【少年のための次郎物語】
作者のことば
次郎という少年は、私にはわすれようとしてもわすれられない少年です。
この少年はいろんなわけがあって小さいころにはたいへんひねくれていましたが、ひじょうな苦しみをなめ、努力をつんでついに自分のわるい性質にうちかちすばらしい少年に育つことができたのです。
むろん私は次郎のよいところだけでなく、わるいところもすこしもかくさないでありのままかくつもりです。
それでこそ次郎の苦しみや努力がみなさんにわかっていただけるだろうと思うのです。
第一巻・第二巻 定価各230円
発行所 学童社
まえに本誌の連載で大評判になり、いま又毎週木曜日の夜九時にjOQRから放送され、日本中の人々にふかい感動をあたえている下村湖人先生の名作少年小説(『漫画少年』昭和29年1月号表紙裏の広告より)
少年少女のために、大人が心からの愛情と良識を持って雑誌が作られていた昭和時代が、今も私は好きだ。
「漫画は子供の心を明るくする
漫画は子供の心を楽しくする
だから子供は何より漫画が好きだ
『漫画少年』は、
子供の心を明るく楽しくする本である『漫画少年』には、子供の心を清く正しくそだてる小説と読物がある
どれもこれも傑作ばかり
日本の子供たちよ
『漫画少年』を読んで清く明るく正しく伸びよ!!
創刊のことば
加藤謙一
(昭和23年1月号)」
今日の画像は、あの伝説の【漫画少年】昭和29年(1954年)お正月オール漫画特大号と「漫画少年」史。
【漫画少年】発行元の出版社である学童社は、今はもう存在してないので、この幻の雑誌を私が手に入れて実物を眼にするまでには、小学生の頃から25年近くの歳月がかかってしまったので、おじさんになってしまっていた。(涙)
なので、少年時代の思い入れとの再会は、「今月のよびもの 井上一雄先生の友情漫画 バット君とハヤちゃん」が、一番強い。
松田哲夫さんが編集を担当した筑摩書房の【少年漫画劇場】の中に収録されていた【バット君】は、私の少年時代のお気に入り作品の一つだった。
オリジナルの単行本も、当時連載中であった掲載誌【漫画少年】も、希少本なのに購入希望者が多いため、古書価格が異常に高騰し、高額のため貧乏な漫画史研究家の身分では、実物を中々手に入れることは出来なかった。
私が所蔵している本は、表紙周りが痛み、裏表紙が欠損していたため、格安の数万円(涙)で入手することが出来たのだが、以前なら10万円前後はしていたはず。
内容は勿論、大満足過ぎる充実ぶり。
巻頭カラーページ特集「年賀状まんが読者のみなさんへ」では、漫画家の先生方(一頁に二人ずつ田河水泡、島田啓三、芳賀まさお、沢井一三郎、手塚治虫、福井英一、うしおそうじ、馬場のぼる、古沢日出夫、茨木啓一、田中正雄、木下としお、瀬越憲、最終ページのみ四人、寺田ヒロオ、坂本三郎、山根青鬼、山根赤鬼)から読者の子供たちへの年賀状が紹介されています。
イラストだけでなく特別にメッセージを書き添えている先生方の文章を紹介すると次の通り。
「あけましておめでとう
今年も元気で頑張りましょう
年始にあたり私の祈り
私の描く漫画が日本中の少年少女の皆さんのよい友達となれる事を祈っています
田中正雄
あけましておめでとう
ほんとにあけてどの頁もおもしろい漫画少年・・・・・この本とともにますます元気でそだっていくみなさん どうぞことしもがんばってネ
木下としお
あけましておめでとう
若駒のように清新な新年を迎えて元気一ぱい張りきりましょう・・・・・・
古沢日出夫
現在【漫画少年】(学童社)は、蔵書として私の手元に七冊ある。
評論家や、マンガ図書館ならともかく、漫画史研究家として多いのか?少ないのか?
