《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

駅弁:前○牛弁当についての研究序説~~八戸からの教訓~~

2010年11月10日 21時39分34秒 | Weblog
先日の旅行において、八○駅で、○沢牛弁当という駅弁を購入しました。
1200円でした。これ、牛肉駅弁としては、いたって妥当なお値段だと思います。

それを、寝台特急「あけぼの」の車内で夕食としていただいたのですが、
そのひと切れ目は、
今までにいただいた牛肉系駅弁の中で、5指には絶対に入るおいしさでした。
柔らかいし、旨味は充分だし、
なんといっても、すっかり冷めているのにパサついていなくて、脂分が固まっていなくて、
噛むほどに肉汁がちゃんと肉の内側からあふれ出しきて、
タレの味付けも「甘さ・辛さ・濃さ」の配合、まったくもって申し分なし。


ひと切れ目は。


繰り返しちゃうよ、ひと切れ目は。


誹謗・中傷・讒謗ではないことを鮮明にするため、
くどいけれど、あえて言わせてもらいたい。
ひと切れ目は本当に感動した。
「これが、1200円の駅弁に入っている牛肉かよ~~。」と。

当然、あまりに旨すぎるという意味での
「これが、1200円の駅弁に入っている牛肉かよ~~。」
なんですが。



しかし
売値=原材料費+原価償却費+利潤 という経済原則は冷徹なものである。
ふた切れ目以降は、「ああ、なるほど1200円の駅弁の牛肉だね」というお味でした。
ひと切れ目が、なぜ他のお肉の上に載っかっていたのか。
それは、涙ぐましくも、正当なる営業努力である。
食い物は第1印象がすべて。
ひと口目で魅了してしまえば、結構あとは味音痴に……なっちゃうんじゃない?


私には批判の意図は全くないのであります。
たとえひと切れであったにせよ、
あんなに美味しい牛肉を食することが出来て、
冷え切っていてもあんなに美味しい牛肉を口にすることが出来て、

「国際的な孤立をしてまで、捕鯨をしなくてもいいかな?」

と思わず思ってしまうくらいに、感動したのであります。



ただね、何種類かの駅弁をグループで購入して、
グループで回して、ちょっとずつ食べ合う、という食文化がありますやん。

そのとき、あの駅弁は天地を分ける寒冷前線になるなと、思ったんですよ。
リーズナブルな牛肉駅弁をグループで食べ合うときには、

もっとも摘みやすい肉片を、真っ先に食うべし。



25年くらい前の話。
吉野家の牛丼を喰ったK氏が、
「ワシ、今日の昼は、牛の肉、喰ったんですワー」
と自慢したのを、大笑いした記憶がふっとよみがえりました。

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