sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

巨大地震

2011年03月12日 | 日記

どのテレビ局も地震の報道一色です。

当地でもその時長い横揺れが続きました。

地震は小学生の頃から何回か経験しています

記憶に残って居るのは戦争直後、昭和46年の南海地震です。

今回と同じように津波がやってきました。

町の河口では上流から流れる川の水量より引いていく津波の水の方が早く川底が見えました。

今のように情報の連絡が無く、目の前に起こる現象を見て怖い思いをしました

地震の揺れは今回と同じゆっくりとした長い横揺れが続いたことを覚えています。

時間は朝の早い時間でした。

ネットで調べました。大きさは今回のマグニチュードより小さいようでした。

その後、直下型地震は伊豆半島沖地他3回、群発地震は数年間続けて経験

火山の爆発は大島、三宅島の噴火も経験しています。

今回の特徴は、原発があることです。

地震、津波の被害はやがて復活するでしょうが、原発の被害は初めてのことです。

どのように修復するのでしょうか?気になります

当地では消防団が少し冠水した地域の復活に協力して消防車が消火栓を利用して

綺麗な水道水を放出していました。

道行く人達は大きな被害も無いので普段と同じように歩いています。

他県NOの車の通行も見る事が出来ますが、旅館、ホテルはキャンセル出ています。

見かける他県NOの車の運転手は若い人のようです。

 


今日は朝から晴れました。

2011年03月10日 | 日記

今日は朝から晴れて居ます。

毎日続ける予定のこのブログ、幾日か休みました。

歩くときにふらつきが出たのです。

2年余前に水頭症の手術をしました。

術後、2年ほど事後検査に行っていません。

この病気の特徴は大人ですと、歩行の制御が出来なくなります。

このところ500メートルくらい歩くと似たような状態になります。

腰の持病のためか、水頭症のための症状か検査に行ってきました。

私の近くで脳外科のあるのは長岡の順天堂病院だけです。

ここでシャントと言う手術を受けました。

頭の中にICチップが入っています。

脳髄に溜まる脳髄液を体に戻してやる装置です。

これの機能が落ちたのか検査を受けました。正常に機能していました。

とすると足のふらつきは脊椎管の狭窄のためでしょう。

出かけるのにはいろいろ準備が要ります。

病院に行くのですから着る物は何でも良いのですが。

女房はあれを着て行け、あれを着ろとうるさく言います。

天城山を越えると、日常見ている当地とは大分様子が違います。

顔を上げればすぐ側に山がある当地です。

町並みが消えると山の、当地と違って山は結構遠くに見える土地に一寸感心しました。

高齢者医療保険、診察の代金より、往復の旅費の方が高いのです。

1日掛になるような状態です。帰ると1日溜まったパソコンのメルマガの整理や何かと時間がかかり、ブログを休みました。

3日かかってやっとブログを書く時間が出来ました。

口で偉そうに言っても動作は遅くなっています。

俊敏な動きをした日が懐かしくなりました。

 

 

 

 

 


デジブック 『空』

2011年03月06日 | 日記

デジブック 『空』

今日は曇り空です。

毎日午前中に同じ場所から空を写しています。

たまに写すのですと、変わった空を思いますが。

綺麗な夕焼けを写すこともあります。

1日が終わり天気がくるくる変わる日もあると、果て今日は午前中の天気は?

と思うこともあります。大雨が1日中降ったとか、台風で大荒れだとか言う日は覚えて

居りますが、普通の日の天気は余り覚えていないものです。

だからと言って気象に関係した仕事をしているのではありません。

ただ何となく癖になって毎日写しているだけです。

写真の中には道路も写ります。これは天気以上に変わります。

これも継続は力でしょうか?後から見ると結構面白いものです。

行動範囲の狭い私ですから、ただ漫然と継続しています。


忙しない天候

2011年03月04日 | 日記

今日は本当に忙しないお天気でした。

朝起きたときは曇り空、そのうちに雨になりました。

女房があっ雪だと言っています。

夜中に雪が降ることはたまにはあるのですが。

日中に降るのは大変珍しい土地です。

屋根や道路には積もることはありませんが。

裏庭の鉢の土の上に積もっていました。

外を見ると屋根に雪を乗せた車が何台か通りました。

山間部では大分降ったかも知れません。

間もなく降り止みました。

暫くすると陽が差してきました。

忙しいのは女房、洗濯物を出したり入れたりしていました。

その後は晴れ間が出たり、雲ったりの1日でした。

雨、曇り晴と言う天気は時々ありますが、雪になったのは思い出す中では経験がありません。

寒さは厳しい1日でした。

 


