《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

「京都、オトナの修学旅行」Ⅲ

2011年10月29日 20時01分35秒 | Weblog
乱菊師匠への個人的プレゼントとして、

金閣撮影するならこのポイント、という絶景ポイントがこれです。

「鳳凰がばっちり見下ろせるポイントだ」と豪語してしまいましたが、

見下ろせていませんね。

しかも、こういう天気ですと、金閣をかっこよく撮れるポイントからシャッターを切ると、

肝心の鳳凰様が背景に溶け込んでしまうのですね。ガックシ。

この場所で5枚の写真を撮ったのですが、実は鳳凰様の姿がはっきり確認できるのはこの1枚だけでした。

以上神宮球場での発言についての訂正でした。



早慶戦、9回に慶應投手の福谷君が代打で出てきたのはびっくりでしたね。

「京都、オトナの修学旅行」Ⅱ

2011年10月28日 20時24分06秒 | Weblog
「鹿苑寺(金閣)だけは別格で、混んでいました」

と前回書き込みましたが、「他の寺社に比べれば」ということでして、

上野のパンダほどじゃございませんで。

帰りの京都駅のコンコース方が何倍も混み合っていました。

掲載写真のような、恥ずかしくなるほどの絵はがき的ばっちり・アングルで、

人の姿を入れずに、何枚もシャッターを切ることが出来ました。



金閣を拝むのは「京都、チューガク生の修学旅行」いらい。

あの頃は金箔等の修繕が済んでいない頃でして、

「金閣」という名の割には金がくすんでいて(かなりはげ落ちていたから)、

こんなにはキンキラキンではなかったのでした。

今のキンキラキンはなかなかいい。

どうせ俗っぽいんだから、潔くここまでやった方がいいです。植木等的がんばりだと思います。

外国人の度肝を抜かなくちゃ。どうせなら。

諸外国に誇れるキンキラキンを見直したぜ!

日本ハムドラフト7位指名はソフトボール選手 ってなぜ?

2011年10月27日 19時56分30秒 | Weblog
♪なんでだろ~、なんでだろ♪って懐かしいですけどね。

大嶋匠さん

所属学部 早稲田大学:スポーツ科学部
生年月日 1990年2月14日
出身地 群馬
経歴 新島学園高等学校
身長 180cm
体重 97kg
投打 右投げ左打ち
ポジション 捕手


趣味  人間観察、フォームチェック
特技  モノマネ、灘神影流弾丸すべり
尊敬する人物  須藤元気、新庄剛志
好きな言葉  一球一心
好きな一曲  KICK THE CAN CREW 「アンバランス」
好きな場所  我が家、柏原家、粟田家
好きな異性のタイプ  ショートカットが似合う子
好きな授業  ポーツコーチング実習バレーボール
好きな本・漫画  TOUGH
好きな映画  8 Mile
好きな食べ物  たけのこの里
将来の夢  メジャーリーガー
オフの過ごし方  授業→昼寝→○○
アピールポイント  ハムストリングスの柔軟性
異名  上州の暴れん坊
目標・抱負  いよいよ最終学年。集大成魅せます!


スポーツ歴  (小)野球 (中)(高)ソフトボール
競技実績  インターハイ・国体優勝、アジアジュニア選手権大会優勝 世界男子ジュニア選手権大会3位

代表歴  国体・群馬代表(少年・成年) U-19日本代表



大学だけソフトボール部だったというわけでなく、根っからのソフトボール選手ですやん!
菅野智之の球を捕れるのはこの人しかいない!というわけなんですやろか?

『京都、オトナの修学旅行』山下裕二×赤瀬川原平(淡交社刊)に刺激されて 

2011年10月26日 20時12分09秒 | Weblog
コドモの時は、あんなにつまんなかったのに…


というわけで、このブログを丹念にお読みくださっている方は、
「こいつ、歴史マニアじゃねーの?」
くらいの感触を持っていただけていると思うのですが、実はその通りでして、
野球が好きなのも、鉄道が好きなのも、インターナショナルを愛唱歌にしているのも、みんな歴史マニアの性が表出した結果なのであります。
細かい因果関係は省略しますが。

