英国のチャーチル首相は次のように語った。
20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足りない。
極めて含蓄のある言葉だ。
若い時に自由や平等に心動かされるというのあっても良い。しかしいつまでも理想主義を掲げて現実を見ないのは理性の欠如。
ここで言う「保守主義」は、いろいろ人生経験を重ねてそれなりに分別のある行動がとれる、というニュアンスがある。
ところがこのところ特に安倍政権以降、保守の概念が混乱をきたしている。
「モリ・カケ・サクラ」での振舞はとても分別のある行動とは思えない。
だが、いわゆる「保守岩盤支持層」という人たちがいて強烈に支持していた。
安倍亡き後、すっかり声は小さくなっているが、何かきっかけがあれば表に出てくるのだろう。
ヨーロッパで吹き荒れている移民反対の動きが右翼思想(国粋主義的)と結びついたように、日本でも可能性はある。
アメリカのトランプにも同様の傾向がみられる。
2000年の歴史の中から我々が築き上げてきたものの中で何を守るのか。
そして何を変えなければならないのか。
柔軟な開放性と流動性を持った保守主義が求められている。
こう考えれば保守とリベラルの対決はあまり意味がないだろう。