最近読んだ本の御紹介を、久々に。
いかがですが、このタイトルからして、
思わず手が伸びずにはいられない感じ♪
実は、この著者の久野さんは、
日本各地で「れきべん」という歴史勉強会をされていらっしゃる歴史学者で、
あの、明治天皇の玄孫として有名な竹田恒泰氏の
竹田研究財団 理事でもある方です。
実は、実際によく知っている方なので、
先月お会いした時に購入しました♪
が、このタイトルなら、全然知らない人でも、
普通に書店に並んでいても、間違いなく買ったと思います(笑)
実は、海上自衛隊の護衛艦内には、必ず神棚があるのを知っていますか?
場所はまちまちのようですが、
あまり一般公開では立ち入れない場所であることが多く、
部外の方の目に触れることも少ないので、御存じの方は少ないと思います。
その神棚はもちろん、帝国海軍時代から、
その艦名と縁のある神社から、船霊(ふなだま)を頂き、
艦内神社をおいて、艦の守り神が祀られていました。
この本は、日本人にとっての神道というテーマから、
神々と国防の関係、そして、現在の海上自衛隊との関係について
極めて克明に記されています。
読み進めるたびに、久野さんがいかに、
どんな場所にでも丁寧に足を運んで詳細な取材をされたかが
よく分かります。
実は、最近、ある海上自衛隊のとてもエライ方(ヒミツ)にお会いした時、
この本を一冊贈呈させて頂いたのですが、
その方が、
「これは、ほんのさわりに目を通しただけでも、
かなり深く調べないと分からないことまで書いてあることが分かりますね」
と仰っていました。
もはや希少となられた、大東亜戦争を戦い抜かれ、
生き残って来られた方々の貴重なお話の数々や、
神社に残され受け継がれてきた資料の数々についてのお話は、
海軍ファンにとっては、非常に興味深い一冊だと思います。
実は、私自身艦艇見学をする中で、常々気になっていたのが、
この艦内神社=護衛艦の中の神棚でした。
初めて知ったのは、昨年、
潜水艦内の見学をさせて頂いた時です。
見学前に偶然、艦内に神棚がある、という話を船員さんから聞いた私は、
荷物を一切持って入れないので、お賽銭だけを持って潜水艦内に入りました。
「神棚があると聞いたのですが、それはどこですか?」
と、近くにいらした船員さんに聞くと、
「ここですよ」
と示されたのは、本当に見落としそうな場所にある、狭い場所でした。
だけど、そんな場所にでも必ず神棚を置くという習慣に、
ちょっと感動しました。
「お参りしてもいいですか?」
と聞くと、その船員さんが
「ぜひ、お願いします。母港に無事に帰れるように…」
と仰ったことがとても印象的でした。
その時に、いつだってこの方たちは、
帰ってくることが当たり前なのではなく、
もしかしたら、帰れなくなることもあるのかもしれない、
という不安の中で、でも懸命に任務を全うしながら、
日々、日本のために過酷な環境で国防に従事されているのだということを感じました。
心から、皆さんが御無事で母港に帰艦されることをお祈りしました。
その次に艦内神社を実際に見たのは、
護衛艦はるゆきに、2回目の乗艦をした時でした。
体験航海で、初めて乗艦した時には気がつかなったんですよね。
副長さんと船務長さんにご案内していて頂いた時、
ちょうど士官室の扉の左、
銃剣(慰霊式で使用する弔銃)が保管されていたところの上部に、
神棚があることを教えて頂きました。
「3月で廃艦になる時、神棚から魂を抜くのですが、
はるゆきは、いろんな基地を転々としていたので、
どこの神社から分祀していただいたか分からくなっていて…
仕方ないので、佐世保の神社にお願いすることにしました」
と船務長さんが仰っていたことが、とても切なかったです。
そのあたり、船務長さんも無念に思っていらっしゃることが伝わってきました。
この本でも、旧軍艦のどの艦にどの神社から分祀していただいたかのかを、
とても詳細に調べてあります。
こういうお話を聞くと、とても困難な調査であった事は容易に想像できました。
神社側には必ず記録が残っているようですが、
逆にその神社を特定できないことには、無理なのです。
ですが、廃艦になるのだからどうでもよい、
というのではなく、
御霊を抜いてからということをきちんとしてから、というあたりに、
戦前から受け継がれる帝国海軍の伝統と、
古来から日本に付け継がれてきた、神様を祀り敬い感謝するという文化が
寄り添うように続けられてきたという事に、
安堵感を感じました。
このあたりに、海上自衛隊が洋上慰霊式を続けてきた、
理由の一端が垣間見えたような気もします。
それから、このブログでもなんども取り上げてきた
護衛艦いせですが、
この1年で、5回も乗艦させて頂いていたにも関わらず、
そして、かねがね気になってなっていたにも関わらず、
実は、いせの艦内神社を拝したのは、
5回目でようやく、でした。
科員食堂のすぐ側にお祀りしてあったので、なかなか機会がなかったのです。
実は、同じ日に著者の久野さんと竹田恒泰氏が、いせにいらしていました。
この日は、護衛艦いせの就航三周年記念の講演会があり、
竹田恒泰氏の講演が、呉基地内で行われたのです。
