《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

どうでもいいこと気にするところ、3人よく似てるネ

2010年04月10日 21時11分02秒 | Weblog
きっと多くの方が、

「3人目は誰なんでぇ?」

と戸惑われていることと思いますが、
それこそ俗に謂う「どうでもいいこと」ではないでしょうか。


さて、本日4/10東京六大学野球が開幕を迎えました。
上空はそれなりに強い風が吹いていたようですが、客席レベルでは心地よい風、
適度に降り注ぐ日差し、16000人という程良い人出、
超山なりなのにしっかり捕手に届いた東大総長の始球式、
すべてが絶好のコンディションの開幕試合でした。

第1試合におけるあまりの四死球および残塁の多さと、
目の前の日焼け目的観戦オヤジの存在、
を除けば。「すべて」、じゃなかったね、トンちゃん、お気の毒さまでした。


本日の試合の醍醐味・味わい処などについては、ご専門のサイトにお任せするとして、
革命的奥菜主義者同盟的視点で、見出した
「3塁側ベンチ前での出来事」二題を、
今日の記事として後世に遺したいと思うのです。



《第一話》3塁側ベンチ前での出来事:3塁側は東京大学ベンチ

東大先発の前田投手が、1アウトを取った後、4つ四球を続けて、押し出しの失点。

ここでたまりかねた、今季から東大の指揮を執る御手洗監督がベンチを(完全に)三歩ほど出た。

次の瞬間、学生服姿のマネージャーが監督を呼び戻した!

なおもマウンドに向かおうとする新監督。
それでもなおかつ、監督をベンチに呼び戻す学生服姿のマネージャー。

その口元は、

「この程度のピンチでマウンドに行っていては、マウンドに行ける制限回数がもちません」

と動いたようにも思えた……


動いていなかったやもしれませんが、
「空気読めよ、新監督さん!」
という態度に見えたのは私だけではありますまい。

それはともかく、ベンチを出ようとする監督を学生マネージャーが引き止めるという場面は、
私、昭和58年春の初観戦以来、55シーズン目に突入していますが、
初めて目する場面でしたねぇ。

悪いけんど、
今日の試合結果からの後講釈ではなく、
東大は、選手起用とか、作戦とか、練習方針とかの以前の
チーム・ガバナンスが乱れている
このチームは、例年以上に無残に苦戦するような予感がします。

その東大に負けたりしてね、早稲田が。



《第二話》試合後、3塁側立教ベンチに向かう應武監督の姿

試合前のノックの最中、
早稲田のライトの控え選手が、バックホームの送球を
3塁側立教ベンチにダイレクトで投げ入れてしまった。
それだけでも、大変まずい出来事なのに、
どうした加減か、早稲田側のカバーが崩れていて、
立教側に危険を知らせること無く、ベンチ前でキャッチボールする選手の顔前をかすめ、
ベンチ内の選手の頭上をかすめるかたちでベンチ・インとなった。

試合後の両軍挨拶が終わると、
TVの勝利監督インタビューを断り、
送球をした選手を引き連れて3塁側ベンチ前に、
謝罪に出向く應武早大監督の姿があった。

大変危険な出来事であったとはいえ、
ノックのホーム返球が相手チームのベンチに飛び込むことは
(あってはならないこととはいえ)それほど珍しいことではない。
55シーンズンを振り返り、5本指に入るくらい学生野球らしい光景だった。

それじゃぁ、いちばん学生野球らしい光景として私の心に焼き付いているのは、
どの場面かと問われれば、

小宮山投手(W)、涙の大森選手(K)敬遠、ですかね。

3年生だった小宮山は、4年生の早慶戦初勝利のために、
自分の勝ちのためにではなく、4年生のために、敬遠の投球に入ったのだが、
(2球目の後だったか3球目だったか)
流れ落ちる涙のために、捕手からの返球が取れない。
自分だけの気持ちならば、打たれてもいいから、勝負したい、
しかし、今日負ければ、4年生は今年1度も慶應に勝つことなく、卒業することになる……

3塁に慶應のランナーがいるという状況で、
捕手からの返球を落球し、目頭を押さえる……。
あわててマウンドに駆け寄る石井連蔵監督(当時)。
このとき早稲田のマネージャー(当時)が監督を引き止めなかったのは、
申すまでもないことじゃった。


『雁風呂』と同じくらいいい噺でっしゃろ?