終戦の年、前後は富山の祖母の家に居候していた。
そこには我が家の6人だけでなく叔父叔母従兄妹達も来ていたので
総勢10人以上の人が出たり入ったりしていた。外に友達を作らなくても
間に合っていたようだ。
上の写真は私の記憶に残る、ある日の昼食のイメージ。
お腹が空いてお代わりをと所望したら祖母にたしなめられた記憶が残っている。
又ある朝、起きようとしたら足に力が入らず柱に縋って立ち上がった様な記憶がある。
栄養失調のせいか?足には飛び火のような「おでき」が沢山出来たが
他のことでもお医者に行った記憶がない。
只、広い庭には、柿の木が沢山あって、いつも柿を食べていた。