東日本大震災により発生した津波による福島第1原子力発電所の事故を巡り、東京電力の株主らが旧経営陣5人に対し「津波対策を怠り会社に巨額の損害を与えた」として、総額22兆円を東電に賠償するよう求めた株主代表訴訟。9年以上に及ぶ審理期間を経て、東京地方裁判所は7月13日の判決で被告5人のうちの4人の責任を認め、合計で13兆3210億円の支払いを命じたとの報道がありました。
賠償を命じられたのは、元会長、元社長のほか2人の元副社長の計4人。一方、そのうちの元社長を除く3人が業務上過失致死傷罪で強制起訴された刑事裁判では、一審の同東京地裁が「津波の予測は困難だった」として「無罪」が言い渡されており、事故の責任の所在に関しては(民事・刑事で)判断が分かれた形です。
もちろん被告らは控訴手続きをとるのでしょうが、この先たとえ判決が確定しても、(ジェフ・ベゾスやイーロンマスクでもない限り)一人当たり3兆円を大きく超える賠償金を払える人はこの日本にはいないでしょう。
国内の民事訴訟で最高額とみられ、現実的には支払能力が無視される形となったこの判決。仮に判決が確定して4人が賠償額を支払えなかった場合には、その後一体どうなるのでしょうか。
今回の訴訟は「株主代表訴訟」、つまり株主が会社に代わって取締役などの責任を追及するものなので、被告ら旧経営陣の賠償金支払い義務は、会社(東電)に対して負うことになります。東電には当然、債権回収の責任が生じるわけですが、ここで「(旧経営陣からの)債権回収は現実的ではない」として、債権を放棄する可能性は十分にあるところです。
もっとも、仮に東電がが4人に対して支払いを求めなかった場合には、(債権回収を怠ったとして)現経営陣の責任を追及するための新たな株主代表訴訟が提起されることも考えなくてはなりません。
一方、東電側が意を決して被告4人に任意弁済を促したとしても、(毎年1億円ずつ弁済しても、実に3万年かかるという気の遠くなうような話ですので)現実的な支払い計画が立てられる見込みはありません。
それでも取れるだけ取ろうということで、会社側が被告らが所有する財産を特定して、強制執行(差し押さえなど)することはおそらく可能です。その場合は、(たぶん間違いなく)債務者となった4人がそれぞれ自己破産を申し立てることになるでしょう。さらに、場合によっては、東電が債権者として4人の破産を申し立てることになるかもしれません。
いずれにしても、そこで裁判所に被告らの破産が認められれば、彼らの保有している土地、家屋、貯金、株式(さらには給与、年金の一部)などの財産は処分されて債務に充当されます。もちろんその場合には、足りない(大部分の)債務が免除されることは言うまでもありません。
なお、こうしてやむを得ず債権の回収をあきらめた場合、東電は(会計処理として)この金額を「貸倒損失」として損金に算入することが可能と考えられます。「損金」ですので(金額の大小はあっても)東電には税制上のメリットが生ます。いずれにしてもわれわれ納税者としては、法人税の減収などによるデメリットなどを覚悟する必要はあるということでしょう。
さて、翻って、事故発生前における東電経営陣の年収をみると、社長でも年収7200万円程度だったとされています。サラリーマンの感覚では、この金額は「かなり高いな」とも思いますが、ここから所得税や住民税などを控除すると手取りベースで4000万円程度。これでは(様々な経費が使える)中小企業の事業主の収入とそう変わりません。
毎年の役員報酬が数千万円程度であるにも関わらず、常に数百億から数兆円といった株主代表訴訟のリスクと隣り合わせにいると思えば、「偉くなるのもリスクが増えるだけ」「大企業で役員に就任するのは馬鹿馬鹿しい」と思う者が出てきても不思議はないでしょう。これでは、優秀な人材が、組織のトップに立ったり責任あるポジションについたりすることを、「コスパが悪い」と回避する事態を招きかねないという懸念も生じるところです。
電源の喪失、それに伴う原子炉のメルトダウンに至った判断の過程を検証し、反省し、間違いを正すことは、事故の再発を防止する観点から見れば当然必要なことでしょう。しかし、単に裁判で経営者の経営責任を追及し、それを罰するだけでは誰も幸せになれないのはおそらく事実です。
13兆円という天文学的な賠償金額を、4人のサラリーマンにどうしろというのか。孫子の兵法に「川に落ちた犬は棒で叩け」という言葉があるそうですが、(結果責任は大きいとはいえ)感情に任せ、情け容赦なく、徹底的にたたけばそれで良いというものでもないような気もします。
考えるべきは、何をすれば今後のプラスになるのかということ。「巨悪がどこかにいるはず」「再発防止のためには責任の追及が必要だ」という被害者の気持ちはよくわかりますが、事態を俯瞰的に捉え、常識的に対応することも時には必要ではないかと、今回の裁判に関する報道から改めて感じているところです。
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