『……さまざまの価値の複合と葛藤が、社会の抗争と私たちの内面の葛藤を形成するが、人が学者として生き、あるいは芸術家として生きるということは政治家や司法官とは異なった価値軸を内に持っていることを意味する。
日常のなかにも含まれる極限状態において、その職業が天職である限りにおいて、殉ずべき価値というものが独自に選択され覚悟されていることを意味する。それ以外に文学者が文学者であり、科学者が科学者であり、宗教家が宗教家であることの社会的意味などはほとんどない。
生活者としては誰しもが大衆の一員であり、専門領域以外のことでは、たとえば学者も文学者も一大衆として……科学の恩恵にあずかり、……他の諸芸術を享受すればよい。しかしながら、社会を形成する諸価値に社会的衝突が起こったとき、全大衆が一斉にに政治的価値(※1)をのみ選び、権力志向的ないしは権力依存的に身を処せばどうなるか。それではなんのための専門家であり専門的営為か。
たとえば文学をやるということがその存在に対して持つべき意味は、……文人面をし、風流振ることによって自己を特別視しきわだたせることではない。日常の中の極限に面して、その芸術的価値や追究精神のがわを、なにほどかの損失と犠牲を覚悟しても選ぶということであろう。
ガリレオがなぜ迫害されねばならなかったか。彼には、当時の為政者とは違った科学的な価値軸が内部にあったからである。そしてそれを放棄しては彼の専門的営為自体が、成り立たず、追求する心自体が滅びねばならなかったからだ。
多くの芸術家が身の不遇を甘受しても自己の悩みに忠実であろうとしたのは何故か。
私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する。』
(高橋和巳 『わが解体』)
(※1)ここでの「政治」は自己犠牲的な政治活動を意味するものではなく、「あいつは政治的な人間だ」というような使い方の「政治」に近いと思われる。つまり、賢く利己的に価値観の衝突の合間を浮遊することを意味するのであろう。
高橋和巳は突き刺さるなぁ~。
そして高橋のすごいところは、
我々を突き刺す何倍もの力と深さで自己を突き刺しているところである。
太宰との質的差なんて、私が何か言う必要もないよね。
倖田來未さんの事件でも分かるとおり、
自分の表現は、その表現を成り立たせた状況が消え去っても、
消えてしまうことなく、表現者を突き刺し続ける。
時には、世間がその表現自体を忘れてしまっても内省が続くこともある。
表現することは、常に自己と対峙しつづけること。
とてつもなく恐ろしいことで、痛みを伴うことだけれど、
同時に胸を焼く酒のような味もそこには存在している。
私はその精神的二日酔い(おっと、太宰の表現を使っちまったぜ)が怖くて
盗用と引用とパロディーばかりに終始しているわけでありますが、
奥菜恵さん、この呪われたかのような「表現の世界」に、
そろそろ戻っていらっしゃいませんか?
表現主体に戻ることをあなた自身もお望みなのでは?
いま、このような呼びかけを、あなたに向けて、いいのだろうか。
私の表現が私を突き刺す。
私を支えるものは表現であり、その同じ表現が私を告発する。
私を支えるものは奥菜恵さんであり、その同じ奥菜恵さんが私を告発する。
それはさておき、
「え~っ、さておいちゃうんですかぁ~?」
「ええ、私、革命的おきな!主義者ですから。」
私は高橋和巳の写真を見ていると
春風亭昇太師匠の顔!
を思い浮かべてしまうのです。
世間では奥菜恵さんと川村ゆきえさんが似ているなどと言っております。
私は川村ゆきえさんを見ていると
浅尾美和さんの顔!
を思い浮かべてしまう。
しかし、奥菜恵さんと浅尾美和さんが似ているという意見を聞いたことがない。
これはどうしてなんだろう?
「似てないからじゃないっすか?それより八戸市議の藤川優里氏の方が…」
「越後屋、おぬしも政治的人間よのぅ」
「私は三河屋です!」
さっぱり訳が分からなくなってきたので、
これもさておき、ここで1曲お送りしましょう。
中森明菜『セカンド・ラブ』
恋も二度目なら少しは上手に
愛のメッセージ伝えたい
あなたのセーター袖口つまんで
うつむくだけなんて
舗道に伸びたあなたの影を
動かぬように止めたい
抱きあげてつれてって
時間ごとどこかへ運んでほしい
切なさがクロスするさよならに
追いかけられるのイヤよ
ずいぶん勝手に切り繋いじゃっていますので、
明菜さんのファンに皆さん、来生さんのファンの皆さん、
どうもすみません。
それにしても、「舗道」はずっと「歩道」だと思って生きてきたんですけど…。
いまさら真実を知らされる、
『こんなふうな せつなさって』
の1日でした。
ああ、そうそう、奥菜恵さんの『この悲しみを乗り越えて』の
「だれよりも わかってあげたかった
彼女が知っている そのずっと多くを」
も
「……そのずっと奥を」
だと思っていました。 ジャンジャン!
