高橋和巳『悲の器』は、チョー難解でした。
私がこれまでにこのブログ内で
「チョー」
なんて語彙を用いたことが有りましたか?
「有ったかもしれません」だあ?
う~~む。それくらい難解でした。
『邪宗門』は身につまされました。当事者意識を持って読了できました。
(ハンセン病に関する部分は時代背景をご理解いただいて、不問で願います。)
本文内に「般若心経」の引用があって、
こういうときに読みますと、仏典というのは心に響きますね。
さっそく、岩波文庫の『般若心経・金剛般若経』を取り寄せちゃいました。
これがまた輪をかけて、チョー難解なんよ、あなた。
高野山に向かうのは“南海”。
関東人は「南海」を〈難解〉と同じアクセントで読みますが、
関西人は〈何回?〉と同じアクセントで読む(らしい)。
で、その岩波文庫『般若心経・金剛般若経』を読んでて、心に残った部分。
「苦中に苦を離れ、楽中に楽を離る、
かくの如く障碍なければ苦集滅道もなきにあらずや。
苦は苦でよし、楽は楽でよし。
苦楽空相なれば、
苦あるときは苦に遇うてよし、
楽あるときは楽に遇うてよし。」
(湛道『心経決談抄』)
さて、この辺で高橋和巳を離れて、
次は、高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』
に行ったら私もたいした大物なんですが、
そういう思潮を抱くには、いまいち小物で、プチブルなんですね。
日和っちゃうんですよ。
次は広津和郎『松川裁判 上・中・下』に挑みます。
事件に深くかかわった方がご来頁していない
という前提でおちゃらけちゃいますと、
『共同謀議』
とか
『共謀共同正犯』
とか、こういう語彙が大好きなんですよね~。
ドキが胸胸しちゃう。
いや、胸がドキドキしちゃう。
さ~て、あと2時間もしたら、奥菜恵さんの上掲画像の待っている
シオンの丘に帰りましょうか。
また会いましょう。
私がこれまでにこのブログ内で
「チョー」
なんて語彙を用いたことが有りましたか?
「有ったかもしれません」だあ?
う~~む。それくらい難解でした。
『邪宗門』は身につまされました。当事者意識を持って読了できました。
(ハンセン病に関する部分は時代背景をご理解いただいて、不問で願います。)
本文内に「般若心経」の引用があって、
こういうときに読みますと、仏典というのは心に響きますね。
さっそく、岩波文庫の『般若心経・金剛般若経』を取り寄せちゃいました。
これがまた輪をかけて、チョー難解なんよ、あなた。
高野山に向かうのは“南海”。
関東人は「南海」を〈難解〉と同じアクセントで読みますが、
関西人は〈何回?〉と同じアクセントで読む(らしい)。
で、その岩波文庫『般若心経・金剛般若経』を読んでて、心に残った部分。
「苦中に苦を離れ、楽中に楽を離る、
かくの如く障碍なければ苦集滅道もなきにあらずや。
苦は苦でよし、楽は楽でよし。
苦楽空相なれば、
苦あるときは苦に遇うてよし、
楽あるときは楽に遇うてよし。」
(湛道『心経決談抄』)
さて、この辺で高橋和巳を離れて、
次は、高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』
に行ったら私もたいした大物なんですが、
そういう思潮を抱くには、いまいち小物で、プチブルなんですね。
日和っちゃうんですよ。
次は広津和郎『松川裁判 上・中・下』に挑みます。
事件に深くかかわった方がご来頁していない
という前提でおちゃらけちゃいますと、
『共同謀議』
とか
『共謀共同正犯』
とか、こういう語彙が大好きなんですよね~。
ドキが胸胸しちゃう。
いや、胸がドキドキしちゃう。
さ~て、あと2時間もしたら、奥菜恵さんの上掲画像の待っている
シオンの丘に帰りましょうか。
また会いましょう。