祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

祖母がまだ、若い頃、母を抱いて

2009-05-10 04:19:17 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
去年の母の日のことだ。
母の親戚から一枚の写真が送られてきた。

画像の写真は昭和16年、母が産まれた時の物。
茨城県行方郡にある母の実家が管理する神社の前で撮影された。
中央の男性は祖父で、右隣でその年5月1日に産まれたばかりの赤ちゃんを抱いているのが祖母となる。
祖母が大事に抱いている赤ちゃんが私の母親。
この写真はなんと3男6女の5女となる母が産まれた御祝いの記念写真なのだ。

私ばかりでなく母親もこの写真のことは知らず、当時親戚に配られたこの写真を大切に持っていた、母を良く知る90歳前後のオバアさんが、私の母親の為に贈ってくれたのである。

母の直ぐ下には、妹そしてその下に弟が二人いる。

祖父や祖母そして伯父や伯母達のこんなにも若い頃の写真は初めて見た。
祖父は面影があるのですぐにわかったが、祖母は晩年太めになっていたので、若い頃はほっそりとした和服の似合う美人だと初めて知った。

何よりも私が驚いたのは、6番目の子供までも大切にしている祖父母の優しさだ。

私の子供の頃は、夏休みや冬休みになると母の実家はいつも、遊びに来ている大勢の孫達で溢れかえっていたのだが、祖母や祖父は、孫達にとても優しかった。
母の田舎の中でもひときわ善人の夫婦として知られており、小津安二郎の映画東京物語に出てくる笠智衆、演じる老夫婦そのままの印象が私にはある。

産まれた時から祖父母に大切に育てられて来た母は、正直で働き者な山形県庄内出身の五歳年上の男と結婚し、一男一女にも恵まれ夫婦二人仲良く幸せな家庭を築いていくのだが・・・


姉となる娘は子供の頃からあまり手もかからず、学校生活や就職、結婚と順調に育てることに成功するのだが、弟となる息子は小さい頃は病弱で手がかかり、その後、中学・高校生になると何度も学校で問題を起こすことになる。

その頃私の母は、母親を38歳の時に亡くし、父親も40歳で亡くす。
42歳の時には夫まで癌で亡くした私の母に残されたのは、出来の悪い息子である。
さすがに息子も母の苦労を知って改心し、何とか退学寸前だった高校を卒業する。
一浪後、大学に進学、日本旅行に就職したと思ったら、すぐ辞めて収入も不安定な文筆業となり、いまだに結婚も出来ずにいる。

東京タワーの息子よりもより一層、母親には心配や苦労をかけ続けている。
子供の頃の私の呼び名はマー君だったので、余計身につまされた。

私は父にとっても、母にとっても、本当に親不幸で出来の悪い息子である。

写真の祖父母は、私に、少しは母親を大切にするように訴えかけているような気がしてならない。

私達がこんなにも大切に育てて来た娘なんだから少しは大事にしてやってくれよと・・・
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石森史郎先生のシナリオ塾始まる

2009-05-09 01:13:55 | 映画「銀河鉄道999・愛と誠・同棲時代」脚本家石森史郎の「新宿伝説」(論創社)
一昨日から、東京都江東区にある古石場文化センターにて、石森史郎先生のシナリオ塾が始まりました。
昨年末の無声映画鑑賞会のカツキチ忘年会(特別会員や関係者のみでなく、A会員も参加OK)の席上で、古石場文化センターの職員(現在所長に昇格していてビックリ!)から旧知の石森史郎先生の紹介を頼まれ仲介したのがそもそもの発端になったこの企画。
参加者は20名に及び、埼玉や八王子そして横浜から参加した私も含めて東西南北から門前仲町駅徒歩8分の古石場文化センターまでシナリオ作家を志す人達が集まりました。
下は20代から上は70代まで、正に老若男女の参加者。
昨日は、東京新聞からの取材記者もおり、熱気に満ちた105分となりました。
石森先生は、7時の開始から、用意された椅子にも腰掛けず、水も飲まずに話し続けて本来の講座終了時間である8時30分を過ぎてもまだ足りず、8時45分迄続き、その後、希望者は一緒に先生を囲んでの夕食会となりました。
石森先生が高田馬場で行っている青春シナリオ塾を見学させて貰ったことがある私は、講座終了後は夕食会になるだろうと予測していたので予想は的中。
10時半近くまで続く楽しい宴となりました。
次回は、二週間後の5月21日の開催。
画像は、課題図書として配布された先生の著書です。シナリオへの道(平成13年第五刷・映人社)
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宝塚歌劇と昭和の漫画の深い関係

