非公開文化財特別公開、今日(11/4)は黒谷さんへ。ここは何度か来たことがあり、立派なお堂だと思ってはいたが、拝観は初めてだ。
通称黒谷さん、山号紫雲山。法然上人開山の浄土宗のお寺で、浄土宗七大本山の一つ。法然上人が修行した青龍寺は、比叡山黒谷にあった。山を下りてこの地で浄土宗最初の念仏道場を開いたことから、ここは「新黒谷」と呼ばれるようになり、いつしかこちらが「黒谷」、比叡山のその地を「元黒谷」と呼ぶようになったらしい。寺のリーフレットでは「くろ谷」とある。ここでは、その表記が慣例と聞いた。
浄土宗では、御影堂が大きく目立つ。左が、その御影堂。撮影場所で反対を向いて撮ったものが、右の写真、階段下の山門。
まず、御影堂から入ってみる。内陣正面には法然上人75歳の座像を安置している。扉が閉じられ、どういうものかは分からない。須彌檀(?)の周囲には絹織物の幕が掛けられ、浄土宗紋である抱き冥加と、紫の雲。紫雲山を表す雲なのだそうだ。また紫雲は、釈迦が来迎の際、乗ってくるとされている。天蓋は、赤や青に塗られた木製のもの。風で、木が触れ合って音が鳴るのだそうだ。軽やかな、静かな音を想像する。あちこちでよく見かける金のものよりも、こちらのほうがずっと良い。
抱き冥加は、飾り瓦や燈籠にも見られる。これらには蓮華紋もついていた。
内陣正面左側には、獅子に乗った文殊菩薩を中心に、優填王(うてんおう)、仏陀波利三蔵、最勝老人、善財童子の4体。これを「渡海文殊形式」と呼ぶらしい。これは、随分と距離のある場所から参拝した。オペラグラスで文殊菩薩のお顔を拝見したが、柔和なお顔で姿が良かった。ぜひ、近くで見てみたい。
右側には、千手観音(吉備観音)。753年遣唐使吉備真備が中国から持ち帰った栴檀を刻んで吉田寺に安置したもので、同寺が廃寺となり、1668年金戒光明寺に安置するようになったとのこと。
内陣側面左手には山越阿弥陀図(重文)の拡大複製図があり、「臨終行儀の際、息を引き取るまで五色の糸端を握り、往生極楽を願いながら念仏した枕本尊」との説明書き。青(緑)は帰依、黄は智恵、赤は慈悲、白は清浄、黒(紫)は救済の意味がある。
渡り廊下を通って方丈と庭園拝観。これは別料金になるが、山門・阿弥陀堂見学と庭園見学セットで、「参拝記念・腕輪数珠」を頂いた。4色から選べたし、お得感がある。私の選んだのは紫色。あとで気づいたら、救済の色。
方丈は、松平容保に近藤勇らが謁見した部屋があるということで「新撰組発祥の地」と説明されている。御影堂も方丈も昭和9年火災に合い、19年再建である。部屋は図面通りに建て直されたものだ。虎の襖絵、松の襖絵は、ともに昭和の日本画家の作であり、とても良い。
庭園は、手前が最近作庭された枯山水の「紫雲の庭」、奥が池のあるお庭。金戒光明寺HPにある「今日の金戒光明寺・ライブカメラ」は、ちょうど、この辺りから撮っている。
左側、中央辺りに石造りの橋が見える。この5メートルほどの橋を渡ると、昔ながらのお庭がある。苔の生えた地面、傾斜地に自然にあるような木々、蓮でいっぱいの池。私はこちらの方が断然好きだ。枯山水は好きなのだが、紫雲の庭は、こぢんまりときれいに纏まっていて、個人宅の庭のよう。
次は阿弥陀堂へ。1605年再建のお堂である。そして、ここにある阿弥陀如来がご本尊。舟形の光背に化仏や13仏。恵心僧都が作った最後のもので「ノミおさめ如来」との別名がある。天井には、かなり色が落ちた龍。修復の際に取り外した猪目懸魚(いのめげぎょ=ハート型の穴が猪の目に似ている)や隅鬼が飾られていた。鬼瓦が方角によって違うことを初めて知った。北東は宝珠の鬼、南東は龍、北西は日月輪の鬼、南西は巻物の鬼。額にそれぞれ宝珠や巻物を置いていた。鬼瓦は魔除け、懸魚や龍は火伏。
最後は山門。1860年落成で、楼上正面に、後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額。これが、いい字体で、近くで見ることができて良かった。浄土の真の教えの最初の門、という意味なのだそうだ。上にあったのは、釈迦三尊像と16羅漢像。そして財政支援した夫婦の像。その天井には蟠龍図。とぐろをまいた龍の絵で、これはきれいに残っている。看板にあったのも、この絵だ。
今日はかなり暖かいと思ったが、楼上は、風が通って寒かった。山門に上がったら、内部は勿論、外の写真撮影も禁止されている。手すりは低く、危ないからだろう。もともと小高い黒谷の丘の、その山門から眺める景色は、なかなかのものだ。東山連峰はすぐ傍に、蹴上のホテルもよく見える。かつては家康によって城構えの寺として整備され、淀川、大坂城まで見えたという土地。
黒谷さんの秋の特別公開は、10/30~11/29迄。10/30~11/8は、京都古文化保存協会主催なので、阿弥陀堂・山門の解説は学生だ。ここは同志社のサークルの担当だった。大蓮寺も同志社、西方寺は龍谷だった。龍谷では100名程度の部員がいると聞いた。同志社には古美術研究サークルが3つあり、大所帯は100人以上、小さい所でも30人はいるという。殆ど、京都の外から来た学生らしい。それにしても、一つの大学で、古美術、古文化に興味を持つ学生が160人以上!若い頃からこういうものに興味を持つのは良いこと。でもとても信じられなかった。
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