トキワ荘のテラさんとして手塚治虫先生始め、後輩となる漫画家の藤子不二雄@先生、F先生、赤塚不二夫先生、石森章太郎先生、鈴木伸一先生たちから慕われた漫画家の寺田ヒロオ先生は、編著した「漫画少年」史(湘南出版社・1981年)のあとがきにて
「この本は『漫画少年』の資料です。
復刻本ではありません。
休刊後二十五年たった『漫画少年』が、散逸消滅するのを防ぎたい一心で、緊急に企画刊行いたしましたので、不備な点も多く、読者のご不満も強いことでしょう。
しかしこの本が出ることで、この「戦後最高の児童文化財」が再認識され、その保存保護が、真剣に考慮されると思います。
またこの本が呼び水となり、もっと豊富でもっと正確な『漫画少年』関連図書が続刊され、復刻のみか、復刊の動きさえ起こるかもしれません。
だが、私の真の期待は、若者の「温故知新」です。
「昔は良い本があった」
「今はどうだ」
「私達の手で“漫少”を越えるものをつくろう」
そういう声が強く高く上り、近い将来、開花結実することを、心から祈ります。」
とありました
『「漫画つうしんぼ」前後』
と書かれた文章の中には、次のような記述があり、少年時代の私を評論家ではなくコレクターへと導きます。
「ところが、天の啓示か魔がさしたか、日本の雑誌ならすべて揃っていると信じていた国会図書館に、至宝『漫画少年』が三冊きり、と聞かされて飛び上り、
「マンガショウネン」
「マンガショウネン」
と、わめきだした。
「漫画少年が消えてしまう」
「漫画少年を無くしちゃいけない」
寺田ヒロオ先生の思いに、遅れてきた漫画少年である少年時代の私は共感したのです。
そして、「漫画少年」史を手本に【少年画報大全】のコンセプトを作り監修、発売します。
映画や漫画、アニメに特撮、絵物語に少年小説、街頭紙芝居に音楽といった、大正・昭和時代の大衆文化に対する考え方は、在野にいる数少ない漫画史研究家である私と、評論家や、現在あるマンガ関連施設の殆んどと、考え方の根本部分が異なるようで、私の元へ展示資料に関する協力要請が来ることはありません。
逓信総合博物館や、山本有三記念館、弥生美術館など、マンガ専門でない広い視野を持った施設の総合的な学芸員の資格を有する人達からしか協力依頼が来ません。
facebookや、Twitterをみると、交流する人達の違いからその世界観の違いも判ってきますが、年賀状に関しても同じことがいえるようです。
評論家でない私の所には、ファンであり私の好きな名作を書かれている漫画家の先生方へ出した年賀状の返事がたくさん届きます。
何とも不思議な現象ですね。(*´∀`)♪
今年は、私が所蔵する少しレアな戦後の少年雑誌たちを紹介していきますが、せっかくの機会なのでもう少しだけ年賀状紹介シリーズを続けていきますね。
前回の画像は、私の大好きな【ルパン三世】原作者である漫画家のモンキー・パンチ先生からの寒中お見舞いを紹介しましたが、今年は漫画史研究家である私のマネジメントをしてもらっている株式会社パインウッドカンパニー宛で、私に沢山の年賀状の返事が届いているとの連絡をもらってたので、大雪の日の帰り道、新富町駅近くの事務所に立ち寄り一部だけ撮影、全てをピックアップして自宅に持ち帰って来ました。
其々の先生方の作品に纏わるエピソードについては、後日改めまして。
全て思い入れがある漫画界におけるビッグネームの先生方からの物ばかりなので、ネット上などで既に見覚えがある方も多いかも知れません。
私が子供の頃など、少年雑誌の企画で、漫画家の先生方からの年賀状が紹介されておりました。
私は、高田馬場のセブンビル2Fにあった手塚先生のプロダクション宛に年賀状を出して、印刷された葉書の返事が貰えてとても嬉しかったことを憶えています。
なので、私のブログのお正月特別企画として、先生方からの年賀状をほんの一部だけ紹介しているのです。
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は
臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で
「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」
『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!
故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!
【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口
株式会社 パインウッドカンパニー
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
Tel:03-5939-6991
『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com
漫画史研究家 本間正幸
今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!