2009-05-06 14:33:33 | 「正チャンの冒険」(樺島勝一)幻の第七巻
昨日、TBSテレビ、キミハ・ブレイク知られざる宝塚の世界を見た。
女子高の修学旅行に添乗員として同行した際に阪急の宝塚大劇場で舞台を見た時、その魅力の虜となったのだが、圧倒的に女性ファンが多い会場へオジサンが一人で見に行くことも中々出来ないでいる。
(中野晴行さんクラスになるとオジサン一人でも観に行くらしい。流石である。)
宝塚と漫画とは、昔から深い関係がある。
現在の少年漫画の元祖とも言うべき正チャンの冒険の舞台化に始まり、ご存知ベルサイユのばらなど私よりも皆さんの方が詳しいと思うのでそのことは省略するが、手塚治虫先生の創作と宝塚の関係は、とても重要である。
リボンの騎士が宝塚の影響を受けた作品としてあまりにも有名だが、宝塚が手塚作品に与えた影響はそれだけではないのである。
初期SF三部作のひとつであるメトロポリスのミッチイにそれを見ることが出来るのだ。
ミッチイは、アンドロギニュウスのロボットであり、そのことに苦悩する。
フリッツ・ラングの無声映画の不朽の名作メトロポリスに描かれたマリアが、劇中に登場する女性を模倣して造られたアンドロイドであることを考えても、手塚作品のオリジナル性が良く理解出来ると思うのだが・・・
2003年のまんがの日大賞では、宝塚歌劇団が受賞され、樹里咲穂さんがいらしていた。
懇親会の会場では、やなせたかし先生とのツーショット写真も撮影されていたので、宝塚のルールを何も知らなかった私は、秋田書店の部長に頼んで樹里さんとのツーショット写真の撮影に成功する。
門外不出のお宝写真である。
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ザ・ライバル少年サンデー少年マガジン

2009-05-06 02:26:03 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
昨日のNHKテレビ夜10時から放映された、ザ・ライバルー少年サンデー・少年マガジン物語ー。

ドラマ仕立てとドキュメンタリーの両面で構成されているのが良かった。
読売新聞の番組欄の試写室では、文化部記者の石田汗太氏が
マンガ文化育てた2誌の歴史
と題して文を寄せていた。
今日の画像は、インタビューにも登場している少年マガジン4代目編集長宮原照夫さんの著書(実録!少年マガジン名作漫画編集奮闘記)である。
私は、元講談社の少女クラブ編集長丸山昭さんの紹介により、2003年から宮原さんと面識がある。
昨年夏の赤塚不二夫先生の告別式でもお会い出来た。このドラマに興味を持った人達に、おすすめの一冊だ。
活字中心で本文543頁にわたる力作のため、定価は3000円(税別)するが帯にある通り
、編集者魂をまとめた、編集者必読の書!
である。
2005年に講談社から発売されたこの本については、後日改めて紹介させて貰えれば幸いである。
さて、肝心の番組の内容についてなのだが、当時の時代背景を少し補足説明しよう。
昭和30年代はまだ、月刊誌全盛の時代である。
昭和30年代前半は少年画報(少年画報社)が、後半は少年(光文社)が少年雑誌の王者であった。
武内つなよし先生の赤胴鈴之助、桑田次郎先生のまぼろし探偵、河島光広先生のビリーパックといった少年漫画史に残る名作三本柱を連載中の少年画報は、昭和34年新年号において80万部発行し、99.8%を売り切るという戦前戦後を通しての少年月刊誌の新記録を樹立した。
それに対抗しての小学館、講談社の少年週刊誌創刊の流れがある。
講談社の少年月刊誌として有名な少年倶楽部は、戦後少年クラブとなり、発行を続けるも戦前の勢いに戻ることはなかった。
昭和30年に漫画や絵物語などビジュアルを重視したぼくらとなかよしを同時期に創刊するがいまひとつといった感じ。
そこで、少年週刊誌創刊となったのである。

