晴れ、時々曇りで助かる。
2日以上35℃が続くと1℃でも下がると体に御馳走だ。
ふとは昨日から刻々と悪くなっていき、私は徹夜を覚悟した。
手足は突っ張り、体の自由は効かなくなり、尻尾の合図も途切れがちで、
排尿の時と、たまに自分で体位交換の様に寝がえりを打つが、その後が血圧が変動しどっと具合が悪くなって息絶え絶えになる。
また、耐え難い吐き気があるようで、体を丸めて吐くのだが、そのあと息も絶え絶えになりここまでかと思う。
その後しばらくすると安定するのだが、あごに古いタオルを丸めた枕を当てて、マスクも置いてじっとしていた。
オムツに張り付けた人のパットは大変役に立ち、ふとの尿を一部でぐんぐん吸収し、
尿で広範囲に体を濡らすことも、大げさなオムツ交換もしなくても可能、つまり片側を外して差し替えて交換するだけで済んだ。
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静かにしているとあと数日は看病が続くようにも思われたが、
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明けて29日、12時50分から開口呼吸が始まる。蓋をあけてマスクを当て続ける。
涎もだらだら出て、腿に近い腹部がマラソンの様に波打っている。
1時30分に寝返りを打ち、さらに呼吸困難に陥る。
1時50分、右手が細かく痙攣、にゃあと鳴く。
2時、開口呼吸、右手が細かく痙攣。肉球に汗を握っている。
2時15分、嘔吐を何回も、胃液しかないが海老の様になって本当に苦しそう。
相変わらず腹部がマラソンのよう。意識が遠くなっており、ここで亡くなるかと思う。
2時33分、意識が戻ったようで反応あり、
2時35分、眼に旬膜が上がってくる。左目瞬きあり。
2時50分、安定してきたようで酸素ボックスの蓋を閉め、酸素2台フル回転。
3時45分、開口呼吸、
3時50分、手の細かい痙攣、酸素を当て続ける。
3時57分、嘔吐。
4時、体中の空気が出るような音で犬の様にうぉーんと数回吠える。瞳孔が拡散。慌ててカゴとマスクごと膝に抱く。
4時05分、完全に鼻と口で呼吸していない、空気の出入りが無い、口も開けっ放しで、瞳孔も開いたまま何の反応が無い、しかし太もも付近のお腹の呼吸は続き、聴診器では心音が聞こえる。
4時10分、何故か瞳が通常にちかくに戻り、口も自然に閉まり、下顎呼吸の苦しそうな表情が薄れ普段の可愛いふとに近くなり、
4時15分、完全に心音が停止した。
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13歳と2か月ちょっとの猫生だった。
ありがとう、とてもかわいい性格の最高の猫で、側にいてくれるだけで幸せだった。
猫が一ダースいた頃から、訪れてふとに触れた人は一瞬でその性格を褒めた。
最後は3月27日のドロボー騒ぎで警察関係者が家に一杯来たけど、
すでに病で衰えてヨレヨレだったけど、ふとはやはり褒められていた…。
何回も送っている事だが、今回は「焼きたくないなあ」とまだ温かい亡骸を抱いて子供の様に泣いてしまった…。
長い期間呼吸困難で苦しんだが、確かめると口は歯がボロボロだった。耳の腫れも、喉の腫れも綺麗に引いていた。
そのあとも、綺麗に拭いて、ブラッシを当てて、首に髪の毛を一本結んでペット葬儀の予約日までふとに氷を当てたり、
機械を片付けたり、使った物の洗濯をしたりして、闘病の痕跡を消したり、次の子に使えるようにしまったりで精一杯動いて、
三十時間近く寝ていないので横になる。
起きてからは、ふとのかかった受診記録をまとめてあるのでそれを見て感慨にふけったり…。
一斉に拾った猫も、一斉に皆バタバタと旅立って、残された6匹の猫も、きーじ以外が皆ふとの年齢なので、
改めて看取る覚悟をしたのと、あと数年しか一緒にいられない、精一杯大事にしてあげようと誓う。
東京オリンピックの頃はきーじしかいないかもしれない。
亡くなったらあれこれやるんだと言いながら、今は空っぽで廃人です。
2日以上35℃が続くと1℃でも下がると体に御馳走だ。
