遠足
「 ただの一度の行為 」 が
ときとして その人の一生を決定しまうことさえあるのです。
いや そう受けとることが ・・・ 正しい生き方なのです。
・・・ 釈尊は それを 「 業 」 といいました。
自分の播いた種子( たね ) 自分のとった行為は
・・・ いつの日か かならず芽をふきます。
どんなに時がたっても きっと芽が出てきます。
行為は ・・・ 働きです。
その人のちから ・・・ エネルギーです。
永久に自分から離れず つきまとう力です。
それは 執念深く 人びとの「行為」のうえにあらわれてくるのです。
・・・ 「 業は滅びず 」 です。
( 再掲 )
愚者はつねに喜悦すること また光音天の如く
智者のつねに憂いをいだくこと
獄中の囚人( とらわれびと )に似たり ( 増阿含経 )