5年ぶりに北海道を離れ大阪と奈良を旅した。
確実に実感したことは足腰が衰えたということだ。
通常の歩行は問題ないが、階段の上り下りに不自由する。
ところが田舎に行けば行くほどエレベーターやエスカレーターの設置が無い。
あったとしてもホームの端の方とかにある。
私はまだ何とか上り下りできるが、障害を抱えた人にとっては「やさしい社会」とは言えないと思う。
もう一つ感じたことは、急速に機械対応のスピードが速くなっていること。
まず飛行機の搭乗がほぼ機械対応だ。今のところを説明のための補助員がいるから良いが、そのうちどうなるのだろう?
もともと左利きなので改札口の出入りには不便を感じていたが、カメラなど左利き用は見かけない。
箸と鉛筆は小さいころに右利きに直されたので何とか対応できるが、左利きで通した人はかなりストレスがかかるだろう。
左利きが感じる「不便さ」や「違和感」を前向きに転換する。
大路直哉氏の著書(左利きの言い分)が参考になる。
左利きだけが実感する「不便さ」や「違和感」をきっかけに、設備や道具、システムなどを多角的に観察する力や問題を可視化する力を養うことができます。
独自の問題解決力だけでなく創造力、さらには困った人への共感力が芽生える可能性を秘めた存在です。
変化する社会の中で変わらないものは「人と人と和やかな関係作り」だと思う。
航空会社(ANA)のキャビンアテンダントや奈良ホテルの応接は満足いくものであった。
行き先への案内で、近鉄の職員の応対も良かった。
「多様性を認め合う社会」を進めるうえで、普遍的な少数者「左利き」の果たす役割は大きいと思う。