では歴史マニアとなったる原点はどの辺にあったかといいますと、
足利幕府=室町幕府への、偏愛にあります。
三代義満~六代義教の時代を除けば、「これって中央政府って言っていいの?」というような状態で、
なぜ15代にもわたって、足利家が征夷大将軍に任じられ続けたのか?
なぜだかそこに深~~い関心を持たされたのでした。
だから、ある時期、最も関心のあった歴史上の人物は足利義晴様でした。
京に居た在職期間よりも、近江などに追われていた在職期間の方が長い公方様。
わかるでしょ、このマニアックぶり。
どうせ足利氏に興味を持つにしても、
尊氏でも、義満でも、義教でも、義政でも、義輝でも、義昭でもないというマイナー路線。
「日ハムファンです。岡持が最高だと思います!」的なマニアックさです。
ちなみに、戦後昭和の政治家で、最も興味ある首相は三木武夫。足利義晴好きの面目躍如という感ありでしょ。


で、時期はあえて明らかにしませんが、
『京都、オトナの修学旅行』を参考にして、
「足利&源氏:京の香り」という名の修学旅行をして参りやした。

どんな点を参考にしたかというと、
『つぎ込んだ金の元を取ろうなどという“充実感”追求せずに、「何を今さら」という超メジャーな寺社と、「“修学のためだから”という義務感でもなければ、とても手銭じゃ行かないよな」というド・マイナーな寺社を、けしてガイドブック等に責任転嫁することないよう自らのこだわりと直感と美学とにおいて配合して参詣する』
という点においてであります。
たぶんあの本はそんなことを主張していないと思いますが。

『足利:源氏 京の香り』って、どんな修学旅行をしたかというと、
初日:ホテル京阪京橋→石清水八幡宮→鞍馬寺→相国寺→大徳寺
2日目:ホテル新阪急大阪→竜安寺→仁和寺→鹿苑(金閣)寺→等持院

「オトナの修学旅行」をしたな!という達成感を味わえた点を列挙すると、
①秋の観光シーズンだというのに、押し並べてガラガラのところを巡れて幸せだったということ。金閣はさすがにね。でも思っていたよりは空いていましたよ。竜安寺は開門直後にして大成功。大徳寺は14:30をまわってからにして大成功。他は本当にガラガラ。
②等持院に向かうときタクシーで移動したんですが、運転手さんに「渋いチョイスですなぁ。私、等持院に入ったことありましたかなぁ?1回だけあったかなぁ?」という講評をいただいたこと。
③等持院で足利義晴様木像に拝謁かなう。約半世紀生きてきて、よかった!が、他の成人した足利将軍木像より明らかに小さいのはなぜ?私の心は傷つきました。
④ケーブルカー!久々に乗りました。いつ以来でしょ?初めてではないということははっきりしていますが、前回がいつだったか思い出せないほど久しぶり。モノレール、ロープウェー、リフトなどは結構しばしば乗っていますが、ケーブルカーはいつ以来なんでしょ。しかも1日に、石清水八幡様と鞍馬との2路線に乗車したなんて、約半世紀生きてきて、初の体験ですよ、きっと。記憶があやふやなので断言は避けますが。
⑤どれも、コドモの時はあんなにつまんなかったのに、あるいは、見たとしたらつまんなかっただろうに、という寺社ばかりで(近くにいた修学旅行生が何よりの証拠)すが、どれもよかったなぁ。なぜ、石清水が、相国寺法堂の鳴き龍が、仁和寺が、等持院が、あんなにもガラガラなんだか、もったいない。いや、ありがたい(かった)。
⑤ただね、信仰の邪魔をする気はないんだけれど、鹿苑寺金閣、いや、鹿苑寺はぜひ参拝した方がいいと思いますが、方丈がね、いいとは思いますが、いいと思ってはいるんですが、別途の拝観料を千円も奉納する必要は120%感じませんでしたな。秋の特別公開という宣伝にごまかされないように、と、さほどの信心がない方には申し上げておきます。これも『オトナ…』の修学成果。