ふとは昨日から刻々と悪くなっていき、私は徹夜を覚悟した。
手足は突っ張り、体の自由は効かなくなり、尻尾の合図も途切れがちで、
排尿の時と、たまに自分で体位交換の様に寝がえりを打つが、その後が血圧が変動しどっと具合が悪くなって息絶え絶えになる。
また、耐え難い吐き気があるようで、体を丸めて吐くのだが、そのあと息も絶え絶えになりここまでかと思う。
その後しばらくすると安定するのだが、あごに古いタオルを丸めた枕を当てて、マスクも置いてじっとしていた。
オムツに張り付けた人のパットは大変役に立ち、ふとの尿を一部でぐんぐん吸収し、
尿で広範囲に体を濡らすことも、大げさなオムツ交換もしなくても可能、つまり片側を外して差し替えて交換するだけで済んだ。

静かにしているとあと数日は看病が続くようにも思われたが、
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明けて29日、12時50分から開口呼吸が始まる。蓋をあけてマスクを当て続ける。
涎もだらだら出て、腿に近い腹部がマラソンの様に波打っている。
1時30分に寝返りを打ち、さらに呼吸困難に陥る。
1時50分、右手が細かく痙攣、にゃあと鳴く。
2時、開口呼吸、右手が細かく痙攣。肉球に汗を握っている。
2時15分、嘔吐を何回も、胃液しかないが海老の様になって本当に苦しそう。
相変わらず腹部がマラソンのよう。意識が遠くなっており、ここで亡くなるかと思う。
2時33分、意識が戻ったようで反応あり、
2時35分、眼に旬膜が上がってくる。左目瞬きあり。
2時50分、安定してきたようで酸素ボックスの蓋を閉め、酸素2台フル回転。
3時45分、開口呼吸、
3時50分、手の細かい痙攣、酸素を当て続ける。
3時57分、嘔吐。
4時、体中の空気が出るような音で犬の様にうぉーんと数回吠える。瞳孔が拡散。慌ててカゴとマスクごと膝に抱く。
4時05分、完全に鼻と口で呼吸していない、空気の出入りが無い、口も開けっ放しで、瞳孔も開いたまま何の反応が無い、しかし太もも付近のお腹の呼吸は続き、聴診器では心音が聞こえる。
4時10分、何故か瞳が通常にちかくに戻り、口も自然に閉まり、下顎呼吸の苦しそうな表情が薄れ普段の可愛いふとに近くなり、
4時15分、完全に心音が停止した。
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13歳と2か月ちょっとの猫生だった。
ありがとう、とてもかわいい性格の最高の猫で、側にいてくれるだけで幸せだった。
猫が一ダースいた頃から、訪れてふとに触れた人は一瞬でその性格を褒めた。
最後は3月27日のドロボー騒ぎで警察関係者が家に一杯来たけど、
すでに病で衰えてヨレヨレだったけど、ふとはやはり褒められていた…。
何回も送っている事だが、今回は「焼きたくないなあ」とまだ温かい亡骸を抱いて子供の様に泣いてしまった…。
長い期間呼吸困難で苦しんだが、確かめると口は歯がボロボロだった。耳の腫れも、喉の腫れも綺麗に引いていた。
そのあとも、綺麗に拭いて、ブラッシを当てて、首に髪の毛を一本結んでペット葬儀の予約日までふとに氷を当てたり、
機械を片付けたり、使った物の洗濯をしたりして、闘病の痕跡を消したり、次の子に使えるようにしまったりで精一杯動いて、
三十時間近く寝ていないので横になる。
起きてからは、ふとのかかった受診記録をまとめてあるのでそれを見て感慨にふけったり…。
一斉に拾った猫も、一斉に皆バタバタと旅立って、残された6匹の猫も、きーじ以外が皆ふとの年齢なので、
改めて看取る覚悟をしたのと、あと数年しか一緒にいられない、精一杯大事にしてあげようと誓う。
東京オリンピックの頃はきーじしかいないかもしれない。
亡くなったらあれこれやるんだと言いながら、今は空っぽで廃人です。
お見送りは、何度といっても自分はまだ数回しか経験してないけど、慣れることはなく。
これからも慣れることなんて、ないだろうと思います。
少し、ゆっくりしてください。
でもやっと体が楽になれたかな?