昭和33年に月光仮面の放送が始まり子供達の間でブームとなるなど、テレビの普及に伴い、少年達のライフスタイルも月間から週間へと少しずつ変わっていった。

昭和38年には、少年画報社から第3の少年週刊誌少年キングが発売される。
その頃より、少年週刊誌の採算が合うようになったらしい。
さて、次に少年マガジン大躍進の原動力となる梶原一騎先生のデビューについて少し語らせて貰いたい。
戦前の少年倶楽部に連載されていた佐藤紅緑先生の一連の少年小説の作品群や、学童社から発行された漫画少年に連載された山川惣治先生の絵物語ノックアウトQなどの作品を好み、少年小説家志望だった梶原一騎先生は、少年画報からデビューを飾る。
弱冠17歳での衝撃的なデビューだった。
デビューのキッカケは、昭和28年8月号から三ヶ月の間、少年画報誌上で少年読物大募集の記事が掲載されたことによる。
(勝利のかげに)というボクシングを題材とした感激小説にて見事入選を果たしたのが梶原一騎(本名・高森朝樹)少年なのである。
少年画報・昭和28年11月号本誌に掲載されたそのデビュー作を読むと、デビュー当初から既に独自の作風を完成させていたことがわかる。
けれども、少年雑誌は少年小説から少年漫画の時代へと変わっていったため、梶原先生は不遇の時を過ごしていたのである。
長らく幻のデビュー作としてなかば伝説と化していたこの勝利のかげには、少年画報大全に全編収録してあるのでご一読いただけたら幸いです。
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ザ・ライバル少年マガジン創刊号

2009-05-05 18:38:48 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今夜10時からNHKテレビで放送されるザ・ライバルの参考資料として簡単にデータを紹介しますね!

1991年講談社から出た、復刻版 少年マガジン大全集 3巻をお持ちの方は、巻頭についた創刊号本誌完全復刻でご存知かと思いますが念のため。
表紙は大関朝汐太郎関と少年。
毎週木曜ぼくらの週刊誌
大ずもう春場所特集号
の文字がある。

ふろく
1天兵童子矢野ひろし
2新吾十番勝負/川口松太郎原作水島順の漫画
3西鉄稲尾選手物語

B5判サイズ。講談社から昭和34年(1959年)3月17日(3月26日号)として発売された。
定価は40円。少年サンデーよりも10円高い。
もくじを見るとスポーツ・科学記事が7つあり、グラフが5つ。
連載小説として月光仮面第六部花と拳銃/川内康範・中村猛男・え1色5頁
連載少年小説として探偵京四郎(ウツボ島の秘密)/林房雄・吉田郁也・え 2色5頁
ニュースが続き
連載まんがは
左近右近/吉川英治・原作忍一兵・え1色8頁
13号発進せよ/高野よしてる巻頭2色8頁
疾風十字星/山田えいじ2色8頁
もん吉くん/伊東章夫2頁
冒険船長/遠藤政治8頁
創刊記念特別大懸賞(第一回)として
手塚治虫探偵クイズ
がある。
ぼくの野球日記(巨人軍王選手)
長嶋選手の野球教室(打撃編)
があり、大相撲から長嶋・王がいるプロ野球へと少年達の人気が移って行くのがわかる。
少年サンデーに較べると、漫画史に残るような名作は、高野よしてるの13号発進せよだけなのが寂しい限りだ。
忍一兵の正体は、うしおそうじことピープロダクション代表の鷺巣富雄さんであることは漫画界ではあまり知られていない事実だ(スペクトルマンvsライオン丸、うしおそうじとピープロの時代・1999年太田出版にもその事が出ている)。
私は、生前のうしおそうじ先生と1999年春より面識があり、本人に直接話しを聞いている。
長男である鷺巣詩郎さんは作曲家としてあまりにも有名であり、数々のアイドル歌手や、アニメ作品へも多数楽曲を提供している。
新世紀エウ゛ァンゲリオンの音楽を担当したといえば、その作品世界をご理解いただけるだろうか。
私の師匠、松田春翠先生と鷺巣富雄さんとは、親交が深く、無声映画鑑賞会の特別会員でもあり、花も嵐も誌上において、松田春翠物語を漫画連載されたことがある。
詩郎さんとは、鷺巣富雄さんの通夜・告別式、そして2005年の東京国際アニメフェアの日本のアニメをつくった20人に鷺巣富雄さんが選ばれた時、特別功労賞授与式終了後、お話することが出来た。
2004年、享年82歳で急逝された鷺巣富雄さんの告別式の時、庵野監督が棺を担ぎ、親族が車で火葬場に行かれた後、一人ぽつんと立ち尽くされていたことが思い出される。
少年画報の表紙をモデルとして飾っていたフォーリーブスの江木俊夫さんとも、告別式の時、始めてご挨拶出来た。
うしおそうじ先生だけでなく、鷺巣富雄さんとしてもマグマ大使や怪獣王子など少年画報大全では大変お世話になった恩人の一人である。
私が松田春翠先生の直弟子だと知ると、
いつでも遊びにいらっしゃい。
といつも優しく声をかけていただけた。
優しい先生だったのである。
遺作となり、死後3年を経て出版された手塚治虫とボクについては、後日改めて話したいと思う。
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ザ・ライバル少年サンデー創刊号