この本でも戦艦伊勢と護衛艦いせ、そして伊勢神宮がつなぐ、
戦前と戦後、帝国海軍と海上自衛隊についてもふれてあります。
この本で初めて知ったのですが、
帝国海軍の艦内神社には、
それぞれの艦名に由来した、縁のある神社から分祀されていたのですが、
もう1つ、必ず奉斎されていたのが、
伊勢神宮の内宮神楽殿で授与されたものなのだそうです。
どの艦にも必ず、とういうのが伊勢神宮がやはり特別である所以なのでしょう。
その伊勢神宮の名を艦名に頂く護衛艦いせは、護衛隊の旗艦でもあります。
また、護衛艦には艦名板が舷門に必ずありますが、
これもいせの場合は、伊勢神宮の鷹司大宮司による揮毫によるもので、
しかも、式年遷宮の際に出る元使用されていた欅に掘った物が舷門に掲げられています。
さらに、士官室にも揮毫が飾られています。
御存じの方もいらっしゃると思いますが、
伊勢神宮はその尊さゆえに、通常分霊を行いません。
江戸時代に一度だけ、熱烈な伊勢の信仰者だった鍋島藩の商人が
あの時代に、何度も何度も伊勢神宮に通ったことで、その熱い思いに感銘を受けた当時の宮司から、
特別に分霊を許されたというのが唯一です。
(つまり、日本唯一の伊勢神宮の分霊が行われた神社が佐賀市内にあるのです)
その伊勢神宮から、船霊として分霊を頂いたのが、護衛艦いせなのです。
このブログでも何度か取り上げた、
前艦長の梅崎一等海佐のお言葉も、本の中に掲載されていましたが、
「最も尊い御宮様に護られている」
という誇りを強く以って、艦長の任にあたられていらしたことが、とても強く伝わってきました。
その思いを持って、昨年末、あのフィリピンレイテ沖に災害派遣に行かれたのです。
私は以前、このブログで
護衛艦いせが昨年12月に災害派遣でフィリピンレイテ沖に向かったことについて触れましたが、
この本でももちろんそのことが触れてあり、
やはりこの一件は、海軍に思いを致す多くの人にとって、同じ境地に至る出来事であったのだなと感じました。
ただ、
このように書くと、現在の海上自衛隊がいかにも当たり前のように、
艦内神社があり、その神社との縁が深いように見えるかもしれませんが、
この本にも書いてあるように、
政教分離がどうのと小うるさい連中のせいで、
船霊を頂く、という伝統が危ぶまれているのが現状です。
海上自衛隊として、ではなく、
その艦の艦長が「個人として」神社に足を運び、
分霊して頂くという形を取ることで、どうにか続けられてきているのです。
そこまでして、この伝統が守られていることが喜ばしい半面、
このような素晴らしい伝統が、わざわざ形を変えねば続けることが困難という状況に、
悲しさと怒りを覚えます。
少し話がそれますが、
昨今の様々な劣悪な事件の数々や、子供たち、若者のマナーの悪さ、道徳心のなさは、
日本古来より、日本人に寄り添ってきた
神様への畏怖、というものが欠落してきたことが大きな原因でないかと考えます。
身近に子供たちと接していると、特に感じます。
仏様や神様に手を合わせる、敬う気持ちを持っている子供は、
礼儀正しく、思いやりがあるのです。
私は、新興宗教の類は個人的には好きではありませんが、
日本に昔から根付いている信仰が揺らぎ、失われつつあることに危機感を覚えます。
ましてや、政教分離といいながら、
海上自衛隊が艦内に神棚を祀ることは批判され、
日本有数の信者を誇る「あの」宗教が、政党まで抱えていることはスルーされる、
というのは、異常だと思います。
どちらがおかしいですか?
どちらがより、政教分離に反していますか?
子供でもわかることではないですか?
海上自衛隊は特定の宗教を信仰したいのではなく、
伝統にならい、艦を護り、日本の海を護り、国家を、国民の生命と財産を護りたいだけです。
なぜ、それが許されないのでしょうか?
来年、いせを上回る最大の護衛艦いずもが就航します。
私は当初、当たり前のように、出雲大社から分霊をされるものだと思っていましたが、
必ずしもそうではないというという事を聞き、驚きました。
対潜水戦の要といえる18から始まるDDHは、いずれも、ただの旧国名ではなく、
日本の歴史の始まりと深いかかわりのある神社が鎮座する国名です。
戦後60年以上、長い日本蔑視、自虐史観の中に、あらゆる美徳や功績までも葬り去られてきた中で、
今まで秘匿されてきた事実が広がりはじめるとともに、
若者や女性の間から愛国心が取り戻されつつあります。
そんな時期に誕生した、ひゅうが、いせ、いずもという艦は、
海上自衛隊にとっても、あらゆる意味で意義のある艦なのではないでしょうか。
集団的自衛権、憲法改正、日本にとって大きな転換期を迎えています。
我々、真の日本人は、国益を護ること、
歴史と伝統を大切にすることが、日本という国体を護ることになるだと思います。
このままでは、日本という国名だけが残り、
なりすまし日本人が跋扈する、歴史も文化も美徳も失われた
とても日本とは言えない国になってしまうのでないかという危惧があります。
私はこの国を、
そんな風にしたくない・・・。
ただ、それだけです。
日本人が神様を敬う心から、
歴史と国防を俯瞰することができ、考えることができる一冊だと思います。