日常のなかにも含まれる極限状態において、その職業が天職である限りにおいて、殉ずべき価値というものが独自に選択され覚悟されていることを意味する。それ以外に文学者が文学者であり、科学者が科学者であり、宗教家が宗教家であることの社会的意味などはほとんどない。
生活者としては誰しもが大衆の一員であり、専門領域以外のことでは、たとえば学者も文学者も一大衆として……科学の恩恵にあずかり、……他の諸芸術を享受すればよい。しかしながら、社会を形成する諸価値に社会的衝突が起こったとき、全大衆が一斉にに政治的価値(※1)をのみ選び、権力志向的ないしは権力依存的に身を処せばどうなるか。それではなんのための専門家であり専門的営為か。
たとえば文学をやるということがその存在に対して持つべき意味は、……文人面をし、風流振ることによって自己を特別視しきわだたせることではない。日常の中の極限に面して、その芸術的価値や追究精神のがわを、なにほどかの損失と犠牲を覚悟しても選ぶということであろう。
ガリレオがなぜ迫害されねばならなかったか。彼には、当時の為政者とは違った科学的な価値軸が内部にあったからである。そしてそれを放棄しては彼の専門的営為自体が、成り立たず、追求する心自体が滅びねばならなかったからだ。
多くの芸術家が身の不遇を甘受しても自己の悩みに忠実であろうとしたのは何故か。
私を支えるものは文学であり、その同じ文学が自己を告発する。』
(高橋和巳 『わが解体』)
(※1)ここでの「政治」は自己犠牲的な政治活動を意味するものではなく、「あいつは政治的な人間だ」というような使い方の「政治」に近いと思われる。つまり、賢く利己的に価値観の衝突の合間を浮遊することを意味するのであろう。
高橋和巳は突き刺さるなぁ~。
そして高橋のすごいところは、
我々を突き刺す何倍もの力と深さで自己を突き刺しているところである。
太宰との質的差なんて、私が何か言う必要もないよね。
倖田來未さんの事件でも分かるとおり、
自分の表現は、その表現を成り立たせた状況が消え去っても、
消えてしまうことなく、表現者を突き刺し続ける。
時には、世間がその表現自体を忘れてしまっても内省が続くこともある。
表現することは、常に自己と対峙しつづけること。
とてつもなく恐ろしいことで、痛みを伴うことだけれど、
同時に胸を焼く酒のような味もそこには存在している。
私はその精神的二日酔い(おっと、太宰の表現を使っちまったぜ)が怖くて
盗用と引用とパロディーばかりに終始しているわけでありますが、
奥菜恵さん、この呪われたかのような「表現の世界」に、
そろそろ戻っていらっしゃいませんか?
表現主体に戻ることをあなた自身もお望みなのでは?
いま、このような呼びかけを、あなたに向けて、いいのだろうか。
私の表現が私を突き刺す。
私を支えるものは表現であり、その同じ表現が私を告発する。
私を支えるものは奥菜恵さんであり、その同じ奥菜恵さんが私を告発する。
それはさておき、
「え~っ、さておいちゃうんですかぁ~?」
「ええ、私、革命的おきな!主義者ですから。」
私は高橋和巳の写真を見ていると
春風亭昇太師匠の顔!
を思い浮かべてしまうのです。
世間では奥菜恵さんと川村ゆきえさんが似ているなどと言っております。
私は川村ゆきえさんを見ていると
浅尾美和さんの顔!
を思い浮かべてしまう。
しかし、奥菜恵さんと浅尾美和さんが似ているという意見を聞いたことがない。
これはどうしてなんだろう?
「似てないからじゃないっすか?それより八戸市議の藤川優里氏の方が…」
「越後屋、おぬしも政治的人間よのぅ」
「私は三河屋です!」
さっぱり訳が分からなくなってきたので、
これもさておき、ここで1曲お送りしましょう。
中森明菜『セカンド・ラブ』
恋も二度目なら少しは上手に
愛のメッセージ伝えたい
あなたのセーター袖口つまんで
うつむくだけなんて
舗道に伸びたあなたの影を
動かぬように止めたい
抱きあげてつれてって
時間ごとどこかへ運んでほしい
切なさがクロスするさよならに
追いかけられるのイヤよ
ずいぶん勝手に切り繋いじゃっていますので、
明菜さんのファンに皆さん、来生さんのファンの皆さん、
どうもすみません。
それにしても、「舗道」はずっと「歩道」だと思って生きてきたんですけど…。
いまさら真実を知らされる、
『こんなふうな せつなさって』
の1日でした。
ああ、そうそう、奥菜恵さんの『この悲しみを乗り越えて』の
「だれよりも わかってあげたかった
彼女が知っている そのずっと多くを」
も
「……そのずっと奥を」
だと思っていました。 ジャンジャン!
おつかれさまでした。
そしてこれからも
サンドウィッチマンのコントのように
スピード感あるブログを楽しませてください。
弊ブログの更新は滞ったままです。
再開せねば…
φ(。・ω・。 )
焦らずいきましょう、kenさん。
コメントありがとうございました。