城山三郎の小説に、「粗にして野だが卑ではないー石田礼介の生涯」というのがある。
1963年、78歳の高齢で多くの問題を抱えていた国鉄総裁のポストを引き受けた。
「私の信念は何をするにも神がついていなければならぬということだ。それには正義の精神が必要だと思う。今度もきっと神様がついてくれる。こういう信念で欲得なくサービス・アンド・サクリファイス(奉仕と犠牲)でやるつもりだ」
最近は、このような明治男の気骨ある言動を聴くことが少なくなった。
5月に入ると北海道では本格的なガーデニングのシーズンになる。
とりわけカッコウの声が待ち遠しい。
野菜類の植え付けはカッコウの声を聴いてからと言われている。
石田礼介が好んだのは「座頭市」だという。
座頭市は粗野ではあるが、野卑ではなかったからだろう。
「水戸黄門」は,印籠を持ち出して威張るところが嫌いだったそうだ。
カタクリやエンレイソウの花が咲くころにニリンソウも咲き始める。
野草扱いだが凛としたたたずまいには惹かれるものがある。
このところの「コロナ騒ぎ」で、人間の持っている「卑」なる部分を見せつけられる。
自然に目をやると今年もいつものようにイタヤカエデの花が咲き始めた。