旅行し過ぎじゃない?金あっていいね。と言われてしまうかもしれませんが、
前回、お伊勢さんの玉砂利の上を歩いた後の疲労感で、
私、焦りを覚えたのです。金をおしんでいる場合ではないぞ、と。
脳梗塞の後遺症がある私が、寺社巡りをしようと思ったら、
残された時間はそんにはないと。
寺社の参詣路は、バリアフリーという状態にはほど遠い。
“麻痺がない”左半身に少しでも弱体化が来たら、お参りできなくなるのは火を見るよりも明らか。
いま、自分で把握している身体能力は、1ヶ所につき1㎞の移動、休み休みで1日5~6㎞の移動が限界。これ以上の無理をすると、その場はどうにかなっても、直後に思わぬしっぺ返しを食う。
そしてこの残存体力も、60代・70代まで維持できるとはとても思えない。
寺社は一般的に言って、身体能力の劣る人には優しいと言えないから、
動ける今のうちに、なるべく行っておこうと思うのである。


画像には石清水へ向かう京阪ケーブルカーを掲載させていただきます。

我らが神宮を守れ!

2011年10月24日 20時11分03秒 | Weblog
早慶戦及びクライマックスシリーズファーストステージ゛試合開始時間変更に関する重要なお知らせ


                                 平成23年10月19日

                                   東京六大学野球連盟
                                  株式会社ヤクルト球団
                                      明治神宮外苑



 東京ヤクルトスワローズは、神宮球場にて行われるクライマックスシリーズファーストステージへの出場が決定しました。
今年度は、東日本大震災によりプロ野球の開幕が遅れたことにより、東京六大学野球(早慶戦)とクライマックスシリーズファーストステージ(東京ヤクルト対巨人戦)の日程が重なります。
既に発表の通り、クライマックスシリーズファーストステージ(東京ヤクルト対巨人戦)の試合開始時間は、通常より30分遅らせ、18時30分となっておりますが、さらにお客様の混雑緩和と安全確保の観点から、協議の結果、東京六大学野球秋季リーグ戦早稲田大学対慶応義塾大学の試合開始時間を1時間早め、12時開始に変更します。


1.日    程 東京六大学野球秋季リーグ戦
平成23年10月29日(土)、30日(日)
予備日:10月31日(月)

クライマックスシリーズファーストステージ
平成23年10月29日(土)、30日(日)、31日(月)
予備日:11月1日(火)



2.試合開始時間 東京六大学野球秋季リーグ戦
早稲田大学対慶應義塾大学 12時

クライマックスシリーズファーストステージ
東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ 18時30分



6大学野球連盟、発表団体名の筆頭を飾って、幾ばくかのメンツは保っているものの、先輩学徒の方々の汗と浄財を以て築き上げた神宮球場を、プロ野球の都合で、こんなことにしていいのだろうか。おそらく早慶戦がプロ併用日になるのは史上初めてのはず。ヤクルト戦の収入のおかげで、球場の維持が出来ていることには感謝したいと思うので、「新潟へでも行け!」なんて口が裂けても言いませんが、もう少し学生野球の聖地ということを弁えてもらえませんかね。

プロ併用日とは名乗っていないようですが、通常の併用日同様、延長戦は無し、なんでしょうか?

10月14日は鉄道の日~~インクラインだって鉄道だと思うの

2011年10月12日 20時11分51秒 | Weblog
なんでこのところずっと更新しなかったかと申しますと、
健康上の理由は全くなく、メンタル面の理由でして、
3月11日以降、なんだか私の時計は止まってしまった感じが少しだけあって、
日記は時間が流れていないと書けまへんのや。

別に深刻ぶっているつもりはなく、
10月も半ばだというのに、いまだにふと気づくと私は、なんだか自然と、
「そろそろ、いつ、どこに花見に行くか考えないとなぁ。それにしてもなんで今年は桜前線北上の予想が話題にならないのじゃ?」
などということを今でもぼんやりと考えていることがあるのに気づかされ、ハッとする。
花見は自粛しましたが、通勤や外出の途中でいくらでも桜は見たはずなのに、
それらの記憶は飛んでしまっていて、
「早く桜咲かないかなぁ」なんて思いがいつの間にか脳内に忍び込んでいるのです。

