昭和天皇が日本の敗戦を全国民にラジオ放送を通じて宣言した日、あの日から76年が過ぎました。この日を迎えたのは国民学校5年生の時でした、一家が大阪から父の故郷、高知県の黒潮町へ疎開したのは2年生の時でした、疎開が早かったので食糧難以外は、戦争の悲惨な体験はありません、ただ敗戦を実感したのは重装備をした米兵3人一組になって銃を突きつけながら家々を点検し始めた時でした、後日戦争映画を見るたびにあのシーンが出てきて当時を思い出します。
建築関係の上場会社二代目社長の馬鹿さ加減が話題になっています。これを典型的な二代目馬鹿と言うのでしょうか、この大半の責任は親の子共に対する教育の悪さでしょう。親の日常生活が目に見えるようですが、多くの従業員を抱えた社会的地位も高い経営者として、余りにも自覚性の無さに驚きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます