私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
今日の画像は、昭和の【仮面ライダー】地獄大使役で知られる俳優の潮健児さんの素顔と、【仮面ライダー】シリーズのプロデューサーで知られる平山亨さんです。
潮健児さんと、平山さんの関係それは、水木しげる先生原作の【悪魔くん】を平山さんがプロデューサー初仕事としてテレビドラマ化した際に、二代目メフィスト(弟)役として潮健児さんが演じた頃から関係が深く、プライベートでも交流が続いていたようです。
我が心の師匠である平山さんは、東映テレビ部のプロデューサーを定年退職後、一時期神社の神主をしていたことがあり、その時の貴重な一枚がこの写真。
左の神主の衣裳を纏っているのが平山さんです。
潮さんは、プライベートで平山さんを訪ねに来たので素顔のままノーメイク、スーツ姿でいますから、こちらも珍しい。
この写真は、特撮マニアの間でも、みんな見たことがない、かなりレアなものになるかと思われます。
何故なら、ある時平山さんが
「そうだ、本間くん、今日は君に見せようと思って面白い写真を持って来たんだ。」
と鞄の中からこの写真を取り出し私にくれたのです。
「えっ!この写真、雑誌の取材か何かで撮ったんですか?」
と、私が尋ねると
「いや、潮ちゃんがどこかで僕が神主をやっているって噂を聴いたらしくて、遊びに来てくれた時に一緒に撮ったんだ」
とのこと。
「何か縁起が良さそうだからって欲しがる物好きな奴もいたから何枚か焼き増ししたんで、これは本間くんの分だ。(笑)」
と、いつものように茶目っ毛たっぷりに微笑みながら、私にくれたのです。
何故、私のような無名の若造が、偉大なる名プロデューサーとして知られる平山さんに、大勢いる弟子筋の中の一人として、気に入られていたのか?
その理由は、特撮に限らず昭和の正義のヒーロー好きであったことや、純粋な少年漫画好きであり、コレクターであったため、平山さんが興味を持っていながら入手困難な漫画作品があると、私の所へも連絡が入ってきたのです。
そして平山さんが少年時代に大好きだった戦前の大日本雄弁会講談社時代の少年雑誌『少年倶楽部』に連載されていた佐藤紅緑先生が書いた少年小説好きだったこと。
平山さんが少年時代に夢中になっていたサイレント映画にも興味があり、無声映画鑑賞会の正会員としてその情報を持っていたことなどから、平山さんが見たい無声映画が上映される際には、平山さんを鑑賞会の会場へ御案内することが、何度もありました。
また、平山さんが少年時代の一時期を過したのが横浜鶴見であり、少年時代(12歳前後)の私が、平山さんを大泉学園にある東映撮影所まで訪ねて行くと、
「君は鶴見に住んでいるのか。僕もまだ小さい頃の少年時代に鶴見の月見が丘という地名の辺りに住んでいた記憶があるんだ」
と、とても嬉しそうにおっしゃってくれたので、初対面の緊張がほぐれ、とても親近感を覚えたものです。(笑)
ぼくらが大好きだった『特撮ヒーローBESTマガジン』VOL.8(講談社・2006年1月)
にて、[巻頭特集]【悪魔くん】【河童の三平 妖怪大作戦】に続き、
対談[水木しげる×平山亨]
が収録された際には、平山さんに無理言って、インタビュアーである堤哲哉さん共々、私・本間正幸まで平山さんのお供として水木プロダクションの収録現場に付いて行ったことがありました。(笑)
これが功を奏し、後に私が【河童の三平】[貸本版]上・下巻(チクマ秀版社)をプロデュースする企画を立てた際に、水木プロダクションからの承認がすんなりいくことになるのです。(笑)
昨日は、プライベートにおいてとても哀しい出来事がありましたので、(涙)我が心の師匠である平山さんが、私にくださった縁起の良い写真でも眺めながら、夜を過ごそうと考えています。
今日のNHK朝の連続テレビ小説【おひさま】は、私のとても好きなエピソードでした。
どんな境遇であろうとも、どんな環境であろうとも、一生懸命努力して頑張って生きてさえいれば、
「働きながらでも勉強は出来るんだ。」
戦争中空襲で両親を亡くしたため、縁故疎開先の長野で孤児となり、妹と離れ離れに親戚の家に引き取られた少女のエピソード。(涙)
今日は、TSUTAYAで
【ロミオの青い空】
のDVDを再度借りてきました。
今、私がもう一度見直してみたいアニメ、今の私は、そんな心境なのです。(涙)
