイ

2014年02月05日 10時53分05秒 | 教育
素朴な質問にちゃんと答えるのは、けっこうムズカシイ

私の塾に、中学一年生で理科のよくできる生徒がいます。科学的なことがらに対して人一倍興味もあります。iPS細胞やSTAP細胞についても、一通りのことは分かっていたりします。「再生医療の研究に関して、日本は世界のトップ・ランナーだね」などとこちらが言えば、力強くうなずいたりもするのです。「三〇歳の女の子が、あんなスゴイ研究成果をあげたのだから、中学生のキミが『よし、オレも一丁やったるか』という気持ちになって、奮起したってちっともおかしくないよね」と言ったら、赤面して「めっそうもない」というふうに首をすくめました。実はまんざらでもないのでしょう。彼は将来科学者になりたいのです。

教えている内容が中一の割には高度なので、ほかの生徒といっしょにできなくて、完全に一対一で教えています。昨年中に中一レベルの内容を終えてしまい、今年からは中2の内容を教えています。べつに先を急いでいるわけではないのですが、意欲と吸収力が人並み外れているのですね。

先日、化学反応式の直前のさまざまな化合を分子モデルで説明するところを教えていたときのことです。彼は物静かではあるのですが、「納得できるまで、きちんと理解したい」という思いがとても強いから、そういう思いが満たされないとき、小首をかしげたような姿勢になるので、こちらもすぐにそれと分かります。それで、ひととおり説明を終えた後「何か?」と質問をうながしてみたところ、鋭い質問がふたつ飛び出してきました。

ひとつめ。「鉄と酸素が化合して酸化鉄ができる。鉄は灰色で電気を通し強靭である。それに対して、酸化鉄は真っ黒で電気を通さず触れるとボロボロと崩れる。だから、そのふたつはまったく別の物質である。それは分かった。しかし、酸化鉄がボロボロと崩れるのを説明するとき、先生はサビの例を出した。で、ふつうサビは黒くなくてちょっと赤っぽい。それはどういうことなのか」

むろん、それをすり抜ける術はあります。「それらはちょっと違う物質である。詳しいことはいずれ教える」とかなんとか。しかし、彼が望んでいるのは、そういうことではないのです。先ほど言ったとおり、「納得できるまで、きちんと理解したい」のです。ところが、その質問に関して、彼のそういう思いを満たしてあげられるほどの正確な知識の持ち合わせは私にはありません。そういうときは、ごまかしたり、肩肘張ったりせずに、その場で調べることにしています。それで、インターネットで検索してみたところ、次のような事がらが判明しました。

それらは、「黒さび」および「赤さび」と呼ばれるもので、いずれも「酸化鉄」である点は共通していますが、組成が異なります。すなわち、「黒さび」の化学式がFe3O4(実際の数字は小さい。以下同様)であるのに対して、「赤さび」のそれはFe2O3です。だから、色がちがってくるのです。スチールウールをガスバーナーの火で熱して、火がついたら取り出し、ガラス管で空気を送って全体を燃やすと「黒さび」になります。同じスチールウールを湿気の多いところにおいておくとやがて「赤さび」になります。酸素との化合の仕方が急ならば「黒さび」になり、ゆっくりならば「赤さび」になる、と言ってもよいでしょう。

そういうことを、ネットの画面を見せながら説明すると、彼はようやく納得しました。ちなみに、酸化鉄は自然界では鉱物(ヘマタイト・マグネタイトなど)として、われわれの目に触れることになります。

ふたつめ。「鉄と硫黄の化合で硫化鉄ができる実験で、試験管に入った鉄粉と硫黄の混合物を加熱するのはなぜその上部なのか。加熱をやめても発熱反応で化合が続くのならば、その下部を加熱しても同じ反応があるはずなので化合するのではないか」



ごもっともな疑問ですね。一応当たらずとも遠からずの説明を試みたのですが、彼は遠慮深く小首をかしげたままなので、私は万事休すとなりました。で、困ったときのインターネットというわけで、調べてみたところ、ありました。世の中には、同じ疑問を持つ方がいらっしゃるのですね。

〔質問〕 ふと疑問に思った事なんですが,中学校の問題で,硫黄と鉄を加熱して硫化鉄ができる反応ありますよね.熱と光を発するため加熱をやめても反応が持続するということですが,このとき試験管に入れた硫黄と鉄の混合物の下部ではなく上部を加熱する理由は何ですか?上部は空気と接しているので,酸素の供給があるからですか?明確な理由が分かる方回答よろしくお願いします.

