街やSCのフラワーショップに…
赤やピンク色のカーネーションが並び彩られ…
多くの人達が思いを胸に、花選びを楽しんでいます🌿
規制も解除されコロナ感染者も減少傾向で街は活気づき…
愛が溢れる母の日/2022❇️
さて…
母の日といえば赤いカーネーションですが…
忘れることのない小学校時代の母の日の思い出があります。
それは…
毎年母の日の前には終礼の時、机に乗せたランドセルの上にカーネーションの造花が配られました。
カーネーションの赤い列が並びパッと明るくなった教室で、
私ともう一人の子のランドセルの上には、皆と違う白いカーネーションが配られました。。。
このひときは目立つこの白いカーネーションが、当時は嫌でたまらなかったのですが…
ほんの少し気持ちが楽になったのは…生まれて間もなく母親が亡くなった私とは違い、低学年の時にお母様を亡くしたもう一人の同級生は記憶が新しい分、ずっと複雑な心境だろうと感じたからでした。
今では母親がいない子供の花の色分けるなど考えられない事ですが💦当時はそんな経験をしたのです。。
時は過ぎ…
母の日になると…毎年…
私は思う事があります。
産後数時間で乳飲み子を残して逝った実母の事です。
私自身が親になった時、そんな母の無念さを痛感し本当に哀れに思えました。
…一人の人間が自分の命とひきかえに産み落としただけの価値のある生き方を…ワタシはしているだろうか…
と…私にとって母の日は自らを省みる大切な日でもあります。
こんな私も母親になり、命の絆は繋がり[おばあちゃま]という肩書きももらえました。
いつか話すこともなかった実母に会う日がきたら…
『貴方の命はしっかり繋ぎました』と言おうと思っています。
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ところで[母の日]って
もともとは白いカーネーションを贈るのが起源なんですよ(’-’*)
南北戦争での負傷した兵隊の世話をしたアンという女性が亡くなり
2年後の1907年に娘のアンナが亡き母の追悼ミサで、母の好きだった白いカーネーションを配ったのが[母の日]の起源だそう。
当時は白いカーネーションか母の日のシンボルだったそう🌿