先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を、次に、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのものを紹介。
2013年は【リボンの騎士】連載60周年。
【鉄腕アトム】放送50周年。
【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。
手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、少年時代に愛読していた藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の影響から多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きになり、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。
漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。
今年の藤子不二雄@先生からの年賀状に書いてある
「毒蛇は急がない」
は、藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の中に出てくるエピソード。
蛇の顔が【笑うせえるすまん】の喪黒福造で、ゴルフボールを抱えてます。
富山から上京したてで@先生の両国の親戚の家に最初に下宿した藤子不二雄先生二人のコンビは、二畳一間の下宿の主人から、作家としての心構えを説かれたのが「毒蛇は急がない」のエピソード。
後にあの伝説のトキワ荘の四畳半へ移り住む前の印象深い話である。
私が、漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビューした際、当時担当編集者であった編集長の添田さんと、当時の編集部長であり、現在は少年画報社の社長である戸田さんから云われたことがある。
「これからは、お金のためだといって変な仕事はするな。ちゃんと仕事は選べよ。」
武士は食わねど高楊枝。
私は、今まで旅行会社の添乗員としても、漫画史研究家・本間正幸としての署名入りの仕事も、お金のために人として恥ずべき生き方をしたことが一切ありません。
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
今年、赤塚不二夫先生のお嬢さんである赤塚りえ子さんが代表を務めるフジオ・プロダクションからの年賀状には、二匹のへび達が登場。
「くだらん!!」
「どうしたの?青大将のジョナサン?」
「おれはただのヘビじゃないぞ!!」
「ぼくにはただのヘビにしかみえないけど・・・」
「よしっ東京へいこう!!そしてりっぱなヘビになって故郷へニシキヘビをかざるんだ!!」
今年は、NHKBSで毎週日曜日の朝、少女時代に山形の庄内地方で苦労に苦労を重ねた【おしん】が再放送され、TBSの日曜劇場では【とんび】が放送されます。
「私も、名実ともに日本一のリッパな漫画史研究家となって、父の故郷である庄内地方へ父の代わりとなってニシキヘビをかざるんだ!!」
今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く
と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。
漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
作者のことば
次郎という少年は、私にはわすれようとしてもわすれられない少年です。
この少年はいろんなわけがあって小さいころにはたいへんひねくれていましたが、ひじょうな苦しみをなめ、努力をつんでついに自分のわるい性質にうちかちすばらしい少年に育つことができたのです。
むろん私は次郎のよいところだけでなく、わるいところもすこしもかくさないでありのままかくつもりです。
それでこそ次郎の苦しみや努力がみなさんにわかっていただけるだろうと思うのです。
第一巻・第二巻 定価各230円
発行所 学童社
まえに本誌の連載で大評判になり、いま又毎週木曜日の夜九時にjOQRから放送され、日本中の人々にふかい感動をあたえている下村湖人先生の名作少年小説(『漫画少年』昭和29年1月号表紙裏の広告より)
少年少女のために、大人が心からの愛情と良識を持って雑誌が作られていた昭和時代が、今も私は好きだ。
「漫画は子供の心を明るくする
漫画は子供の心を楽しくする
だから子供は何より漫画が好きだ
『漫画少年』は、
子供の心を明るく楽しくする本である『漫画少年』には、子供の心を清く正しくそだてる小説と読物がある
どれもこれも傑作ばかり
日本の子供たちよ
『漫画少年』を読んで清く明るく正しく伸びよ!!
