(1943年)山本五十六戦死
この日前線視察中のブーゲンビル島上空で、暗号を解読した米軍の攻撃を受け、撃墜され命を落とす。
日独伊三国軍事同盟の締結や対米開戦に反対した良識派として、今なお評価は高い。
また、早くから航空機の時代を予見し、昔ながらの艦隊決戦の思想にこだわる海軍にあって、積極的に航空機主導の作戦を導入した開明派の軍人としても知られる。
ただ、彼は元々軍政畑の人なので、連合艦隊司令長官でなく海軍大臣に就任していたら、多少なりとも歴史は変わっていたかも知れない。
対米開戦に徹底して反対し、いざ戦火が切って落とされても和平締結に向け尽力したに違いないから。
もっとも、そうなると国粋主義者のテロに遭い、暗殺されていた可能性もある。
また、戦争回避の考えを持ちながら実戦の矢面に立たされた悲劇を同情されるが故に評価・人気共に高いのだが、もし終戦まで生き延びていたとしたら、立場上その責任は厳しく追及され、戦犯として処断されていた筈で、そうなると後世の評価も今とは違うものになっていたとも考えられる。