行雲流水の如くに

過度に他国の脅威を煽ることの愚かしさーー中国との付き合い方について

日本人は激しやすく冷めやすい、という気質がある。

四季がはっきりしていて変化を当たり前のように受け入れるが、それが長続きしない。

外国に対する好き嫌いの感情も大きく振幅する。

注意しなければならないのが、このところ中国に対する日本人の感情が大きく悪化していることだ。

「親しみを感じない」という比率が87%もある。

(ちなみに中国の日本に対する比率は66%)

これは危険な兆候と考えるべきだ。

 

特に中国と善隣友好をしようとすると、「媚中派」などと揶揄して攻撃する。

交渉した内容に問題があれば問いただせばよいわけで、有無を言わせずレッテル張りをするのはやめた方が良い。

戦前の日本の戦争責任を東条英機や時の指導者に押し付けたが、マスコミや言論人はどうだったのか?

また、国民も深く考えず流れに身を任せたのではなかろうか?

元外相で戦後首相を務めた幣原喜重郎は、

「外交を政争の具にする」ことは「国民を迷わし、国家を毒する」と戒めた

 

明治の元勲大隈重信は次のように語る、

あの大国は、けっして他国によって征服されることはない。

もし支那が亡ぶようなことがあるとすれば、それは自滅であって、外からの攻略によるものではない。

このような大隈の深い洞察をその後の政府や軍部は学ばず、ズルズルと中国大陸にはまり込んで行った。

漢民族は周辺民族に囲まれ何度も国を乗っ取られている。しかし征服勢力は一様に堕落して滅亡したのだ。

2000年にわたる日本と中国の付き合いの歴史を学ばずして、

脊髄反射的な対応は慎むべきだろう。


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コメント一覧

megii123
9vs9qvsqさん、こんにちは。
戦前の戦争への傾斜は軍部だけが暴走したように言われていますが、国民世論も冷静な分析を度外視して熱狂していました。
ご指摘の通りです。
しかもインテリと言われていた人たちも同じような考えだったわけです。

私の叔父も満鉄に職を報じたわけですが、戦後シベリアに抑留されました。
叔母は二人の乳飲み子を抱えて命からがら朝鮮半島経由で帰ってきましたが、苦労話を聞くにつけ戦争は絶対にしてはいけないと思いました。
危険な兆候が現れたらすぐ火消しに入ることが大事だと思っています。
9vs9qvsq
この記事内容には大賛成。太平洋戦争も、満州事変・上海上陸戦争から始まって45年敗戦まで、「15年戦争」という歴史学用語が生まれています。またぞろとろい夢を見る阿呆がいるとは思えないが、それにしても酷い世論づくりが日米協力して進んでいるもの! しかも、15年戦争では、石原莞爾など軍部以上に、一般の大人男子が熱狂していった。満州移民などもその結果、犠牲者ですよね。

 
megii123
sakuranboさん、こんにちは。
中国もアメリカも決して直接戦うことはしないでしょう。
日本や台湾がウクライナのような戦場になるわけです。

おっしゃる通り、そうなのかもしれません。
megii123
i1189さん、こんにちは。
日本人は「空気で動く」と言われているように、あまりものを深く考えないようですね。
上手くいっている時はそれでも良いのでしょうが、そうでない時は危険です。
後先を考えずに動くからです。

「大隈重信、中国人を大いに論ず」祥伝社
一読ください。
sakuranbo-doghotel
米国の武器を購入するための口実でしょうね。
i1189
私の父も日本人は熱しやすく冷めやすい、しかも右かさもなくば左か、極端から極端へ振れると。大隈重信の書籍があれば読んでみたいと思います。
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