7ヶ月がたち、
ようやっとちょろちょろ流れで、時が流れ始めましたかね。



さて
インクラインをこの“にっこう足”(出典:家元の「三人旅」)で歩んだ興奮は
いまだ醒めやらず、です。
インクラインというのは

「琵琶湖疎水の途中には、水力発電に利用するために
琵琶湖と京都盆地の高低差をなだらかにしなかった所があって、
そこでは運河としての機能が犠牲にされていて、
船を陸に揚げて、レールの上を台車で移動させるのですが、
その動力は疎水の水力発電で賄うという画期的な交通手段に与えられた
栄誉ある名前」

のことであります。

「船頭多くして船山に上る」はよくないことわざですが、
「水利多くするため船陸に上がる」
は槇村正直、北垣国道、田辺朔郎3名に対する賛辞でありまする。

元鉄的には、単に鉄路が走る絵面のほうが好ましいのですが、
どんなシステムかわかるような写真を今日は……掲載。

奈良本氏らによると、このインクラインは少し手を加えれは
いまも使用可能なんだそうで。
(ただし昭和61年初版の本の記載を根拠にしております)
だったら、水陸両用車で、
嵯峨野トロッコ列車と保津川下りを合体させたような観光用乗り物を
運行できない物ですかね。
ぜひ京阪電鉄さんにやって欲しいのですが。
南禅寺のすぐ裏なのに、蹴上げのあの静けさはどうよ。もったいなくねぇ?

引重致遠~~元鉄の性

2011年10月11日 20時42分54秒 | Weblog
書店でたまたま見つけた『京都百話』(奈良本辰也編)に妙に心を引かれて購入。
最近はほとんどの書籍をアマゾンで購入しているので、
きっとそれだけ『京都百話』が霊的に私の心を引いたのであろう。
ほとんど立ち読みせずに、表紙と目次だけで選んだ、に近かったのだから。

読み進めるうちに矢田挿雲の『江戸から東京へ』に近い玄味にすっかりとりつかれた。
そして元鉄(JR発足時に“乗り鉄”の現役を引退、ちょっと鉄道に詳しいオヤジとして現在に至る)としては、「疎水」に登場する“インクライン”がとても気になった。

派生的に読み始めた、『京都の謎』(奈良本辰也・高野澄共著:おそらく大部分高野氏の筆なんじゃない?)「なぜ京都に日本初の市電が走ったか」で
決定的に“インクライン”を見て、いや、歩いてみたくなり、
いてもたってもいられないまでになり、
9.10日の連休を利用して京都に行ってきた。

いや~よかったですね。行ってよかった。

琵琶湖と京都を結ぶ疎水をトンネルで通す。
琵琶湖の背後には北陸があり、日本海があり、明治拓殖期の至宝・北海道があった。
帝を東京に連れ去られた京都人が、
琵琶湖を通して京都を北日本と直接結びつけ、
「東京が政治都市になろうというのなら、京都は産業都市として再生する!」
との気概を見せた!
2対のレールを見たとき、中島みゆきの『地上の星』が脳中を流れました。

中世まで年貢の集積地だった京都は物を生産するより、
金融で儲けることに専念していた土地柄で、
多くの人口を喰わせるためにもその方が合理的だったため、
(物を作り、運んで、売って、食料を買うなんて手間をかけていられない)
西陣織ぐらいしか産業のない都市であった(酒は伏見、茶は宇治だもんね)、
と奈良本氏は書いていたように記憶している。
帝を失って初めて、都市の性格を変貌させようという力が生まれた。ということか。

インクライン以外は付け足しのように、以前見たことのあるところを回っただけ。
広隆寺は初参拝でしたが、
あとは二条城、神泉苑、南禅寺、(紅葉していない)永観堂、(紅葉していない)真如堂。
ま、どうせインクラインの付けたりなら、思いっきり「修学旅行」的な所にしよう、
「私は“ほぼ”インクラインを見るためだけに京都へ行きました」、
といっても過言と成らないようなプランにして、結果オーライでした。
誰もが行くところというのは、どうでもいいやという気持ちで行くと、意外にいいもので、
「○○へ行くぞ!」なんていう意気込みで行くとろくなことはない。
そして、南禅寺なんか、いつ行っても、それなりにいい。すごく矛盾した事書いていますが。