2009-05-05 05:20:12 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今夜10時からNHKテレビで放送されるザ・ライバルの参考資料として簡単にデータを紹介しますね!

表紙には長嶋茂雄と野球少年の姿。
スポーツ・まんが・科学・テレビの文字があり、
小学館から昭和34年(1959年)3月17日(4月5日号)として発売された。
B5判サイズ・92頁。
創刊記念フロク プロ野球オール・スター集
フロクとも定価30円

スポーツは野球と相撲がグラビアや記事として紹介されている。(中扉カラーでは王 貞治も登場している)
連載まんがとして
科学/ スリル博士・手塚治虫 巻頭2色8頁1色7頁
野球/スポーツマン金太郎・寺田ヒロオ 巻末2色8頁
時代/(テレビまんが 原作・瀬戸一/脚色サカタヒロシ/製作・関西テレビ/ネット局・フジテレビ) 南蛮小天狗・益子かつみ・え 8頁
冒険/ (高垣 葵・案)海の王子・藤子不二雄・え 7頁
宇宙少年トンダー・横山隆一 4色2頁
科学として
表紙裏4色口絵・21世紀の科学〓走れ、ジェット雪上車 伊藤展安・え やポケット図解などの記事
テレビとして
週間テレビガイドや
テレビ劇場/ローンレンジャー 山田常夫・え 扉2色1色5頁があり、
そして新連載探偵小説として 口笛探偵長・双葉十三郎・作/石原豪人・え 6頁がある。
今のようなマンガ雑誌ではなく、正に少年雑誌だったのだ。

連載まんがの中で、スポーツマン金太郎は寺田ヒロオ先生の代表作のひとつとして知られているし、藤子不二雄先生の海の王子も、F先生のファンの間では評価が高い。
スリル博士は、手塚作品としては、今ひとつの評価であり、次に連載された0マンの方が人気がある。
益子かつみ先生は、さいころコロ助や、怪獣ブースカで知られているが、この南蛮小天狗の後に連載された快球Xあらわる!!の方が印象深い。
探偵小説として連載された口笛探偵長は、後にテレビ化され、主題歌のイントロ部分が足音から始まり口笛が響いてくる洒落た作りで、今でも大好きな曲のひとつだ。
グラビアで特集ページが組まれた号を持っているのだが、当時生放送だったのだろう、実物は見たことがないのが残念である。

創刊までのエピソードを、(手塚治虫らを看板に小学館カラーの漫画を考えた)と題して豊田亀市(少年サンデー初代編集長)インタビューが松本零士・日高敏編・著、漫画大博物館(2004年・小学館クリエィティブ)に収録されているので一読をおすすめする。。
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ザ・ライバル、サンデーマガジン

