コドモの時は、あんなにつまんなかったのに…
というわけで、このブログを丹念にお読みくださっている方は、
「こいつ、歴史マニアじゃねーの?」
くらいの感触を持っていただけていると思うのですが、実はその通りでして、
野球が好きなのも、鉄道が好きなのも、インターナショナルを愛唱歌にしているのも、みんな歴史マニアの性が表出した結果なのであります。
細かい因果関係は省略しますが。
では歴史マニアとなったる原点はどの辺にあったかといいますと、
足利幕府=室町幕府への、偏愛にあります。
三代義満~六代義教の時代を除けば、「これって中央政府って言っていいの?」というような状態で、
なぜ15代にもわたって、足利家が征夷大将軍に任じられ続けたのか?
なぜだかそこに深~~い関心を持たされたのでした。
だから、ある時期、最も関心のあった歴史上の人物は足利義晴様でした。
京に居た在職期間よりも、近江などに追われていた在職期間の方が長い公方様。
わかるでしょ、このマニアックぶり。
どうせ足利氏に興味を持つにしても、
尊氏でも、義満でも、義教でも、義政でも、義輝でも、義昭でもないというマイナー路線。
「日ハムファンです。岡持が最高だと思います!」的なマニアックさです。
ちなみに、戦後昭和の政治家で、最も興味ある首相は三木武夫。足利義晴好きの面目躍如という感ありでしょ。
で、時期はあえて明らかにしませんが、
『京都、オトナの修学旅行』を参考にして、
「足利&源氏:京の香り」という名の修学旅行をして参りやした。
どんな点を参考にしたかというと、
『つぎ込んだ金の元を取ろうなどという“充実感”追求せずに、「何を今さら」という超メジャーな寺社と、「“修学のためだから”という義務感でもなければ、とても手銭じゃ行かないよな」というド・マイナーな寺社を、けしてガイドブック等に責任転嫁することないよう自らのこだわりと直感と美学とにおいて配合して参詣する』
という点においてであります。
たぶんあの本はそんなことを主張していないと思いますが。
『足利:源氏 京の香り』って、どんな修学旅行をしたかというと、
初日:ホテル京阪京橋→石清水八幡宮→鞍馬寺→相国寺→大徳寺
2日目:ホテル新阪急大阪→竜安寺→仁和寺→鹿苑(金閣)寺→等持院
「オトナの修学旅行」をしたな!という達成感を味わえた点を列挙すると、
①秋の観光シーズンだというのに、押し並べてガラガラのところを巡れて幸せだったということ。金閣はさすがにね。でも思っていたよりは空いていましたよ。竜安寺は開門直後にして大成功。大徳寺は14:30をまわってからにして大成功。他は本当にガラガラ。
②等持院に向かうときタクシーで移動したんですが、運転手さんに「渋いチョイスですなぁ。私、等持院に入ったことありましたかなぁ?1回だけあったかなぁ?」という講評をいただいたこと。
③等持院で足利義晴様木像に拝謁かなう。約半世紀生きてきて、よかった!が、他の成人した足利将軍木像より明らかに小さいのはなぜ?私の心は傷つきました。
④ケーブルカー!久々に乗りました。いつ以来でしょ?初めてではないということははっきりしていますが、前回がいつだったか思い出せないほど久しぶり。モノレール、ロープウェー、リフトなどは結構しばしば乗っていますが、ケーブルカーはいつ以来なんでしょ。しかも1日に、石清水八幡様と鞍馬との2路線に乗車したなんて、約半世紀生きてきて、初の体験ですよ、きっと。記憶があやふやなので断言は避けますが。
⑤どれも、コドモの時はあんなにつまんなかったのに、あるいは、見たとしたらつまんなかっただろうに、という寺社ばかりで(近くにいた修学旅行生が何よりの証拠)すが、どれもよかったなぁ。なぜ、石清水が、相国寺法堂の鳴き龍が、仁和寺が、等持院が、あんなにもガラガラなんだか、もったいない。いや、ありがたい(かった)。
⑤ただね、信仰の邪魔をする気はないんだけれど、鹿苑寺金閣、いや、鹿苑寺はぜひ参拝した方がいいと思いますが、方丈がね、いいとは思いますが、いいと思ってはいるんですが、別途の拝観料を千円も奉納する必要は120%感じませんでしたな。秋の特別公開という宣伝にごまかされないように、と、さほどの信心がない方には申し上げておきます。これも『オトナ…』の修学成果。
旅行し過ぎじゃない?金あっていいね。と言われてしまうかもしれませんが、
前回、お伊勢さんの玉砂利の上を歩いた後の疲労感で、
私、焦りを覚えたのです。金をおしんでいる場合ではないぞ、と。
脳梗塞の後遺症がある私が、寺社巡りをしようと思ったら、
残された時間はそんにはないと。
寺社の参詣路は、バリアフリーという状態にはほど遠い。
“麻痺がない”左半身に少しでも弱体化が来たら、お参りできなくなるのは火を見るよりも明らか。
いま、自分で把握している身体能力は、1ヶ所につき1㎞の移動、休み休みで1日5~6㎞の移動が限界。これ以上の無理をすると、その場はどうにかなっても、直後に思わぬしっぺ返しを食う。
そしてこの残存体力も、60代・70代まで維持できるとはとても思えない。
寺社は一般的に言って、身体能力の劣る人には優しいと言えないから、
動ける今のうちに、なるべく行っておこうと思うのである。
画像には石清水へ向かう京阪ケーブルカーを掲載させていただきます。
というわけで、このブログを丹念にお読みくださっている方は、
「こいつ、歴史マニアじゃねーの?」
くらいの感触を持っていただけていると思うのですが、実はその通りでして、
野球が好きなのも、鉄道が好きなのも、インターナショナルを愛唱歌にしているのも、みんな歴史マニアの性が表出した結果なのであります。
細かい因果関係は省略しますが。
では歴史マニアとなったる原点はどの辺にあったかといいますと、
足利幕府=室町幕府への、偏愛にあります。
三代義満~六代義教の時代を除けば、「これって中央政府って言っていいの?」というような状態で、
なぜ15代にもわたって、足利家が征夷大将軍に任じられ続けたのか?
