岡倉天心の映画観てきました。
芸大の近くの谷中に生まれた私としては、”岡倉天心”は少なからず馴染みのあるお方。 今日は岡倉天心の生誕150年、没後100年記念として制作された映画の上映会にいってきました。
この映画は東日本巨大地震の津波で茨城県北茨城市の五浦六角堂が滅失したことから、復興支援映画として制作されたとのこと。
『急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代に、日本の伝統美術を再度見つめなおし優れた価値を認め、近代日本美術の発展に大きな貢献をした岡倉天心の半生の映画』
・・・と、書いてある映画レビューなのですが・・・
私の勉強不足知識不足もあいまって、以前から天心というヒトはよくわからない部分が多く・・・もしかしたら私の中での偏見の”天心のうさんくさい部分”がはれるのでは、という期待を込めて鑑賞しましたが、
見終わった後、天心についてますますナゾが深まるばかりをいうのが感想であります。
横山大観や菱田春草など天才芸術教育を授け大成させ、 ”一杯の茶を飲む―そこに真理が宿る”と茶の本で説いた天心ですが、
私生活はどうよ。。。
九鬼夫人との不倫事件をおこしその夫人まで発狂させ、その結果東京美術学校現・芸大の校長をクビになり、天心を慕う弟子下村観山・横山大観達も殉ずることになってなお「奇骨侠骨、懲戒免除なんのその、堂々男児は死んでもよい」と開き直り、その後追われるように六角堂を建て、大観・観山・武山・春草をよび「赤貧を洗う日々」の中で芸術制作の教育をする。
映画の中においては、貧しい暮らしの弟子たちとはことなり、天心は西洋的な素敵なランプのもと子供らに”パパさま”と呼ばれハイカラなティーカップで紅茶らしきものをすすり『このシャーロックホームズという本は子供には少々刺激が強すぎるかもしれん・・』と、のたまい、日々、白装束で苦悩しながら絵画と向き合っている弟子とは対照的に、暖かげなアザラシの皮をはおりお気に入りのボロい釣船『竜王丸』でふんぞり返ってだらしなく座って過ごしている・・・。
彼が、語学も堪能で西洋文化にも精通していてエリート官僚出身であり、日本美術の将来に不安をもち存続のために貢献し有名な弟子がいたことはわかったが、
岡倉天心自身の作品があるわけではないし、その資料も目にふれる機会もすくないせいか・・・このお方、ホントにすごいヒトなのだろうか??と未だ疑問が残ってしまう~。
思想家?カリスマ?・・・あの著名な弟子たちが天心のどこに魅力を感じ師事してついていき、没後も詩のような時間であったと言わしめたものはなんなのだ。。。
芸術とは完璧ではない不完全で不条理、そんなもの・・・と、いってしまえは、はい!それまで。 天心・・・もっと知りたいような。