2009-05-04 21:45:19 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今日の午前1:15から2:00にかけて、NHKテレビ マンガのタカラの再放送を見た。本放送には気付かず、昨日の新聞のテレビ欄には、漫画・再・巨人の星原画としか書いていなかったので、あまり期待はしていなかったのだが、意外にも丁寧な番組作りをしていたので好感が持てた。
どうやら明日夜10時から放送されるNHKドラマ ザ・ライバル サンデー・マガジンの熱い闘いと抱き合わせて、制作され、番宣を兼ねて再放送をしたようだ。
タケカワユキヒデ、泉麻人、国生さゆりの3人で漫画のお宝の数々を紹介するだけでなく、関係者からのインタビューもキチンと取っており、いい番組だったと思う。
さて、今日の画像だが、3月の少年サンデー・少年マガジン大同窓会の際に引き出物として配られた復刻本である。
番組の中でも紹介されていた。
私のブログの中でも少年サンデー・少年マガジン50thのタイトルでこの本についても少し触れさせてもらっているのだが、まだその頃はブログを始めたばかりのため、画像の入れかたが良くわからなかった。
本当に同窓会に参加した人かそうでないかは、この本について触れているかいないかでも判断できる。
少年漫画史を語る上で欠かすことの出来ない重要な二冊である。
以前、私が冒険活劇文庫創刊から、少年画報休刊までの少年雑誌の歴史をまとめた少年画報大全を監修した時、付録として冒険活劇文庫の創刊号(1948年8月)復刻本を付けたことにより、二上洋一先生や小野耕世先生、清水勲先生などからも誉められた思い出がある。
漫画作品は、本来評論などで語るよりも、実物を見せることが一番であり、解説者の文章やデータは、その補足としてのみ有効であると私は考えている。

さて、昨日コメンテーターとして登場していたタケカワユキヒデさんだが、以前、小学館クリエィティブが赤胴鈴之助の復刻本を出した時、解説でご一緒させていただいたり、NHK熱中時間の番組制作の際には、私がプロデューサーに話した、赤胴鈴之助の原型となった、福井英一先生のよわむし鈴之助を見る為にわざわざ広島まで撮影に行かれたほどの漫画好きで、数年前に社団法人日本漫画家協会へも入会されている。
去年の漫画家協会のパーティーでは、初めてお話することも出来た。
本当に漫画に愛情を持っている数少ない研究者の一人だと言えるだろう。

さて、昨日の番組内で紹介されたお宝は次の通り。

墨汁一滴6号
巨人の星原画
おそ松くん原画
あしたのジョー原画
梶原一騎用箋に書かれた梶原一騎先生のあしたのジョーの生原稿

である。
愛と誠は、梶原一騎先生の生原稿をながやす巧先生が保存しており、風塵社より、豪華本として発売されたことがあるのだが、あしたのジョーの生原稿は最近発見された物だという。

インタビューでは、ちばてつや先生、藤子不二雄@先生、熊本にお住まいの川崎のぼる先生、トキワ荘記念碑がある公園で北海道にお住まいの横山孝雄先生、梶原一騎先生の奥様である高森篤子様、元週刊少年マガジン編集長で埼玉にお住まいの宮原照夫さんなど私も御会いしたことがある先生や関係者の方達からの貴重なお話を聞くことが出来た。

明日の放送が、今から楽しみである。

追伸
番組内で、当時の別冊付録の話題が出ていたが、通常は、文庫サイズではなく、B6判サイズの物が多かった。
次にA5判、B5判、そして文庫判といった感じだろう。頁数は、標準64頁or48頁。32頁もあれば128頁の物もある。
そういった付録が、当時の少年月刊誌の最盛期には各誌毎月10冊以上も付くのだから昭和の少年達を虜にしたのも頷ける。
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4月ブログデータによる総括

2009-05-02 19:54:58 | ブログタイトル一覧・総括、各種展示会案内
3月6日gooブログ開設。

4月1日
閲覧数87PV(3月6日は104)・訪問者55IP(3月6日は59)より始まる。

4月30日
閲覧数191PV(3月31日は155)・訪問者82IP(3月31日は54)にて終了。

一番の閲覧数は、4月5日(先月は3月20日)の332PV(543PV)で、訪問者も121_IP(117_IP)あり、1209581(1201655)ブログ中8016位(7864)の順位が出ました。(3月は3回)

逆にブログの更新がない時など、
閲覧数37PV(62PV)・訪問者31IP(33IP)
と低迷し、寂しい限りです。
4月分総合計
閲覧数5124PV(5674)・訪問者2095IP(1919)
4月2日から30日の一ヶ月の間にブログ数が13316(10727)増えており、新しいメディアとしてのブログの急速な浸透度に驚く日々でした。

5月14日からは、オンデマンドによる出版事業にも参加し、念願であった上田トシコ先生のフイチンさん全三巻を復刊します。

メルヘンの王様やなせたかし展(弥生美術館)や、夢二グラフィック展(竹久夢二美術館)のギャラリートーク(5月10日)参加レポートや、石森史郎先生のシナリオ塾参加体験などもコメントしていきますので5月も引き続き訪問、閲覧のほどよろしくお願い致します。
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4月ブログタイトル一覧・目次

