江戸時代から明治の初めくらいまでは武士がエリート階級だった。
人口の5~6%ぐらいといわれている。
武士道を心のよりどころとしていたわけだが、
武士道とは「高い身分に伴う義務」である。
それはヨーロッパの「騎士道」に相通じる。
ところが今の日本は、エリートと思われる国会議員(それも与党の)にそんな矜持は見受けられない。
東洋大名誉教授でかってフロリダ州知事室で働いたことのあるサム田淵氏は次のように語る。
ドナルド・トランプはよりよい社会の発展のために尽くそうという矜持を持つエリートであるための教育を受けたことがない、人の上に立つ資格のない成り上がりである。彼が大統領になったのはアメリカ史の汚点だと私は考える。
なんとも辛辣な物言いだが、このような見方もあるのだ。
翻って日本の世襲政治家をみると、ぬくぬくとした安住の地に満足してこの国をどうしたいのか全然見えてこない。
さらには悪びれることなく裏金作りに励んでいたわけで、まさにトランプレベルということだ。
これからの日本は、にっこり微笑んで当たり障りのないことを言う人よりも、熱く語りかける人が必要だと思う。
無意識のうちに社会の本質的な変化を望まない人々(ほとんどの世襲政治家がそうだろう)が、この国を率いているようでは衰退の道を歩むだけだろう。
社会が前向きに進むためには、
「わかもの」、「ばかもの」、「よそもの」が自由闊達に活躍している社会が良い。