創刊のことば
加藤謙一
(昭和23年1月号)」
今日の画像は、あの伝説の【漫画少年】昭和29年(1954年)お正月オール漫画特大号と「漫画少年」史。
【漫画少年】発行元の出版社である学童社は、今はもう存在してないので、この幻の雑誌を私が手に入れて実物を眼にするまでには、小学生の頃から25年近くの歳月がかかってしまったので、おじさんになってしまっていた。(涙)
なので、少年時代の思い入れとの再会は、「今月のよびもの 井上一雄先生の友情漫画 バット君とハヤちゃん」が、一番強い。
松田哲夫さんが編集を担当した筑摩書房の【少年漫画劇場】の中に収録されていた【バット君】は、私の少年時代のお気に入り作品の一つだった。
オリジナルの単行本も、当時連載中であった掲載誌【漫画少年】も、希少本なのに購入希望者が多いため、古書価格が異常に高騰し、高額のため貧乏な漫画史研究家の身分では、実物を中々手に入れることは出来なかった。
私が所蔵している本は、表紙周りが痛み、裏表紙が欠損していたため、格安の数万円(涙)で入手することが出来たのだが、以前なら10万円前後はしていたはず。
内容は勿論、大満足過ぎる充実ぶり。
巻頭カラーページ特集「年賀状まんが読者のみなさんへ」では、漫画家の先生方(一頁に二人ずつ田河水泡、島田啓三、芳賀まさお、沢井一三郎、手塚治虫、福井英一、うしおそうじ、馬場のぼる、古沢日出夫、茨木啓一、田中正雄、木下としお、瀬越憲、最終ページのみ四人、寺田ヒロオ、坂本三郎、山根青鬼、山根赤鬼)から読者の子供たちへの年賀状が紹介されています。
イラストだけでなく特別にメッセージを書き添えている先生方の文章を紹介すると次の通り。
「あけましておめでとう
今年も元気で頑張りましょう
年始にあたり私の祈り
私の描く漫画が日本中の少年少女の皆さんのよい友達となれる事を祈っています
田中正雄
あけましておめでとう
ほんとにあけてどの頁もおもしろい漫画少年・・・・・この本とともにますます元気でそだっていくみなさん どうぞことしもがんばってネ
木下としお
あけましておめでとう
若駒のように清新な新年を迎えて元気一ぱい張りきりましょう・・・・・・
古沢日出夫
現在【漫画少年】(学童社)は、蔵書として私の手元に七冊ある。
評論家や、マンガ図書館ならともかく、漫画史研究家として多いのか?少ないのか?
トキワ荘のテラさんとして手塚治虫先生始め、後輩となる漫画家の藤子不二雄@先生、F先生、赤塚不二夫先生、石森章太郎先生、鈴木伸一先生たちから慕われた漫画家の寺田ヒロオ先生は、編著した「漫画少年」史(湘南出版社・1981年)のあとがきにて
「この本は『漫画少年』の資料です。
復刻本ではありません。
休刊後二十五年たった『漫画少年』が、散逸消滅するのを防ぎたい一心で、緊急に企画刊行いたしましたので、不備な点も多く、読者のご不満も強いことでしょう。
しかしこの本が出ることで、この「戦後最高の児童文化財」が再認識され、その保存保護が、真剣に考慮されると思います。
またこの本が呼び水となり、もっと豊富でもっと正確な『漫画少年』関連図書が続刊され、復刻のみか、復刊の動きさえ起こるかもしれません。
だが、私の真の期待は、若者の「温故知新」です。
「昔は良い本があった」
「今はどうだ」
「私達の手で“漫少”を越えるものをつくろう」
そういう声が強く高く上り、近い将来、開花結実することを、心から祈ります。」
とありました
『「漫画つうしんぼ」前後』
と書かれた文章の中には、次のような記述があり、少年時代の私を評論家ではなくコレクターへと導きます。
「ところが、天の啓示か魔がさしたか、日本の雑誌ならすべて揃っていると信じていた国会図書館に、至宝『漫画少年』が三冊きり、と聞かされて飛び上り、
「マンガショウネン」