〔ベスト・アンサー〕教育熱心な中学の先生しか答えられないかも。推定なら出来ます。硫黄の沸点445℃付近なので、もし底部に火がついたら付近にある硫黄が沸騰しその上にある粉末の鉄と硫黄を吹き上げるから。 粉末の混合物なので(スチールウールを使っても同様)中にたくさんの空気を含んでおり、それが膨張するだけでも十分危険。上に火がつく分には融けた硫黄を通して泡が上がるだけで危険は少ない。

この質問に対する答え方には、実は、さまざまなバリエーションがありました。そのなかで、上記のものが、私にはいちばん分かりやすかったので、「ベスト・アンサー」としました。ちなみに、質問のなかの「上部は空気と接しているので,酸素の供給があるからですか」というのはまったくの見当ちがいですね。なぜなら、鉄と硫黄の化合には、酸素や窒素はまったく関わっていないからです。また、この実験には、これが火山活動で起こっていることであり、マグマと同じ反応をしていることを学ぶ、という深い意味があることも今回初めて知りました。

以上のような内容を、自分なりのアレンジをして説明したところ、彼はやっと納得してくれました。そういうときの表情は、なかなかのものです。彼の、すとんと落ちた感触がこちらに伝わってくるのです。

生徒の、素朴で、こちらが答えにくい質問には、実は深い意味合いが含まれているケースが多いことを、あらためて思い知りました。そういえば、哲学関係の読書会で哲学に造詣の深いある方が、あるとき「素朴な疑問ほど大切なのだ。それをためらわずに表出することはとても重要なことなのだ。だから、素人臭い疑問を提示するのを恥ずかしがってはいけない」と言っていたのを思い出しました。

とはいうものの、生徒の質問ならなんでもOK、どれも素晴らしいというわけではありませんよ。私の説明をちゃんと聞いていないことがはっきりと分かる質問に対しては、私は、かなり無愛想です。そういえば、学習塾対象の私立中高の説明会で、こちらに「お前さぁ、ちゃんと説明を聞いてろよ」と思わせる質問をする同業者が必ずといっていいほどいます。「お前もそうだよ」と思われないように、一応気をつけてはいるつもりですが、さて・・・
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本日、トーク・ショー開催!

2014年02月02日 07時19分02秒 | ブログ主人より
本日、トーク・ショー開催!



主催者として、率直に申し上げます。これだけのメンバーが、「フェミニズム」について徹底的に語り合う場面に出会える機会は、めったにないことです。いま「フェミニズム」について批判的に語ることは、実は、「日本を取り戻す」とは本当はどういうことかを、突き詰めて考えることなのです。より具体的に言えば、安倍政権が現在推進しつつあるTPP絡みの新自由主義的な諸改革に対して根本的に異議申し立てをすることでもあるのです。そういう生々しい現実的課題をめぐっての真摯で丁々発止のやり取りが、おそらく目の前で展開されるはずです。

そういう問題意識に関心のある方、産地直産の思想の現場に立ち会ってみたいという方、小浜逸郎とか長谷川三千子とか西村幸祐とか、どこかでその名を聞いたことがあるが、どういうことを考えている人たちなのかちょっと関心があるので、のぞいてみようかと思われた方、どうぞいらっしゃってください。まだ空席があります。

参加ご希望の方は、
https://www.facebook.com/events/237124096460673/ の投稿欄に、ご芳名と参加希望の旨を記入していただくか、直接サムライにお電話をしていただくか(03‐3341‐0383)、いずれかの方法をお選びください。また、直接ご来店なさる方も歓迎いたします。

なお、イベント後、オフ会を予定しておりますので、出演者や参加者の方々とお気軽にご歓談していただくことができます。
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トーク・イベント いよいよ明日開催!

2014年02月01日 10時40分12秒 | ブログ主人より
トーク・イベント いよいよ明日開催!



「小浜逸郎×長谷川三千子×西村幸祐」トーク・ショー開催が、いよいよ明日に迫りました。司会を立てずに、アドリブで勝負の、JAZZ風アレンジ鼎談です。楽器の割り振りは、ピアノ小浜、トランペット長谷川、ベース西村といったところでしょうか。ドラマーがいないじゃないかって?それは、参加なさる皆様が威勢のいい合いの手で受け持ってくださることでしょう。

参加ご希望の方は、
https://www.facebook.com/events/237124096460673/ の投稿欄に、ご芳名と参加希望の旨を記入していただくか、直接サムライにお電話をしていただくか(03‐3341‐0383)、いずれかの方法をお選びください。
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