《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

広義奥菜主義革命の意義と其の本義~~今日出あった印象に残る言葉を記録しておこう

2012年05月29日 23時04分48秒 | Weblog
 いったい、「正しい」とはどのようなことであるか。ここで、そのような問いを提出することは、けっして、当をはずれたことではあるまい。
 
 その第一の条件は、「妄見を離れる」ということである。妄見とは、あるがままに対象を見ていないことである。

 その第二の条件は、「顚倒を離れる」ということである。顚倒とは、大小、本末、美醜、苦楽などの関係をとり違えることである。

 その第三の条件は、「極端を離れる」ということである。思うに極端に走るということは、どこか人間の深いところに根をおいている弱質であろう。われわれは、ともすれば、極端を思想し、極端を実践し、それを喜びとし、あるいは得意としがちである。だが、そのとき、思想も、また実践も、その中正を失する。
 それを裏返せば、「中」が「正」であり、極端を離れたとき、はじめて「正しき」に就くことを得るということとなるのである。

(角川ソフィア文庫 仏教の思想1 『知恵と慈悲〈ブッダ〉』より)


「国民生活が第一」と言いつつ、生活関連法案を通すことをそっちのけにしている与党
党首が幹事長の仲介がないと党議員と会談できない与党
「消費税の引き上げを含む税と社会保障の一体改革」と言いつつ、消費税の引き上げにしか政治生命を懸けていないように見えてしまう総理
「○○都構想」を掲げて市長になったのに、国政の為ならすぐにもすぐにその座を放り投げそうな「唇確認」関西の政治家
辞めない二大臣
これだけの敵失があつても何も動かせない野党に


あんたらの「正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」とは何ぞや!
どうして「中」にして「正」となることを行動の指針にしないのか!
と問い詰めたい気分だね。


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