「マンガショウネン」
と、わめきだした。
「漫画少年が消えてしまう」
「漫画少年を無くしちゃいけない」
寺田ヒロオ先生の思いに、遅れてきた漫画少年である少年時代の私は共感したのです。
そして、「漫画少年」史を手本に【少年画報大全】のコンセプトを作り監修、発売します。
映画や漫画、アニメに特撮、絵物語に少年小説、街頭紙芝居に音楽といった、大正・昭和時代の大衆文化に対する考え方は、在野にいる数少ない漫画史研究家である私と、評論家や、現在あるマンガ関連施設の殆んどと、考え方の根本部分が異なるようで、私の元へ展示資料に関する協力要請が来ることはありません。
逓信総合博物館や、山本有三記念館、弥生美術館など、マンガ専門でない広い視野を持った施設の総合的な学芸員の資格を有する人達からしか協力依頼が来ません。
facebookや、Twitterをみると、交流する人達の違いからその世界観の違いも判ってきますが、年賀状に関しても同じことがいえるようです。
評論家でない私の所には、ファンであり私の好きな名作を書かれている漫画家の先生方へ出した年賀状の返事がたくさん届きます。
何とも不思議な現象ですね。(*´∀`)♪
今年は、私が所蔵する少しレアな戦後の少年雑誌たちを紹介していきますが、せっかくの機会なのでもう少しだけ年賀状紹介シリーズを続けていきますね。
前回の画像は、私の大好きな【ルパン三世】原作者である漫画家のモンキー・パンチ先生からの寒中お見舞いを紹介しましたが、今年は漫画史研究家である私のマネジメントをしてもらっている株式会社パインウッドカンパニー宛で、私に沢山の年賀状の返事が届いているとの連絡をもらってたので、大雪の日の帰り道、新富町駅近くの事務所に立ち寄り一部だけ撮影、全てをピックアップして自宅に持ち帰って来ました。
其々の先生方の作品に纏わるエピソードについては、後日改めまして。
全て思い入れがある漫画界におけるビッグネームの先生方からの物ばかりなので、ネット上などで既に見覚えがある方も多いかも知れません。
私が子供の頃など、少年雑誌の企画で、漫画家の先生方からの年賀状が紹介されておりました。
私は、高田馬場のセブンビル2Fにあった手塚先生のプロダクション宛に年賀状を出して、印刷された葉書の返事が貰えてとても嬉しかったことを憶えています。
なので、私のブログのお正月特別企画として、先生方からの年賀状をほんの一部だけ紹介しているのです。
漫画史研究家である私、本間正幸の今年の年賀状は
臥薪嘗胆の時を経て、2013年は温故知新の志で
「ことしも元気でいこう!!福井英一・画」
『冒険王』(秋田書店)1954年新年号付録【イガグリくん】年賀状を発掘!!
故・上田トシコ先生の【フイチンさん】を始め、昭和時代の名作漫画を続々と電子書籍化します!
【まぼろし探偵】【月光仮面】(原作・川内康範)【8マン】(原作・平井和正)で知られる桑田次郎先生、少女漫画の名作で知られる故・東浦美津夫先生、【ゆうひが丘の総理大臣】【サインはV!】(原作・神保史郎)で知られる望月あきら先生作品版権管理窓口
株式会社 パインウッドカンパニー
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
Tel:03-5939-6991
『漫画の匠』
http://www.manganotakumi.com
漫画史研究家 本間正幸
今年も、私が大ファンである漫画家の先生方を始めその遺族の方たち、アニメーション業界の方、作家の先生、児童文学の研究者の先生、編集者など出版業界の人たち、女優さんに至るまで、様々な業種の方たちから、沢山の年賀状の返事をいただいております。
毎年恒例となっております漫画家さんからの年賀状の返事をいくつか紹介してみますね!