13歳はまだ若いけど、病気が病気なので仕方が無いね・・・
でも別れは辛い、私など未だに「プーさん」と呼んではっとするから、いつまで経っても何度経験しても悲しみはいつも同じ。
出会いは楽しいけど、別れは辛いね・・・
あの綺麗な瞳がもう見られないのは寂しいな。
アカメちゃんにはもう会えたかな。
みゃー大工さん、お身体休めて下さいね。
お疲れ様でした。
そして、ふとちゃんの猫生をすばらしい一生にしてくれて、
ずっと寄り添っていてくれたみゃー大工さん、本当にお疲れ様でした。
ずっと頑張ってこられた心と身体を少し休めてくださいね。
この間の酸素の機械の貸し借りの時に、立て続けに亡くされた猫ちゃんの事でぽろっとされてましたものね。
同じく「、いい加減に慣れないと今後かかわれないぞ!」とは思うものの、一生強くなれないで毎回「うっ」としての繰り返しです。
齢を取ってかえって勢いが亡くなり酷くなった感じ。
あと例の猫ちゃんとか、今後の猫が来たらは絶対にそちらのK病院でTNRでお世話になるつもりでおります、しばらくお待ちを。
ふとの猫生は終わったけど、私はそちらの次郎ちゃんの癌の今後が心配です。
ああ、奇跡が起こって欲しいです。起こらないかな奇跡。
「一月にもう駄目かなあ」とお話しして夏まで良く持ったと思います。
本当にお世話になりました。
来た時に猫白血病+でテラスに網を張って暮らし、その後ガラスを入れて増築。(現在の鳥の部屋)
その時の猫部屋の写真をしろりんさんがブログにアップ。
その猫部屋の記事の米から私にお声をかけてくれたのがpepeさんで、ミクシィとかブログを書くことを勧めてくださった。
(今はブログをサボっているpepeさん達先輩が今の若いボラさん達の先駆者で、猫をレスキューする基盤を作ってくださったと思います。)
三年は猫白血病の発生9割と言う事で3匹の親子ごと隔離で、三年後、皆と一緒。
とにかく、いてくれると楽しい猫で、(別に選ばずに猫は受け入れていますが)本当に一緒に暮らして良かった!と思える猫でした。
毎日居るだけでお世話に張りが出たし、私の猫愛の原動力でした。
一階でふとが亡くなる数分前に、家の2階で寝ていたバカ旦那が悪夢を見たと、何でも光の球が、ほかにも人はいるのに自分にまっすぐ向かってきてぶつかってきて「南無妙法蓮華経」と必死で唱えたと。
私は何故波妙法蓮華経の御題目なんだ?また義兄の新興宗教か!と頭が痛いです。
数年前のみゃもさんと同じです、とっておけるならこのままそっと置いておきたい。
毎度、そう思はないわけではないのだけれど、今回は強烈でした。
どんどん具合が悪くなっていく間、向こうにいる親兄弟に上手く会えるように、今の状態以上、もう苦しまない様に、そればっかりで、あとはもう考えられないという。
もっと淡々としなくては身が持たないのだろうけど、猫の病気には全力を毎回使い切ってしまい、その間の人としての生活は悲惨であります。
いつもありがとう。
ふとは野良猫一家の中では一番の長生きでした。
来た時は片目が潰れ、すぐに熱をだし、お腹も弱くいつも下痢で一番弱かったです。
親兄弟はFIPや気道の癌で、かなりの治療したんですが苦しんで亡くなり、それを思えば一番恵まれていた猫だと思います。
私的には呼吸苦のために鼻カテーテルも使わず、1月22日⇒2月22日の一か月と、5月7日⇒7月28日の2か月と21日の強制給餌は本当に辛かったです。
「生き物を飼うのは己が命を削って与えるようなものだ」と野村獣医師が何かに書いていたけど、本当に治療・投薬、飼い主が食べない猫に食べさせる苦労は飼い主のメンタルと体ににじわじわ来ます。
だからクロちゃんの件が大変なのが解ります。
缶詰の汁だけが好きな場合、
缶詰にポットのお湯をくわえて粗くほぐしたのあたえる。
小さなすり鉢ですってクリーム状にしてあたえる。(さらに何か匂うものををトッピングする)
摺った物を茶こしでこして絞りかすは捨てる。
またはゼリー状の缶詰を湯煎にかけてスープ倍増などの工夫があります。
クロちゃんにも奇跡が起こります様に。
今 言っちゃっていいのか良く分からないけど、アスペでマイワールドで人様の気持ちや 場の空気が読めないやつなので、本当にすみません、不死男くんのことも、本当にありがとうございました。
>アスペでマイワールドで上等、
お友達も出来て、猫もいっぱい救っている!
こちらこそ変態でぼっちですがなにか?爆。
不死男もふとも両方良い子でした、あんな子はずっといてもらいたいもの。
残された猫には足りない何かを持っており、
そういう子の方が早く逝くというパターンか、号泣。