事故

2011年03月02日 | 日記

やっちゃったですよ、車の接触事故を、私が。

7番孫を水泳教室へ迎えに行きながら。

八幡神社前の三叉路で。

右、左の確認をして一時停止線から発車しました。

交差点を曲がって右折した瞬間でした。

いないと思った場所に車が居たんです。

ごつんと音がしました。

前のバンバーがこの車の後部ドアにぶつかりました。

私が左から来る車をやり過ごし、もう一度右を見て発進しました。

このときに追う一度左を見れば良かったのですが。

交差点の右前側の駐車場から出てきた車があったのです。

左折して直進をし始めた直後でした。

軽自動車の後部ドアがへこんでいました。

瞬間思いました、あたった場所が悪いと。

結果はこりゃこちらが悪くなると。

相手は年配のご婦人でした。

携帯電話を取り出して何処かへ電話をしていました。

まもなく若い男の人がきました。

警察では有りませんが、事故への対応の仕方は手馴れたものでした。

車検証と保険の証券はと聞きます。持ってますよと答えました。

間もなく別の大柄な男の人が来ました。

相手の車の保険会社の人でした。

追いかけるように警官が来ました。

簡単な現場検証をしました。

相手の車を何処で見ましたかと聞かれました。

左から1台来る車を見ました、これを交して右折しましたと答えました。

私が2回目に右を見ている間に相手の車は駐車場から出て左折直進したようです。

私は相手の車が出てくるところは確認していません。

後1秒私の車の右折が遅ければぶつからなかったでしょう。

私の車両保険で直すことにしました。

明日は保険会社に連絡しなければなりません。

そのうちに7番孫の母親がやって来ました。

女房も来ました。孫がおじいちゃん来ないと電話したそうです。

加齢で動体視力も落ちています。運転はゆっくりしていますが。

相手の傷が後部ドア、結果は私が悪いになるでしょう。

前のドアでなかったのが不幸中の幸いです。

前だと完全に人身事故になっていました。

写真は送った時のプールの道路です。

事故現場ではありません。

 


3月になりました。

2011年03月01日 | 日記

今日から3月です。春は弥生の花の下、など言いますが。

言葉では暖かい春の感じです。

これは言葉だけ、今日も寒い日です。

まあ、まだ1日ですからなんとも言えませんが。

幾日か過ぎると、春が来たなの感じの日になることを期待しています。

弥生という言葉は陰暦の表現ですから、今の暦で言えば4月でしょう。

入学試験で息の抜けない人、就職が決まらずあせる人。

学年末、次の学年に進み張り切る児童生徒などさまざまです。

卒業、入学などこの月はいろいろとあります。

これらに全く関係ない私は暖かくなるのをひたすら待っています。

全く無関係かと言うとそうでも無いことに気づきます。

2番孫は就職?3番は大学入試発表待ち、6番は中学生になります。

只周囲の変化に疎くなったのは、私の高齢化のためでしょうか。

時折遠い昔のことを思い出します。

戦争が終わって小学校の卒業、今にも倒壊しそうな校舎での授業の中学生

それでもその時代の青春がありました。

靴も無く、わらじ下駄履きで通った学校生活、学童配給で順番が来てもらった靴は

皮でなくズック靴、それも右と左のサイズが違っていました。

今はスーパー、コンビにの特売場に並ぶ事も無いような品物ばかりの生活

考えて見ると周りは同じような人ばかりでした。

それでも小学校卒業記念の写真は残っています。

肥満の生徒は居ません、栄養失調寸前のような顔をした児童ばかり写っていました。

写真のようなバックは考えたことの無い日々、大きな荷物は風呂敷で背中に背負って

居ました。