2009-05-02 00:41:58 | ブログタイトル一覧・総括、各種展示会案内
4月1日

3月ブログタイトル一覧・目次

4月2日

いつのまにか少女は・・・女優に

4月3日

3月ブログデータによる総括

日本アニメクラシックコレクション画像です

明日も何処かで・・・トキワ荘記念碑

4月4日

トキワ荘記念碑除幕式にてその1

4月5日

トキワ荘その2 護国寺のご隠居発見

トキワ荘記念碑除幕式にてその3

トキワ荘記念碑除幕式にてその4

私の八月十五日出版記念パーティ

4月6日

私の八月十五日出版パーティー2

ちばてつや先生と小池さん?激写

4月7日

小池さんの奇妙な生活・2009.4.4

4月8日

桜の花と伊藤彦造の初陣の絵

4月10日

石森先生のシナリオ塾2と・・・

空は晴れたしホイオバQ

4月11日

小池さんの奇妙な生活、後編です

4月12日

アニメが世界をつなぐ・鈴木伸一

4月13日

ブログやネットの中での本間

メルヘンの王様、やなせたかし展

4月15日

竹久夢二美術館・夢二グラフィック

4月16日

TDLオープンの日、僕はそこにいた

4月17日

THE FOOL ON THE HILLを聴くと

4月18日

一枚の写真と私の使命。重大発表

4月20日

劇画誕生50年を祝う会に出席した

4月22日

ひとつ屋根の下、再放送始まる!

4月24日

昨日は、無声映画鑑賞会に行った

4月25日

今春のドラマはスマイルがいい!

4月26日

創立50周年無声映画鑑賞会とは?

4月27日

最近思うことと、エチカの鏡

4月28日

漫画バカ一代、これからの計画!

4月29日

上田トシコ先生と僕(再録)

4月30日

上田トシコ先生のフイチンさん!
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新生!!木枯し紋次郎・江口洋介

2009-05-02 00:17:06 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
金曜プレステージ
江口洋介主演・新生!!
木枯し紋次郎を見た。
小学生の頃、中村敦夫主演の作品を夕方4時からの再放送でいつも見ていた。
上條恒彦が歌う主題歌が好きだった。
何処かで誰かが、きっと待っていてくれる。

小学校で、友達がいなかった僕は、何処か遠くの街へ行けば、きっと僕でも仲良くなれる友達が出来るのではないかと考えながら休み時間はいつも一人で窓の外ばかりを眺めていた。

いつのまにか周りから不良少年扱いを受けるようになってからも、自分からは喧嘩を売らずに我慢に我慢を重ねるのだが、どうしても最後は巻き込まれてしまう。
そんな日々が繰り返えされた中学・高校時代。

大学生になった時、本来マスコミ志望だった私が、添乗員のアルバイトを選び、今でも旅が好きなのは、木枯らし紋次郎や寅さん映画の影響である。
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竹宮恵子東京展2009 明日始まるよ

2009-05-01 13:01:57 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
竹宮恵子東京展 2009
悠久ファラオの墓
ETERNITY
2009.5.2(土)-2009.5.9(土)12:00-18:00(最終日16:00終了)

(地球ヘ・・・)画集サイン会(残数あるのみ)
3日(日)16:00-17:00

個展トーク&サイン会(70名様限定・有料)
9日(土)16:00-17:00

*なお、初日は昨年の混雑を鑑み時間差入場を実施させていただきます。

GALLERY KUBOTA
ギャラリーくぼた
本館5階
地下鉄銀座線 京橋駅下車 6番出口 徒歩1分
都営地下鉄浅草線 宝町駅下車 A5出口 徒歩2分
JR東京駅 八重洲南口 徒歩10分

東京都中央区京橋2-7-11
TEL 03-3563-0005

以上
トランキーライザープロダクトから届いた絵葉書より
竹宮先生は、昨年8月の杉並アニメーションミュージアムでの上田トシコ先生追悼展や、今年3月の上田トシコ先生を偲ぶ会でも御逢い出来た。
フイチンさん好きである。
私が、中学・高校生の頃から、竹宮恵子先生や、萩尾望都先生には、同級生の女の子達の間に、熱狂的なファンが多数いたことを憶えている。
竹宮、萩尾両先生の作品は、女の子だけでなく私の同世代の男の子達からも支持を受けていた。
今は両先生、共に面識があります!!
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