出航喇叭が鳴り響き、
「出航用意!!」の声と共に、艦はいよいよ洋上に出航して行きます。
…で、私この前のミサイル艇の出航を見た時から
艦艇が動き出した後に、出航喇叭が鳴るので、
とても不思議だったのですが、前回のコメントに、
雷蔵さんが
「出航喇叭は、最後の舫いを離した瞬間」
と書いてくださっていたので、謎が解けました。
そんな曖昧なタイミングなので、喇叭を担当する方の、
あのただならぬ緊張感の意味もわかります。
最後の舫いが解かれた瞬間を確認した人がいて、
それが艦橋に伝わって、
それを受けて、喇叭が吹かれ「出航用意!」の声がかかる。
そういう、一見無駄のようにも思えるけど、
まるで儀式のように、現代まで受け継がれていることが、
やはり海上自衛隊=海軍が好きな所以です。
慰霊式の時間が伝わってきたので、
ようやく、私は艦橋を離れ、格納庫がある後甲板に向かいました。
格納庫内には、掃海隊の活動などの様子のパネルが展示してあります。
そしてその先、甲板には、慰霊式の準備がしてありました。
ココから先ははいっちゃだめよ、のロープギリギリに、
誰しも並んで最前列で見たいと思うのは当たり前ですが、
まだ、そんなに並んでいませんでした。
つ~っと、様子を見て、人一人入るかどうかの微妙なスペースを見つけ、
そこにいたオジサンに、
「すみません、入れさせていただいてもよろしいですか?」
というと、すっと、前に詰めてくれたので、
難なく、最前列GET。
待っていると、しばらくして儀仗隊が現れました。
その前列で儀仗隊を誘導されているのは、あの副長
…と思っていたら、どこから入るか決まっていなかったようで、
副長が私の目の前で、
「あ、ここからでいいか」
とロープを下げて、足で押えて儀仗隊にここから入るように促しています。
私、地味に、ロープを踏んでちょこっとお手伝いしてみた(笑)
「指揮官、先に入れ」
と言われ、儀仗隊が指揮官を先頭に私の目の前を通ったのですが、
指揮官、半端ないイケメン
すらっとした長身、ただでさえ素敵な第一種夏服姿に、儀仗隊のスタイル…
ほっておいてもステキなのに、
さらにかなりのイケメンとはどういう事だ
…これから、洋上慰霊式というおごそかな儀式が始まると言うのに、
目が釘付けになってしまい、浮足立ってしまいました…面目ない
っていうか、友達とも言っていたんだけど、
そして、お写真を送った、尊敬するブロガ―さんのエリス中尉も仰っていたけど、
うらが、イケメン含有率高い
そして、またもや、見とれてしまって写真撮れず…
私の心のシャッターしか押していませんので、お見せできず、非常に残念ですわ。
では、その洋上慰霊式の様子がこちらです。
↑こちらは、艦橋で快く場を譲ってくださった方から頂きました。
私の位置からは↓こんな感じで見えました。
右下、菰があるのは、献花用のお花です。
参加者には、事前にお花を一枝お持ちくださいと、連絡があったのですが、
ご存じない方や忘れられた方のために、ご用意されているようです。
ちゃんと、菰の上に置いてあるのがさすがだなぁと。
もちろん、私はお花を持って行きました。
白百合がそぐわしいとは思いましたが、
残念ながら、お花屋さんにはなく、カサブランカはありましたけど、
いかんせん、お高い…
ってことで、白い花の中から、カラーを選びました。
花言葉を調べてみると、いくつかある中に、
「清浄」「壮大な美」
とあり、これは帝国海軍の伝統を引き継ぐ海上自衛隊の洋上慰霊式には
ふさわしい花だったのではないかと思います。
この洋上慰霊式は、筥崎宮の下りでも書きましたように、
日露戦争で散華された方の慰霊式ですが、
筥崎宮での総監のお話でも、この場での艦長のお話でもあったのですが、
日本の戦没者の慰霊だけではなく、
日露両方の戦没者の慰霊式だということに、
私は深く感銘を受けました。
敵だからどうでもいい、のではなく、
敵として戦った相手にも、敬意を表してその英霊方を御慰めする…
なんと美しく崇高な精神だろうと思います。
私が、海上自衛隊のみならず、自衛隊に対して敬意を払う所以の1つが、
死者に対する尊厳を守るという点です。
陸上自衛隊の、東日本大震災でのご遺体の捜索と回収についての活躍は、
広く知られているところではありますが、
その活動実績を表わす文言の中に、
「ご遺体 ○○柱」
と書いてあったことに、驚きました。
「柱」とは、神様や英霊を数える時の単位ですよね。
マスコミが、このような表現をしているのは、私は見た事がありません。
亡くなられたとはいえ、その方々に敬意を払う、その想いが込められています。
いろいろと違いがある陸上自衛隊と海上自衛隊ですが、
その点に関しては、想いは同じなのだろうと思います。
死者に対しての弔いの気持ちを持つということや、
その尊厳を守り、感謝をささげ、御慰めする、
こういう気持ちを持っているかどうか、というのは、
その国の…その人物の精神的な水準を表しているのではないかと思う次第です。
その中でも、
100年以上も前の海戦での慰霊式を、現在に至るまで続けてきたという事は、
とてもとても素晴らしく崇高な事だと思うのです。
そして、そういう文化と伝統と精神性を持つ、この日本に生まれてよかった、と、
心から思います。
艦長、副長、そして、関係者の方たちによって、お供物が海に奉げられます。
儀仗隊指揮官の元、弔銃が発射され、
喇叭が鳴ります。
この日は佐世保音楽隊も乗艦されていましたので、
喇叭は、音楽隊によって鳴らされました。
どことなく、物悲しく憂いを帯びた音色が洋上に響き、
黙禱をささげます。
そして、
ボーッ、ボーッと、汽笛が二回鳴りました。
この時、なんとも言えない、気持ちが込み上げて来て、
目頭が熱くなるのを感じました。
このような場にいることが許されるということに、
帝国海軍の末裔たる海上自衛隊共に、
日本史上の中でも極めて重要な日露戦争の、
日本海海戦を戦った、日露の英霊に感謝を奉げ御慰めすることができたということに、
深く感謝するとともに、
日露の英霊が安らかなることを願って、
私も献花をさせて頂きました。
献花の後、ふと、自衛艦旗を見ると…
半旗が掲げられています。
そして、一列に並ぶ儀仗隊。
美しいですね。
洋上慰霊式の儀式の、1つ1つが本当に美しくて、
こういう美しい伝統が守られていることが本当にうれしくて、
とてもとても、幸せな時間でした。
この伝統を、ずっと守り続けてきてくださった、
日本海海戦記念大会事務局の皆さま、
今回、すばらしい洋上慰霊式を執り行ってくださった
掃海母艦うらがの皆さま、
感謝でいっぱいです。
ありがとうございます。