負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

「 ありがとう 」 ・・・ 難値難遇

2013-05-01 21:00:27 | 原発震災避難者


遠足 ☆



「 ありがとう 」 ・・・


「 ありがとう 」 ・・・ ということばは

むかしは 「 難有 」 であり

「 なかなかありえない 」 という意味を持っていました。


「 ありがとう 」 は ・・・ じつは 仏教の言葉です。


仏教の言葉に

「 難値難遇 」 ( なんちなんぐう ) というのがあり

「 値(あ)い難(がた)し 遭(あ)い難(がた)し 」と読みます。

つまり これが 「 ありがたい 」 のもとの意味です。


では なぜ 「 ありがたい 」 のでしょうか。


人間としてこの世に生まれることは

ひじょうに難しいからです。

われわれ人間には

とても想像もつかないような無限の時間の中を

さまざまな変化を繰り返しながら 形を変え姿をみせます。


命を受けて

人間となって生まれてくるということは ・・・ じつに難しいこと

つまり 「 ありがたい 」 ことというべきなのでしょうね。





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息 ・・・ 意気

2013-05-01 18:00:56 | 原発震災避難者


遠足 ☆



他人と息が合う ・・・ というのは

心を同じくする ・・・ ということです。


心と心が一つになり

「 さあ いっしょにやろう 」 という気持ちが

しぜんに湧いてくることです。

つまり 意気がみなぎり

意気と意気とがとけ合うのです。


生きるというのは

こういうことではないでしょうか。


息は意気に通じ 生きることに通じます。


息が整えば ・・・ 知らず知らずのうちに

意気が湧きあふれ

生き生きとした自分が生まれます。


息のつきかた コントロールのしかたひとつで

このように人生が変わるとしたら ・・・

なにがなんでも やってみるにかぎりますね。





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欲 ・・・ 自分を見失う

2013-05-01 15:00:09 | 原発震災避難者


遠足 ☆



われわれ人間が

いろいろ さまざまな欲を持っていることを

しっかり知っていること と

その欲におぼれてしまうこと とは

・・・ まったくちがいます。


欲におぼれてしまえば

やがて 苦しみが待っているばかりです。

欲というのは 際限がないからです。

これでいいという限界を知らないからです。


われわれが

欲におぼれてしまわないためには

自分で自分を判断すればよいのです。


「 ははあ これがオレの欲か 」

と ・・・ 気づけばよいのです。


そうしているかぎり

欲におぼれて ・・・ 自分を見失うことはありません。





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「 さようなら 」 とは言いません。

2013-05-01 12:00:22 | 原発震災避難者


遠足 ☆



私は

どんな人とでも 別れるときに

「 さようなら 」 ・・・ とは言いません。


「 またね ・・・ 」

「 気をつけて ・・・ 」 ( 元気になりなさいよ )

・・・ と言います。


「 きょうは楽しかった。また ぜひお会いしましょう ! 」

こう言って別れるのが ・・・ 最高だと思います。


すべての人間関係が

「 ぜひまた 」 という明るいものでありたいと思っています。





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いつのまにか ・・・

2013-05-01 09:00:42 | 原発震災避難者


遠足 ☆



寝ようとする。

時計の音がカチカチ鳴っている。

寝られない。

それは 「 できない 」 自分を

時計の音で数えているのだ。

安定感のない自分なのだ。


知らぬまに寝ている。

時計の音が気にならない。

時計の音に溶け込んで

いつのまにか

時計の音とひとつになっている。





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無礼講 ・・・ 裸ごっこ

2013-05-01 06:44:11 | 原発震災避難者


遠足 ☆




 なんでも、会社なんかの宴会では「無礼講」というのが一つの美徳らしくて、部長も課長も係長もヒラも階級の垣をとり払って飲む、ということですが、それはあくまでたてまえであって、やっぱり、部長はオレは部長であるという顔をしており、ヒラは自分はヒラの分際にしかすぎぬ、というわきまえのもとに振る舞っているといいます。

 「無礼講」という看板を本気で信じて、言いたい放題の本音を吐き出したら、たちまち左遷というのが、この娑婆の現実なのだそうです。

 なんのことはない、せっかく、素っ裸になろうと言いながら、所詮は「裸ごっこ」をしているにすぎません。




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