2月8日に起こった米軍機部品落下事故について、基地近隣の日本共産党議員団と民主団体などが一緒になって厚木基地に抗議・要請にいきました。内容は事故原因の徹底究明、その結果の公表、事故機およびすべての艦載機の飛行中止、空母の横須賀母港撤回をもとめるものです。 詳しくは翌日の赤旗新聞全国版に載っています。 今、焦点になっている沖縄普天間基地は「世界一危険な基地」とされているが、「厚木基地も全くその通り!」を実証する事故でした。
写真は、翌日の赤旗新聞、真ん中で要請文を渡しているのが、私,正面が畑野君枝さんです。 今日、対応に出たのは、渉外部長が空席のため、クンツ広報部長でしたが、日本語通訳を介しての交渉でしたので倍時間が掛り、調子が狂いました。
その後、畑野さんたちは、防衛省・外務省に要請にいきました。
防衛省では被害者の方には、事故現場で謝罪し翌日地位協定に基づく損害賠償の話を行い、米軍は当日夜8時に謝罪に出向いたとのことです。
一夜明け、新聞テレビは一斉に昨日のGWの艦載機の事故の詳細を報道しています。 8時過ぎには東京羽村市清和委員会から「事故機プラウラーの機体番号は何番か? 横田基地に来ていた機体番号505は具合が悪く修理ばかりしていた。それではないか?」との問い合わせが飛び込んできました。
平和委員会のKさんに確かめると501号機とのこと、彼は偶然、基地周辺にいて落下物の写真も収めていました。 また、彼がいうには「バードストライク事故」ではないか? 泉の森などの野鳥の群れが飛び交っていて、その鳥がエンジンに入り込んだのではないかと。 (米軍の確認は取れていません)
昨夜も今日も艦載機が4機も連なって編隊飛行をやって、爆音を轟かせています。さすがに事故機と同機種は飛んでいない、当然です。 当日は北から着陸態勢に入った時だったからまだよかったが、これが風向きによって南から入り、北に飛び立った時の事故で住宅地への落下だったらと考えると恐ろしい。
沖縄の普天間基地は「世界一危険な基地」だが、厚木基地も同じです。
昨日、茅ヶ崎から帰るバスの中で「館野鉄工所への米艦載機墜落事故の慰霊柱」の傍をとおり、ここです!と指さし教えました。 慰霊柱も朽ちてきました。共産党や平和委員会は大和市へ、この事故を忘れないために大和市の管理をお願いしているのですが、いまだ実現しません。
1977年、34年前の横浜市緑区に米艦載機が墜落し、幼い子どもと母親が亡くなった事故も忘れられません。