(2011年)田中好子永眠
1987(昭和62)4月、日本テレビの『オシャレ30/30』という番組にゲスト出演した回を観て、僕はファンになった。
女優として、更には時代を遡り、キャンディーズのファンにもなった。
1991年の結婚を機に暫くの間離れてしまったが、21世紀に入り、ファン心理が復活。
以前のように、いや、ブランクを埋める気持ちも手伝い、以前にも増して熱烈に応援するようになった。
亡くなった後、結婚の翌年に既に乳癌を発症していたことが公表された。
実に19年にも及ぶ長い闘病生活。
病気になると公にする芸能人が多い中で、好子さんはごく一部の近親者にのみ知らせるにとどめ(盟友である伊藤蘭さん・藤村美樹さんにさえ打ち明けたのは2008年になってからと聞く)、以前と変わらぬ活動を続けた。
そんな病を抱えてることなど露知らず、僕は無邪気に声援を送っていた。
東京・青山葬儀所にて4月24日に通夜、25日に告別式が営まれた。
「(芸能界に)復帰して大きなバッシングも受けたけど、逆にたくさんの人が応援してくれた。だから、私は最後にお礼を言いたい。お葬式は大きくして、たくさんの人にお礼が言えるものにしてほしい」(『文藝春秋』2012年5月号・194頁より引用)という本人の希望を尊重し、どちらの式も一般人の会葬が許された。
僕は25日の告別式の方に参列した。
式が始まるまでずっと会場に流されていたソロアルバム『好子』の楽曲、美樹さん・蘭さんによる胸締め付けられる弔辞、朝から晴れ渡っていたにも関わらず、出棺を待っ間の15分だけ降った雨(誰もが「スーちゃんが泣いてる」と口にしていた)、キャンディーズのデビュー曲『あなたに夢中』をバックに、無数の青い紙テープに彩られたお見送り……。
かつて経験したことのない虚脱感の中、それでも印象的な出来事はしっかりと心に刻まれ、今でもよく思い出される。
そして、その中でも特に鮮烈に記憶に残っているのが、式終盤の喪主挨拶にて流された肉声テープ。
3月29日に病床にて録音されたその声は、明らかに死を目前に控えた者の声だった。
いろんな出演映画・ドラマを観てきたが、あんなに弱々しく、苦しそうで、しかし、メッセージを伝えようという強い意思を感じさせる好子さんの声を聴いたのは初めてだった。
最後の最後まで自分のことより人を気遣う、優しさ溢れる好子さんらしい「遺言」だった。
僕があんなに愛した、いや愛し続ける女優は、この先絶対に現れない。
〈3分20秒に渡る生前最後の肉声テープ全文〉
こんにちは、田中好子です。
今日は3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような……破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると、負けてしまうかもしれません。
でもその時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の務めと思っています。
今日お集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。
キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。
幸せな、幸せな人生でした。
心の底から感謝しています。
特に、蘭さん、美樹さん、ありがとう。
二人が大好きでした。
映画にもっと出たかった。
テレビでもっと演じたかった。
もっともっと、女優を続けたかった。
お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
いつの日か、義妹・夏目雅子のように、支えて下さったみなさまに、社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思ってます。
かずさん、よろしくね。
その日まで、さようなら。