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
今日の画像は、昭和の【仮面ライダー】地獄大使役で知られる俳優の潮健児さんの素顔と、【仮面ライダー】シリーズのプロデューサーで知られる平山亨さんです。
潮健児さんと、平山さんの関係それは、水木しげる先生原作の【悪魔くん】を平山さんがプロデューサー初仕事としてテレビドラマ化した際に、二代目メフィスト(弟)役として潮健児さんが演じた頃から関係が深く、プライベートでも交流が続いていたようです。
我が心の師匠である平山さんは、東映テレビ部のプロデューサーを定年退職後、一時期神社の神主をしていたことがあり、その時の貴重な一枚がこの写真。
左の神主の衣裳を纏っているのが平山さんです。
潮さんは、プライベートで平山さんを訪ねに来たので素顔のままノーメイク、スーツ姿でいますから、こちらも珍しい。
この写真は、特撮マニアの間でも、みんな見たことがない、かなりレアなものになるかと思われます。
何故なら、ある時平山さんが
「そうだ、本間くん、今日は君に見せようと思って面白い写真を持って来たんだ。」
と鞄の中からこの写真を取り出し私にくれたのです。
「えっ!この写真、雑誌の取材か何かで撮ったんですか?」
と、私が尋ねると
「いや、潮ちゃんがどこかで僕が神主をやっているって噂を聴いたらしくて、遊びに来てくれた時に一緒に撮ったんだ」
とのこと。
「何か縁起が良さそうだからって欲しがる物好きな奴もいたから何枚か焼き増ししたんで、これは本間くんの分だ。(笑)」
と、いつものように茶目っ毛たっぷりに微笑みながら、私にくれたのです。
何故、私のような無名の若造が、偉大なる名プロデューサーとして知られる平山さんに、大勢いる弟子筋の中の一人として、気に入られていたのか?
その理由は、特撮に限らず昭和の正義のヒーロー好きであったことや、純粋な少年漫画好きであり、コレクターであったため、平山さんが興味を持っていながら入手困難な漫画作品があると、私の所へも連絡が入ってきたのです。
そして平山さんが少年時代に大好きだった戦前の大日本雄弁会講談社時代の少年雑誌『少年倶楽部』に連載されていた佐藤紅緑先生が書いた少年小説好きだったこと。
平山さんが少年時代に夢中になっていたサイレント映画にも興味があり、無声映画鑑賞会の正会員としてその情報を持っていたことなどから、平山さんが見たい無声映画が上映される際には、平山さんを鑑賞会の会場へ御案内することが、何度もありました。
また、平山さんが少年時代の一時期を過したのが横浜鶴見であり、少年時代(12歳前後)の私が、平山さんを大泉学園にある東映撮影所まで訪ねて行くと、
「君は鶴見に住んでいるのか。僕もまだ小さい頃の少年時代に鶴見の月見が丘という地名の辺りに住んでいた記憶があるんだ」
と、とても嬉しそうにおっしゃってくれたので、初対面の緊張がほぐれ、とても親近感を覚えたものです。(笑)
ぼくらが大好きだった『特撮ヒーローBESTマガジン』VOL.8(講談社・2006年1月)
にて、[巻頭特集]【悪魔くん】【河童の三平 妖怪大作戦】に続き、
対談[水木しげる×平山亨]
が収録された際には、平山さんに無理言って、インタビュアーである堤哲哉さん共々、私・本間正幸まで平山さんのお供として水木プロダクションの収録現場に付いて行ったことがありました。(笑)
これが功を奏し、後に私が【河童の三平】[貸本版]上・下巻(チクマ秀版社)をプロデュースする企画を立てた際に、水木プロダクションからの承認がすんなりいくことになるのです。(笑)
昨日は、プライベートにおいてとても哀しい出来事がありましたので、(涙)我が心の師匠である平山さんが、私にくださった縁起の良い写真でも眺めながら、夜を過ごそうと考えています。
今日のNHK朝の連続テレビ小説【おひさま】は、私のとても好きなエピソードでした。
どんな境遇であろうとも、どんな環境であろうとも、一生懸命努力して頑張って生きてさえいれば、
「働きながらでも勉強は出来るんだ。」
戦争中空襲で両親を亡くしたため、縁故疎開先の長野で孤児となり、妹と離れ離れに親戚の家に引き取られた少女のエピソード。(涙)
今日は、TSUTAYAで
【ロミオの青い空】
のDVDを再度借りてきました。
今、私がもう一度見直してみたいアニメ、今の私は、そんな心境なのです。(涙)
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