X'masの時期から年末なると、どうしてだろう?
どうしても、毎年とてももの悲しくなってしまいます。
今年来た年賀状を見ながら、今日も来年の年賀状を書いているのですが、毎年毎年何人もお世話になった先生方が亡くなってしまわれることが多くなり・・・。
今年は、漫画の匠でもお世話になっていた東浦美津夫先生が2月12日に享年81歳で亡くなられました。
8月20日には、少年の日から私にとって、漫画の編集者として憧れの存在であり、漫画史研究家として少年画報大全を監修しメジャーデビューを果たした後に再会してからは、編集のイロハと、漫画家さんの版権管理について一から教えてくれた編集プロダクションサードハウスの社長、桑村誠二郎さんが享年76歳で亡くなられてしまいました。
常日頃、私の心の師匠と勝手に公言している元東映の平山亨プロデューサーは、現在病気療養中となり、
【泣き虫プロデューサーの遺言状】(講談社)
という本が出ており、巻末には番外編として平山先生の次男である満さんによる父の闘病日記と題した文章が載っています。
先日、脚本家の石森史郎先生一門の忘年会があり、江東区の古石場文化センターのシナリオ塾の生徒として、無声映画鑑賞会では図々しくいつも石森先生のお伴をさせていただかせている関係で、特別に一門の忘年会の末席に潜り込むことが出来ました。
石森先生の日大芸術学部時代からの友人で、監督・脚本家の田口勝彦先生、お弟子さんである脚本家の三宅直子先生、伴 一彦先生、それにファミリー劇場の担当者や、BS朝日のディレクターなどとも直接話が出来、図々しく名刺交換。
自己紹介の場面では、私と石森先生との最初の出会いが、無声映画鑑賞会関連のイベント会場であり、心の師匠平山先生のお伴をしていたことがキッカケで、今日の石森先生との交流が始まったこと、平山先生の本が私の絶対のオススメであることなどをPRしました。
忘年会の席上で、石森先生が参加者みんなに
人の出会いとは一期一会
とおっしゃっていましたが、正にその通りだと実感出来る今日この頃です。
帰りの東急線の電車の中で、偶然にもデビュー前から知っている若手の美人女優さんにバッタリ。
映画や舞台、テレビなどでも活躍され、私は子供の頃にその女優さんのお母さんが女優として出ている特撮ヒーロー番組が大好きでいつも見ていました。
そのお母さんの代表作と言える特撮番組の脚本を石森先生が書いていた関係で、女優さん母娘と石森先生と私の四人で新宿で話をしたことがあるのです。
その際、私が早乙女愛さんの大ファンだった話をしたら、その女優さんと早乙女愛さんは、家族ぐるみで付き合いがあって吃驚!
石森先生は、早乙女愛さんの代表作である映画【愛と誠】【続・愛と誠】【青春の構図】の脚本を書かれてます。
上村一夫先生の代表作【同棲時代】の映画の脚本も石森先生が書かれているので、上村一夫先生の版権を管理されている上村先生のお嬢さんに石森先生を紹介出来たらいいな!と勝手に考えており、来年になったら竹久夢二美術館の隣の喫茶店あたりで席をセッティングしたいと考えています。
上村一夫先生のお嬢さんと今も交流が深い名編集者、筧悟さんは、私が少年画報大全を監修した際の新企画室室長であり、編集統括をされていた方。
桑村さんが、ヤングコミック編集長時代の副編集長でもあり、私と一緒にチクマ秀版社で名作漫画の復刻を担当された方。
その際に上村一夫先生の【津軽惨絃歌】を復刻されています。
私は、今年になってから初めて上村先生のお嬢さんを、筧さんに頼み込んで紹介してもらったのです。
さて、今夜は新宿紀伊國屋ホールにて第653回無声映画鑑賞会があります。
一昨年のこの鑑賞会に、私は平山先生を御案内させていただき、その後、石森先生の御弟子さん達と一緒に皆で夕食を食べにいったのですが、今年はもう平山先生を御案内出来ないと考えると・・・。
どうしても、毎年とてももの悲しくなってしまいます。