先ずは、スタジオ・ゼロのアニメーターであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしてもあまりにも有名な杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長からの年賀状を、次に、手塚治虫先生作品の版権管理をされている手塚プロダクションさんからのものを紹介。
2013年は【リボンの騎士】連載60周年。
【鉄腕アトム】放送50周年。
【ブラック・ジャック】連載40周年を迎えます。
手塚先生の作品やアニメは、私より上の世代に圧倒的にファンが多く、私の世代では好きな人が意外に少なく、石森ファン、豪ちゃんファン、松本ファンが圧倒的に多かったものです。
藤子ファンや、宮崎駿ファンも、私より少し下の世代に圧倒的に多いような気がします。
私は、少年時代に愛読していた藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の影響から多くの手塚治虫作品の中でも初期SF三部作の【メトロポリス】が大好きになり、アニメ化され再評価される前に漫画喫茶の店名をメトロポリスと名付けたほど。
漫画と映画、アニメ好きの私が、漫画史研究家としてメトロポリス漫画総合研究所を主宰しているのは、大の手塚ファンの証でもあるのです。
今年の藤子不二雄@先生からの年賀状に書いてある
「毒蛇は急がない」
は、藤子不二雄@先生の名作【まんが道】の中に出てくるエピソード。
蛇の顔が【笑うせえるすまん】の喪黒福造で、ゴルフボールを抱えてます。
富山から上京したてで@先生の両国の親戚の家に最初に下宿した藤子不二雄先生二人のコンビは、二畳一間の下宿の主人から、作家としての心構えを説かれたのが「毒蛇は急がない」のエピソード。
後にあの伝説のトキワ荘の四畳半へ移り住む前の印象深い話である。
私が、漫画史研究家として【少年画報大全】でメジャーデビューした際、当時担当編集者であった編集長の添田さんと、当時の編集部長であり、現在は少年画報社の社長である戸田さんから云われたことがある。
「これからは、お金のためだといって変な仕事はするな。ちゃんと仕事は選べよ。」
武士は食わねど高楊枝。
私は、今まで旅行会社の添乗員としても、漫画史研究家・本間正幸としての署名入りの仕事も、お金のために人として恥ずべき生き方をしたことが一切ありません。
在野にいる数少ない漫画史研究家として、【正ちゃんの冒険】から始まる大正・昭和時代を代表する名作漫画の収集、保存、復刻に自らの信念と誇りを持って私独自の対応をしてきました。
今年、赤塚不二夫先生のお嬢さんである赤塚りえ子さんが代表を務めるフジオ・プロダクションからの年賀状には、二匹のへび達が登場。
「くだらん!!」
「どうしたの?青大将のジョナサン?」
「おれはただのヘビじゃないぞ!!」
「ぼくにはただのヘビにしかみえないけど・・・」
「よしっ東京へいこう!!そしてりっぱなヘビになって故郷へニシキヘビをかざるんだ!!」
今年は、NHKBSで毎週日曜日の朝、少女時代に山形の庄内地方で苦労に苦労を重ねた【おしん】が再放送され、TBSの日曜劇場では【とんび】が放送されます。
「私も、名実ともに日本一のリッパな漫画史研究家となって、父の故郷である庄内地方へ父の代わりとなってニシキヘビをかざるんだ!!」
今年の元旦の朝に私は、定期購読している読売新聞だけでなく東京新聞、朝日新聞、毎日新聞の三紙を自宅近くのコンビニで購入。
私が政治や宗教、思想、スポーツについてブログで滅多に話題にしないのは、自分の考えを他人に押し付けることが嫌いだからです。
脚本家の石森史郎先生は、毎年元旦の朝になると新聞の朝刊各紙を購入し、その年の動向についての情報を得ているとのことなので、弟子筋となる私も今年は真似をしてみました。
元東映の名プロデューサー平山亨さんは、付き合いで赤旗を取ったところ、知らないうちに共産党の党員に登録されていたことがあり、吃驚したとのこと。
東京新聞が一番偏りがなく、芸能面なども充実しているので、業界内の友人などに意外と講読者が多いと話してくれたことがあります。
今回、東京新聞には「アニメ50年いつもそばに」と題する記事がカラー画像付きでありました。
朝日新聞では、「アトムからコナン、その先へ」50年の厳選50本ー脚本家・辻真先さんと歩く
と言う記事がありました。
辻先生へのインタビューは、正に我が意を得たりという感じで、今年の元旦は石森先生の真似をして、四紙読み比べて大正解だったといえるでしょう。
漫画史研究家であり、アニメーション史研究家でもある私は、在野にいる数少ない研究者の立場から、なるべく偏った思想でなく独自の社会学的視点から漫画やアニメの歴史について実証的な資料を踏まえて今年も皆さんに紹介していきたいと考えています。
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