詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

闇の奥へ進む(足尾銅山へ) 補足?

2017年07月02日 | 雑記
肝心なことを書き忘れていたので付け足ししたい。

足尾環境センターの方が教えてくれた。雨が降って銅山から出る水はいまも汚染されていて、今後も半永久的に処理をし続けなければならないということ。公害はいまも続いているのだ。知らなかった。なんとも恐ろしい。目の前の利益を優先させて、大変な負の遺産を生み出してしまうということ。南アルプスを貫通するリニアモーターカーのことを思い出した。一度破壊したら元に戻らないこと。みんなの、いまだけでなく後世の人にとっても、大切な自然なのに。自分も自然を破壊した上での生活を送っているのだけれど……。なくても済むものをさらに新しく作るための犠牲には、ぜひ慎重になってほしい。

ところで、夫が改めて足尾銅山を検索してみたところ、心霊スポットという言葉が出てきたそうで、どうやら私たち夫婦、少々気分が悪くなった小滝坑跡というのはそういうスポットであったらしい。驚いた。やっぱり何かそういう人の強い念みたいなものってあるのかしら、と思い、どれどれ、と「足尾 中国人強制労働」と入力して検索したら、心霊スポットではなく、強制労働の話がいくつも出てきて、いろいろ読んでしまった。朝鮮人も連れてこられていたとのこと、知らなかった。本当にひどく残酷な扱いをされていたことを知って、すっかり気持ちが暗くなった。

誰かがある経験をする、ということは、決して他人事ではなく、それは人間の運命なのだ、と思う。そのような世界ならば、私だってそういう目に遭うかもしれない。そのようなひどいことをした人たちだって、次は自分がそのような目に遭うかもしれないということを忘れてほしくない、忘れたくない、と思う。けれど『137億年の物語』という本を読んでいても、人類が登場して人間らしい社会ができてくると、それはもう恐ろしいことばかりの歴史なのであった。

そして私も、もしも、銅山を作ることで利益を受けられる立場、銅山で労働者を監督する立場、される立場、その他様々な立場で、当事者となったとしたら、どのような行動が取れるだろうか、と考えてみる。……。休日の朝、夫が起きている気配がするのに、巨大な吸盤のように布団に吸いついて離れられない私には、布団の誘惑さえ断ち切ることのできない私には、より良き行動を選び取れるという自信は、まったくといっていいほど、ないのであった。


足尾とは関係がないけれど、最近撮った写真。クチナシ。

クチナシの花言葉には「優雅」「清潔」の他に、「私は幸せ者です」といった意味もあるそうで、まるで強制労働をさせられていない我が身をラッキーです、と言っているかのようだけれど、そんな意図はまったくなく、きれいだったので撮った写真。何か花の写真を載せたかったので。

ただ、クチナシには消炎、止血、鎮痛、解熱、精神を安定させるなどの薬効があり、古くから漢方薬として利用されていたとのこと。この記事に、まったく関係なくはないか。痛みを癒す。
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