今年来た年賀状を見ながら、今日も来年の年賀状を書いているのですが、毎年毎年何人もお世話になった先生方が亡くなってしまわれることが多くなり・・・。
今年は、漫画の匠でもお世話になっていた東浦美津夫先生が2月12日に享年81歳で亡くなられました。
8月20日には、少年の日から私にとって、漫画の編集者として憧れの存在であり、漫画史研究家として少年画報大全を監修しメジャーデビューを果たした後に再会してからは、編集のイロハと、漫画家さんの版権管理について一から教えてくれた編集プロダクションサードハウスの社長、桑村誠二郎さんが享年76歳で亡くなられてしまいました。
常日頃、私の心の師匠と勝手に公言している元東映の平山亨プロデューサーは、現在病気療養中となり、
【泣き虫プロデューサーの遺言状】(講談社)
という本が出ており、巻末には番外編として平山先生の次男である満さんによる父の闘病日記と題した文章が載っています。
先日、脚本家の石森史郎先生一門の忘年会があり、江東区の古石場文化センターのシナリオ塾の生徒として、無声映画鑑賞会では図々しくいつも石森先生のお伴をさせていただかせている関係で、特別に一門の忘年会の末席に潜り込むことが出来ました。
石森先生の日大芸術学部時代からの友人で、監督・脚本家の田口勝彦先生、お弟子さんである脚本家の三宅直子先生、伴 一彦先生、それにファミリー劇場の担当者や、BS朝日のディレクターなどとも直接話が出来、図々しく名刺交換。
自己紹介の場面では、私と石森先生との最初の出会いが、無声映画鑑賞会関連のイベント会場であり、心の師匠平山先生のお伴をしていたことがキッカケで、今日の石森先生との交流が始まったこと、平山先生の本が私の絶対のオススメであることなどをPRしました。
忘年会の席上で、石森先生が参加者みんなに
人の出会いとは一期一会
とおっしゃっていましたが、正にその通りだと実感出来る今日この頃です。
帰りの東急線の電車の中で、偶然にもデビュー前から知っている若手の美人女優さんにバッタリ。
映画や舞台、テレビなどでも活躍され、私は子供の頃にその女優さんのお母さんが女優として出ている特撮ヒーロー番組が大好きでいつも見ていました。
そのお母さんの代表作と言える特撮番組の脚本を石森先生が書いていた関係で、女優さん母娘と石森先生と私の四人で新宿で話をしたことがあるのです。
その際、私が早乙女愛さんの大ファンだった話をしたら、その女優さんと早乙女愛さんは、家族ぐるみで付き合いがあって吃驚!
石森先生は、早乙女愛さんの代表作である映画【愛と誠】【続・愛と誠】【青春の構図】の脚本を書かれてます。
上村一夫先生の代表作【同棲時代】の映画の脚本も石森先生が書かれているので、上村一夫先生の版権を管理されている上村先生のお嬢さんに石森先生を紹介出来たらいいな!と勝手に考えており、来年になったら竹久夢二美術館の隣の喫茶店あたりで席をセッティングしたいと考えています。
上村一夫先生のお嬢さんと今も交流が深い名編集者、筧悟さんは、私が少年画報大全を監修した際の新企画室室長であり、編集統括をされていた方。
桑村さんが、ヤングコミック編集長時代の副編集長でもあり、私と一緒にチクマ秀版社で名作漫画の復刻を担当された方。
その際に上村一夫先生の【津軽惨絃歌】を復刻されています。
私は、今年になってから初めて上村先生のお嬢さんを、筧さんに頼み込んで紹介してもらったのです。
さて、今夜は新宿紀伊國屋ホールにて第653回無声映画鑑賞会があります。
一昨年のこの鑑賞会に、私は平山先生を御案内させていただき、その後、石森先生の御弟子さん達と一緒に皆で夕食を食べにいったのですが、今年はもう平山先生を御案内出来ないと考えると・・・。
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