なぜだかそこに深~~い関心を持たされたのでした。
だから、ある時期、最も関心のあった歴史上の人物は足利義晴様でした。
京に居た在職期間よりも、近江などに追われていた在職期間の方が長い公方様。
わかるでしょ、このマニアックぶり。
どうせ足利氏に興味を持つにしても、
尊氏でも、義満でも、義教でも、義政でも、義輝でも、義昭でもないというマイナー路線。
「日ハムファンです。岡持が最高だと思います!」的なマニアックさです。
ちなみに、戦後昭和の政治家で、最も興味ある首相は三木武夫。足利義晴好きの面目躍如という感ありでしょ。
で、時期はあえて明らかにしませんが、
『京都、オトナの修学旅行』を参考にして、
「足利&源氏:京の香り」という名の修学旅行をして参りやした。
どんな点を参考にしたかというと、
『つぎ込んだ金の元を取ろうなどという“充実感”追求せずに、「何を今さら」という超メジャーな寺社と、「“修学のためだから”という義務感でもなければ、とても手銭じゃ行かないよな」というド・マイナーな寺社を、けしてガイドブック等に責任転嫁することないよう自らのこだわりと直感と美学とにおいて配合して参詣する』
という点においてであります。
たぶんあの本はそんなことを主張していないと思いますが。
『足利:源氏 京の香り』って、どんな修学旅行をしたかというと、
初日:ホテル京阪京橋→石清水八幡宮→鞍馬寺→相国寺→大徳寺
2日目:ホテル新阪急大阪→竜安寺→仁和寺→鹿苑(金閣)寺→等持院
「オトナの修学旅行」をしたな!という達成感を味わえた点を列挙すると、
①秋の観光シーズンだというのに、押し並べてガラガラのところを巡れて幸せだったということ。金閣はさすがにね。でも思っていたよりは空いていましたよ。竜安寺は開門直後にして大成功。大徳寺は14:30をまわってからにして大成功。他は本当にガラガラ。
②等持院に向かうときタクシーで移動したんですが、運転手さんに「渋いチョイスですなぁ。私、等持院に入ったことありましたかなぁ?1回だけあったかなぁ?」という講評をいただいたこと。
③等持院で足利義晴様木像に拝謁かなう。約半世紀生きてきて、よかった!が、他の成人した足利将軍木像より明らかに小さいのはなぜ?私の心は傷つきました。
④ケーブルカー!久々に乗りました。いつ以来でしょ?初めてではないということははっきりしていますが、前回がいつだったか思い出せないほど久しぶり。モノレール、ロープウェー、リフトなどは結構しばしば乗っていますが、ケーブルカーはいつ以来なんでしょ。しかも1日に、石清水八幡様と鞍馬との2路線に乗車したなんて、約半世紀生きてきて、初の体験ですよ、きっと。記憶があやふやなので断言は避けますが。
⑤どれも、コドモの時はあんなにつまんなかったのに、あるいは、見たとしたらつまんなかっただろうに、という寺社ばかりで(近くにいた修学旅行生が何よりの証拠)すが、どれもよかったなぁ。なぜ、石清水が、相国寺法堂の鳴き龍が、仁和寺が、等持院が、あんなにもガラガラなんだか、もったいない。いや、ありがたい(かった)。
⑤ただね、信仰の邪魔をする気はないんだけれど、鹿苑寺金閣、いや、鹿苑寺はぜひ参拝した方がいいと思いますが、方丈がね、いいとは思いますが、いいと思ってはいるんですが、別途の拝観料を千円も奉納する必要は120%感じませんでしたな。秋の特別公開という宣伝にごまかされないように、と、さほどの信心がない方には申し上げておきます。これも『オトナ…』の修学成果。
旅行し過ぎじゃない?金あっていいね。と言われてしまうかもしれませんが、
前回、お伊勢さんの玉砂利の上を歩いた後の疲労感で、
私、焦りを覚えたのです。金をおしんでいる場合ではないぞ、と。
脳梗塞の後遺症がある私が、寺社巡りをしようと思ったら、
残された時間はそんにはないと。
寺社の参詣路は、バリアフリーという状態にはほど遠い。
“麻痺がない”左半身に少しでも弱体化が来たら、お参りできなくなるのは火を見るよりも明らか。
いま、自分で把握している身体能力は、1ヶ所につき1㎞の移動、休み休みで1日5~6㎞の移動が限界。これ以上の無理をすると、その場はどうにかなっても、直後に思わぬしっぺ返しを食う。
そしてこの残存体力も、60代・70代まで維持できるとはとても思えない。
寺社は一般的に言って、身体能力の劣る人には優しいと言えないから、
動ける今のうちに、なるべく行っておこうと思うのである。
画像には石清水へ向かう京阪ケーブルカーを掲載させていただきます。